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ナザレのイエスコミュの「かいばおけ」に寝かされたイエス(3)ー歴史書としての福音書ー

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続けて奇妙な記述がある。
 赤子といたヨセフとマリアに対して語られた羊飼いたちの話を、「聞いたものは皆不思議に思った」というのだ。つまり理解しがたいというか納得しがたい話がなされたということだろう。羊飼いたちは何者でどのような話をしたのだろうか?
 まず、羊飼い達についてだが、ルカでは「羊飼いたち」なのだが、マタイにおいては「東方の三人の博士」になっている。
マタイ福音書によると、イエスが生まれたことを聞きつけた東方の三人のマーゴイ(マギ。博士。メソポタミア系の占い、占星術、医術を身に付けた人。ダビデ王家を支持するマギ派の人達か?)が、まずヘロデを訪れた。ヘロデのもとを辞した彼らは、星が示した「家の中に入ってみると、おさな子は母マリアとともにおられた」そして黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたという。
ヘロデ大王と面会ができ、マリアとも面会できて高価な捧げ物を献上できる人達となれば、相当高位の人物で高い知識を身に付けた人達である。そこで話す内容となれば、イエスを救い主と予言し、その根拠やこれからイエスが担うであろう運命を説明したのではないだろうか。イザヤ書など聖書の解釈や占星術や太陽曆から割り出されるイエスの生まれた年の重大性やイエスが救世主たる根拠などを細々と話したことだろう。それを聞いたマリアは、「これらのことをことごとく心に留めて、思いをめぐらしていた」(ルカ2−19)のだ。
だがそれを聞いた人たちは、話の内容を(不思議に思った)信じなかった
 この「しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留めて、思いをめぐらしていた。」という記述だが、まるでマリアの表情を見ていたかのような記述ではないか。マリアの心の内をルカはどうして知り得たのか?またマリアが思いを巡らしたということが記録に残されるほど重要なのはなぜか?

 ここから推察されることは、母マリアにとってはイエスの地位やイエスの将来のことについて思いをめぐらさざるを得ない状況にあったということではないだろうか。思えば、マリアがイエスを懐妊した時ヨセフから離縁されそうになるなど、不可解な点がある。
 さらに、母親が子どものことを愛情深く心配することは当然だからこの記述そのものに不自然な点はないが、男性中心の古代において、ヨセフがどう感じたかを記述しないなんておかしいのではないか。ヨセフはイエスの未来について思いを巡らせなかったのか? 家父長の地位が高かった古代なのに、父ヨセフが登場しないのは妙である。父の陰が薄すぎるのではないか。

 結論として、イエスはヨセフからあまり大切にされていなかった。
 多少うがった見方だがここでヨセフが登場しないのは、イエスの支持者が予想外に少ないことを思い知らされたヨセフが、マリアとイエスの扱いについてまた迷い始めたからではないだろうか。なにしろ祝いに来たのは東方の三人の博士(マーゴイ。羊飼い)だけなのだ。ヨセフはエッセネ派内の各派閥からの支持を受けていないことを痛感したのではないか。ヨセフのマリアとイエスに対する扱いが急激に冷たい雰囲気になっていくことを感じていたマリアは、自分たちの将来を考えざるを得なかったのではないだろうか。
 そんなマリアの悲哀というか切実ささえも、想像される場面である。

 ※(イエスが生まれてからおよそ500年後、日本に来た聖徳太子が厩戸皇子と言われたなど、馬小屋で生まれることは、その人物に聖なる要素を加えるイメージとして、キリスト教の広まりと同時に世界に広まった。中国なら竜から生まれたとか、ペルシャなら卵から生まれたとかと同様である。聖徳太子自身がこの伝承になじんでいなければ付かない名である。「厩度皇子」という名称は彼が中央アジア出身の遊牧民系の人物であることを思わせる)

コメント(8)

 あくまでうろ覚えなのですが、聖書でイエスについて「大工の子」「マリアの子」という記述はあっても「ヨセフの子」という記述は無かったと記憶しています。ここにも何か理由が有るのかも…。冷や汗
 そうなんですよねえ。ダビデにつながるイエスの系統をはっきり書いているのに、「ヨセフの子」と言い切る表現が出てこないのは、マリアとヨセフの関係における謎です。昔からいろいろと憶測を生み、マリアがローマ兵に強姦されて生まれたのがイエスだ・・。までありますよね。(イエス誕生の次第を記述しているのはマタイだけなので、情報が少ない)

 ただ思うに、イエスがヨセフの子でなかったら、「正しい人であった」ヨセフは悩むことなくすっきりと離婚を決心できたはずです。思い悩んだということはイエスは間違いなくヨセフの子だと言えるでしょう。
 では、イエスが自分の子なのに、ヨセフはどうして「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに離縁しようと決心した」(マタイ1−19)のか。また、どうして離婚を思いとどまらせる人たち(天使のみ使い)がいたのか。 長くなりそうなのでいづれトピックを立てます。


 
>>[002]

 可能性は二つ考えられると思います。

1、イエスがヨセフの子かどうか、疑わしい場合。

 マリアがヨセフとも、それ以外の男とも、同時期に性交渉を持ったという場合です。この場合、ヨセフは離縁を悩むのではないでしょうか。

2、イエスがヨセフの子である事は確実であるが、“不義の子”である場合。

 つまり婚前交渉等、ユダヤの律法や慣習に従わない関係を結んだ場合です。
 これも夫婦にとって不名誉な事ですから、離縁を考える十分な理由になると思います。

 ちなみに僕の個人的な意見ですが、やはり1の可能性が高いように思われます。なぜなら、福音書の端々(とくにマルコ伝)にイエスがマリアを憎んでいた形跡が感じられるからです。
ご提示ありがとうございます ヘル様 

 私は 2だと思います。
 交渉をもってはいけない時期なのに持ってしまった。「がまんできずにやっちゃったね、ヨセフ」って感じですかね。
 (「イエスがマリアを憎んでいた」形跡について、あらためて教示ください。)

 ヨセフは多分30代の男盛りだったでしょう。それでもってマリアは18歳くらいのJKかJD・・・。しかもダビデ王家に嫁ぐ娘さんですから容姿端麗、頭脳明晰な女性が選ばれたにちがいありません。猫の前の鰹節というか、我慢できずというのが私にとってはリアルです。
 理由の二つ目は、高貴な家柄のマリアが他の男との接触する可能性は低いと思います。普通の村娘とは違うと思うんです。ヨセフは自分の過ちが公になるのを恐れて離縁しようと決心したんだと思います。男性上位の当時は当然のことだろうけど、「きたねえぞ ヨセフ」って感じです。
>>[005]

 たしかマルコ伝だったと思いますが、マリアと、イエスの兄弟たちがイエスを連れ戻しに来た時に、「母とは誰か、兄弟とは誰か…」と自分の家族を拒絶する場面があります。
 また、イエスはマリアを「婦人」と呼び「母」とは呼びません。これは普通の親子ではあり得ない事です。イエスはマリアを自分の母親として認めていない。
 よほど強い軽蔑や憎しみが有ったと僕は思います。
ありがとうございます。
なるほど、ご指摘の語句にも何か裏がありそうですね。



>>[007]

 裏、は判りませんが、秘密は有るんでしょうね。

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