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中島みゆきファンクラブ共同書斎コミュの多事争論的夜会論

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今日は、はからずも「筑紫哲也さんのお別れ会」が、昼にありましたので、

「多事争論」風に

まず、僕から考えを書き出しておこうと思います。

そこで、多事争論と言うしおりを貰ったり、また、
「あなたから筑紫さんへの多事争論」と言う記帳ノートもありましたので、
夜会の千秋楽とも重なり、その上で、せっかく、渋谷から青山を経て、赤坂にたどり着いたばかりの時に残念です。
麻生政権の混迷と大量の派遣社員の首切りなど百年に一度の不況と言われている嵐の中でなくなられたこと以上に、夜会を観ることなく亡くなられた事が残念でなりませんなどなどと書いて参りました。

関連トピックは、以下のようにあります。

夜会 Vol 15 in 赤坂ACTシアター
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22766619&comm_id=1729

【ネタバレ】夜会Vol.15 感想など
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37643919&comm_id=1729

夜会 Vol 15 in イオン化粧品 シアターBRAVA!大阪公演
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33635896&comm_id=1729

多事争論風に書くと言うことを務めようと思っていますので、
まずは、その場で頂いた「多事争論」と言うしおりの紹介から少し長いですが、
書き出してみようと思います。


しおりの中を開くと

多事争論


近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。

その良し悪し、是非、正しいか間違っているかを問う前に。

そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、

失われるのは自由の気風。

そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。

              (2008年 夏「論も愉し」より)


ここで大事なことは、「愉しむ」と言うことです。
愉しむには、ゆとりが必要ですし、相手を追いつめていく事ではないと思っています。
また、一方的な立場や考え方を断定的に押し進めることでもないし、一方の正義だけを主張することではないと考えています。

それは、かなり言い古された感のある「Nobody Is Right」の例を出すまでもなく、
中島みゆきさんのアルバムの作詞は、「瞬きもせず」にしても「地上の星」にしても

「ララバイSINGER」「I Love You, 答えてくれ」と続くアルバムのメッセージも直接的であり、わかりやすくなっている様に僕には、思えていました。

それは、難しい政治のことを簡単に説明する筑紫さんの「多事争論」にも迫るわかりやすさに近づいてきているのではと思えるのですが、
それでも、やはり、「夜会」は、相変わらず、難解なままだと言うことも出来ると思います。
しかし、この難解さは、唐十郎さんの演劇が難解であったり、寺山修司さんの難解さにも通じるものであり、どうしても伝えたい難解さがそこにあったと言うことなのかも知れません。

しかし、夜会15 〜夜物語〜「元祖・今晩屋」の難解さは、
僕は、演劇的な難解さではなく、中島さんの独善的で、主観的に作り出した難解さではないかと思っています。

過去と現在の混在、歴史物のような時代劇のような中途半端な現代劇である
「安寿と厨子王」童話題材でもあるのですが、どこが、「安寿と厨子王」なのか判然としないものを感じるまま唖然と見守るだけの蚊帳の外に置かれた観客を僕は感じずには、おられませんでした。


僕は、いつも夜会を観に行く上で、

観客席の人々の反応が、いつも気にかかります。

別な例ですが、「呪怨」と言うハリウッド版にもなった、Jホラーの傑作なんかも劇場の反応が見たいと思って、出向いたりもしましたが、
既に死んだ俊雄くんが、出てくる場面でのわかりやすい劇場の反応なのですが、
それが、感じられなかったのを今回の夜会では、感じていました。

夜会は、ある程度は、「怖いもの」見たさ的真実に迫るもの、大人の鑑賞に耐えうるものを「本当は、怖いおとぎばなし」の様に、「再構築」する「実験劇場」であると考えていました。

夜会は、演劇評論家からは、酷評されていても、寧ろ、
「名もなきファン」から支持されてきた「夜会」であったと僕は、
考えていましたが、

ひっかかかるものがなく今回は、何もなく、唖然と過ぎていくのを感じるばかりだったと思います。

ささくれひとつも つくらぬ指なら
握手もどんなに 楽だろう (裸足で走れ)



君を映す鏡の中 君を誉める歌はなくも
僕は誉める 君の知らぬ君についていくつでも

あのささやかな人生を良くは言わぬ人もあるだろう
あのささやかな人生を無駄となじる人もあるだろう
でも僕は誉める 君の知らぬ君についていくつでも(瞬きもせず)



みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる(地上の星)

をも自ら裏切りだした瞬間の様な誤解を受ける夜会だったのではないだろうか?
と言う疑念が生まれるのを感じておりました。

人の人生と尊厳を歌う中心にしてきた中島さんの活動であり、その意味で、筑紫哲也さんのTBSニュース23にも近いものを感じていたのですが、
今回の夜会だけは、失策の様に僕には、映りました。

「シャングリア」「2/2」「問う女」や「海嘯」の難解さと今回は、
違うと感じております。
暗く、苦しくとも相容れないと思えてもまだ、「感じる」ものとストーリーの一貫性を感じておりました。

そして、今回出たDVD「24時着00時発」も細部は、わからないものがあったとしてもストーリーとしては、理解の届くものがあり、「観客は、蚊帳の外には、置かれなかった」と言うことを理解出来ました。

今回の夜会は、森鴎外の「山椒大夫」にこめられた現実の厳しさもメッセージも逆に台無しにしている様にしか思えなかったのが残念でなりません。

一方では、アルバムのストレートで分かり易い?メッセージがあり、そして、これまでの夜会の直感的な真実と現実の厳しさを垣間見せてきたものを、両方台無しにしてきているように思えたものです。

何故、こんなことが起こったのだろうか?
中島さんの独善や主観なのだろうか?傲りか?老いか?

それは、わかりませんが、唖然とされた、高額なこの演劇「夜会」は、
他の貴族的演劇やオペラの様に無意味な高慢さ故に「観客を蚊帳の外」に置いたが故の混乱が、その「子供たち」=「ファンの中に」不協和音として、広がらせていったのを感じていたのです。

その第一は、

「1900年」と言う20世紀最大の名優と言われているロバート・デ・ニーロの主演した映画があったのですが、
その監督が、「映画は、観客に観られた時に完成する」
「大衆の真実を描くには、残酷さをも描く必要がある」ことを述べていたものを
中島さんも暗黙の了解のように踏襲していたと思っていたのですが、そうではない破綻をここでみることになったように思うのです。

これもそれも、中島みゆきさんの責任であり、

「蚊帳の外に」された愛でるだけの観客は、この夜会演劇の評価で、二分される事になり、これまでのように無条件で、褒めたいと思うファンと演劇の本質として、「安寿と厨子王」のメッセージに似ても似つかないものを見抜く
「大人の眼」を持った肥えたファンの中での確執をここで、生み出さずには、いられなかったのではないかと僕は、感じておりました。


会場の中での近親憎悪的状況が、「蚊帳の外」に置かれた観客の姿であるし、
相手の粗をばかりが、目立つことメッセージに加えられ、演劇の本質から目をそらすことになる夜会だったのではないかと僕は、思うのです。


それが、中島さんが、意図したことなのでしょうか?
伝えたいとしたことなのかと僕は、疑わずには、いられないと言わねばならないのは、残念です。


それは、今回の夜会を絶賛したいとするファンの非ではなく、中島さん自身のかけ間違いだと思っています。

つまり、
人間は、江戸時代から森鴎外の「山椒大夫」までから現代まで醜悪で、生身であると言うことなのだと言うことを忘れ、そして、ポップスからロック・ライブ、川崎チッタやビートルズまでにみられるその流れから、中途半端な貴族性を是認しながら、かつてのロックンロールの精神もポップスのコンサート形態さえ否定していった潔癖さ、観客同士の近親憎悪は、やがては、人間そのものの憎悪となるのだろうし、学校の裏サイトでも蔓延しているものに酷似したメッセージが公然と表面化してくるのを当たり前の「専制」とすることになるのです。

池田理代子の「オルフェウスの窓」でも主人公のユリウスが、「臭い」「汚い」といじめられていたと言う描写があるのを知らないのだろうか?

それが、やがて、人間である自分自身の存在そのものの否定と自己嫌悪に繋がると言うことを知らないのだとしたなら残念だと言うことなのです。


いじめや排除の論理
そして、今回、オバマ大統領によって、差別が撤回されつつあるものについて、
黒人は、差別の理由として、「野蛮だ」「臭い」「汚い」的言動によって、排除されてきたものを気づかせない夜会なら全く、ロックンロールとポップのライブからやり直しと言わざるおえないし、それを理解させない中島さんの責めではないかと僕は、考えているのです。

安寿が犠牲になり、弟の厨子王しかからくも助けられなかったメッセージは、まさに、「撃ってよいのは、撃たれる覚悟のあるものだけだ」と言うコードギアスのルルーシュの方が、合点のいくものとしていると僕は、思っています。

「安寿と厨子王」の警告の意味を中島みゆきさん自身が、見誤っている夜会演劇だと僕は、思っているのです。

責めは、ファンのそれぞれにあるんではなく、中島さん自身にあると僕は、考えている理由がこれです。

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