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ナザレのイエスコミュの 殺すのは「2歳以下の子」−メシアが生まれる年を算出する方法があった?―

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「ユダヤの王」が生まれたと「東方の博士」に聞いたヘロデ大王は、「大祭司や民の律法学者たちを全部集めて、メシアはどこに生まれるかを、問いただした。彼らは答えた。『ユダヤのベツレヘムです。預言者によって次のように書き記されています』」(マタイ2−4・5)
 ということは、「メシアが生まれる」という予言は、かつて一世を風靡したノストラダムスの「1998年にアンゴルモアの大王が現れる」予言のように、大祭司や律法学者たちなら知っているだろうと予想される預言であり、さらに実際、知識層の一部には「ベツレヘムで生まれる」という解釈・解読まであった。

 「そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼び寄せて、星が現れたのはいつだったかを確かめた」(マタイ2−7)ベツレヘムへ行った博士たちは、ヘロデの依頼に反してへロデの元に帰ってこなかったので「ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に怒った。そして人を遣わし、博士たちから確かめた時に基づいて計算し、ベツレヘムとその地方全体にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺させた」(マタイ2−16)という。
 
 ここからわかることは、博士たちは、「ユダヤの王」が生まれた年を明言しなかった。星が現れた年=イエスが生まれた年、ではなかった(もし同じ年なら計算する必要がない)。しかし、諸預言書を解釈しユダヤの王=メシアが生まれる年を計算する方法というか体系化された専門知識を持つ人たちがいた。ということだ。
 ヘロデの依頼を受けた彼らは、誤差二年の範囲でメシアの生まれる年を特定した。

 ※そして、自分こそ予言された「ユダヤの王」「メシア」であると確信していたのがイエスであった。ヨハネの福音書には「どうして自分をメシアとして信じないのか」というイエスのいらだちが随所に顔を出す。
現代人には予言を信じるなんて少し滑稽に移るかもしれないが、「ノストラダムスの大予言」関係書が世界中に満ち溢れた時代を知っている人には、実感が持てるのではないだろうか。

コメント(10)

 ただ、この事件の記述は新約聖書だけで、イスラエル(ユダヤ)、ローマいずれの文献にも存在しないんですよね。新約聖書は旧約の預言に合わせる為に、けっこうフィクションが入っていると言われていますから、もしかしたらこれも事実ではないのかも知れません。
 コメントありがとうございます。大変刺激になります。

ヘル様のおっしゃる通りで、このような残虐な事件が実際に起きたなら、どこかに記録が残りそうなものです。それがないということは、ヨセフとヘロデの協力関係が決裂したことを示すためのフィクションかもしれません。
 ただ私としては、福音書の記録を尊重し事実であったと思います。(基本的に福音書の記述は、隠蔽や誇張はあるけれど嘘は書いていないと思うからです)
 推察でしかありませんが、ヘロデの幼児殺害指令は、公けに行える性質のものではないので(そんなことがローマ皇帝アウグストゥスの耳に入ったら正気を疑われ王位も危くなる恐れがある)暗殺指令みたいなものであったと思うからです。犠牲者は、幸いなことに規模で済んだのではないでしょうか。そのため、記録に残っていない。

 そもそもイエス様の布教活動や処刑などの記録すら福音書以外に残っていません。当時の知識人にとってイエス様の行為や存在はニュースにもならないありふれた小規模なものであったと思わざるを得ないことも理由です。

 また、福音書に出てくる諸都市名(エルサレムやこの場合のベツレヘム)が、実際のエルサレムやベツレヘムではない場合があると思われることも、後々追及したい課題の一つであります。

》ただ私としては、福音書の記録を尊重し事実であったと思います。(基本的に福音書の記述は、隠蔽や誇張はあるけれど嘘は書いていないと思うからです)

 失礼ですが…そう思われる根拠は何でしょうか?
お付き合いありがとうございます。今回のコメントは勢いで書いたので内容が粗雑過ぎて書き直したいところです。

 なにかの「事実を伝えている」と思う根拠は、福音書の書き手にもプライドがあるだろう。という私の思いでしかありません。
 
 福音書の記述は事実と言う表現は適切ではありませんでした。何か別の解釈をすべきところだと思います。
 ですので、トピックの私の記述を訂正させていただきたく思います。
 
 二歳児以下の「男の子をことごとく殺させた」という記述から、二歳児の男の子たちが殺されたことを事実だとと主張するのは飛躍しすぎでありました。ここから言えることは 「イエスは発見されず殺されなかった」ということです。

 
>>[004]

 一応、聖書学やキリスト教史の世界では、「ヨセフとマリア夫妻はベツレヘムやエジプトには行かなかった。イエスはガリラヤで生まれた」という説が有力のようですが…。
 当然、“東方の三博士”も“幼児虐殺”も作り話だそうです(もしかしたら情報が古いかも知れません)。
ヘル様
 私 聖書学やキリスト教史に疎く、見当違いのことを多々述べているかと思います。ご教示ありがとうございます。

 ただ、福音書の著者たちはイエスの神聖性を構築しながら、事実も伝える表現を苦心しながら盛り込んでいると思います。(逆かな?事実を伝えながらもイエスの神聖性を構築しようとしているから、後世の私たちというか部外者の私たちには理解に苦しむ妙な表現になっているのか)

例えば、「そのころ、マリアは旅立ち、急いで山地に向かい、ユダのある町に行った。そして、ザカリアの家に入って、エリザベツにあいさつした。」(ルカ1−39)ですが真っ先に山地に向かう?ユダのある町?そんなところに由緒正しい祭司の家があるの? 私はルカは場所を知ってるくせに明言してないと感じます。(根拠はありません。単なる私の印象)
 ルカは場所を明言できないんだと思います。もしここが クムランだったりしたら、当時の知識人たちにはそれだけで、「ああ なるほどね」と「イエスたちはこういう勢力だったのね」といろいろ読みとられてしまいます。クムランでないにしても、ここで場所を明示することは、ザカリヤやエリザベツやマリアの背景がばればれになってしまう情報をさらすことになるなので、ぼかした書き方をしていると感じます。
 
 「ベツレヘムやエジプトには行っていない」私も同感で、このような説が有力と聞き、心強い思いです。福音書が地名を明示する場合、関東の「小京都」といえば鎌倉と私たちには伝わるように、ヨセフに関する「ベツレヘム」「エジプト」といえば、この場合、実際のベツレヘムやエジプトでない特定の場所であるとわかるのが、福音書の著者たちにとっては当たり前だったのではないでしょうか。
福音書に出てくる地名を読み解く場合、そのままでは受け取れないと思っています。
 
 推理小説を読むように「歴史書としての福音書」を読みすぎでしょうかね・・・。
地名の真偽について追加。
 本を引っ張り出しうるおぼえの場所を確認しました。イエスたちがエッセネ派であることが前提ですけど。。

 ユダヤ古代誌 巻18ー19 に「彼らは、神殿に奉納物を献ずるが、【一般の人々とは】異なる清めの儀式にしたがって犠牲をささげている。そして、そのようなことから、彼らは、すべての人々が出入りする神殿の域内からは締め出されており、自分たちのだけの手で犠牲の祭儀をいとなんでいる。」とあります。なので福音書の記述で、例えばイエスのエルサレム入場などの話における「エルサレム」は、へロデ大王が再建した本当のエルサレムの神殿ではないことが推測されます。
 
>>[009]

 僕も、イエス自身がエッセネ派と無関係だったとは思っていません。それにしては教義が酷似し過ぎてます。が、ヨセフまでエッセネ派だったというには(ヨセフ自身の)情報が不足し過ぎてます。僕は疑わしいと思っています。
 僕は洗礼者ヨハネもエッセネ派の一部だったと思います。しかし、イエスやヨハネがエッセネ派とどういう関係だったかは、今後の研究を待つべきだと思います。
 あまり先走るのは、いかがでしょうか。冷や汗

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