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北京波の新世紀映画水路コミュの韓国映画「マラソン」を医師として読み解く・改訂版

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見事な映画が出来たものである。

こういう丹念な取材のもとに、映画的な飛躍も取り入れ、しかも全世界の人人に伝えるべきものを発信させるという、すべての映画人がなそうとしてなかなか出来ないことをやってくれた作品に対峙すると、映画にこだわってきたことが幾分かでも意義のあることであったと思えるから現金なものだ。
 
まず、何よりも自国である韓国の人人に対しての作品である。しかし、この自分が所属している国の観客に対してはっきりと伝えたいというテーマを打ち出すことを突き詰めると、それは全世界の人人に繋がるのだ、という当たり前のことを、カネがかかる映画というジャンルで証明できる実例は滅多にないからこそ胸が熱くなる。
 
それは空港という場所から望むなら世界の果てまで行くことは出来るのだということに似ている。そして空港に行くためには、バスや電車や徒歩など、我々が日常生活で何の感慨もなく使っていたり、ときには不平不満を口に出しながら漫然と過ごしている生活に埋没しかけているようなすべてのものを使わねば道は拓かれないのだと言うことにも似ている。
 

自閉症の青年が母親のがむしゃらな頑張りで、通常の自閉症児では才能を発揮しにくい運動の、なんとマラソンに自らの生の輝きを見い出す映画である。彼の持ちえていた才能もあるだろうが、母親のみならず、父親や弟、多くの人人の努力によって開花する。

ではあるが、この作品の素晴らしいところは、その結果が努力や支援によってのみもたらされたのではなく、人人の葛藤や中傷、無関心や無視、そして侮蔑・・・など、正のみならず負のうねりがなければ結果には繋がらなかったのだなと、しみじみと思わせてくれることに尽きるのではないか。

他人を当てにしているだけでは進捗は望めない。

だが少なくとも、この映画では、彼の姿に多くの観客は「彼という個人に飛びぬけた才能があったから」だけの結果とは思わないだろう。

この映画に胸を熱くした観客なら、障害者が一生抱えながら付き合う障害という厳然たる事実は変化しないにしても、少なくとも「障害を持つ者に対しての能動的な排斥」はしないだろう、という気がする。

障害者を描いて世に出る映画がいったい何をムーヴメントできるかは個々の視点にもよるだろうが、2005年にこういう映画が出てきたことを、きっと後年に頷きながら思い出すことがあるように思えてならない。

立派な、崇高な、すべての人間に向けられた作品である。

この「マラソン」をすんなりと論じて終ることはボクにはできない。画面の端々から伝わってくるものが余りにも多いからである。

そこで、少なくとも自分にしか書けないと思える部分を出来るだけをまとめてみることにした。だがあまりに専門的な部分も少なくないためお許しいただきたい。



《 実話作品と障害者映画への私見 》
 実話を題材とする映画は限りなくある。
多くは主人公の数奇な運命に対する単純なサプライズとして、もしくは偉業を称える目的で誕生する。

その一人の人物の成し遂げたものが常人には予想もつかない事柄であればあるほど、美談というコスチュームを纏って表わされる。

詰まらない映画ほど自国民の誇りを満足させることみに終始し、稀に人間全体のエモーションに働きかけられる作品となったとき、真の名作たり得るのである。

「疾病」は本来、無自覚に無邪気に人生を謳歌するひとに起こって、多くの葛藤や選択を迫る。悪性疾患や進行する疾患に対して、患者さんが感じるであろう苦しみや哀しみを少しでも軽減できないか・・・。自らの持ちえる技術と推理力と観察力をもって、患者さんを慮ることこそ、「医療」の要諦であると信じ、ちっぽけな医療人の端くれであるボクは従事しているわけだが、百の症例には百の悲劇があるから、慣れるということがない。

なかでも健常者と違う「障害者」を描こうとする作品では、あえて「障害者」を主軸として描くからには、ボクとしては絶対に譲れない視点を求めてしまうようになった。

挙げてみると、
?障害者をあえて描くのであるから、医学的事実に不     備がないこと、
?障害者を描くに当たって、当然備えている結論に収束させな いこと、
?事実を積み重ねて、映画としての真実を獲得すること、
 ということになる。

なんだか七面倒くさいので補足すると、
?は、学術映画ではないのだから、医学的に絶対に間違えるな、ということではまったくない。そこには誰の視点で描くかにもよるのだが、少なくとも誠実な関心の下に受けた偽らざる印象を据えたものであってもらいたいということである。都合のいいような歪曲は言語道断だと言いたいだけだ。

?は「障害者だって人間だ。喜びも悲しみも意地もある!」などというレベルの結論に終らせるな、という願いである。

?では、事実を100連ねても、いい映画になるとは限らない。映画にする以上は、できのいい、いい映画にしてほしいということだ。

ましてや障害者の多くは挙げるべき声を持たず、流すべき涙はあっても、どうすれば悲しく感じるのかさえ、分らないひとがいる。そのためには事実が100あったとしても100並べる必要はなく、端折るべきところがあったとしても仕方はない。

映画的事実を見つめる目が、映画的真実へ高められたなら・・・、それを目標として欲しいのである。



《 対象を見つめる視線 》
 この『マラソン』という映画にはモデルとなった青年がいる。本人の資質もさることながら、運命のほんの少しのめぐり合わせによって、自分の人生に生きた証しとなる瞬間を刻み付けることのできた幸福な青年である。この“幸福な”という形容が、的外れではないことを、この文章の結までには表現したい。
 
この映画の並々ならぬ決意を感じたのは開巻直後。女医の台詞で「自閉症は病気ではなく、障害です。病気ではないために、薬を飲んでも手術をしても治りません」と明言したところであった。

それは「自閉症」が長い間、その疾病的にも政治的にも遅々として対応が遅れた理由の一端がここにあるからである。

「自閉症」とはアメリカの高名な児童精神科医のL・カナーが1943年に命名したもの。このカナーは児童精神科医として、特に児童精神分裂病(現・失調統合症)の権威であったことから、精神分裂病の一種として考えられてしまった。

おそらく昔は精神薄弱児や分裂病と診断されたなかのかなりの割合を占めていたことと思われるのである。

そこから敷衍して、「自閉症」という名称がいかにも混乱をきたしやすいことが想像に難くない。

「自らを閉ざす」というイメージは「内向的」というのと、そんなに変わらない。

とくに小児では3〜4歳までは個々の発達に個人差が大きく、「自閉症」を疑っても容易には診断を下さず、「自閉的傾向」といった表現で経過観察しやすい。

これは医療関係者そのものがそうなのだから、一般人である両親の困惑はなおさらのことだろう。
 
治らないのであればどうすればいいのか?そこに親の苦悩が生じる。

自閉症は、中枢神経の障害で起こるものだ。

自閉症では見たり聞いたりして入ってくるさまざまな情報を整理して、全体としてまとまった意味のあるものと受け止める(認知する)ことに支障をきたす病気である。

視覚的情報や、言葉を介した聴覚的情報が正しく送信されていても、受信する側がその部分部分のみを受信し決して全体的に均一には把握できないようなものである。

その意味で、タイトルが出るシーンを思い出して戴きたい。

若い母親はまたも焦って、主人公に「雨がザーザー降ります」といった3語文を教え込もうとする。この事は重要なことを孕んでいる。

自閉症児では、言葉の、単語の意味を健常児のように理解できない。単語は記号であるが、記号という概念がない。したがって、視覚的に、あるいは聴覚より取り入れた情報は情報の意味をなさず、彼らのなかで蓄積されていく。

彼が母親から教え込まれた「雨がザーザー降る」という言葉を噛みしめているかのように、家の前の崖の壁面に向かっていて「マラソン」というタイトルが出る。

そして最後には、壁面の雨に濡れた雨のしずくの模様が、彼の目には大好きなシマウマや象がいる「野生の王国」に見えるために雨の中に立ちすくんでいたのだという飛躍は実に卓抜なものであった。

またその雨のシーンに先立つ場面は、食事時に癇癪を起こしてチョウォンが部屋の隅にうず高く積まれたロッテのチョコパイをひったくるものであった。

このうず高く積まれたチョコ・パイは、彼が習慣的にチョコ・パイにこだわって食べていることを表わすものである。

この同じものしか食べないという行動は自閉症児では大変よく見かけられるもので、おかずとご飯を配分よく食べるというのもなかなかできない。おかずを全部食べたあとでご飯だけをたべたり、チョウォンのようにお菓子にこだわって他のものをたべない状態は珍しくはない。

「変化が苦手」というとても普遍的なパターンである。

だが、このエピソードは単に自閉症児の大変さを表現するばかりでなく、そのあと母がチョウォンに忍耐力を根付かそうと登山に連れ出し、座り込んだチョウォンをチョコ・パイで釣って歩きださせるシーンに繋がってくる。

この崖の上に2人で立った母子。カメラがパンすると眼下には高層マンションをはじめとした経済的に繁栄の途上にある都会が映し出されて、この母子だけは繁栄の波から置き去りにされたような、この世にたった2人・・・という批判の視線が見事に出たものであった。

この『マラソン』という作品では自閉症児を抱えた母親がどれほど頑張っているのかを誇張でもなんでもなく描かれている。

10kmマラソンで3位に入賞して母親は「これでいい。自分たちは間違ってはいなかったのだ」と誇りに思い、プール・サイドでコーチからサブ・スリー(フル・マラソンで3時間を切ることで、アマチュアの夢)を狙えるのじゃないかと言われ、まんざらでもない気分に浸っている。

するとチェウォンが素っ裸で「水着が合わない」と現われて、冷水を浴びせられたようになる。この嬉しい部分の直後に障害者としての現実に向き合わねばならないという構成は、決して消えることのない障害を抱えて生きていかねばならない子を持つ親の日常を象徴的に表している。

母親はチョウォンの世話に明け暮れ、なんとか自立への道をという目的の一環で「走る」ことにいれこむ。夫は離婚したわけではないが、仕事を理由に別居し、次男は長男のみに関わる母への反撥から器物破損で警察に保護されてしまう。「不満があるなら何故言わないのか」と詰る母に「百回千回一万回言ったじゃないか。気付いてくれなかったろう!」と叫ぶシーンには胸が張り裂けそうになった。

多くの障害を抱えた母親の少なくない割合に、このチョウォンの母のような母の姿をだぶらせ、障害児の兄弟に同じような反撥行為を見聞きするからである。

障害児の親は、少年から青年にチョウォンが成長した分、年齢を重ねていく。あの日と同じように登山は出来なくなる日が迫っている。それだけに親の体力や気力が萎える頃、「不憫だから」と無理心中されてしまうことは、文化国家としての大いなる恥辱であると、ボクは思う。

この映画には受動的に待っているだけでは、その日を迎えたときに失望が待っていると、焦りに焦ってがむしゃらに動いてしまう母の憐れと、その本来は無償の愛であるものが気付かぬうちに誰かの犠牲の上に成立してしまう厳しさが描かれて比類がない。

自閉症への混乱は、それがこころの病気ではないのに、「自閉症」への医療人を含めた正しい理解が遅れたためもある。

そのイメージから「親のしつけがなっちゃいないからだ」「母親の愛情が足りない」、自閉症児の特徴的行動のひとつである常同行為(同じ行動をとり続ける)を捉えて「テレビを見せすぎたからだ」といったバカな非難を生じさせた。

他人なら我慢もできようが、「うちにはこんな家系はない。嫁に来たあんたが持ってきたのだろう」「そんな嫁はうちにはいらない」と離婚させられた悲劇も少なくないと聞いた。

そんな人間の愚かしい行動を含めて、障害者を通して健常者を、その先の生きとし生けるものすべてを包み込む世界観が『マラソン』には息づいている。これが見事なのだ。



《 自閉症への完璧な取材、そして飛翔 》
 『マラソン』では成長したチョウォン(チョ・スンウ)の描写が主体であるので小児期のチョウォンの症状を知るシーンは多くはない。だが、シーンは少なくても、最初の数分で、この映画が丹念に取材をしたものであることが分る。  

トップ・シーンはバスの座席に座る若い女性の背中である。一目で疲弊していることが観察できる。その背中が語るのである。

そして、空いているバスの車内を絶え間なく移動している少年の姿。指をかざしたり、意味なく指を小刻みに震わせている。自閉症の身体症状としてまず気がつく行動である。(自閉症児はなぜか光がきらめくものが好きなことが多い。

10Kmマラソンで3位に入賞したチョウォンがクリスタルのトロフィーを授与される。カメラマンが写真を撮ろうとしても彼はトロフィーに目をつけて興味を奪われているのは、トロフィーのクリスタル越しに見える映像が煌めき揺れているためであろう。)

その少年が全てのサインを休止して、バスの車外のものに目を奪われている。はっきりとは映しださないが、車外をマラソンの選手が走っているのである。マラソンは母親が勧めたものであったとしても、チョウォンにとって興味の注ぎ得る対象であることが、ここで既に呈示されるのである。
そしてそれは、大好きなシマウマへのアプローチ。「走る」こととして、彼の心に芽生えたものであったのだろう。

場面は変わって、動物園のベンチで疲れきった若い母親が少年の腕を掴んでいる。ぐったりと疲れた母親の、希望の日差しの指さない毎日が窺われる。

なぜ若い母親が疲弊してしまうのかといえば、幼児の場合には障害児の知能もまた相応に低く聞き分けがない。また健常な児童のように親が見えなくなったからといって泣いたりしないためだ。母が見えないからと恐怖・不安という感情は起こらないのである。

動物園の中を探しまくった両親がひとり檻の前で座りこんで動物に見入っている彼を見つけるシーンは、母子が離れたとしても泣いたりはできない子供であることを描いている。

それだけに、子供が小さなときには、彼らが一瞬の興味を覚えたものに対して突っ走ってしまうから、今ここにいたのに…と、親が探し回る光景は日常茶飯事となる。

知的障害児は一見健常児と見分けがつかない。そのために身体障害者が一見して受け止められるような一般人からの理解が得られない。その都度、騒ぎになっている場面に我が子の姿を見出して、ひたすらに謝罪しつづける日常・・・、それは考えただけで悪夢のようなことではないか。

動物の檻の前でチョウォンを見つけて泣きながら抱きすくめる母親。その背後の夫は幼い弟を抱きながら妻とチョウォンを見つめず視線をはずしている。ここに父親としての彼の感情に何らかの齟齬が生じていることを暗示しているわけである。

成長したチョウォンは市営住宅の一室に住んでいる。古くとも一軒家に住んでいた少年時代に較べると、公団住宅はなにを意味しているのか。

家事も疎かになるときがあるほどチョウォンの学校以外での活動にのめりこんでいる母であり、弟の進学相談の知らせを聞いて無意識に「お兄ちゃんのプールの日なのに」と呟くシーンに、この家族がチョウォンの養育の費用捻出のために自宅を処分したのではないかということ、加えて障害児も健常児も同じ我が子でありながら、明らかにペース配分に均衡を失っていることが読み取れる。



《 自閉症と映像表現との接点 》
 自閉症は前述したように生まれながらの障害であるから実は乳児のときからサインがあることもある。

ぐずらずに、一人で積み木で遊んでいる、おむつがよごれても泣かない、一日中クレヨンを持って絵を描いている。こういったアクションから「根気のある我慢強い子だ」とか「賢くて育てやすい」といった、親としての好意的な印象を持ちやすい。

しかし成長するにつれて、言葉が出ない、名前を呼んでも振り向かない、などのサインにようやく周囲が気付き、受診するのである。

映画に登場する形態描写にはまったく不備が見当たらないようだ。

チョウォンが例外なく人との関係において視線を合わさず、固まったようで表情に乏しく、身振り手振りでの身体表現がない。これは自閉症のもっとも重要な診断基準のひとつである。

コーチが手首を持って一緒に川辺を走るシーンがある。このとき手首には反復して噛んだ疵がある。自分の伝えたいことが上手に伝わらないもどかしさに自閉症児では噛んだり、頭をぶつけたりといった自傷行為が多くみられるものである。

また他人に身体を触られるのも苦手な児が多い。それだけに、このシーンでは、チョウォンが自分の意思で、自分のこころをこめられるものを獲得しつつあることが分かるのである。言語は駆使できないけれど、全身をもって表現できる肉体の言語のほのかな存在に安らいでいくということだ。

そしてコーチとの忘れられないシーンがもう一つ。いいかげんな酔っ払った状態のコーチの言いつけを守って100周するチョウォン。

こういった障害児には契約は死んでも守ろうとするところがある。驚いたコーチの手をとって、掌を汗がしぼり出たシャツの上から自分の鼓動を彼に感じさせる場面だ。

身体に触られたくないチョウォンがそういった行動をとるのはコーチを認めている表れなのだが、このシーンにはもうひとつの意味がこめられているように思えるのである。

自閉症児がとくに幼い頃、自分が取って欲しかったり、欲しいものを口に出して言えないために親や近しい人の手を取って品物に触らせる行為があるのだ。これを「クレーン現象」という。

こういうことは現実にはないだろうが、コーチへの感謝を伝えたかったという「感謝のクレーン現象」であったのではないかと思うのである。

すぐに分かることだが、チョウォンには家族を含めて他人との会話がない。いわゆる会話のキャッチ・ボールがほとんどない。これは会話・単語を記号として理解しえないのであるから当然なのだが、感情がなく一本調子なのも、彼の頭のなかにインプットされている情報は羅列であって認識していないことに原因がある。

スーパー・マーケットで買い物を命じられたチョウォンが棚に生理用ナプキンがなく混乱を生じ、自分を落ち着かせようとナプキンのCMの文句を喋るのは、一般人にはいやらしいということになろうが、チョウォンは生理用ナプキンそのものへの認識がない。

彼にとって大切なのはあるべき棚にナプキンがなかったという事実であり、店員が補充しようとカートで持ってきたナプキンに関心を示さず、最後のひとつを女性客の手から取っていくのも、大切なのは女性の手にあるナプキンは棚から取り上げられたナプキンであることなのだ。

彼が「野生の王国」の長々としたナレーションを諳んじられるのも、興味のある対象について反復視聴してインプットされたのである。

こういうことも自閉症の診断基準のひとつでもある「常同行為」から発展したものである。

少年時代のシーンで道路が工事中で通行不能となっていたことで興奮するシーンがあるが、自閉症児は変化が苦手であることからきている。

活動や興味を示す範囲が極端に狭く、どんなに素晴らしい才能をマラソンで開花させたとしても、障害者には余人には理解できない苦しみも葛藤もある。

彼が警察署で保護されてシマウマの柄のバッグを持った若い女性から母親が痛罵されても、彼には意味は理解されない。なにか自分のために自分の行動が制限されて、母親が頭を下げている・・・ことへの非日常的展開への焦燥感に似たものはあるかもしれないけれど、である。

余計なことのようだが、母親が「異常なら病院か施設に入れとけ」と叫んだ若い女性に歩み寄って啖呵を切るシーンには多くの当事者が溜飲を下げたことだろう。

障害を持って生まれたというだけでどうでもいい奴らに蔑まれる悔しさ・・・。

コーチが自閉症学校の校長先生に言われた「自閉症児は純粋ですから」という言葉は嘘ではなく、大きな試練を与えられた家族の唯一の安らぎは、自閉症児の「無垢」である“癒し”しかない。

白眉ともいえるシーンは、地下鉄のホームで彼がシマウマ柄のスカートを穿いた女性に接触して連れの男から暴行を受けるところだ。

自閉症の特徴のひとつに言葉の障害があり、まったく言葉を出さない子もあるのだが、チョウォンのように独特の口調で言葉を出す子がいる。

「お茶、あげようか?」という問いかけに「お茶、あげようか?」と言ってお茶をのむ。

「て・に・お・は」を全くいい加減に使う子もいて、よく聞けば意味はわかるけれど、この若い男のように女の手前で逆上しているときに「この野郎、なぜ触った!」に対して目をそらしながら「この野郎、なぜ触った」と相手の言葉の耳に残った語尾の部分を抑揚なく繰り返されても、若い男の怒りは「俺をばかにしてるのか」という鉄拳制裁に直結することになる。

とくにこのシーンでは「シマウマの柄だから興味を覚えたのさ」と健常児なら言えただろうが、「シマウマの妊娠率は・・・」とシマウマ繋がりで口ずさんだものだから「この異常者め」と殴られたのだ。

その痛みにビックリし、恐怖を覚えながら、「この子は障害者です!この子は障害者です!」と連呼するチョウォン。それは幼い日に、自分を庇いながら母親が連呼していたフレーズであることを観客に一瞬で理解させる。この母子の置かれ過ごしてきた歳月の重みに、誰しもが打ちのめされるのである。



《 それでも・・・ 》
 しかし、そういう毎日でも、成長するにつれて混乱は少しずつ減ってくる。たとえ使用法が的外れであってもボキャブラリーが増えてきて、何をして欲しいかを身近な人間に伝達できるようになる。

自分の好きなこと、得意なことへの健全な表明ができるようにもなる。毎日のやるべきスケジュールが定められていて、その予定に従って生活しているとき、普通人では音を上げるような根気のいる仕事や集中力を要する仕事、それらに絶対に手抜きをすることは出来ないから、そういった環境が整えば彼らを自立させることも出来る。

しかし、間違えてはならないことは、彼らひとりではそれはなし得ないという事実。ここが障害者問題として大きく立ちはだかってくる。

 韓国映画を見ていて、貧困や障害者に対する表現が、今の先進国と呼ばれる国ではもはや絶対にしないものであることに驚かされることは珍しくない。

『オアシス』における重度脳性小児麻痺、『オー・ブラザー』における口蓋裂患者、精神薄弱者など知的障害、身体障害を含めた障害を持ったひとびとに対して物語に登場し、あからさまな差別表現だって出てくる。これで韓国の社会全般にいまなお貧困というものが色濃いことが判断できる。

日本映画でも60年代までは同じことで、70年を越えて、高度成長期を終えたあたりから、こういう表現が急速に減っていった。

ボクが小学生だった頃、バスに乗っていると、ある街角を通過するとき、いつもバスを見て喜びながらバスを追いかけてくる肥った青年がいた。

「今日もバスあほ、いてたなぁ」と友達に屈託なく話したことは一度や二度ではない。犯罪的な鈍感さであるとは思うが、社会全体が差別だというムードでなく、彼を「バスあほ」という名称で認めていたように思う。

同じように「あいつとこ母子家庭やから貧乏やねん」といったように、貧困もまた社会にあることを認めていた。

しかし「障害者」という名称を与えられ、「低額所得者」という表現に変えられ,それらの1歩誤れば差別に繋がると思われる対象の存在は表面的には表舞台から姿を消した。それはあたかも「傷痍軍人」に似ている。

電車に乗っていると真っ白な傷痍軍人の衣服をまとった人が現れ「皆様、またかとお思いでしょうが、わたくしはさる昭和20年、ミンダナオ島において・・・」と独特の口調で浄財の喜捨を求める光景はいくらでもあった。

おそらく戦争による障害者に関して年金などが整備され、ああいった寄付を求める行為がしなくなったのか、できなくなったのかは定かでないが、その頃から表舞台には出なくなった。

韓国の障害者表現について友人がこんな本が出ていますよと教えてくれた。その名を「アリラン坂のシネマ通り」という。



《 韓国における障害者表現 》
川村湊法政大学教授が上梓した労作「アリラン坂のシネマ通り・韓国映画史を歩く」という新刊には、韓国の障害者に対する国民の一断面として、こういう記述がある。

「韓国では、大道芸として、“病身(ビョンシン)チュム”という芸能があり、それは健常者が、身体障害者の動作や表情を真似て、踊り、演技するという一種の物真似芸だ。

孔玉振(コンオクチン)という芸能者は、白いチマ・チョゴリを着て、顔を大仰に歪め、手足を奇妙に動かし、奇妙な足取りで踊って観客を沸かせる。

もともと放浪の人々の芸として伝わってきたもののようだが、、これが身体障害者や脳性まひ患者たちへの差別につながる(差別から始まった)芸能であることは明らかだろう。

1970年代に孔玉振のくした“病身チュム”は、民衆の育ててきた芸能として注目を浴びるようになり、民間芸能の一種として舞台公演、海外公演までも行うようになった。

だが、健常者が障害者のしぐさや表情を真似るというこの芸能に、障害者を見世物にするという発想と同じような差別性を感じるのは、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)的な感情だけからではない。

日本の社会ではほとんど見られなくなったこうした障害者を描くという発想は、韓国映画には伝統的に存在していて『神様こんにちは』(ぺ・チャンホ監督、1987年)ではアン・ソンギが軽い脳性まひの身体障害者の役回りを演じて好評だった。

『オアシス』もそうした流れのなかで作られたものであり、家族から持て余されている前科者のチンピラのような男ジョンドゥと、重度の脳性まひ患者の女コンジュとの、あまりにも困難の多い“恋愛”は、しかし、その不自由さや抵抗感が強調されればされるほど、“美しい”ものへ転化される一瞬が訪れるのだ。

車椅子で地下鉄に乗り込む場面や、部屋の中で二人が踊る場面で、ムン・ソリのこわばった表情や動作が溶け、彼女の本来の美しさに戻るシーンのファンタジックな美しさ。

それはちょっと演出過剰の気味もないではないが、それまでの画面の痙攣的緊張感が緩和され、緩やかで伸びやかな身体の動きや表情が取り戻されるのである」

(『アリラン坂のシネマ通り』川村湊著。集英社、2005年。第3章わが愛する監督編・?帰りたい,帰れない  より)
 

この「病身チュム」の記述をみても、日本とそれほど差はないなと思う。考えてみて欲しい。三遊亭歌奴(現・円歌)の吃音者に笑いを採った「授業中」に大笑いしたのは、ついこの間だった。松竹新喜劇の藤山寛美の「アホぼん」に腹を抱えたのはいつだったのかを。

誰も差別という感覚がなくても現実に楽しんでいたのだ。女子プロレスに小人プロレスが一緒に興行されていたことも同様に覚えている。

 しかし忘れられない記憶もある。あれは1975年ごろの夏だったと思う。友人と浅草に遊んだボクたちは浅草寺の境内に見世物小屋が出ていることに気がついた。

ともに落語ファンで2人の頭に浮かんだのは“六尺の大イタチ”という触れ込みで入ってみたら“六尺の大きな板の真ん中に血がついている”というユーモアたっぷりの騙しのイメージであった。【世紀のイヌ少女】という看板に「入ろう!」と喜んで入った。

場内は階段状の客席ができていて、着席して待っていたら幕があがった。するとそこには明らかに本物の障害を持った少女が寝そべっていたのである。

なぜ【イヌ少女】なのかといえば、四肢の関節が通常よりも逆についていて、丁度寝そべっているとイヌがしゃがんでいる関節の恰好に見えるのである。

一遍に気分が重くなった。医学生であったボクらは、あれは生育不全による変形であろう。多分人畜共通感染症の先天性トキソプラズマに関係した生育不良なのだろうという結論に達した。
 
なぜ「病身チュム」の背景に貧困を感じるのかと聞かれたら、この「イヌ少女」が脳裡をかすめることもあるが、豊かなれば絶対に障害を見世物にはしないだろうからである。

待っているだけでは何も生み出さないゆえに、健常者と違う「障害」がカネを生み出すのである。

また、「バスあほ」や「傷痍軍人の喜捨」も、いくら経済状態が上向きになったとはいえ、豊かさがあまねく浸透せず、貧困のままに置き去りにされている人人が確実にいたこと。そして国全体があまねく豊かになるまでは、施政者というものはあえて差別や侮蔑の対象について本気では取り組まないものだと分ったからである。



《 人間としての祈り 》
 『マラソン』は恐らく韓国始まって以来、障害者の実像を描いて初めて感傷に訴えない作品となったものではないだろうか。

感傷に訴えるということは、健常者から障害者、もしくは富める者・普通者から明らかに貧しき者へという視線を基調にしやすいものであるから、感傷のみに訴えるという流れは、「○○よりはましなんだ,俺たちは」という調和を孕む陥穽を背後に持つものである。 

ろくに作品も見ていないくせに独断に過ぎようかとも思うが、韓国のいろいろな映画やドラマを見ていて、貧困や、その他さまざまな煩悩に関する描写を見て感じて、そう思えるのである。

それは、やっと「誰が得した損した」といった視点で判断することの未熟さを指摘できる経済状態になってきたことを窺わせる。

またそれは韓国もまた、我らが通ってきた道を歩み始めることを予想させる。我らのそれが成熟しているということでは全くないことは口惜しい限りなのであるが・・・。

 映画のなかでコーチがボランティア200時間を義務づけられたことにも分るように、韓国では多くの点でアメリカ型の施策・方針を導入している。

チョウォンが通う学校もまた、日本ではほとんどない「自閉症児専門学校」である。日本では「自閉症児」の多くは「ダウン症」などの身体知的障害児などと一緒に統合されていることが多く、まったく違う障害児が同じ教室で同じ授業を受けている。これはどう考えても韓国に劣った状態であると言わねばならない。

チョウォンはついにフル・マラソンに出場するが、疲れきってへたり込む。もうどうにもならないと思ったとき、あるランナーがチョコ・パイを差し出す。

このことで幼き日の母との登山を思い出したかのように立ち上がる。このランナーこそは、彼と、彼を支えた家族と、そして彼の走りに心を揺さぶられた観客に降臨した【 映画の神 】であろう。

ようやく走り始めた彼に、見知らぬ中年ランナーが並走する。この人も同じように苦しいんだ・・・、その存在を知った彼は握りしめていたチョコ・パイを投げ捨てる。そのときの彼にはもう「釣られてなにかするためのチョコ・パイ」は無用なのである。

(彼は練習で、『グラデュエーター』の農民出身の武将ラッセル・クロウが麦の穂を触っていたように右手で土手の植物の感触を味わいながら走っていたが)、待ち望んでいた雨がシャワーとして降ってくる。

からからに乾ききっていた彼に注がれるのは観客の応援という喜雨であった。彼は右手で観客の右手の感触を確かめながら活力を得ていく。

彼がゴールを目指し走るとき、突然画面の背景が映画の最初から彼の生活の場であった場所をメドレーのように巡る!

スーパー・マーケット、プール・サイド、地下鉄の駅、野球場・・・、これらは彼が人として人と関わっていきたいと考えていたことを代弁している。

地下鉄のホームには彼を殴りつけた例のアベックさえ彼に声援を送っている。祈りをこめたイメージの最後は草原だ。チョウォンが草原を大好きなシマウマと走ることで同化するイメージで終わる。

この意表をつく展開には、言葉が見つからないほどの感銘を受けた。
チョウォンの心根に画面が歪んで見えた。
彼はゴールで待つ母の胸へ飛び込んでいく・・・。

自閉症の青年には幾分出来かねることへの表現もあり、事実とは違うだろうが、『マラソン』はこのラストの飛躍で映画的真実を獲得したのである。

そしてそれは奇跡的な高まりである。

我々の誠実な関心を継続して示すことで、第2、第3のチョウォンを走らせてあげたい、とボクは思う。

いや、願い、そして祈る。    (この項、了。)

コメント(3)

北京波さんの「新世紀映画水路」の最初の作品を私も最初に読ませていただきました。
物を語ることは端的に申せば思想の表明ですし、その人の宗教心の発露ですから、その人が語る「映画」その物よりも重要…と、先ずは月並みな事を申してしまいます。(汗)
しかも今回は映画「マラソン」に関しての内科医としての立場からの検証でもありますから、余計に面白かったのでしょう。
結局、一読者としての私のコメントは北京波さんの思想・宗教への関心を以って語ることになってしまうようです。

自閉症児は社会を映す鏡のように思いました。言い換えれば、社会は自閉症児の鑑にならなければならない。
そう考えるなら、何のことはない…自閉症児を特別扱いしなければならない社会に問題を感じます。
問題の多い社会であれば、問題を取り除かなければならない。その手段としての「外科的手法・療法」「内科的治療」が日本人に人気があるけれど、他にも「精神科」があり、「心療科」がある。

素人の私が好きな療法を述べるなら、「家庭科」「料理実習」「体育科」「遠足」などが好い。「俳句」「詩」「遊び科」も好い。(汗)

>我々の誠実な関心を継続して示すことで、第2、第3のチョウォンを走らせてあげたい、とボクは思う。

社会が個人に働きかける運動は「ハード」な手段でなく、「ソフト」が好いと思います。
そして「ソフト」な心が充ちる社会を築くのは、やはり「ソフト」な心なのだと思いました。
以上、簡単ですけど、どうも有難うございました。チューリップ

(コメントを書いて好いのかどうか…迷いつつ。いつでも削除お願いします。)
>於多福姉さん

気づかずに今日まで・・・、申し訳ありません。

基本的に自分が感じたことを好きなように書いているのですが、そこには医者であるからこそ気がつくものもある。

そういうものを時々は大切にしております。

ボクはどんな意見も削除することはありません。
これはどんなことにもさまざまな意見があるものですし、お叱りもまた真剣に考えるべきものがあるときはそうしたいからです。

ありがとうございました。励みになります。
走る人

北京波さんexclamation ×2こちらこそ、心からお礼申します。
少しずつですけどぴかぴか(新しい)新世紀映画水路ぴかぴか(新しい)読ませていただきます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。クローバー

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