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北京波の新世紀映画水路コミュの「独立少年合唱団」評

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この映画は『いつか読書する日』の緒方明監督のデビュー作である。

以前から気にはなっていたのだが、劇場で観る縁がなかったのだが、この劇場での『いつか読書する日』のモーニング・ショーでありながらのスマッシュ・ヒットのために、こんな機会が実現したのである。

1970年という時代に設定された、変った、本当に変った作品だが、しみじみと迫ってくる。

 道夫(伊藤淳史)は病気で父(国村準)を失い、母親はすでに亡くしているため、家業の写真館をたたみ、山の中の全寮制中学校“独立学院”に転校する。

転校初日、音楽室で“ウィーン少年合唱団”に入団するのが夢だと言う美しいソプラノを持つ少年・康夫(藤間宇宙)と出会う。康夫は、吃音症の道夫に何かと親切にしてくれ、彼を学院の合唱団の顧問教師・清野(香川照之)に引き合わせる。

清野によって、歌っている時は自分がどもらないことに気づいた道夫は、合唱団に入団。歌うことで自信を持ち、康夫との友情も深めていく。

だが、そんな彼らにショッキングな出来事が起こる。東京で学生運動をしている清野の後輩・里美(滝沢淳子)が彼らの眼前で壮絶な爆死を遂げ、更に変声期を迎えた康夫の声が出なくなってしまったのだ。

コンクール出場を控え、苛立ちを押さえきれない康夫。やがて、彼はコンクール優勝への闘志と里美から影響を受けた学生運動へのそれを重ねるようになり、彼の声の代わりを務めてくれた道夫と共に暴走を始める・・・。

冒頭の父親の病室。道夫は昏睡となっている父に付き添いながら、看護婦の言うとおり、ナースが作製するような熱型表、バイタルを記入したものをひたすら記入している。

このとき道夫は肉親の死を前にして、不安と重圧に押しつぶされないように気持ちをそこに集中している。吃音に内向的になっている道夫が康夫に出会い、徐々に自信をつけていく。

このときの羞恥と不逞、虚勢、そして頑ななまでの女性拒否など、少年期の生理が見事に出ている。

そして、この映画の一つの挑戦とも言えるのは、学生運動への拘わりである。

『独立少年合唱団』には学生運動で指名手配となる女子大生が登場する。だが、ここでは少年の視点から見て、純粋な死というべき哀切にたいして描写されるのみであるため、どこか中途半端なイメージを払拭できない。

だが、考えてみれば、学生運動とは日本における国民的な合意(そうでなければ排除なき合意)を獲得できた最後の内戦ではなかったのか・・・、そういう感情を持ちえたかどうかが、その描き方に微妙な温度差が生じてくる。

だからこそ少年期の頑なな否定感がうまくでる効果があるともいえるのだが、頭の中で考えた工夫という、印象がないではない。

ことし『いつか読書する日』という自分の掌のなかで大切に温めていたいと思うかけがえのない映画を見せてくれた緒方明監督の、意欲だけは画面の奥から一種の殺気のように伝わってくる『独立少年合唱団』は、青っぽいが、、言いようのない魅力を孕んでいる。

このひとの映画を同時代に見ていける悦び。
生きていくということは、ときどき胸躍る出会いを褒美に呉れるものであるようだ。

でもビデオじゃ、この空間、時間、待ち切れないのではないだろうか。ジャー・ジャンクーの『世界』と同じで、映画館でしか耐久できないものであるように思う。(★★★☆☆)

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