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ウラ・玉子のゼミ(英書講読)コミュの第12回裏ゼミ(火曜の部)議事録(2)

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【概要】
多言語主義について
1.多言語主義

第一言語主義の社会集団は珍しくそれで成り立つ国家はさらに珍しい

多言語主義成立の歴史的背景
?移民
?多言語話者による介入および制圧
?植民地政策

「言語接触」は「言語紛争」となるのが一般的

2.言語特権と言語移行の逆転

言語は絶滅の危機に瀕している
言語転換に関する研究が盛ん。言語転換を元に戻そうとする積極的な動きも

3.言語と政治

多言語主義社会は言語選択の際に必ず矛盾に直面
<議論>
・どの言語を選ぶか使うかは自由と個性を表すのか?言語を選択する際は政治的経済的優位に立つ言語の優位を主張するのでは。

民族はそれを特定するための重要な特徴として言語を用いる
<ポイント>
・言語は民族のidentityとなると考えているが本当にそうだろうか?フランス語、中国語とひとくくりにしてしまっている時点でそれぞれのより細分化された違いを無視して単一言語と考えている。よって多言語主義は様々な言語を認めるといいながらも矛盾を持つ。

4.言語の権利
これは来週のあがっちの発表において詳しく議論する。

5.ピジン語とクレオール語
これは既に学習済みのため割愛

6.複舌
ある言語の中の二つの明確な変種を分類するために作り出された言語学的な違い
例)標準語と地域語の関係

【概要】
ゼミスタート前に話し合った「取り出し授業」についての議論

取り出し授業とは出来ない生徒をクラスから文字通り取り出して教えること
↑いったいこれで良いのだろうか?

・取り出しではないがレベル分け授業も現場では行われている。これも一種の取り出し授業の一つ。
・レベルが違うということで取り出される生徒には自身が劣っていると宣言されているようなもの。得意、不得意があってそれぞれが違うことが当然。レベル分けをすることで、他者が異なることへの理解が生まれない。
これは学習の進度だけではなく、外国人就学児童や障害者に対しても同様に考えることができる。
・違いを認め合うこと、助け合うことでそれぞれに相乗効果が生まれる→正統的周辺参加理論

また教師と生徒の関係でも考えてみる
教師>生徒の関係ではなく、対等な立場として接すること。
そういっても必ず教師が優位に立つことは間違いないので教師側が意識してSelf disempowerment(自身の無力化)を行う必要がある。
教師=生徒にする。生徒の視点に立つことが大事。

【感想】

大変濃い内容の授業でした。
月並みなのかもしれませんが、一方的に見ていた側面を多面的に眺めることは必要だなとつくづく感じました。
ざっとメモしていたことを書いただけなので、追加、訂正あればお願いします。

コメント(13)

とりいそぎ、議事録お疲れさま。

みなさん、分からんかったこと、話し足りなかったところなど、議論を継続してください。
議事録ありがとうございました★

あたしも、昨日の裏ゼミで、自分の周りにある自分が「当たり前だ」と思っていたことがいかに疑わしいものなのか再度気づかされました。とくに学校は子どもたちが通うところ。もし私たち大人が自分たちの都合のいいように学校をコントロールして(クラス分けや、取り出し教育など)それが知らず知らずに子どもたちの考え方や価値観を変えたり、新たに作り出して行っている……本当にこわいです。

議論をしてて疑問がありました。私の母校は昨日も話したように、しょうがいを持った子どもたちだけ別の教室で授業をしたりすることはありませんでした。
しょうがいがあったり、slow learnerたちを分ける、分けないというのは本人や保護者、学校とで話し合って決めていいのですか?市や県によって、分けてはならないとか定められているのですか?
知識不足ですみません。もし、知っている方がいたら教えてください★自分でも少し調べてみます(*^_^*)

長々とすみません
知っている限りでは一緒に授業可能なものは参加して、できないものは「○○ルーム(クラス)」といった名称のクラスで受講という形でした。ですが所属としては「○年○組」に在籍という形じゃなかったかと思います。この形態で行われているのは2小学校で見たことがあります。ちなみにいずれも福岡県教育委員会管轄学校です。
基本的には、各自治体によって異なると思います。よく知りませんが。
他方、取り出し授業の中身、も問題視すべきでしょうね。在日外国籍児童への日本語教育については、拙稿「現実を覆い隠す<共生>概念」をご参照ください。あと、「しょうがい者」を含めた言語問題を扱った論文として、「ことばのユニバーサルデザイン」というのが、同僚が書いています。多言語問題・多様性の問題を煮詰めると、必然的な論理的帰結として「ことば」についての「ユニバーサルデザイン」の構築、となるってことです。言語教育への応用にまでは踏み込んでいませんが、(将来的には)必読の文献といえるかもしれません。
昨日は、“自分が取り出しの対象者になったら”と考えて
涙がでそうになりました。
取り出して区別されることで、少なくとも私は劣等感をもつと思います。
「自分はみんなより勉強が遅れている」と思っている人は、なおさら。

想像する力って、必要だなぁチューリップ

自分がどんな教育を受けるかを選べるように、
また強者側が多角的な視点を育てるように、
社会や教育はどうあるべきかを考えたいと思いましたクローバー
↑
わわ〜っ、ちょい誤解しとるなぁあせあせ(飛び散る汗)「自分が〜選べる」ってのが根本的に強者の論理やぞ〜あせあせほんで教える側がセルフディスエンパワーではなく、強者/弱者にとって「対等がフツー」の状態にすんのが本質やであせあせ(飛び散る汗)詳しくは田中望さん、大谷さんあたりを冷や汗指でOK
みずかさん、議事録ありがとうございましたぴかぴか(新しい)


本当に濃い数時間で笑、
勉強モードから遠のいていた頭を久々にフル回転させました。


まず、私の発表が発表になってなかったこと、お詫びしますあせあせ(飛び散る汗)


内容についてですが、「当たり前」が本当に「当たり前」なのかって考えてみることが大切なんだなって、私もつくづく思いました。

取り出し教育についての議論が白熱してましたが、
私自身経験したことがないので(私は障害を持った子とも同じように学校生活を送ってきたので)、実際にそういうことが当たり前な人もいる、ということが不思議でした。私は、自分が今までの環境で育ってこれたこと(つまり皆一緒だったということ)に感謝している、というか良かったな、と思います。でも、こうやって議論しなければ、それが良かったのかどうかなんて考えずに生きていってたんだろうなーと思うと、すごく複雑です。

もし当時の私の環境が違ったら、今の私は居なくて、また別の私がいるわけですよね。小さい時の環境ってその後に与える影響がすごく大きいから、学校の担う責任はかなり大きい。教育って本当に難しくて、重要なんだなって改めて思いました。
だからこそ、教育実習に行くのがちょっとおっくうにもなり...あせあせ(飛び散る汗)

議論でなく、ただの感想を長々とごめんなさいバッド(下向き矢印)
>ジョー
Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen. (常識とは、18歳までに蓄えられた偏見の集大成である)というアインシュタイン(Albert Einstein)の名言があるように、自明視されてきたことを問う。それが、「学び」やと思います。

ジョーの今回のプレゼンは…まぁ頭使いすぎて体調崩したんで多めに見ましょう(笑)

それはさておき、教育実習にびびる必要はないで。
現実に対する想像で、万全の準備をしておけば、たいがいのことは乗り越えられます。準備が自信を生み、そのことで未知の経験さえも乗り越えられる。責任感の強さやびびり的なものを、うまく利用して、しっかりとした想像力/構想力を育てればいいと思います。

その昔、中国の三国志時代に活躍した諸葛孔明は、万事が論理によって支配されるという前提で、あらゆる難局に直面しても、見事に対処したそうです。どこまでできるかは別として、目指すべき方向は、そっちでしょう。たぶん。

>あがっち
「想像する力って、必要だなぁ」
これは大事です。
最近は「フィールドワーク」的なものが流行で、まぁ「百聞は一見に如かず」なんですが(僕は、悪しきアカデミズムと思います)。思うに、「見てから分かるものなんてたいしたことはない」。見ないでも、経験しないでも「想像」によってカバーできる力の育成が必要やと思います。別にフィールドワークを否定はしてませんが、例えば異文化に行って「おぉ〜っ!」となってるようでは、お話になりまへん。可能な限り「想定内」にすることが大切やと思います。それに対する対処や対応についても、可能な限り考えておくこと。もちろん、実際に体験することで、想像とのギャップを修正することは大切ですよ。でもね、見ないと分からない/経験しないと分からない人が、いったいどうやって、「まだ見ぬ未来社会」を構想できるのか。経験したことのない出来事に、どうやって対処できるのか。
「ナマの〜」とか「いきいきした〜」ってのはだいたいウサンクサイことが多い。このあたりは、デリダあたりを参照ください。英語教育におけるウサンクサ・コレクションについては、拙稿「<生きた英語>と分裂的言語観」がオススメです。
>太田さん
うむむあせあせ(飛び散る汗)またしても強者の理論で語ってしまった!
自分の無意識を指摘してもらわないと、まだまだ気付けない自分にドンマイ!!
コメント書くときや話すとき、自分の選んでいる言葉に気を使おうと思っている今日この頃ですが、
やっぱり「できてると思ってしまう」癖があるみたい。
自分つっこみが足りないなぁ。

取り出し授業についてですが、私にとっては取り出しのほうが「普通」になっていました。
太田さんに出会うまで、それが疑わしいものだなんて思ってみもしなかった。
自分の「普通」を常に批判的に見つめられるようになりたいです。
やけど、正直言うと、自分を批判的に見つめることが、結構しんどいときがあります。
それって、自分にとって“くさいもの”のふたを開けるからなんだろうか。
「普通」って、結局は強者にとって都合のいいことのことなのかな。
強者が経済的に、効率よく社会を運営したいから、「普通」を作り出すのでしょうか。
いっそ「強者」側でやっていけば?目それも研究としてなりたつよ〜無理はよくないバッド(下向き矢印)

「普通」や「常識」を形成し人々に信じさせることに成功すれば「支配」しやすくなる…今日教えた言葉でいえば一種の「象徴的暴力」なわけですょ。
方向性について考えたけど、
やっぱりそういう風に自分を観てみる視点は必要(超えたい壁)やと思うのと、
そんな視点を持ってる人っていうのに心惹かれるので、
自分の考え方の癖としっかり向き合っていきたいと思います手(パー)
しんどいけど、この壁を超えられたら、何か見えるかもしれないし。

単純やけど、“みんなが笑顔でいる”社会が理想だと、謝恩会の時に思ったので。
「単純やけど〜」以下、そうかもね。以前、某師匠たちは「愛」とか「LOVE」とおっしゃってましたぴかぴか(新しい)
LOVE論の話はあがっちにはしてないか?してないなら、鏡と英語史の知識がヒントです(笑)
ちょろっとだけど、聞きましたよぴかぴか(新しい)
「愛だよ」って某先生が言われて、恥ずかしそうになさったんですよね??
詳しく聞きた〜いウッシッシ

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