ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

北京波の新世紀映画水路コミュの成瀬巳喜男「妻よ薔薇のやうに」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
成瀬巳喜男の名高き『妻よ薔薇のやうに』(‘35)を見る。
初見である。原作は中野 実の新派舞台劇だ。

タイトルを見ていると、あくまでも中野 実原作『二人妻』が大きく、その下に申し訳程度に小さなポイントで「妻よ薔薇のやうに」とでてくる。

脚本も成瀬が担当しており、これはベスト・テン第1位に選ばれている。

 昭和10年の作品なので戦災に焦土と化す前の古い東京の町並みが出てくる。これが何ともいえない、いい町の貌をしている。

平屋の家屋が整然と並んだ美しい東京だ。東京は関東大震災で一度崩壊し、太平洋戦争で二度焼失した。だから都市設計的には余り美しい街でなくなった、悲しい理由がある。

 成瀬にとっては監督中の末席で「監督補」の身分であった蒲田松竹撮影所から東宝の前身であるPCL(トーキー専門の会社)へ移籍したばかり(昭9)で、『噂の女』『桃中軒雲右衛門』に先立つ映画で、演出・シナリオ共に成瀬にとって3作目だという。

蒲田では月給も100円に届かなかったが、PCLでは月給300円、シナリオ1本につき100円であったという。

この映画『妻よ薔薇のやうに』の主役である丸の内に勤める君子の月給が45円、許婚者の大川平八郎の月給が55円だというセリフがあるから、新人監督としては破格といってよいだろう。そして何よりPCLには成瀬ほどのシナリオを書ける人材がいなかったとも聞く。

 ベスト・ワンに選出されたお陰で今も名高い映画だが、これはしみじみとした良い作品であった。

丸の内に勤める君子(千葉早智子)はいわゆるモダン・ガールで許婚者(大川平八郎)もいて安定した生活を送っている。母親(伊藤智子)は女流歌人で、父(丸山定夫)はもう長く家を出て信州に住んでいる。

毎月30円ほどの為替は送ってくるが、父は信州で芸者あがりの女(英百合子)と暮らしていて2人の子供までいるのである。

その女と贅沢な暮らしを好き勝手にしていると思っていたが、父を連れ戻しに単身信州に出かけていった君子は、父が砂金を掬ったりするヤマッ気の多い不安定な仕事をしていて、生活の基盤は芸者あがりの女・お雪が髪結いをして生計を立ててくれており、仕送りもお雪が父親に黙って捻出して送ってくれていたことを知る。そして貧しいが安らかな家庭があることに理解を示すのだった。

 『妻よ薔薇のやうに』という、お上品なタイトルはあまり似つかわしくない。ここには旧世代と若い世代、女と男の生理的な埋められない溝、そういう人間が生きていく上で、真っ先にぶつかってしまう問題を取り上げて誠実に真摯に判断を下そうという姿勢がある。

ふしだらな女と思っていたお雪が父を献身的に世話しており、夫恋の歌ばかりを詠んでいる母こそ、父には冷淡な女であることを感じた君子は、何時の時代にも通用するヒロインである。

 また瞠目すべきは娘の目からみた母の描写が中心とはいえ、ここには伊藤智子扮する正妻と、英 百合子扮する第2の妻の、母という立場そのものよりも、妻=女としての視線や立場を疎かにせず、哀しみを持ってきちんと描いているという点である。

心の中では夫を愛してはいるのだろうが、知性や矜持が邪魔をして、真情を表現できない憐れむべき女性像。

または、正妻とはまったく正反対に、正妻や、その家族に対して悪いとは知りながら、ひたすらに誠実だけを捧げ尽くす無知な女性像。

この対比が鮮やかであり、そして何よりこの両者を、若く利発な君子を通して、どちらにも批判の姿勢をとらせている。(まあ、その君子にしてからが、いまは絶滅した旧日本人であることに、ため息がでるのだが。)

 彼女にとって父としてのイメージばかりがあった俊作が生活力に乏しく、戸籍上の家族ではない信州の家庭がいかに安らげるものであったかを知る。

信州から俊作と君子が一緒に汽車で東京に帰ることになるのだが、画面にはそれほど多くの情報が写っているわけではないのだが、君子の独白が大変に効果を挙げている。

それはこういう内容だった。「帰りの汽車のなかで、自分の知らない間に、停車場でミカンやチョコレートを買って来てくれた。それほど愛着を感じていなかった父親に、そんなちっぽけなことで急に父親が懐かしく思えた.お雪さんの子供が急に憎らしく感じたし、お雪さんには必ず父を返す約束をしたのだけど、わたし、もうその時には絶対に返すもんかと決心したわ。」

 だが、この決心はもろくも崩れる。彼らが束の間の行楽にでかけるシーンで、君子は父が母に遠慮し萎縮していることを痛感する。

また母が絶対に父を安らげる存在にはならないことも分ってしまう。

この痛みは肉親ならではのことで、君子が婚約者に父が母に朝の挨拶を敬語でしていたことを告げると「それじゃ、まるで喜劇じゃないか」に、「考えようによっちゃ悲劇なのよ」と返すシーンなど随所に、成瀬脚本及び演出は怜悧で見事な冴えをみせている。

母の妻としての不適合性を知った娘の逡巡はいかばかりかと思う。

 また母の弟にあたる藤原釜足の言動にも、容赦なく批判の眼が注がれる。君子や母がそうであったように、彼らは父俊作が芸者あがりの女にたぶらかされてしまっていると思い込んでいる。

細川ちか子の細君が麻雀に出かけようとするシーン。君子が「あら伯母さんなかなかモダンね。それで伯父さん怒らないの」と問うと「わしはなかなかよき夫なんじゃよ。君のお父さんに見習わしたいよ」というセリフが痛い。

ラスト帰ろうとする俊作に「あのお雪に鼻毛をよまれて、あたら男いっぴきを台なしにしてしまいなさる気か」

君子の制止もはねのけて「いや言います。一体妹のどこが悪いんです。十年も孤閨を守るような貞女は、いまどき、鐘と太鼓で探したってそうざらにあるもんじゃない」と妹の立場になるばかりで、建前をいう愚かしさに冷静な批判の視線が生きる脚本の巧みさ。

映画は本当に凄い。68年前の作品がこれほどのパワーを秘めているのである。

 ここで君子に扮する千葉早智子は、この2年後成瀬と結婚。しかし結婚生活は3年で破綻する。

(五所平之助監督が調停に腐心したというが効なし。)

成瀬はキャメラマン三浦光雄の仲介で録音部の岩淵喜一の妹・恒子と1946年に結婚。幼時より家庭的愛情に恵まれなかった成瀬はついに家庭の安定を手に入れることになる。

 千葉早智子はその後林 海象監督・佐野史郎の実質的デビュー映画「夢みるように眠りたい」にキャリアをそのまま生かしたような役で出演。『妻よ薔薇のやうに』から40年近く経過した老女としてスクリーンに現れた。

 あまり年月を経た映画に惚れこむことはないのだが、これはやはり傑作である。

お雪の英百合子は、後年『社長』シリーズなどで小林桂樹の母親役などで柔和な慈母役を得意とした。この1作が最高のキャリアであろう。

 原作の中野 実という人、稲垣 浩監督の森繁久弥・原 節子主演『ふんどし医者』の原作もこの人であることは覚えていた。

調べてみると劇作家としてスタートすると同時にユーモア小説家として人気を博したひとで、代表作に映画にもなった『ジャンケン娘』『三色娘』などがある。

だが、やはり真価は劇作のほうであり、昭和29年新派初演の脚本『明日の幸福』は毎日演劇賞を受賞したりした名作だということだ。

コメント(1)

私は一昨日みましたが、本当にすごい映画でした。

昭和10年に作られたということに驚きを感じます。

北京波さんの感想に、なにもいうことがありません。

PCL?の疑問も解決しました。

確かに題名から想像する内容とは違っていました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

北京波の新世紀映画水路 更新情報

北京波の新世紀映画水路のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング