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スポーツの感動コミュの語り継がれる名勝負 甲子園 石川星稜編

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甲子園で5打席連続敬遠

1992年8月16日、夏の甲子園で世間を揺るがす事件は起こった。
松井秀喜(現NYヤンキース)は当時、石川県の星稜高校の4番打者、それまでに高校通算60本塁打を記録していた。
1年夏の甲子園初出場から数えて4度目の甲子園出場。

1992年、高3年の夏の甲子園、2回戦の相手、高知県の明徳義塾高校戦において、明徳義塾の馬渕史郎監督は、星稜高校の超高校級スラッガー松井を全打席歩かせることを指示した。
もちろん勝つためである。夏の高校野球は一度負けたら終わってしまうトーナメント。次の試合をするためには何としても勝たなければならない。試合は1点を争う好ゲームになった。

松井は、第1打席から第5打席までの20球すべてに敬遠のボールを投げられ、5打席連続四球で一塁へ歩いた。
ランナーなしの場面でも松井は勝負してもらうことはなかった。

この松井への四球攻撃に対し、甲子園の観客は、ブーイングを浴びせ、メガホンやゴミを投げ入れて抗議した。
松井は全打席出塁してチャンスを作ったものの、硬くなった星稜高校の5番バッター以降は明徳の河野和洋投手を打ち崩すことができず、2−3で敗れた。
馬渕監督の目論見通り、明徳義塾高校は、松井封じに成功し、3回戦に駒を進めたのだ。

勝った明徳義塾高校が校歌を斉唱している間中、観客は容赦ない「帰れ」コールを浴びせ、校歌の声はかき消された。

試合後、明徳義塾の宿舎には千件を超える抗議の電話が殺到し、高野連の牧野直隆会長が異例の記者会見を開いて、明徳の四球攻撃に苦言を呈するという事態にまで発展した。

そのため、この松井5打席連続敬遠は、全国各地で物議を醸し、その年を代表する社会問題になった。

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