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カズエの夢日記コミュの*** ズンドコ バスター生活

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(1998年9月4日、金曜日)

と、思ったものの、やはり、昨日の疲れがどっと出て、次の日はベットの中でぐずぐずしていた。金曜日は週末だから、稼ぎ時、とはいっても、昨日、一日中歩き回っていたし、このトリップでいろんなことが起こったので、結構疲れていて、気力もないので、じっくり一日休むことにした。2段ベットの下の段で、ゴロゴロしていたら、掃除のお姉さんに、「具合が悪いのか」
と聞かれたけど、
「別に大丈夫。」
と答えて、かまわず、ゴロゴロしていた。

でも、タブラを叩いてお金をくれた人達に折り紙のつるでもあげよう、と折り紙のつると、子供にあげる用の鈴のついたアクセサリーを作った。

明日は、ちょっと『その道のプロ』のようにも叩こう・・・。


でも、ユースホテルに泊まるのも5日目。

ユースホテルは、ユースというだけあって大人にはそんなに安くない。
やっていることは若いかもしれないけど、パスポートの年齢は事実だなと、その現実を思うと必ず、今までの自分の人生が怒涛のように蘇ってきた。地元で過ごした高校生時代、浪人時代、大学時代、フリーター時代、トラベラー時代、結構、それ相応に年はとっているな、ユースの宿代も高いわけだ・・と変なところに納得した。

かといって、ただの泊り客と友達になれるわけではないし、所持金も少なくなっていくので、こうなったら思い切ってシルベスタを訪ねてみようと思いたった。全く見ず知らずの人の家に、いきなり訪問するのは、やっぱり気が引けるけれど、背に腹は変えられない状態にだったから。もし、シルベスタがいてもいなくても、明日の地下鉄代をうかすために、シルベスタの家の近所で演奏することにした。



(1998年9月5日、土曜日)

まず、フリードリッヒシュトラーセ駅に降りた。
駅はかなり大きな工事中でトラムが通り抜ける高架下は、両側に入り口らしきものがあるけれど、片方の建物は工事中で塞がれていたので、開いている方の通路に立つ柱の手前で、タブラを叩いた。

お姉さんがビールを片手にニコニコしながらやってきて、投げキッスをして葉書きをくれた。
クローバーが一面に咲いてる上に、バラの花びらでLOVEを書かれたポストカード。
「お姉さん、愛をありがとう。」
と、実はちょっと感動していたりした。
そのカーどは、それからタブラを叩く時に前に置くことにした。

1時間くらい叩いて、警備員が二人来て注意されたので、さっさと荷物を片付けて、その場を去った。
そして、駅を離れてちょっと歩いてみることにして、目の前に置かれていた7マルク(350円位)をポケットに入れた。

駅の高架下を抜けて、ビルの立ち並ぶ方の反対側の開けた方向に歩いていくと、通り道は工事現場を囲う2mほどの高さの板をならべたフェンス沿いになった。そのフェンスには、コンサートや劇場のポスターがあちこちはられていて、わりと有名な人の顔もあった。 

その先には川が流れ、その上にはかなり古そうなヨーロッパ風のモチーフで格式が漂ってくる橋を渡った。橋の途中からあたりを見渡すと、橋の左側には運河があって、建物全体がビニールでカバーされた駅らしき場所、右側は、遠くのほうに先がドーム型の丸い建物が、川に出っ張った形で見える画、これもまた周りを丸く囲われて工事中だった。美術館らしき建物で、囲われているカバーの奥の形は、結構本物っぽくて(この表現わかるかな?)、
「改装されてどんな風になっちゃうんだろ・・・?」
と、所々色の変わっている奈良の大仏の顔を思い浮かべていた。
「これもあんな風になっちゃうのかな・・・」

橋を渡りきると、通り一面に5,6階建ての建物が並ぶ。色あせた灰色の壁は、上や横の端の部分が剥がれ落ちていて、その部分、中から色あせた灰色と茶色の色違いのレンガが無造作にひょっこり見えていた。そのレンガを見ていると、子供の頃、紙芝居の中で見た3匹の子豚の話で、一番賢い子豚が作った家を想像していた。

それで、建物にはさまれていた通りを歩いていくと、突然ぽっかりと空き地に出た。
周りをよく見ると、昔は繋がっていたんだろう建物の棟が途中でぱっつり切れていて、その両方の壁は、何もなかったかのように、窓もなくレンガでふさいである。そして、どうやって書いたのか、屋根に近い部分から、下方へ5mくらい伸びた大きな落書きがしてある。

その、今までどこの外国にも見たことのない景色を見ていて、結構気持ち良くて、その反面、
「本当にこんな外国に挑戦しようとしているのか、私ったら・・・」
と、全然なじみのない町並みを感じて歩いた。

今日はユースでただでもらって地図があるので、どこでも行ける。
ベルリンの町は、通りには必ず名前の書いた標識が出ているので、地図の中の名前を確かめながら歩くのは、結構楽しかった。そして、冒険気分も手伝って、昨日と違う道を通って、シルベスタの家のある通りに出た。

二回目なので、もう家は知っている。
入り口の前まで来て、さすがに一度ためらったけど、呼び鈴を鳴らした。
「こんにちは、この前はがきを送った日本人ですけど・・」
「どうぞ、今、入り口を開けるわね。」
と気さくな女の人の声がして、扉にジリジリと電気が通じる音がした。大きな開き扉を開けて、中に入って、見覚えのある階段を上がっていくと、2階で、黒髪でぽっちゃりして、ちょっとニナ・ハーゲン似の女の人が、扉を開けて笑顔で待っていてくれた。
「こんにちは。」
と挨拶をして、
「はがき届いてるわよ。どうぞ入って。」
と中へ通してくれた。あまりにもフレンドリーだったので、ラサに住んでいるアレックスから私のことを聞いているのか聞いたら、
「別に聞いてない。」
と言った。

後で聞いた話だと、東ベルリンは昔電話も通りに何件かあるだけだったで、その数少ない電話はいつも人が列を作って待っていたらしいから、人のうちに行って直接呼び鈴を鳴らすことは日常だったみたいで、突然の来客にも慣れているらしい。



シルベスタは、かなり大きなアパートで、180?位は余裕である感じがした。入り口も天井も高くて、家具もそれぞれ大きい。一番奥のキッチンに案内されて、窓側のテーブルに座ると、お茶はどうだ、ケーキはどうだ、おなかはすいてないか、といろいろオファーしてくれた。話していても、ものすごくいい人で、私がベルリンに着いてから味わっていた孤独感を全て洗い流してくれるような感じだった。彼女はシルベスタの奥さんで、お腹はパンパンに妊娠していた。

「これでも、シルベスタはチベットに旅に行ったのよ。妊婦をほっておいて・・・。」
それから30分位話をして、最後に、もしできたらしばらく泊めてもらえないか聞いてみた。
彼女は、
「明日の夕方にはシルベスタが帰ってくるから、とりあえず明日の夜20時に食事にいらっしゃい。」
と言ってくれた。

それから、少し歩いた先のハクシャマーケット駅に行った。その日は、階段の踊り場で太鼓セットを広げて、考え事をしながら叩いていた。ちょっと肌寒くて、これから秋が来るんだなという気配もしていたし、寒くなったら、指がかじかんでタブラを叩けなくなるかも、とも感じていた。

30分くらいたったところで、おじさんが走って寄ってきた。
おじさんは、突然ドイツ語で話しかけてきたので、一瞬呆然となったが、どうやら私に同情してくれているらしいことは、ゼスチャーで分かった。まず、私の肩をなでて、その後におじさんは自分の腹の部分を丸く円を描くような素振りをしたので、
「ああ、かわいそうに。おなかはすいてないか?」
と、言っているのだろうと理解した。
「ノー、ノー」
と断ったが、
「ケバブ?ケバブ・・◎¨☆*?」
と言われて、さすがに断れず、
「うん」
とうなずいてしまった。おじさんは
「ちょっと待ってろよ。」
と、階段を降りて走っていったと思ったら、
「ほら」
と、銀紙に包んだケバブをくれた。おじさんは、
「ありがとう」
とお礼を最後まで聞く間もなく、電車のホームに走って行ってしまった。

ところで、手に持っている、問題の銀紙の包みを眺めながら、どうしようか考えた。
「これ、おいしそうだけど、でも、なんか、おじさん親切すぎる。東京の感覚から行くと、普通見ず知らずの人に食べ物はあげないでしょう?これって、もしかして、おじさんは外人嫌いの秘密組織の人で、外人排除のためにこれは毒物でも入っているんじゃないか」
と、映画やドラマの見過ぎだろう、と思われる、ものすごい発想は仕方ないことだった。

ともあれ、おいしそうな匂いにはかなわない。太鼓をしまって、駅前のベンチに腰掛けて、ケバブを食べることにした。

そのケバブ、
「毒でも入っているんじゃないかな・・?もしかしたら、ここでコロッといってしまうかも・・・」
と心配しながら食べたので、本当に味がしなかった。

駅を見たら、ケバブをくれたおじさんが振っていたので、軽く会釈をした。
意外とお腹がすいていたらしく、最後まで一気に平らげてしまった。
結局、全部私のパラノイアのせいで、本当に本当に味のしないケバブだった。
でも、おじさんには、心から感謝した。

「ベルリンの人って、どうしてこんなに親切なんだろう。」
そしてチベットで抱いた思いがよみがえってきた。
人の関係は回っている・・・。
「歴史的な背景から、きっと昔辛い思いをして人の心の痛みが分かる人たちが多いのかな・・・」

あのおじさんの同情の仕方ったら、ただものではなかったな。
本当に、私の事をかわいそうに思ってくれていそうな感じだった。

「でも、私、好きでやってるんだけど・・・。日本に帰ったら、電子レンジの冷蔵庫、レンタルビデオや車でドライブなんかもできる裕福な生活がある・・・」
と思うと、その『マジで心配してくれた』おじさんの行為には、多少申し訳ない気もしたけど、だから、今度は、そんな痛みのある人のためにタブラを叩くことにした。


入り口のエスカレーターのすぐ前で、階段から降りてくる人がみんな見えるところで叩いてみた。
土曜日だということで、人通りは多く、近くの映画館に来たような、お金持ちそうな人達もいる。

今日はお金をくれた人に昨日作った折り紙のつるをあげようと思っていたが、小銭をくれたちょっとこじゃれたお兄さんに、
「そんなものはいらない。」
と言われた。

「そっか、私の音にお金をくれているわけじゃなくて、小銭が一杯ありすぎてくれたんだ・・・。ってことは、別に、私のタブラじゃなくても良かったってことなんだな・・・。」

「所詮、大道芸人は芸術家とは違うわけで、小銭を集めて生活をすることなんだ・・・。」

世の中の貧富の差、お金の流れ。
目に見えない、意識の中の上下関係。
地面に座っているものは、結局、地面に座れる者。
そうじゃない人もいるわけで・・・

日本では浮浪者を「くさい!」と思うこともあり、知らず知らずのうちに自分の方が上の人間だと思っていたことがあったのかも・・・と思い出し、それとあんまり変わらない今の自分の姿を第三者的に眺めた。

「こんなに、立場を自由自在に変えられるのは、日本人だからかもな。」

たまに、駅で見かける同業者のストリートパンクのみんな。
ボロボロのTシャツを着て、犬を連れて、どうしようもない感じで駅の地面に座って、「小銭を頂戴!」と呼びかけている。その感じは、昨日や今日始まった感じではなく、もう、その生活が染み付いている感じだった。
「あの人たちは、生活を変える事は難しそう。道に座る人は道に一生座って生活をするんだな。」
と思わされる、選択の少なさは、パンク特有の孤独感をかもし出していた。

「私はいくら今、道に座っていても、やろうと思えば、日本に帰れば、例えば事務所で仕事をすることだってできるんだ・・・。」
そんな、自分が選択の多さを持てている事を知り、
「今となっては、道に座るパンクも、背広を着ている人も、それぞれが私の同業者なんだ。」
と、思うことがちょっと嬉しかった。
「世界はこうでなくっちゃね。」
何差別なく、人間がみんな平等である世界・・・」。
それは人間に欲がある限り、無理なことなのかも知れないけど、
少なくても自分の世界では、これから、何差別なく人の事を見れるような気がして、ちょっと嬉しかった。

「でも、地面って、さすがにお尻が冷たいな・・・」
こんな仕事は今が最低。
「これからのし上がるしかないでしょう・・・。」
と思ったら、そんな些細な逆境もちょっと楽しくなった。


人通りの多さは、叩くにもたたきがいがあって、張り切って叩いていたら、パンクのお兄ちゃんがやってきて、一緒にやろう、といった。彼は私の叩く前で、紙コップにコインを入れてチャリチャリ音をさせてリズムを取って、通行客に呼びかけてくれたので、結構集まって二人で山分けをした。
今日は全部で37,40マルク(約1900円)。


そして、またユースに帰って寝た。
とりあえず、シルベスタの家に行く約束ができて、ちょっと光が差したような気がして、その日も絵日記瞑想をして寝た。

(9月6日 日曜日)

その日は晴れて、あたたかくて、なんだか気分も七部晴れだった。
まだ先の事は確定したわけじゃないけど、シルベスタとの約束も嬉しかったし、満月のせいもあったからかもしれない。

いつものように朝食を食べてから、工事中のハックシャーマーケットに行った。午後1時ごろから叩き始めたが、日曜日ともあって人通りがいつもより多くて、タブラの前に置かれているコインを入れてもらうための器が、よく鳴ったので、さらに調子よく叩いた。

インド人のクマールという名前の青年が、タブラを見るなり興奮して寄ってきた。
そして、
「俺も叩けるんだよ。ちょっと貸してみ。」
と、横取りをして、床に座り練習曲をたたき出した。
かれこれ30分くらい、彼の下手なタブラを聞かされていた。
心の中では
「私の方がうまくたたけるよ。左手の動きは負けるけど・・・けど、いい加減うっとうしいから、早く帰ってくれないかな?」
と思っていた。
彼がインド料理屋で安月給で働いていて、タブラだったら儲かるか・・・と相談されながら・・・。
「これから、アレキサンダープラッツに行こうと思うんだけど・・・」
と言ったら、
「いや、ここの方がいいよ。」
と言われて、何疑いなくそうすることにした。

そしてやっと彼が帰ってしばらくしたら、おでこにビンディー(インド人がよくおでこにはっているきれいなシール)を張ったカップルが急いでエスカレーターに走ってきて、一瞬立ち止まって私にクッキーをくれた。見てみると、ハーブが浮いている。これはまさしく『おいしいハーブクッキー』。予想もつかないプレゼントだった。
「ベルリンって、なんて町???でも・・おもしろい・・・好きかも・・・」

そして、2時間くらい叩いた時に、目の前の階段から、同い年位のブロンドの男の人が近寄って来て、英語で話しかけてきた。彼は、今さっきアメリカから帰ってきたばっかりで、コンガを叩くのが趣味。
「一緒に今度演奏をしよう」
と言って電話番号をもらった。
でも、あまり何も期待しなかった。

とりあえず、
「コンガってどんな楽器だっけ?」
と、セッションをシュミレーションしてみたりした。


そうしているうちに、7時半になったので、シルベスタの家に向かうことにした。
その日は4時間で45マルク、約2200円だった。

そして、片付けて移動すると、約束の8時までには20分も早く着いてしまった。
「約束にはいつも遅れがちのこの私が、なんでこういうときだけ早く着いちゃうんだ・・・」
と思いながらも、まだ時間があったので、3日前に会ったアラブ系のミュージシャンのナッセのうちに電話をしてみた。彼は友好的な感じで、私のタブラはたいしたものじゃないと言っても、
「とりあえず、聞かせてくれ・・・」
と言うので、ずうずうしくも明日夕方家に行く約束をした。


シルベスタのうちに着いたら、今度は二人で出迎えてくれた。
シルベスタもまた、彼女と同じように気さくないい人で、パスタをご馳走になる間、いろんな話をした。彼は、自転車屋で働いていて、だからチベットからネパールまで、自転車旅行するわけだ、と笑った。彼は日本にも行ったことがあり、
「新宿の浮浪者のおじさん達に親切にされたけど、でも、ちょっと変わってる人たちだったよ」
と笑って語ってくれた。

そして、最後に、しばらく泊まらせてくれるか聞いたら、一つ屋根裏の小さい部屋に住んでいる同居人がしばらくいないから、そこに泊まっていい、と言ってくれた。

ベルリンに着いた初日に、知り合いの知り合いのうちに電話をした時は頭ごなしに断られたショックがまだ忘れられないでいたから、
「本当に、“捨てる神あれば拾う神もある”っていうのは、このことだよな。」
って思った。

早速、次の日、移ってくる約束をした。

本当に心から嬉しかった。

その日は、その日あった出来事を思い浮かべ、寝る前に、胸の前で手を合わせて、心の中で、もう一度お礼を言った。

ベルリンは、自分にも、町の空気も「何かが始まる」予感がしたのは、確かだった。それは、いたるところが建設中でこれから開けていくんだろうという雰囲気に圧倒されていたのもあるだろうし、ユースホテル以外では全く日本人に会わなかったというのも、逆に日本人にとってチャンスがあるだろうし、日本語講師にしてもやれるだけのことはやってみよう、と思った。

特に、ナッセと同様、まだ本当にクリシャンの電話番号が本当かどうかも分からないものの、昨日と同じように、しかも今日は二人とも『人と会う約束をした』知り合いができた事で、まだベルリンにいる理由ができた感じがして嬉しかった。

「とりあえす、明日5時にナッセの家で、ライザは2時に来てくれって言ってたよな〜。ナッセの家は、このユースから近いから、2時にライザの家に移動してからまたAlt-Tegelまで戻ってくるのは二度手間になっちゃうけど、ま、いいか・・・。時間的には問題ないし・・・。」
とも思いながら、その日は嬉しくて、
「世界中の人たちが幸せでいられますように。」
と、祈って寝た。



(9月7日 月曜日)

次の日、ユースホテルから荷物を持って移動した。

泊まっても良いと言われたのは、バスルームの上の物置きを改造した小さな部屋で、扉を開けると、すぐに8段くらいの小さな階段、それを登りきると大きな人なら頭を打ってしまいそうなくらい天井が低い部屋で、正面の壁の幅派いっぱいに敷かれたマットレスでいっぱいだった。
そのマットレスの向こう側に小さい窓があって、そこへは天井が斜めに傾いて下がっている。
マットレスに寝転ぶと窓の外が見える感じだった。全体で日本の2畳サイズくらいのスペース。マットレスに座ると、その奥の、ちょうど階段の横のスペースに床に座る形で机があり、コンピューターがあった。
布団はないけど、寝袋がある。
人の部屋とは言え、やっと自分のいる場所ができたことでほっとした気持ちでいっぱいだった。

とりあえず、少しはお金の心配が減ったから、これからは第六感をとぎすまそう、と思った。
あまり考えず、体が思う通りに動こうということだった。

そして、今までの荷物のパッキングと移動とホテルを点々とするばかりの旅は終わって、『生活』が始まった気分に、「生活ってどんなんだったっけ?」と、日本での生活を思い出してみた。

「日本で何やってたっけ?・・・バイトして、パーティーいって、友達に会ったり、電話してたり・・・。パーティーってどうやって知ってたっけ?フライヤーか友達の口コミだったな〜。じゃあ、フライヤーの置いていそうな店を探しに行ってみよう。」
と思い立って、通りに出てみた。

店の並びは、昔からやっていそうな古びた感じの自転車屋とクラッシック音楽や70年代の音の中古レコード屋くらいだったので、反対に、金色の王冠の方に歩いていったら、公園に出た。

公園にはホテルの受付に座っていた同じとしくらいの若者が友たちと公園にいたので、初めての知っている顔を見たのがちょっと嬉しくなって、思わず声をかけてみたら、
「俺になんか用か?」
と言われて、冷たい雰囲気がちょっと怖かった。

「そうだよな・・・。ホテル予約しといて、いかなかったもんな・・・。そんな事も棚に上げて、私ったらずうずうしく声をかけて、馬鹿みたい・・・。」
ちょっと落ちたところで、公園から通りに出たところ、ゴアトランスパーティーとかかれたピンクのフライヤーが落ちて、水に濡れ手いるのを見つけて手にとった。

「これは、偶然なんだろうか?こんな偶然はやっぱり行くべきだよな。」
それは、ベルリンの初めてのフライヤーだったから、何も疑わなかった。
とにかく、ゴアトランスという響きがなつかしかった。
それを大事に鞄に入れた。

約束の5時になったので、例のアラブ系のミュージシャン、ナッセの家に向かった。Alt-Tegelの駅で初日にタブラを叩いていた時に電話番号をくれた人。かなりプロでやっていそうなのに、私はずうずうしくも演奏しにいった。

学生時代に南ドイツのフライブルグに住む、高校の同級生のお母さんの友達の家に泊まらせてもらっている間に、私の初めての外国人の友達、スイスのバーゼルにアンディに会いに行った時、そのホストのおばさんが、
「誰かのうちに行くときは、おみやげか花を持っていった方がいい。」
と教えてくれた事を覚えていたので、駅で、青い花を1本買っていった。

でも、結局、私のタブラはプロには通用しないことは百も承知。
わざわざ見に来てくれたバンドのメンバーもすぐに帰り、私はナッセの子供と遊び、またもやずうずうしく夕飯のアラブ料理をご馳走になって、またシルベスタのうちへ帰った。

その晩、ハークッシャーマーケットで会ったクリシャンに電話をしたら、「待ってたよ!」とばかり、あまりにもフレンドリーで、木曜日に会う約束をした。





(9月8日 火曜日)

火曜日は人通りも少ないだろうとふみ、今日はお休みすることにして、美術館に行ってみることにした。

時間はたっぷりあったので、その家の、洗い物が苦手な様子で山済みになっている食器を洗ったり、台所でライザと話をした。

「ベルリンで何をやりたいの?」
「できればベルリンに住みたくて、できれば日本語講師をやりたいんだけど・・・。」
そんな話をしていたら、ライザが窓の外を指さした。
台所の窓から見える、同じ中庭にある白い建物は、どうやら大学の日本学の校舎らしい。
そこに求職してみればという提案らしい。

「でも、私、日本語講師として経験もなければ、ドイツ語も分からない。そんなんで、大学で教えられるわけがないよ。それにしても、インドからのこのゆるさは、日本学の学問とは違うだろうし・・・」

良い情報にはなったけど、早速求職してみる気にはなれなかった。すぐに断られるのは目に見えているような気がしたから・・・。

そして、ライザにドイツ語の会話を少し教えてもらったので、早速使ってみようと近所の店まで行ったけど、持ち金で買えるのは安い食パンしかない。結局、小銭ばかりで支払ったので、うっとうしがられて店の人に追い出され気味になった。

そして、結局、夕ご飯をまたご馳走になった。




(9月9日 水曜日)

今日は、建設中の場所だからこそ、音楽で場所を和ませてあげようという、勝手な驕りで、ポツダマープラッツにタブラを叩きに行った。

でも、建設中の駅に人がいるわけない。人通りは少なく、30分くらいして警察官が二人来た。

「ここで何をしてるんだ?」
「いやー、ドイツ語分からないんで、英語で話してください。」
「だから、ここで商売しちゃいけないんだよ。」
「でもね、え〜っと、えっと〜。別に商売をしてたわけじゃないし・・・」

でも、そんなことは聞いてくれず、パスポートを見せろだとか、検問が始まってしまった。
そして、どう言い訳していいのか迷ってたところに、ビッコを引いたおじいさんが来た。
70歳を超えているような感じで、松葉杖で足を引きずり、
「何をしてるの?ビールでも飲みに行こうよ。」
と言われ、とっさに着いていった。
足を日引きずっている人だし、いざとなったら走って逃げれば追いかけてくることはないだろうとも思ったし。

で、おじいさんとツオー駅まで地下鉄で行って、ヨーロッパセンターの地下のレストランでビールを注文してくれた。
テーブルにビールがふたつ運ばれ来た時、おじいさんは
「ちょっと、ほっぺにチュウしてよ・・・。」
と、突然いやらしくなったので、突然、おじいさんとビールを残して帰ることにした。

「いくつになってもこんなんなんだ・・・ドイツ人って・・・。」
というのが感想。

でも、その日は、かなり落ち込んだ。
ポケットにあった今日のチップは6マルク(約300円)。
「何でここにいるんだろ・・・。これじゃあ、子供のお小遣いより少ないよ。本当に貧しいよ・・・。」

「インドではアイスクリームが食べたいと思わなかったのに、どうして今食べたいと思うんだろう。食べている人がいるからだ。お金持ちがいるから貧乏人もいるんだ。」
そう嘆いたところで、もちろんお金やアイスクリームが降ってくるわけではない。

そして、いつもの絵日記瞑想をしてみた。
日記の最後にこう書いた。
「ここでは全く無名であってみんな私の事を知らない一人ぼっち。日本で私を待っている人がいるんだろうか。月日と共に忘れられるんだろうか・・・。」

まさにブラックホールの中に落ちていく感じだった。
自分だけじゃなくて、今まで知り合った友達の存在も大事なものも大事な思い出も・・・
思考回路の中からもどんどん落ちてなくなっていきそうな感じだった。
今まで楽しく遊んでた私の友達も私の事忘れていくんだろうか・・・

でも、ブラックホールにかかる網の目に引っかかっている、動かない光があった。

それは、お母さんとお父さん。
この二人だけは私に一番強い愛情を持っていてくれているんだと思っていた。
「それとも、私が抱いている愛情?」
それはどっちでもいいとして、こん絆はどんなに強いのこぎりで切ったとしても切れない太く熱い想いだな〜

もう前向きに意識をめぐらせる気力もない時間の中で感じたのは、そんな思いだった・・・。



(9月10日 木曜日)

「しばらく、泊まらせてもらってはいるけど、ここは私の部屋じゃないし・・・」
という焦りも忘れた訳ではない。

そろそろ体でも洗おうとシャワーの部屋の戸を開けて、ライザの裸を見てしまった。その時は「どうして先に聞こえるような声で声をかけなかったんだろ・・・」
と後悔して、また落ちていた。


でも、落ちてばかりいても何も先に進まない。
気を取り直して、考えてみた。
幸い、お金の心配も少し薄れたので、調子に乗って、なんとか生活を切り開いてみようと思い、早速、日本食レストランに行ってみた。

「働ける口はないですか・・・」
と聞いてみたら、
「ドイツでビザを取るのは難しいから、このレストランは日本で募集をかけて、ドイツに来てもらってるから、ドイツ人と結婚しちゃえば?」
と説明され、頭ごなしに断られた。

「でも、結婚って一生のものだし、ビザのために結婚なんてしたら、うちのお父さんとお母さん、きっと泣いちゃうし。両親を泣かせてまでドイツにいたいわけじゃないし。だったら、自力で取れるもんなら取ってやろう!」
と、頼り気ないけど、その時思った。

「どうやったら、ビザが取れるんだろう・・・。
祈るしかないのか・・・。」

「とりあえず、ビザは3ヶ月し。3ヶ月のうちに芽が出なかったら帰ろっかな・・・。」

とりあえず、ベルリンのべの字も知らない事だし、多少弱気・・・というよりは、
「ま、どうなるかわかんないけど、とりあえず、クリシャンちに行く約束があるから・・・」
と、目下の事にトランスするように考えてみた。

夕方、ハークシャーマーケットからちょっと先にいったところの公園で、クリシャンと待ち合わせをした。
池がある公園の横で、Acudのとなりにあったギャラリー『Radio・Berlin』。
名もないアーティストだろうと思われる人の展示会のオープニングのパーティーがあって、ただでお酒を飲めたので、シャンペンをもらい、ちょっと飲んでいた。中には、ドライヤーで吹きかけると色が変わる壁や、テクノが流れるラウンジスペースがあって、小1時間くらい過ごした。

その後しばらくして、その横にあったクリシャンの家に行って、スパゲッティをご馳走になった。途中でボンノリになったために、麺をテーブルの上の人形に飾りつけてみたりして遊んでしまった。そして、二人で太鼓を叩いたりして思い切り遊んだその日は、そのまま家に泊まらせてもらった。



(9月11日 金曜日)

結局、明け方まで遊んで、ゴロ寝して、昼前に起きて、朝ごはんを食べながら昼過ぎまでまた太鼓を叩いて遊んでいたら、
「夕方、もっと人を集めてセッションしようよ。ご馳走も作るし。」
いう提案にのって、その後一旦シルベスタの家に帰ってシャワーを浴びて着替えをして、その夜、またクリシャンちに遊びに行った。

その夜は食事&セッション大会になった。
「日本の友達と違って、カラフルな洋服を着てはいないけど、ボンで遊べる友達ができて、本当に良かったな」
と、みんなと会えた事に感謝した。

クリシャンちの食事会には、ガールフレンドのニカという18歳の女の子、同居人のブラジル人―クリスチアーノとクリシャンの友達のフロリアンが来ていた。
メニューは、きれいな赤いスープだった。それはロートコール(赤キャベツ)。

食事の後、またみんなでボンノリと遊んで遊んですっかり盛り上がってしまった。その夜も各自楽器をたたいたり、歌を歌いだしたり、音のセッション大会が始まった。タブラを叩く私、コンガを叩くクリシャン、フロリアンはリジュリデュを吹いて、二カはきれいな声で歌を歌ってた。クリスチアーノはギターを弾いていた。

そして、スイカの種を飛ばして遊び始めた。
今度はスイカの種の間をパフォーマンスして通り抜けるという遊び。みんなノリが良い。真剣に遊んでいた。本当に心から楽しかった・・・。

思い切り遊んだ後、夜フロリアンは家に帰るといい、帰り際に
「今度は自分ちで遊ぼう」
といって、電話番号をくれた。

その日もクリスチアーノのべッドの下で寝させてもらって、次の日はシルベスタの家に帰った。
そして、部屋で1人になって、ドラマのようだった日々を思い返していた。

「思えば、ここまで、いろんなことがあったな・・・。」
と思う反面、まだ揚げ足をすくわれないように、あくまでも冷静に冷静に、驕りの気持ちは見ないようにして、何も期待しないようにつとめていた。
これまでの自分を思い返すと、先の事を考えて計算して行動していたというよりは、
「今、何が起こってもおかしくない・・・。こんな路上の生活をしていたら、例えば、道で殺されても、おかしくない。その時はその時で仕方ないから、今生きている自分を精一杯生きよう。親にもらった人生を、毎日、精一杯生きることが、親にとっての恩返しにもなるだろう・・・」
と、また、日々を自分解釈をし、パーティーの時のようにその瞬間瞬間にトランスしようとしていた。

「猫は蝶々を追いかけている時、先の事は考えてなく、目先の蝶々の事を考えるでしょう?
人間もそれでいいんじゃないの?人間は猫よりもちょっと大きな社会にいて、やることも少し大きいけど・・・。」
と思っていたこと、そうしているうちに、偶然、通りでこんなにパチッと来た友達に出会えた事は、結構、
「ほら、そのやり方は合ってた・・・」
と思ったけど、それでも、まだ、何が起きても動揺しないようにという心の準備は常にしていたような気がする。

そこはさすが、天秤座・・・
と自分で自分分析をすることも、また天秤座なんだろうと思った。



(9月12日 土曜日)

ハックシャーマーケットから、美術館島に抜ける工事中の橋の上でタブラを叩いた。
居候生活が始まって少しお金の心配が減ったので、自分の生活のためじゃなくて自分のために何か他の目的のために叩いてみたかった。

コンクリートの橋の上に座って叩いていると、目の前に見えるベルリン大聖堂の塔の周りを、鳥が二つのグループに別れて輪を描いて飛んでいたので、その鳥たちに合わせてタブラを叩いてみようと思った。

鳥達は、近づいてきた冬のために南の空に飛んでいく支度をしている様子。

そういえば少し肌寒くて、
「だから、ツーリストシーズンは終わってしまったっぽいのか〜」
と思わせるような感じで人通りも少なくて、それでも何人か家族連れや観光客がすれ違って行った。

目の前の丸いドームの上では、鳥が10匹くらい、何匹か先頭を切って、2つのチームがを飛んでいる。
小さかった鳥の数はだんだん増えていって、輪はだんだん大きくなっていって、小学校の頃の運動会で、思い出の紅白騎馬戦で、赤チームと白チームが混ざり合っていく感じを思い出していた。

時には、キイキイという鳴き声が遠くに鳴ったり近くに聞いたりしながら、
「無事に南に飛んで行けよ!」
と、祈りを込めて叩いた。

前回のセッションから、まわりに同調して演奏することを練習しようと、鳥の動きに合わせて叩いてみたりしていた。


左側にはおじさん二人と、右側には自転車を止めて眺めている女の人がいるものの、橋の上の空気は止まっているのか張り詰めている雰囲気がしていた。

その間、鳥の軍団はしばらくの間、ドームの上をぐるぐる回って、その2つの輪はどんどん大きくなって、やがて飛んでいった。

鳥が飛び立った直後、橋の上の空気は再び動き出し、なにかショーが終わったような感動と似た雰囲気もあった。
すかさず、その右側にいた自転車のハンドルを握って立っている女の人と笑顔を交わした。

「良かったわね・・・。」
「うん、良かった。私、鳥に合わせて叩いてたんだよ。自然に合わせて叩くのも結構面白かったんだよ。」
と、思わず言ってしまったら、
女の人は、
「そうじゃないかと思ったよ。」
と言ってくれた。

「でも、すごい良かったね〜。」
「うん。ちょうどいいタイミングだったよね〜。」
などと、その後しばらく感動を共感した後、抱き合って別れた。
見ず知らずの人と街中で抱き合って挨拶するのも、不思議だと思った自分もいたけど、それよりも、偶然この感動を分かち合ったことの方が嬉しかった。

「あっ、でも、あの人、コインくれなかった・・・。でも、ま、いいか。鳥に合わせて叩いてたこと気付いてくれたから、私の気持ちが音で通じたってことか。それは、良かった・・・。」
でも、内心、ちょっと複雑だった。
「お金の事を全く忘れる事はできなかいのは、仕方ないのか・・・。」
と、自己嫌悪に落ちてみたりして・・・。


そして、その夜、例の公園で見つけたフライヤーのトランスパーティーに行ったら、思い切り外した。
西側のホテルが立ち並ぶオフィス街の中の箱。客は地元の酔っ払いだけで、踊り狂っている人なんていやしない。
レインボーカラーの服を着ていたのは私だけ。周りはビールを片手にもった、普通のお兄さんばかり。

それでも、ホフマンの残りをパクッとしてしまったため、結構バキバキなので、ちょっと踊ってみたりもした。


(9月13日 日曜日)

が、そのパーティーは明け方で終わり、音楽も止まり、早朝6時に追い出された。かといって、いっしょにつるんで代々木公園まで行ったような日本のパーティーのりは全くない。

結局・・・
「これって落ちてるのかな〜・・・。」
と自問していた。

でも、落ちてみても一人は一人。
「どうにかしなきゃ。」
と思い立って、
「どうしようか、この先・・・」
ととぼとぼと歩き出した。

「こんな朝早く帰ったら、きっとシルベスタとライザを起こしてしまうことになるから、ちょっと時間をつぶしてから帰ろう・・・。」
と思い、歩けるだけ歩いてみた。
地下鉄代ももったいないと思ったし。

結局、ツォー駅に出て、どうしようか考えていた時に、美しい物が見たくなった。
『すごいもの』を見ると、心が弾む。そんな感情で上がりたかったし。

「そうだ!金色の天使に会いに行こう。」
ツォーからとぼとぼと歩いて、やっと天使に合えた時、思っていた以上に天使が上から微笑みかけてくれていた。天使が立っている塔は何段か縞々模様になっていて、座って眺めていると、ぐるぐる動き出すし・・・。
「私、まだバキバキだ・・・。ちょっともったいないことしちゃったな・・・。」
と、反省しながら、しばらく天使をながめていると、不思議と落ち着いて、天使に
「がんばってね。」
と励まされているようだった。

あの時の気持ちは忘れられない。
天使が不思議と前向きな気持ちにさせてくれた。

「そうだ。観光しよう。」
と思い立ち、それから美術館島方面にいっては見たものの、さすがに疲れたので、天使を見たときのような感動ななく、そのままとぼとぼと帰った。

結構、冒険もしたし、なにせ疲れていたようで、その日は思いっきり寝て寝て寝まくった。



(つづく)

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