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北京波の新世紀映画水路コミュの極私的東京ロケ地探訪ツアーPART?

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友人のFくん、Oくんとの3人で7時半、宿であるホテル・ラングウッドを出発す。

すぐに車は【 竹台高校前 】で右折して路地に入っていく。

この竹台高校はフォーク・クルセイダーズ・加藤和彦、むかしお笑いいま画家兼俳優の片岡鶴太郎の出身校でもある。

この路地の左側には、昭和の爆笑王である巨人【 林家三平宅 】が建っている。
竹台高校前を右折して入ったわけだが、そのまん前には豆腐料理で有名な【 笹の雪 】があり、そのまた向かい側・寛永寺橋たもとには【 台東区立根岸小学校 】がある。

この根岸小学校には巨人林家三平の子どもたち(美どり、泰葉、こぶ平、いっ平)がみんな通ったのだ。
三平は子どもたちの参観日や運動会には必ず出席し、頼まれれば舞台にも立ったという。あの殺人的なスケジュールのなか、よくぞやれたとも思う。

Fくんの話では、1970年ごろ佐藤栄作首相が小学校訪問した学校として報道され全国的に有名になったという。
高座でも三平が「佐藤首相がいらっしゃった下町の学習院です」とギャグにしていた。
その頃では珍しい給食用エレヴェーターがあったため、周囲の小学校から羨望の的になったという。

そんな下町の名門校をやり過ごし⇒車は夏目漱石とも親交深い“病床六尺”の【 正岡子規旧宅前 】を通過し、行ったことはないけれど【 鶯谷ホテル街 】を抜け【 山手線と京成線が交叉する陸橋 】にたどり着く。この陸橋は・・・・・・・・・・・・・・・  

《★1》三浦哲郎の芥川賞を獲った自伝小説の映画化『忍ぶ川』で、志乃に婚約者(滝田裕介)がいると聞かされて悩んだ哲郎が志乃と待ち合わせた場所である。

銭湯の湯船をかき乱しながら「奪う。婚約者がいるなら、そうだ、奪えばいいんだ」と煩悶するシーンに続いて出てくる。

わがベスト・ワンとも愛している映画ゆえに感激も一入。
「映画じゃこっちから撮ってたよね」と声も弾む。 

そういえば滝田裕介のモデルとなった男性。映画では車のセールスマンという設定になっているが、実際には近くにあるK科学に勤務していたという。

このK科学は文京区千石の三百人劇場の隣。現在は文京区施設や大型スーパーが入っているところにあったという。

車に乗り込み、【 日暮里駅谷中口あたり 】を通過。ここには・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
《★2》山根成之監督『ワニと鸚鵡とおっとせい』で秋吉久美子が歩いていた八百屋の店跡がある。

ほどなく車はある坂の上で停まる。見下ろせば、【 谷中商店街 】を見下ろす階段の上なのだ。ここは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
《★3》またまた『忍ぶ川』で志乃の薮入りを待ち、ようやく丸一日のデートを終えた2人。

哲郎に向かって志乃が右手に持った、三社祭の(この三社祭りというのは誤り。ほおずき市は正式には四万六千日。7月19・20日に行われる縁日。この日にお参りすれば四万六千日お参りしたのと同じになると言われている。

哲郎が香煙を素直におまじないとして受け入れられないことから考えると、あえて四万六千日に設定しているとかんがえるのが正しいだろうとFくんは言う。

それはそうだろうとボクも思う。
三社祭りは5月の第3週の金・土・日。早朝から3つの神輿が各地の町内をかつぎ継がれる。夜までやるのは日曜のみ。隅田川において8センチほどの小さな観音様を拾って、それを納めたのが金龍山浅草寺(せんそうじ)。

拾った3人の漁師を祀ったのが浅草神社(通称三社様)だが、地方在住者の悲しさで、志乃と哲郎のデートは薮入りの日なのだから、三社祭りの時季を知っていれば絶対に間違えなかっただろう。

言い訳になるが映画では浅草境内でのほおずき市の直前に勇壮な神輿のカットが挿入されていることが、錯覚に繋がった。神輿は本来神社のもので、寺では神輿は出ない。)

ほおずき市で買った風鈴をかざして別れの挨拶をしたところ。

このとき哲郎は階段の下に立っていた。このことから、志乃の勤めている小料理屋・忍ぶ川は谷中銀座商店街近くにあるように思われるが、実際のモデルである「思い川」という店はJR山手線・駒込駅の並びに今もある。

25年ほど前に入ったFくんのお話だと、店の作りは映画とほぼ同じ。小料理のほかにトンカツなどもメニューにあるような庶民的な店であったという。1980年代に改装されたそうだ。

「思い川」の店の前は本郷通り。廃止される前には都電が走り、白山坂上〜西片町〜東大赤門前などに行き来できた。

哲郎の大学は、さすれば東大かと思いきや、早稲田大学であり、三浦哲郎とかの松竹の前田陽一監督が親友で、前田監督が「忍ぶ川」の企画を何度も何度も会社に提出するも通らなかったことを思い出した。

悲しいことに40段ほどの階段の両側のみならず、ど真ん中に無粋な手すりが作られている。高齢者社会なれば仕方ないことではある。

この階段下からの一帯は松嶋菜々子主演のテレビ小説・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
《★4》『ひまわり』の舞台でもあったところ。

ここでFくんは1mもない人家に挟まれた路地に入っていく。「(声をださないで、のアクション)」
見ると古ぼけた4コイチ(4軒一緒に建てられた集合住宅)があった。「分る?」「えらい古いね」
「ここは高倉健の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
《★5》『あ・うん』でお妾さんの山口美江が住んでいた長屋よ」「ええ。あれってセットとちゃうの」よく見ると面影がある。

引き違い戸の玄関。低い2階建てで、縁側を隠すように板の囲い塀。赤い郵便受けの色も鮮やかだ。

ははーん、この舗装した地面に土を盛ってやったんだな。山口美江は神楽坂芸者で、高倉健扮する門倉のおじさんの囲い者になる。テレビでは岸田今日子、映画じゃ宮本信子の門倉夫人が乗り込んで一悶着ある。

入ってきたのと違う方向に出ていくと、このあたりは古ぼけた空気そのものがご馳走だ。

ここから車はずっと車中見物〜通過がしばらく続く。【 谷中墓地 】を走る。幸田露伴原作、戦前の名作・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★6》『五重塔』の塔は、いまはない。この谷中墓地には徳川慶喜の墓をはじめ、有名な人の墓所あまたあり。自主映画などでも恰好のロケ地で、Fくんが監督した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★7》『睡眠25時間』もここでやっていた。この谷中墓地の近くには向田邦子の『寺内貫太郎一家』のモデルとなった「石貫」ならぬ「石六」があり、台湾の珍しい菓子オーギョーチーの専門店や、いまなお古い店舗で営業している(営業は誤り)を残す酒屋・吉田屋がある。

この近くには芸大生の溜まり場である喫茶カヤバも存在感たっぷりに営業しているという。

今度ビートたけしが大学院の教授になった東京藝術大学のキャンパスを抜ける。

「へぇー」「はぁー」とオノボリサンの相槌を打っているうちに車は大きな通りに横付けされた。

【 上野科学博物館前 】なのだ。大きなくじらがモニュメントとしてある。

ここは羽仁進の瑞々しい青春映画。いかにも60年代ATG代表作・・・・・・・・・・・
《★8》『初恋・地獄篇』で主人公が「やるぞぅ!」と叫んだのが印象深いクジラの剥製跡(現在はセメント製モニュメント)である。

上野公園の北東端にある、朝日に向かって大きく飛び跳ねるような構図のクジラの白い腹が眩しい。そのクジラから道路を挟んで10m向かいに塀で囲まれた門がある。

これこそが【 寛永寺輪王殿 】である。
《★9》『東京物語』で笠智衆と東山千栄子の2人が子どもたちの応対に迷い、「とうとう宿無しになった」…と思案するシーンで座り込んでいた場所である。

すごいなぁと思うのは、この上野科学博物館と寛永寺王輪殿の間の道が伸びた先(約15m)にあるのが【 両大師橋 】といって上野駅から鶯谷駅に向かって出て行く十何本もの電車の線路を跨ぐように掛かっている大きな橋だ。

上野駅は井沢八郎の「あゝ上野駅」にあるように東北方面や越後方面からの東京における玄関口。

今回は行かなかったが、上野駅の向こう側(上野公園口)には豊田四郎監督による駅前シリーズ第1作『駅前旅館』に代表される大小の旅館群がある。

正月のニュースによれば、上野駅舎に巨大なホテル建設計画が発表されているから、またまた上野の貌が変化するのだろう

が、山田洋次『家族』や川島雄三映画、夥しい数の映画に上野〜上野公園はでてくる。そして、この両大師橋から下の線路を見下ろすと、真下に列車が走っている。

これこそ田坂具隆監督の大傑作
《★10》『女中っ子』で田舎に帰る左幸子を見送る少年たちに向かって「坊ちゃ〜ん」とハンカチに見せかけて風呂敷みたいな巨大な白い布を振っているのを撮ったところだ。

Oくんによれば橋幸夫主演・・・・・・・・・・・・・・
《★11》『雨の中の二人』には、この両大師橋そのものが出てきているという。

こんなに楽しくとも、まだ30分だ。
車は【 上野国立博物館 】から大谷直子やFくんの母校である【 忍岡中学校 】を尻目に【 大黒天(上野七福神) 】で停車。
このとき興奮していたためか、後方から自転車で迫ってきた女子高校生にあわや接触。すんでのところで惨事を回避できたのだが、寝不足のうえに異常興奮していたためと、すこぶる反省。

ではあるが、この上野七福神は芸能ゆかりのものであるらしく、門の横の側壁を形成する柱に長谷川一夫や山田五十鈴、花柳章太郎などのビッグ・ネームが彫りこまれ、それだけでも見ものであった。

この間亡くなった渡辺文雄の出身校である【 上野高校 】前を通過。

同じく車はこれより文京区へ。そこは昭和どころか明治の空気をも残す地区へと進んでいく。東京大学の周辺には、いくらでもそういう建物や路地が残っている。

なんとも言えないひっそりした坂道が、かの【 無縁坂 】で【 旧岩崎弥太郎邸 】などが近くにあるという。

このあたりは豊田四郎作品をリメイクした池広一夫監督・若尾文子の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★12》『雁』で出てきた坂がある。

恐らく探せば、成瀬巳喜男『放浪記』で林芙美子母子が住んだ旅館もあるだろう。

車は東京大学の周辺をしらみつぶしに走る。当然中川信夫『三四郎』など東大の関係する映画も撮影されていたはずだ。そして、ここから、いちばんボクが興奮したところに車は進んでいく。

そこは【 西片町 】だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★13》小津安二郎監督が戦後黄金期の第1歩『晩春』で、父の友人・三島雅夫に連れられて「多喜川」という馴染みの小料理屋に食事にきた紀子(原節子)。

「これ曾宮の娘だよ」と言った三島に続いて、板前が「それじゃ、西片町にいらしたときにお河童にされていたお嬢さんですか」という台詞がある。

この文京区西片町は昔は学者町とも言われ、多くの東大関係者や文人墨客が住んだ町で、走っていても、そういう町の貌をしている。車がようやく通れるだけの道で、喧噪を頑なに拒絶した凛とした風格がある。

途中通過した誠之小学校は同乗していたOくんの長男と同じ字を書く。“せいし”小学校という読みらしいが、調べてみると名門小学校であるという。
偶然だろうが、西片町を大通りにでたところに学習進学熟「赤門会」というのがあった。こりゃ、いかにも頼りにできそうやね。

【 竹久夢二記念館 】をやり過ごし、車は有名な根津界隈へと入ってきた。独特の落ち着いた町の貌あり。しかし、どことなく湿ってもいる。

Fくんの解説によると、この根津には以前遊郭があり、東京大学の開設により根津遊郭は州崎へと移転、戦後にはパラダイスと呼ばれたとのことだ。

(川島雄三の『州崎パラダイス・赤信号』『忍ぶ川』には、この州崎が出てくる。

『忍ぶ川』で志乃は哲郎を自分の出身である州崎へと案内する。「パラダイス・・・ってわたし何だか嫌ですわ」と思わず呟くのだが、それは彼女が戦前の州崎しか知らないことを表わしている。
そして、その時代の移ろいは荒んだお女郎たちの態度をもって描かれるのである。そして「たんとご覧になってください。私は郭の射的屋の娘なんです」と決死の面持ちで、自分が心寄せるようになっている哲郎に出自を語る。それは彼女にとってぎりぎりの賭けでもあった。)

車は走りながら奥を目指す。進行方向に向かって左側に瀟洒な教会がある。名前はわからないが、・・・・・・・・・・・・・・
《★14》『東京兄妹』という市川準監督の小津作品へのオマージュ(出来は普通)作品で緒形直人の兄(確か神田神保町の古書肆に勤めている。これだけで『珈琲時光』に似てないかい?)に育てられた、何かというと豆腐を買いに行くシーンが続く妹の2人の物語。

この妹の結婚式のシーンで使われたのがここ。このとき花婿役をしていたのが友人で、この水路の熱心な読者でもあるキャスティングのプロYくん。

この妹の女優は1作だけで姿を消したが、このとき最後まで役を争ったのが売れる前の西田尚美。そんなことを思い出しながら、車は【 根津神社 】に到着した。

こ、これは!一目見て、見覚えがあるぞ。
この風情ある趣、そして奥の丹の色も鮮やかな格子と鳥居!・・・・・・・・・・・・・・・・
《★15》三浦友和主演『姿三四郎』岡本喜八版で三浦友和と秋吉久美子が出会うシーンじゃないの。

そして境内の左奥にある坂になだらかに続く丹の鳥居・・・、いまはだれひとり思い出す人もない『RAMPO』に登場したね。この『RAMPO』は映画史上極めて珍しい映画だった。

江戸川乱歩の原作を敏郎の息子・黛りんたろうが演出。

まあ、ひとりよがりの部分はあるものの、それほどひどいとは思えなかった。だが製作者・奥山和由は自分で演出して70%を撮り直した。

いまでも思い出すのは、奥山が著名人を多数参加させて撮ったパーティーのシーンにも出演した美輪明宏がテレビ・コマーシャルで「ヴィスコンティの再来よ」という神も畏れぬコメントを寄せ、それが幾度もオン・エアされたこと。

これがどれほど背信的な行為だったか、この場所に来て突如甦った。それだけだったなら、そう珍しいことではない。
奥山は音楽を入れ替え、チェコ・フィルハーモニーに演奏させたりと、湯水のようにカネを投入。

信じられないことだがインターナショナル・ヴァージョンまで公開した。結局、大してよくもない映画に、短期間で3ヴァージョン完成してしまったのだ。

これが極めて珍しいということなのよ。この根津神社入り口の左側斜面は初夏の大躑躅として壮観であるらしい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪★16≫同じく『RAMPO』にて羽田美智子が降りていった、何とも言えぬ雰囲気のある路地にある1mほどの階段。Fくんによれば通称“幽霊階段”は【 根津神社 】の近くで、東大農学部裏手にある。

またすぐちかくに・・・・・・・・・
≪★17≫相米慎二監督で唯一のロマン・ポルノ『ラブ・ホテル』でロケされた階段が残っている。

しかし村木と名美が住んだアパートは壊されていた。(村木:寺田農、名美:速水典子。)さすがに昭和どころか、場所によっては明治・大正の風情を残している地域であったが、石といえども朽ちて、消滅するのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たった90分の朝飯前の17作品詣でではあったが、心の底から感動した!いったんボクたちはホテルに帰り、朝飯をかっこんで、第2部参加の4人の紳士淑女を加えて一行7人で怒涛の第2部に突入したのだよ、杉作J太郎。

 ここからはまず車中から、付近のツボを押さえていく小さな旅の始まり。
【 豆腐料理の懐石で有名な店・笹の雪 】→【 一部に熱狂的なクライアントを従えるビストロ 】→【 根岸の裏通りの名店・ノボコ 】→【 同じく根岸の隠れ酒肆・侘助 】→【 高名な女流漫画家S・Kさん宅 】→【 武蔵川部屋 】→【 光ゲンジの内海くん実家 】→【 安田成美母堂経営レンタル・ビデオ店跡:現在はほか弁屋さん 】といった、極めてマイナーな手作りツアーを4WDワゴン車はひた走った。・・・・・・・・・・・・・・・・・


≪★18≫日比谷線・三ノ輪駅近くの道路沿いに全体が茶色っぽい小さな居酒屋がある。
ここが三橋達也・青木富夫・大木実という往年の松竹O・B3スターを共演させた佳作『忘れられぬ人々』において、大木実と内海桂子夫婦が経営する飲み屋のロケが行われた【 居酒屋・遠太 】である。

情報によれば昔は奥で黙々と料理をつくっていた親父さんは最近姿を見せず、代わりに女将さんが厨房を切り盛りされているという。
店内のクーラーのパネルには無法松が貼っていた酒のポスターのように、『忘れられぬ人々』のポスターが色やや褪せて貼られていると聞く。外の大きな看板の「やってるぞ!」という文句がとにかくユニークだ。

そうそう同じ篠崎誠監督の2004年の新作『チロリとタムラ・犬と歩けば』の打ち上げはわざわざこの店で行われたらしいから、いかにこの店が愛されているか伺い知れるではないか。
(この情報は、この映画の製作の友人Hくんから聞いたから間違いない。)
ほどなく、車は【 都電・三ノ輪橋前駅 】に到着した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪★19≫この電車は三ノ輪橋駅から早稲田まで走っている。『青春の門・自立篇』で信介が線路を走ったり、『息子』で永瀬が和久井映見の後を尾けるシーン、『学校』1作目の夜間中学の校舎など関連作品には困らない。が、三ノ輪橋駅そのものが出てくる映画がある。

それは山田洋次の『下町の太陽』だ。

ここが倍賞千恵子が勝呂誉に「星がルルルって流れた」と言う名シーン。1962年の作品だが、SP『二階の他人』に続く長編映画第1作。荒川近くの健気に生きる倍賞・・・、思えば倍賞が35年間演じ続けたキャラクターのスタートであった。・・・・・・・・・・・・

≪★20≫この駅前から歩いて50秒。商店街の中を突っ切ったところにあるレトロな写真館が【 梅沢写真館 】だ。

ここは神代辰巳の『赤線玉の井抜けられます』のなかで、玉の井の娼妓・芹明香が廃業してかたぎと結婚するときに記念写真を撮る写真館である。急な階段の上にある、タイル貼りの外壁がいかにも昭和30年代だなぁ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪★21≫ここから再び車中よりの観光。
車は【 荒川区荒川総合スポーツセンター 】に着く。
あの北島康介の功績を称えて近々「北島康介」スポーツセンターになるらしい、とも聞く。
そして、この場所こそ【 旧・東京スタジアム跡 】であった。

日本映画ハード・ヴォイルドの最高峰と考えている村野鉄太郎監督の傑作『闇を裂く一発!』で『ダーティハリー』に先んじること数年、夜の野球場における息詰まる銃撃戦!

峰岸隆之介(徹)主演。犯人は佐藤允、先輩刑事が露口茂。かの菊島隆三のオリジナル脚本。最もDVD化してほしい映画である。
真っ暗なグラウンドでの撃ち合い、敵は腕時計の夜光塗料を狙って撃ってくる。露口が丸腰で容疑者に近づきながら「刑事を殺すと死刑だぜ・・・」といいながら射殺されるシーン。また団地の工事現場で、峰岸と佐藤が隣同士の建物を挟んで向かい合うシーンなど、望遠を利かせた迫力はなかったよなぁ。

そんなことを思い出している間に車は【 荒川工業学校 】を走っている。・・・・・・・・

≪★22≫ここは坂本九の同名曲を映画にした所謂歌謡映画の一本である『見上げてごらん夜の星を』の舞台になったところ。この夜間部の勤労学生たちが主人公だ。

歌謡映画というのは文字通り歌謡曲のタイトルがついた映画で、多くはその歌を歌った歌手が準主役で参加するもの。ときどき歌手自身が主演するものも少なくない。人気のある歌手が出演すればファンが駆けつける。

松竹・日活のクライアントの中心はなんといってもティーンエイジャーか、若い勤労層であるから、歌手が出て、その歌のタイトルさえついていれば、クライアントが歓迎しそうな内容であれば制約はそうはなかっただろう。

切り口はやや甘いとはいえ、ときには『キューポラのある街』のようなテーマに迫るものもないわけではない。ただし、こういう内容の映画は、日本が一億総中流化した70年代には消滅してしまう。

まったく大人には期待されない映画に、思いもかけず時代が活写されていることもあった。学園ソングを歌い続けた舟木一夫や、希望を歌い続けた坂本九などは歌謡映画の担い手であったわけだ。

同じご三家でも橋幸夫は徹底的に明るいか、股旅ものなどの映画になり、西郷輝彦は屈折ある『エデンの東』のキャル的なキャラの作品が思い出せる。

いずれにしろ、1960年代の草の根的若者娯楽に映画が果たしている役割は、彼らがテレビを買えるようになって自然に終結する。それもまた時代であった。

ここからは千住近辺を探索する行程となった。旧・日光街道にあたる商店街の中ほどに【 槍かけだんご 】があり、ここで甘だんご、辛だんごを購入。

あの『3年B組金八先生』のロケがよく行われている土手はほど近いとこにある。つまりは「桜中学」が近いということだ。すぐに車は有名な【 大はし 】という牛すじを煮込んだ肉豆腐で名高い店の前に。ここは一昨年長年の店舗を改装オープンしたばかりだ。

この改装前の店構えが内田吐夢監督の『たそがれ酒場』にそっくりなことで映画ファンの口の端に上っていた店なのだ。しかし老朽化は、歳月の重みがどんどん昭和を遠いものにしていく。
大はしは焼酎ボトルが1200円という安さ(期限は1ヶ月)、その美味さを知って、近くに開場した劇場の演劇に出演している永島敏行と綾田俊樹(藤山直美の『サボテンの花』のときと思われる)が普通に呑んでいたりする、という。

店の看板には「千住で二番(目。一番はお客だという)」とあった。
ボクは銀座や渋谷や六本木などの都会が都会としての威を示すような場所にはまったく興味が起こらない人間だ。

東京のように常に新陳代謝を繰り返して脱皮しつづけなければ成立しないキャピタル東京も、じつは江戸時代から脈々と受け継がれた、今回回っているような地区という根っこがあればこそと思えるのだ。

閑話休題。車は路地のような狭い道に入っていく。おいおい、こんなの他人様のお宅じゃないの?ここはコミネさんという方のお宅なのだが、全国的に有名なコミネさんなのである。

じつはこのコミネ邸の庭先が【 尾崎豊が半裸で発見された場所 】であり、ここから車でほど近いところ・堀切橋にたつ高層下駄履きマンションが当時億ションだった【 尾崎豊自宅マンション 】だ。

ここで右折し、【 旧・日活向島撮影所 】があったと思しき辺りを見ながら、休憩場所と定めた【 言問団子 】に向かった。

この言問団子は昔から大好きだ。その昔松竹の山根成之監督と散策して食べたことがあった。言問団子の道路を挟んで向かい側には長命寺・桜もちの店も建っている。この両店とも大川(隅田川)の渡し舟のための茶店だったのだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪★23・24≫隅田川のほとり【 アサヒビアホール周辺 】は映画ロケの宝庫。
最近では宮藤官九郎主演のハート・ウォーミング作『福耳』や60年代ディスカッション・ドラマの雄・森川時久監督の『若者たち』など枚挙に暇がない。
しかし車は停まらない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪★25≫加藤泰『江戸川乱歩の陰獣』でわが大友柳太朗がパンツ一丁で溺死体として吊り下げられた吾妻橋を渡って対岸へ向かう。

するとなにか醜悪な建物が目に入った。聞けば【 東京江戸博物館 】だという。これは、なにかトチ狂ったとしか思えないなぁ。【 蔵前の大相撲・国技館 】を通過。

すると【 旧・両国駅舎 】が現れた。古い駅舎は現在飲食店として利用されており、よく映画に横浜駅として使用されるとのことだ。

忠臣蔵フリークのボクのために特別に寄ってくれたのが墨田区両国にある【 吉良邸跡 】である。すると本所松坂町というのは、隅田川に近いんだぁ。小さな門と白壁だけの史跡で、ファンはただただイマジネーションでよすがを偲ぶのみなり。

そのときふっと浮かんだのは、よく映画で出てくる討ち入りを果たした赤穂浪士が引き上げのときに渡る橋は何橋なのだろう?
この本所松坂町から芝高輪泉岳寺まで普通なら両国橋である。Fくんの話では、たしか幕府側の本多某に「このまま行くと江戸城に向かうことになるとの理由で、わざわざ迂回して永代橋経由で泉岳寺に向かった話を聞いたことがあるという。

ボクはこの話は初耳だが、思い当たることがある。江戸では赤穂浪士による仇討ちを期待する声が無視できない高まりを見せていた。そのためか、幕府は浅野内匠頭を即日切腹、吉良はお咎めなしという、あまりにも性急な決定を失策と考えていた。

討ち入りの年の八月に吉良の屋敷が呉服橋から本所松坂町へと移されたことは、幕府が討ち入りをしやすくさせたのだという説が今もある。というのは、呉服橋は丸の内つまり江戸城内にあったからだ。この場所で討ち入りを敢行すれば、そのまま幕府への反乱とみなされる。本所は両国橋の外側にあり、江戸城外にあたるからだ。

また討ち入り後に赤穂浪士は吉良邸裏にある回向院に入って上杉家からの討手をかわそうとしたが回向院側の拒否にあい、やむなく徒歩で泉岳寺に向かったと聞いている。

ちなみに大高源五が俳人の宝井其角と出会うシーンにでてくるのは両国橋である。忠臣蔵はいまもなおロマンを発信してくるなぁ。

今村昌平監督の『ええじゃないか』には、覚えていないので恐縮だが、河原乞食や非人が両国橋を渡って江戸城内に入ろうとして阻止される描写があったように聞いた。

(そうそう、この墨田区を走っているときに【 白髭橋病院 】という大きな病院の前を通った。この病院は【 尾崎豊が搬送されて死亡宣告された医療機関 】である。

そして、まさに偶然だが、ボクたちが暢気に行楽している頃、病院の中では末期がんにて入院していた男性患者が看護師1人重傷、同室患者1名を包丁で刺殺していたのである。
これは一生、忘れられないエピソードになった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★26》ここから車なら3分で、キム・タク主演のドラマ『ロング・バケーション』にて印象的なロケ現場であった川とビルに挟まれた一角に到着する。

場所としては隅田川・隅田川新大橋の近くにて、現在はビルと川に挟まれてあったグラウンドに建物が建っており、よほどの酔狂(ファン)しか分らないだろう。「こんなとこだったんだ!」とドラマ・ウォッチャーのI女史が呟いた。

【 芭蕉庵 】を尻目に、我々は【 清洲橋 】に向かう。・・・・・・・・・・・
《★27》この清洲橋といえば、明石家さんまと大竹しのぶの結婚に結びついた『男女七人夏物語』にて、さんまが住むマンションが橋のほとりだったために、画面に頻繁に登場したところであった。

また、この清洲橋は小津安二郎の『一人息子』でタクシーに乗って永代橋を渡っていた日守新一と飯田蝶子親子。飯田蝶子が「大きな橋だね!」と叫ぶのが清洲橋だ。

現在は高速道路が出来たために永代橋からは直接清洲橋は見ることは出来なくなった。
五所平之助の『わが愛』に川端の柳とともに何度も映し出される。

ついでにいうと、またまた『忍ぶ川』で恐縮だが、哲郎と志乃が冒頭に都電に乗って渡る橋は永代橋である。

ここからは特急・橋尽くし!

隅田川に架かる橋には、調べてみると北から河口に向かって?千住大橋?水神大橋?白髭橋?桜橋(隅田川唯一の歩行者専用橋)?言問橋?吾妻橋?駒形橋?厩橋?蔵前橋?両国橋?新大橋?清洲橋?永代橋?佃大橋?勝鬨橋という順番に架橋されている。(隅田川は江戸時代は大川と呼ばれた)


《★28・29》なだらかな右へのカーブのあとの小さな鉄の橋。この橋は前述した大きな橋の分類には入らない。おお、これは見覚えあるぞ。行定勲監督の『GO!』で、柴咲コウとのベッド・インが“在日”ということで果たせず、自暴自棄となった窪塚洋介が警官の萩原聖人から職務質問を受け、地面に座って缶コーヒーを飲んだ橋じゃん。

調べてみると橋の名前は【 豊海橋 】“とよみばし”で、隅田川の支流である日本橋川に架かっている。
だが、驚きはこれだけじゃなかった。

この橋の真ん中から下の川を覗くと、ありゃりゃ!左側の河岸にある程度整備補強された岸辺あり。すぐに分ったよ。昨年の『死に花』という老人窃盗団が銀行の金庫から17億盗む映画で、彼らが堤防の壁の奥の旧・防空壕跡から掘り進むとき、長門勇のホームレスが住んでいた河岸が『GO!』のあの橋の根元にあったとは!さすが東映作品。映画マジックだなぁ!・・・


《★30・31》つづいてやってきたのは隅田川の川辺に綺麗に整備された河岸プロムナード。

おお、これは!今村昌平監督のエロティック・ホラ話『赤い橋の下のぬるい水』において、役所広司が北村和夫扮するホームレスから財宝の話を聞くシーンで、ホームレスたちが宿営を張っていたところじゃん。

遠くに【 中央大橋 】が見える。この橋は、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★32》ドラマ『神様、もう一度だけ』で金城武が深田恭子を抱いたまま川に飛び込んだ橋だって。またまた遠くに見える【 相生橋 】。

・・・・・・・・・
《★33》相生橋は小津安二郎の『風の中の牝鶏』に登場する。ここから羽田空港に送っていかねばならない人があり、【 佐賀町倉庫街 】を抜け、首都高速に上がる。途中【 お台場 】を通る。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《★34》ここはなんといっても【 フジテレビ 】があり、その堂々たる威容はすでにゴジラによって崩壊されているとはいえ、『踊る大捜査線TheMovie2・レインボー・ブリッジを封鎖せよ』は、はっきりいってお台場のプロモーション・フィルムのようなものであり、なんか何回も来た事があるような錯覚に襲われる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《★35》【 羽田空港 】は出来たばかりの第2ターミナルに着到。
I女史、T女史とはここでお別れ。
“槍かけだんご”をここで食す。

『羽田発7時50分』や『スラバヤ殿下』などで旧羽田空港はおなじみだが、新築なった第2ターミナルはさすがにまだ映画には登場しない。だが、そこに行く直前のあたりは『誰も知らない』で妹の骸を埋めに行くところだ。・・・・・・・・・・・・・・・

ここでまたボクたちは考えた。そろそろ昼飯を食べねばならない。どこにする?そこで南千住の「尾花」という鰻屋を所望した。

この「尾花」は25年前に2回食べにきたことがある。それは小津安二郎が愛した店と知ったからだ。

小津は鎌倉で言えば若宮大路を挟んだ2軒の老舗も愛したが、店の雰囲気は「尾花」がボクは好きである。着いてみれば30人ほどの行列が出来ている。

大阪万博以来5人以上並んだ店に敢えて入らないと決めたボクだが、東京では従うほかない。天然うなぎのみの店。うな重、う巻、うざく、肝焼き・・・、実に美味い。腹も膨れると流石に眠たくなった。

≪★36≫Fくんの家に行って小休止することになり、車は走る。千住付近を移動。
【 千住長屋 】から【 荒川放水路の土手 】付近を行く。ここは山田洋次の『下町の太陽』で撮影された辺りなのである。

≪★37≫そうこうしているうちに、千住といえばお化け煙突である。つげ義春にも貸し本屋漫画時代に『お化け煙突』というペシミスティックな、今で言うと辰巳ヨシヒロそっくりのタッチの作品がある。

しかし、お化け煙突といえば、ベルリン映画祭で賞を得た五所平之助監督『煙突の見える場所』という名作をまず挙げなければなるまい。

いろいろな場所で4本の煙突は3本、2本に見えることから、誰が言い始めたのか“お化け煙突”なのである。東京火力発電所の4本の煙突・・・、現在は跡しかない。田中絹代と上原謙、高峰秀子と芥川比呂志。

世代の異なる男女カップルを描きながら、戦後という希望を描くもの。あの椎名麟三が脚本を書いている。あの映画の荒川は、そのまま川の水が飲めるほどきれいだった!

このあとFくんのお宅で、舟木一夫&内藤洋子主演の『その人は昔』をホーム・シアターで見ながらうたた寝。

慌てて羽田空港に向かう。強烈に楽しかった一日半の、ボクの『東京物語』はあっけなくエンド・マークを迎える。

そして、思い起こせば、この『東京物語』こそは、ボクたちの昭和を訪ね歩く行脚にほかならなかった。気のおけない仲間との代えがたい時間。大きな勇気と元気をチャージして帰路についたボクであった。

一緒に時間を割き、一緒に楽しんでくれた6人の人々に感謝。そして、なにより、余人には出来ぬ熱意と立案で市中引き回しの感涙ものの罪を科してくれたFくんに衷心よりお礼を申し上げる。
この原稿を書くにあたり、田舎者のボクの乏しい記憶と事実との較差を埋める手助けを惜しまなかったFくんに大大大感謝! 次号からは通常内容に還ります。よろしく。OKI DOKI

コメント(2)

こんな東京散歩、してみたいです。
これで本が書けますものね。
そうなんです。

ま、すでにそんな本や雑誌がありますからね、いかに豊富な知識を駆使できるかにかかってます。

水路2月上旬号は第3回が載ります。

しげさんは、こんどのプロローグ・・・興味を持ってもらえると思いますよ。た・ぶ・ん。

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