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スポーツ サイドストーリーコミュのあの選手の あの仕草・あの場面が 観たい。。

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仕草。。

立ち振る舞い。。

真剣勝負の中で ふと見せる
あの選手の あの仕草。あの場面。。
なぜか いつも 追いかけてしまう・・

たとえば
イチローが守備位置で腕を組んでる仕草
自信に満ちた表情で・・

私が好きな仕草なんです。。

みなさんも
勝負の行く末は もちろん気になりますが

「あの選手の あの仕草・あの場面が 観たい」

ありませんか
 
教えてください。。 もちろん過去の選手でも。。

コメント(32)

イチローだとヒットを打った後
一塁ベース上で肘のガードを外すしぐさが
とてもカッコよく見えます。

無意味に真似します(笑)
アテネ五輪で山本貴司選手が200mバタで銀メダルを獲得したとき、ゴールのときに結婚指輪にキスして腕を高々とあげて喜んでいた姿。すごく感動しました。
千葉すず選手との固い絆が感じられました。あの場面、忘れられません。
選手のしぐさと言えば、「掛布選手」ですかね。
バッターボックスに入って
構える前、バットのメーカー名が
テレビに映るのを確認して、バットをくるっとまわす仕草。

それと、「淡口選手」
構える前、腰を「キュッキュッ」ってひねる仕草。
子供のとき、まねして遊んでいました。
西武ライオンズ黄金期が小学生だった私の記憶に焼きついているのは。O.デストラーデ選手のあのガッツポーズですね。
当時、よくマネしてました。
俺が好きだった(引退してないのでまだ現在形か)
のは中村紀洋選手がやる「ホームラン打った後のバット投げ」

なんかかっこええんだけどまねすると危ないって言う・・・。
朝青龍の制限時間一杯の時に花道の方を睨む仕草。

さりげなくカメラ目線のあの目がGOODです。
相撲といえば、
「千代の富士」の塩のまき方。
子供ながらにかっこうよかったなあ。
マラソンの谷口選手。右に頭を傾けながら走る姿。まっすぐにすれば もっと速く走れるんじゃないかと 思っていましたが
そうじゃないんでしょうね(笑)

宗 猛、茂 双子兄弟も 右と左にそれぞれ 頭を傾けながら
走っていました。

3人とも旭化成。何かあったのか!?
>よっちんさん☆
分かります!「まっすぐにすればもっと速く走れるんじゃ」っておもわず笑ってしまいました!!

あの「こけちゃいましたぁ★」のコメントの時も、もちろん頭を傾けながら・・・
>よっちんさん、いずさん

マラソン好きな僕も選手の仕草で
パッと浮かんだのが、実はこの谷口選手でした。

中学のときか・・
真似してやったことあったけど、
わかってくれる奴、ほとんどいなかったなあ・・

それと、D・デンシモ選手のくるくるうでまわし、
浅利純子選手のだらりうでおろしもありましたね。

ただ、これは「仕草」ではなく、」「フォーム」
なのかなーと思って、書くのを控えてしまいました・・
これからの選手ですが大阪桐蔭平田選手
高校生にしてバッターボックスでバットを振りかぶるようす
外人助っ人のようです
プロでも豪快なバッティングをしてほしい
>おけらさん

間違ってないと思いますよ。
梨田選手の「こんにゃく打法」ですね。
中田翔(大阪桐蔭)選手の
 あの豪快な打撃ホーム いいなぁ・・


なんか 無限の可能性を感じる。。
西武石井一久投手のマウンド上の 飄々とした仕草も大好きです。

今日の日本シリーズ登板ですよね
どの選手と限りませんが、ピッチャーがロジンを手につけて、その手をフッと吹くところが好きです。
甲子園のネクスト、回を追うごとに切実になる、
球児の願いにぐっときてしまいます。
NOMOさんの、マウンド上でキャッチャーに正対して両手をだらんとして子供のように真っ直ぐ立ってるポーズ。
そして軽く肩で一息『ふぅ』って。
わかるヒトいるかなぁ。。


そこからあの豪快なワインドアップに移るんですからサイコーにかっこいいです。
すみません。画像は探せませんでした。。
>樂活さん
わかりますよ〜
野茂のポーズ。

全身をリラックスさせて そこから竜巻がスタートするんですよね
ヽ(´ー`)ノ
昭和48年春の選抜甲子園大会準決勝、高校野球史上空前の怪物江川卓投手擁する作新学院対抜群の制球力を誇った佃正樹投手、達川光男捕手の黄金バッテリーが率い、また機動力と頭脳的野球で高校野球らしからぬ老獪さを見せた迫田穆成監督の広島商の試合を観たいです。「ボールが60個入るストライク・ゾーンの外角低めの一球だけを狙え。しかもフェアにはせずファウルしろ。これだけで江川の投球は確実におかしくなる」そう選手に命じ、実行させた迫田監督。そしてたったヒット2本しか打てなかったにもかかわらず、機動力を駆使し、ダブルスチールなどで作新バッテリーをかく乱。何とその大会無失点を続けていた江川から2点をもぎとった奇蹟。
広島商というのは凄いチームで、甲子園に2ランスクイズ(スクイズ一打で二者生還させる驚きの作戦)を流行させたのも広商。
野球はたとえ打てなくとも、試合運びしだいで勝てるということを実践して見せた迫田野球の真髄。それは昭和48年の春と夏の広商の野球に集約されている気がします。あの年の広商は奇蹟のチームでした。
>>[23]
いい話ですね。ありがとうございます。
広島商業野球、最近は、なかなか甲子園で見ることが出来ないですが、また復活して欲しいです
>>[24]
この試合で、後に広島カープの正捕手になった達川は「死ぬかも知れないと思った。プロ野球の投手を含めても、あの時の江川の球がいちばん速かった」と述懐しています。
江川は大学二年の時、肩を疲労骨折し、以後高校時代のような凄まじい剛速球を投げられなくなってしまいます。それでもプロ野球ではあれだけの活躍をしますが、高校時代の超人的な江川を見慣れているファンには物足りないと言うほかなかった。
>>[25]
結果的に高校時代が全盛期だった選手、多いですよね。
特に投手。

甲子園での輝き、いつまでも胸に残りますね。
プロ野球の試合で後日談を聞き、選手の男気を感じた瞬間。
1979年日本シリーズ「広島対近鉄」第七戦。
9回の裏近鉄の攻撃。4対3で広島の1点リードだが無死満塁。一打逆転サヨナラの場面。江夏の21球のもっとも注目された場面。この時、古葉監督は同点にされた場合を想定して、ブルペンに池谷と北別府を送り、投球練習をさせていた。江夏はマウンド上でそのことに激怒しており、「交代させるつもりなら、俺はユニフォームを脱ぐ」と、監督に憤然と真っ向から刃向かった。それを見るに見かねた捕手の水沼はマウンドの彼を説得し、江夏を打者に集中させるため満塁策をとったのだった。

14球目。佐々木の打球は三塁線ぎりぎりの矢のように速く低いゴロ。ベースにでも当たっていればすなわちフェアで、逆転サヨナラの二塁打となったはずだったが、江夏はファウルを確信しており、実際三塁手三村のグラブには触れず、判定はファウルボール。これに対し、三塁コーチの仰木彬も異議を唱えなかった。
無死満塁だが、佐々木は2ストライク1ボールと追い込まれる。ここで衣笠がマウンドへ。「中途半端に投げるのだけはやめろ。さっきお前は交代ならユニフォームを脱ぐと言った。ならば、お前にもしものことがあったら、俺もユニフォームを脱ぐよ」と励ました。この、思いっきり行け、という励ましに江夏は落ち着きを取り戻した。
次の15球目は内角高めのカーブ。打者なら誰でも手を出すコースで、これには佐々木も手を出して、ファウル。
16球目。内角低めの球がわずかに外れてボール。この球は見逃したというより、たとえストライクでも佐々木には手が出なかったコース。これはストレートであって、しかもこれが伏線の「見せ球」であることに佐々木はおそらくまだ気づいていない。
カウント、2ストライク、2ボール。
17球目は、16球目と同じ球筋、同じコースにボールが来る。佐々木でもさすがに手を出さざるを得ないコースだが、しかし今度はストレートではなくカーブ(江夏は「この9回のピッチング、自分ではカーブの切れがいつも以上によく、これを決め球に使えば打者は打てない」と考えたという)で、見事に裏をかかれた佐々木のバットは空を切った。三振。これで一死満塁。
次の打者、石渡。
18球目。一球見逃し、これがカーブでストライク。だが、打たなかったというより、手が出なかったのだろう。(この時石渡はストレート待ちで、この見逃しを見て西本監督は作戦を決めた)ここは、一死満塁で、スクイズがありそうな場面。
19球目。水沼のサインはカーブ。江夏は頷き投球に入った。が、気配を察した水沼がとっさに立ち上がりウェストの構え。すでに投球に入っていた江夏は反射的にカーブをウェスト、この時暴投のリスクも大きかったが、石渡はストレート待ちだったためスクイズを空振り、水沼はウェスト・ボールをキャッチし、三塁へ戻ろうとした俊足藤瀬はタッチアウト(投球がストレートだったらタイミングを合わせることは可能で、石渡はたとえ江夏が外しても間違いなくボールをスクイズ出来たはずだと主張している)。一塁二塁ランナーはそれぞれ進塁し、これで二死三塁二塁。そして石渡のボール・カウントは2ストライク、0ボール。
20球目はファウル。これも三振を免れるため、辛うじて当てたボールであろう。
そして21球目。内角低めへのカーブ。江夏は結局一球も遊び球を投げず、この球で石渡を空振りの三振にしとめ、ゲームセット。

「中途半端に投げるのだけはやめろ。さっきお前は交代ならユニフォームを脱ぐと言った。ならば、お前にもしものことがあったら、俺もユニフォームを脱ぐよ」
この衣笠の言葉。江夏を正気に戻したのはまさにこの一言。これを男気ある一言と言わずして何と言おうか。

追記事項:ぼくはリアルタイムでこの試合のTV中継、見ておりますが、当時すでにスピードガンが採用されていて、試合後アナウンサーだったか、解説の方だったか、驚いていたのは、この日江夏の最速のストレートは139km/hしかなかったこと。つまり江夏は抜群の制球力をたよりに投球術を駆使して、前年の首位打者でこの年も.320の高打率だった代打の佐々木恭介(右打ち)をあの二球の内角低めへのストレート及びカーブで打ち取った。当時のスポーツ記者が書いた記事をぼくは覚えていますが、「江夏は若いころから非常に制球がよく、ここぞという勝負時に投げる球はボール半個の狂いすらなかった」というのです。しかも江夏はこの二球をストライクかボールか、判定のむつかしい微妙なコースへ投げている。だから佐々木も最後には振るしかなかった。だがストレートのタイミングでカーブを打つことは不可能。タイミングを外された佐々木は見事にしてやられたという構図。江夏の方が役者が一枚上だったわけです。
当時はポテンシャルとか才能というもので勝負するより、人間としての度量の大きく、懐の深い、投球術で勝負する文字通りの「大投手」が多く、江夏の他にも、江夏ぐらい偉大な投手がまだ4、5人はいました。特にパ・リーグに多かった。
>>[28]
私も、リアルタイムで見てました。
当時、江夏は全盛期を過ぎて、なお大投手でしたね。

品行方正な現代のエース達よりも、やっぱり、やんちゃで人間味あふれる、この世代のエース達に魅力をかんじます
>>[29]

401個のシーズン奪三振の世界記録を作った頃の全盛期の江夏は凄かったですね。
ぼくはまだほんのこどもでしたが、後で聞いて身震いしましたよ。
堀内などは、豪速球でも荒れ球に近く、細かい制球力に不安があるような一面がありましたが、
江夏は豪速球に加えて、ここぞという時、制球のいい球が絶妙なほど急所に決まった。
またタイミングを狂わす緩いカーブもあり、投球術と相まって、他の追随を許さない。
だから、脂の乗り切っていた当時の王、長嶋でさえ、歯が立たない時期があった。
王、長嶋から狙って三振が取れたのは、江夏ぐらいだと思います。

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