ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

北京波の新世紀映画水路コミュの映画評「男たちの大和YAMATO」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
本当に予想だにしなかった傑作が誕生したものである。

このスタッフで、このキャストで、何より東映映画なのである。期待はしていても、事前のハードルはとても低いものであった。

だが、作品には覚悟が漲っていた。

これが人生最後の作品となっても悔いの残らないものを作るのだという製作者・角川春樹、監督の佐藤純弥らの覚悟が、戦争を知らない俳優たちの「将棋の駒に徹する」という覚悟までを捲き起こして作品が成立したとしか言いようがない。


 戦争映画とは極言するならば<反戦>か<好戦>を論議される宿命を背負うものである。

誰だって<戦争は絶対悪だ>と知っている。

分ってはいるが、出征して亡くなったり傷ついたり、はたまた多大な悲しみを味わった当事者においては、その真理を声高に認めることは大いに逡巡する葛藤がある。

また青春の多感で純粋な日々を後付けの正論で済まされることへの一種の無念さが過去の戦争映画において、木下恵介の『二十四の瞳』に代表される、これほどまでに人の人生を蹂躙し、傷痕を残す戦争はよくない、厭なものであるという草の根からの視線の戦争映画を生んだ。

これが「反戦映画」ではなく、日本における「厭戦映画(佐藤忠男)」の台頭の背景にある。
 
従って、過去の殆どの戦争映画は、戦争によって亡くなったり、傷ついたり、悲しい思いをした多くの人々への<鎮魂>や<癒し>を必ず打ち出したものであったといって過言ではない。


だが、この『男たちの大和YAMATO』という作品に横溢しているのは<鎮魂>であると同時に<無念の死>に対して反応した<平和への祈り>であり、<癒し>よりも<未来に向けて放たれる沈黙の号砲>の意味合いを持つ。


そして、このような映画が作られるまでに、なんと60年という歳月が必要であったのだと全身を貫く事実があまりにも重いのである。

 今を去る40年近く前、アメリカ軍により接収されていた戦前の多くの映画が返還された。

このとき戦意昂揚映画として名前ばかりが喧伝されていた山本嘉次郎監督の『ハワイ・マレー沖海戦』が『加藤隼戦闘隊』などとともに含まれていて、やっと観ることができたのである。

ちょうど山本嘉次郎は長くNHKのクイズ番組「私の秘密」にレギュラー出演していて子供にも知られたひとであった。

だが、この『ハワイ・マレー沖海戦』によって我々はようやく戦前の花形監督であった山本を知ることになる。

真珠湾攻撃1周年記念大作として昭和17年12月8日に封切られた映画は未曾有の大ヒットとなった。売り物は円谷英二による真珠湾攻撃の再現であり、戦地へ家族を送り出している家族にとってはいかに誇らしい映画であったことかは想像に難くない。

だが、肝心の真珠湾のシーンを除けば、全体に静謐な抑制が支配する作品であったことに、ボクは吃驚した。

そして人の親となってから観た数年前、映画が映し出す、何の変哲もない日本の風景に胸が張り裂けそうになった。

それは主人公が郷里に帰るシーンで、彼の村を流れる清流に子供たちが水遊びに興じているのである。この開発もなんにもされていない風景・・・、言い方が難しいが、彼は彼らは、この風景を、この人々を守るために命を賭すのだなと全身が察知したのである。


 『男たちの大和YAMATO』でもよく見つけてこれたものだという風景がたくさん登場するが、『ハワイ・マレー沖海戦』のモノクロ画面に宿っていた神々しいまでの精神美はない。しかし、それに代わるものがあった。

 貧しい漁村に生まれた海軍特別年少兵の松山ケンイチが戦友の少年を連れて束の間の帰郷をする。そこで彼らが絵が上手いという戦友に幼なじみの少女・蒼井優の自画像を描かせるシーン。

このとき持ち舟の甲板でいた彼らの、予想だにしなかった蒼井優の揺れたようなクローズ・アップが2カットインサートされる。

「ああ、これは『ハワイ・マレー沖海戦』の郷里の清流だ!」と直感。

この美しい純粋性、突き詰めれば純潔を守るために若者たちは命を賭したのだろう。

戦争が終って、その戦友の郷里を訪ねていく主人公。そこには息子の仕送りでやっと手に入れた狭い水田が映る。

山の中腹の斜面を努力と根気で開拓した棚田は、弛まぬ努力の結晶であるのだが、この映画では貧しい農民の息子の命と引き換えに手に入った哀切の映像となる。

それが気の遠くなるような忍耐を要する行為であればあるほど、その黙(もだ)の美も哀切も際立つのである。

 戦闘で左眼を負傷した中村獅童を訪ねて反町隆史が海軍病院を訪ねる。病窓からは今を盛りと桜が咲き且つ散っている。

反町は「散る桜残る桜も散る桜」と口に出す。

この有名な良寛の句は戦争のときに死生観と通じるところがありよく詠まれたという。

戦後初めて特攻隊の兵隊たちを描いた家城巳代治監督の『雲流れる果てに』でも高原駿雄が句を口にするシーンがあった。


この映画が大変に佳作となった要因の最たるものは、海軍特別年少兵と、彼らを教育する上官でさえ若者であった人々を中心に据えたこと。

若くて純粋な魂と肉体が迎える無念を抑制をもって描破したことである。ただ、元来陥りやすいヒロイズムは完全に排除し、兵隊のみならず、あの時代に生きとし生けるものすべてが主人公であるといった映画は、いかにも出来そうで出来たためしがないから、ボクは素直に感じ入った。

こんな映画が誕生するまで実に60年という時間が流れたのだ。

世界のここかしこに大国の思惑のままに人々が蹂躙される戦雲がたなびいている現在において、この映画が製作された意義は量りしれないものだ。(★★★☆☆☆)

コメント(5)

みるのもどうしようとためらっていましたが、北京波さんのひとことで決めました。みて、よかったです。
反町隆ももっとかっこいい役かと思ったら、炊事係りだったなんて・・。でも、それがかえって、よかったのかもしれません。
長嶋一茂、いい役でした。
若い人にみてもらいたいです。
サッチさん、書き込みありがとうございます。

本当にリッバな映画でした,

あの映画ではだれが得をする…ということがなかったじゃないですか,

いわゆるヒモつきじゃない,こんな映画は昭和40年以後稀有なことで、それだけ覚悟して作られているのでしょう,

戦後60年という節目にこういう作品が完成したことは何といっても良かったですね,

次の映画はこれぐらいを最低のハードルとして出てくることになりますものね,

それだけ映画が映画だけでペイする時代が来ているからでしょうか,それなら嬉しいかぎりですが,
ま、今後ともよろしくお願いします。
感想文書いたので、やっと読めました(^0^)。
お書きの内容に激しく同意しながら、本当に立派な作品だったと思い起こしています。私も未来に向けた目と、下士官たちを中心に据えたのが成功のポイントだと思いました。

が!!!たった一つバッドだったのは寺島しのぶの島田姿!あれでは彼女の美の足りなさが強調されてしまうではないですか!エンディングでは普通に綺麗だったので、あれは芸者ではなく、飲み屋の酌婦じゃだめだったんですかね〜。「お座敷を抜ける」→「店を抜ける」でOKざんしょ?しのぶちゃんファンとしては、これだけが残念(笑)。
ケイケイさん、仰るとおりです。
寺島しのぶは島田では、馬面に見えてしまい魅力がないですよぅ。

しかし、ある意味、こういうトラディッショナルな結髪が娘には似合わないというのはショックでした。

藤純子は「侠客芸者」をはじめとして島田は抜群でしたから。
それだけ、現代っ子なのですね。

彼女の魅力は東京フィルメックスで絶賛を博した廣木隆一の新作公開をひたすら待ちましょう。ねっ。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

北京波の新世紀映画水路 更新情報

北京波の新世紀映画水路のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング