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カズエの夢日記コミュの*** ベルリン到着 ユース生活

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ベルリンのZoo駅に着いたのは、夜なのに明るい20時頃。
しかも肌寒く、パーティーの季節って感じはしないし、なんだか難しくなりそうな気配は止まなかった。

「どこへ行けばいいのかな?」
駅の中で本屋さんを見つけて、一番安い地図を買った。でも、地図を見てみても、ホテルが載っているわけでもなくて、どこになにがあるのかさっぱりわからない。あたりもちょっと肌寒くなっていたので、バックパッカーを背負った旅行者なんてどこにもいないし、どうやら旅行スポットという雰囲気ではなさそうだった。
「月曜日なのか、でも、まだ8月31日だよ。」
と、今まで、8月中にドイツに行こうと心に決めていたのは、もしかして、日本の学校の夏休みが8月31日までなので、学校が始まる一日前に到着すれば、まだ人も出ているだろう。」
と、浅はかなイメージを抱いていた自分に気が付いて、かなり情けない気持ちになったのは隠せなかった。

でも、
「落ちていても仕方ない、その馬鹿な幻想も私の頭の中だけで、この周りの人は全く知らないんだから。」
と気を取り直して、とりあえず、駅の中にあるホテルの電光掲示板を見てみると、宿代は一日50DM位もしていた。
「そんなところに泊まっていたら5日で赤字になる計算だ。う〜ん。」

「やっぱり、知っている人に電話してみよう。ボン脳の人達は、きっと話が通じるに違いない。」
と、インドのバラナシの顔なじみのテーラーで会って、何回かシバのお世話になった、ベルリン出身の人に、知り合いの住所と電話番号をもらっていたから、早速電話してみることにした。

留守番電話のメッセージで、男の人が
「カズエ、プリーズコールxxx−xxx」
と、電話番号が流れたけど、早口すぎて全然内容が聞き取れない・・・。しかたなく、何回かコインを入れてかけなおして、やっとの思いで電話番号を聞き取った。そして、そこに電話すると、女の人が出て、
「何にも聞いてないわ、ごめんなさい。役に立たなくて・・・」
と、電話を切られてしまった。
そっか・・・そうだよな。全然知らない人だもん、当たり前だよな・・・。でも、ちょっとガーン・・・。

一瞬ベンチに座って、しばらく考えてみた。
「どうしよう、ここで野宿するんだろうか?う〜ん・・・それは嫌だな。う〜ん。そういえば、ヨーロッパというのはユースホテルっていうものがあったな・・・」
と、かれこれ6年前にもなる、学生時代の春休みにバックパックで旅行に来たことを思い出した。
「そういえば、ガイドブックっていう方法もあるな・・・。」
実は、ここ3、4年の間、ガイドブックを敢えて持たない旅行をしていた。本で紹介してあるところに行くよりも、自分の勘で楽しんだほうが断然楽しいことを覚えてしまったので、その存在をすっかり忘れていたけど、
「そういえば、ヨーロッパには、客引きがいないんだな、」
と、その時気づいた。

早速、下の本屋に行ってみようと階段を降りたところに、日本人の若い男の子たちがいた。一人はここに住んでいそうな雰囲気、もう一人は彼を訪ねてやってきたように見えた。
久々に再会した様子で、「話が盛り上がっているところを邪魔するのがちょっと悪いな」、と気が引けたけど、背に腹は変えられないので、
「すいません、この辺に安いホテル知りませんか?」
と、切り出した。ベルリンに訪ねてきたらしい男の子の方が、地球の歩き方のホテルのところだけコピーを出して、
「もういらないから、あげるよ。」
と言ってくれた。

早速、一番安い宿を見つけ、電話をして行き方を聞いたところは、さっき買った一番安い地図には載っていないほど外れにあるAlt-Tegelという、地下鉄の終点の駅で、さらにそこからバスで3駅行って、迷いながらやっと着けたのは、もう夜12時近くになっていて、やっとの思いでドミトリーの2段ベッドの下で寝ることができた。それにしても、一晩30ドイツマルクで、1週間がいいところだから、少しでもお金を稼がなきゃ生活できない、とあせる気持ちはあったが、とりあえず、最初の1、2日は体を休めよう、と、気を取り直した。

そうは思っていても、先の不安な気持ちを抱いていては体を休められるわけがなかった。

寝る前に、その日泊まった8人部屋の中で、ベットが上だったドイツ人の女の子と少し話をした。
彼女は学校を受験しに来ているみたいで、
「お母さんが病気だけど、自分の人生のためにがんばりたいから、学校に行きたい。」
と言っていた。

がんばってる女の子・・・。
その後、ベットに横になって考えてた。

実は、インドから久しぶりに実家に電話した時、お母さんが「身体検査で食腸ガンの可能性があるかもしれない」と言っていたのを思い出した。

「でも、まだ確定したわけじゃないから・・・」
と、思い直してみたり、また自問のための時間が始まっていた。

「私は何故ここにいるんだ。それは自分の夢をかなえるため。もう少しがんばる・・・。がんばってみる・・・。」

「お母さんが大変だったら、やっぱり夢をあきらめて帰らなきゃいけないかな・・・。そしたら、またあの田舎の実家で、冴えない日々を送るのか・・・。だいたい帰っても、キャリアがなくっちゃ仕事ができない。塾の先生をもう一度やるにしても、日本の学習塾は、講師まで型にはめたいだろうし、私がそんな型にはまれるわけがないし。結局続かないだろうな・・・。そんな生活嫌だな・・・・。じゃあ、祈ろう。お母さんの検査が、実は間違いでありますように・・・。本当はたいしたこと、ありませんように・・・。」
と祈った。


***スタート ユースホテル


(1998年9月1日、火曜日)

次の日は晴れた。
ユースホテルでは食堂でバイキング形式の朝食が出る。
「一泊40マルク、こんな高い宿泊代を払ったんだから、お腹もいっぱいにしておかないと・・・」
と思って、コーヒーを飲んで、固いパンとハムとチーズを自分でサンドイッチにして食べた。
席のまわりに座った人と何気ない話をしてみたりして。

そのうちどんどん、がらんとしてきたにもかかわらず、私は特に観光という目的でもないし、インドのように毎日通う散歩コースがあるわけでもないし、こんな町からバスで5駅も離れた森の中で、特にやることもないので、中庭でタブラの練習をすることにした。毎日叩かないと手が動かなくなりそうだいう焦りもあったし、毎日続けてやることがある自分の生活を守らないと、体も思考回路も動かなくなりそうな気もしていた。ちょうど、移動ばかりでおとといからタブラに触っていなかったし。

宿泊客が出払った中庭。
さっきまで込み合っていた食堂からは想像できないくらいシーンとしている。
そりゃそうだよね、みんな観光しに来てるんだもんね。

大人が1人と子供が何人かの観光グループがチェックアウトの手続きを終えて、荷物をいっぱい持って出て行った。それを最後に、ホテルは本当にがらんとしてしまった。
辺りにはユースを手伝っているアルバイトの学生(らしき)従業員が何人かいるらしく、料理を作ったり、掃除をしたりしている気配がした。

中庭に出て、背丈くらいの木々の生えている芝生の上に座ってタブラを叩いた。
練習のリズムを順番に叩いてみた。

自然の空気は気分が良かった。
でも、
「これからどうしようか。」
という気持ちは忘れられない。

そのうちに庭に咲いていた花のものすごくいい匂いに気付いて、その中にいたらすごく元気が出た。あの甘い花の香のお陰で、その先行きが不安な気持ちはすっかり和んだこと。

あれ以来、あの花の香りは今でも忘れられない。インスピレーションが沸いた匂いの、不思議な瞬間の思い出。

そして、昼から町を下見に行った。観光でもしてみるか、と、とりあえず、ベルリン天使の歌の天使に会いに行くことにした。

Tiergardenという駅に降りると、真正面の遠くの方に天使が見えたので、行ってみることにした。
そして、地図で見つけた『日本文化会館』にも行ってみようと思った。
地下鉄の切符は2時間有効で4ユーロ。一日分買っていたら、結構お金を使ってしまうし、バスを使うにもどこへ行くのかも分からないので、結局歩くことにした。
歩いて歩いて、足が棒になって・・・ベルリンは大きいなと実感した。
「地図ではこんなに小さいのに・・・トホホ・・・。」

夕方ユースホテルに戻る途中、そういえば、バラナシで会ったベルリン出身のフランクが、“Zitty”という週刊誌に求人情報が載っているといってたことを思い出して、さっそく買ってみた。

ユースホテルに帰って、まだ誰も帰ってこないがらんとした食堂のテーブルの脇に座って、さっそく雑誌を開いてみた。見覚えのあるアルファベットなのに、知らない順に並んでいて、さっぱり理解できない・・・。

「これ、ドイツ語ばっかりじゃん!もちろんだよな、ここはドイツだもんな。でも、これ、大学で2ヶ月だけドイツ語の授業をとってたときに、教科書に出てこなかったっけ?なんとなく、英語と似た単語もあるし、ちょっと読んでみよう。ヒンディー語よりは全然ましだよ・・・。えっとー、これがどうやら部屋らしいな・・・、これは、Spanischって書いてあるから語学レッスンのことかも?ちょっとじっくり読んでみよ。あ、でもわかんない。」
と、ページをめくっていると、
「Asiatiche Frau?あ、これ、アジア人かな?なにか求人でもあるのかな?」
仕事のことには特別興味があったから、そのページを穴が開くほど眺めていた。

さっきから、おじさんが横をうろうろしているのを横目で感じていた。でも、話しかけると面倒くさくなりそうだから、気付かない振りをしていた。

「で、Asiatisch Frau。Frauって、そういえば、スイスで恐る恐るスキーをしたところって、“Jungfraujoch“っていう山じゃなかったっけ?たしか、“若い女の人”っていう意味だったよな?ということは、アジア人の女の人?なんだろ・・・エキストラのバイトかな?結構興味ある・・・。ブロンド?35-45歳?ちょっとおかしいな・・・」

ページの上を見たら、“Lust&Liebe”というページだった。
「Liebe? “Ich liebe dich?(愛してます)”のLiebeかな?そして?で、Lustは何だろう?」
その日、町で買った一番安いポケット辞書で単語を探してみた。
「Lustって愛欲?は?ってことは?愛人募集?えええっ!」

突然すごく恥ずかしくなって顔に血が昇ったのを感じた。
そこへ、またちょうどよいタイミングでおじさんが横を通りかかったから、
通り過ぎていく間、
「何もない振り・・・全然平気」
と、かなり力を入れて精一杯クールにキめることに耐えていた。

その状態は、かなり必死の様子なんだけど、その半面、
「なんか私、“気取っている”みたい・・・?恥ずかしいっていう自分の気持ちを隠して、背筋伸びちゃって遠くを見ちゃってるの・・・。これって、私、“気取ってる”うちに入るのかなあ。でも、“恥ずかしい思い”って、しばらくなかったかも・・・」
と、思う余裕もあって、
「ヨーロッパだから見栄も出てくるのかな・・・?」
と、変なところで、ヨーロッパの空気を感じていた。
インド人に対しては、恥ずかしい思いなんてまずしなかったかも。インド人は、ある意味、みんな本気だからね。何しても許してくれるしね。何しても全然恥ずかしくなかったもん。

「でもさ、なんでこんな一般の情報誌に愛人募集の広告が載ってるわけ・・・?日本でいう『ピア』みたな雑誌でしょ?こんな欄あったっけ?」
冷静になって、ふと考えてみた。
「やっぱり、国も変われば、文化も違うんだな・・・」
布一枚のインドと比べて、きちんとした格好をしている西洋の風を横目で眺め一瞬もあった。

そのうちに、朝食で一緒になった日本人の旅行客が、ひとりふたりと帰ってきて、部屋に戻りついでに、テーブルのまわりで団欒が始まった。
みんなは、今日行ったところ、とか、良かったものとか話していても、私が観光名所の名前を知らなさ過ぎて、
「何しにドイツに来ているの?」
と、イライラした様子で質問されたりもした場面もあった。
「みんなは観光しに来てるから、当たり前だよな。」
と、現実の風をちょっと浴びた気もした。

そして、いい加減、遅い時間になったので、部屋に戻って、服を着替えて、荷物の整頓をしていたら、旅の間持ち歩いていた手帳と『暗黒、地球の歩き方』のコピーを発見した。二段ベットの下に寝転んで、パラパラと見返していたら、チベットのラサで同じホテルに滞在していたベルリン出身のアレックスがくれた、彼の友人の住所が書いてある紙切れを発見した。

「確か、この人は親切だと指をさしていたような記憶があるな・・・シルベスタ・・・連絡をとってみようかな」
と考えた。
「さて、どうやって連絡を取るか・・・。」

シルベスタを紹介してくれたアレックスというのは、チベットの伝統的な美しい建造物を中国政府の開発の手から守ろうと運動をしているベルリン出身のボランティアで、元々地元の友達のシルベスタは、私の前にラサにいて、しかも帰りはラサからカトマンドゥまで、なんと自転車で下っていったというアドベンチャー好きな人らしく、その話もぜひ聞きたいと思った。しかも、シルベスタはミッテ地区に住んでいる。ミッテ地区は、手帳と一緒に荷物の中から発見されたに、どうやら暗黒度が高いらしいと書かれていたので、余計に興味を持った。

そして結局、明日はがきを書いてみようということにした。

その日は、夜、その花の絵を日記に描いて、ベッドに横になってからタブラを叩く事をシュミレーションしながら寝た。
「本当に叩けるのかな・・・でも、やらなかったら、おとなしく帰るのか?・・・
うーん、うーん、うーん。」
グー、グー、グー。





(1998年9月2日、水曜日)


次の日も、ベルリン調査。

近くの商店街ではがき買って、シルベスタ宛に書いてみた。でも、切手を買いに郵便局を探している途中、
「どうせ時間もあるし、家を探すのも同じだから、ミッテ地区をうろうろしてみよっか」
と、思い立って地下鉄に乗ってみた。

オラニエンブルグシュトラーセの駅で降りたら、向かいにホテルらしき建物があったので、宿泊の値段を聞いてみたら、一晩60マルク。
「これじゃあ食事代あわせて1週間が限度だよ。地下鉄代を毎日往復使って当てにならないタブラの収入を稼ぐか、それとも、1週間ツーリスト気分を味わって、日本に帰ろうかな?」
と、ちょっと弱気になってみたりもした。

でも、とりあえず、町を歩いてみることにしたら、“暗黒要注意度”の高いオラニエンブルガーシュトラーセで降りて、
『タハレス』と呼ばれる、怪しい建物、そのあたりはどこもかしこも工事中だった。

通りに沿って、5,6階建てのアパートのビルが壁のように立ち並んでいる。
表面の壁を塗り直しているのか、道路には壁一面にパイプが組まれ、地面の道には、通行者のために、仮説の通路が設置してある。その幅は、人がすれ違うのに、体を少し傾けなければいけなくて、片方の肩に掛けている大きなタブラの袋を後ろにぐるっと回して通り過ぎた。

壁の覆われているビルもあちこちにあったし、ビルのないところも地面を掘ったりしてあった。

暗黒どころか工事中?の町の中を歩きながら、建設中の町を見ていると、
「ここに何かができるんだろう、ここに居ついて完成を見てみたいな。」
と少しわくわくする気持ちにもなった。

それも、遠くに金色の屋根のムスリム調の建物と、ベルリンのテレビ塔を見つけた時、その外国っぽい光景にワクワク度は思わずちょっと感無量になった。

そして、さらに歩いていくと、すぐ近くにシルベスタのアパートがあるらしき通りに出た。
番地は15番だけど、建物の並びには、13から後の表示がない。

どうしようか迷って、となりの美容院にずうずうしく入っていって聞いたら、その隣の入り口らしいことはわかったけれど、入り口の大きな開き扉は鍵がかかっている。

扉の横には、住人の名前が書いてある呼び鈴が、並んでいたが、どれを押していいのかわからず、あやしいほどウロウロしていると、15番地の建物の入り口が開いて、人が出てきたので、その間に中に入ることができた。

入り口の扉を開けると、半分から上は薄汚れた無地の壁紙や彫刻された木の柱が、ヨーロッパの古いアパートの良い感じになっていた。壁の右側頭くらいの高さに住人全員のポストが並んでいている。突き当りには半階ずつで方向転換するような古びた木製で茶色い丸く彫刻されている手すりのかかった階段がある。

その階段を登っていくと、各階には、そこからアパートの中へ入れるだろうと思われる玄関らしき入り口があった。でも、シルベスタがどこに住んでいるのか分からない。階段を登ったり降りたりしていても、分からないものは分からない。アパートの中にも入り口の廊下のところにある郵便受けで、Syvesta.Kを探したけど、S. Kubenと書かれてあるポストしかない。
「これって合ってるのかな?はがきを入れようかな、どうしようかな。」
と散々迷ったあげく、
「ちゃんと届くには、郵便屋さんに頼んだ方が確実かもしれない。」
と、思って、結局やめてしまった。。。

結局、何もせずに外に出ると、すぐ向かい側に切手の自動販売機とポストがあったので、道を渡って自動販売機で切手を買って、そのすぐとなりにあったポストに入れた。ちょっと情けないとは思ったけど、事はひとつ進んだから良かったと自分を慰めた。時計を見たら、2時間もうろうろしていたことに気付いて、びっくりした。

その後、ハークッシャマーケットの駅に行ってみたら、意外と叩くのに良い場所かもしれないと思い、また今度来ることにした。暗黒度も高いって書いてあったし・・・何かあるかもしれないし。

帰り道は切符を買った。
ドイツの地下鉄は、開放されたホームに指導券売機が置いてあって、そこで切符を買ってその横の小さいスタンドに差し込んで時刻を押すシステム。

それは知っていたのだが、あえて実験、スタンプを押さないで乗ってみた。絶対、なんかあるような気はしていても、旅行者で通じるかどうかやってみようと思った。ドイツの決まりがどれだけ固いものなのか、こて試ししてみるつもりで。

2,3個行った先の駅から電車が発車した瞬間。
「こんにちは。切符を拝見します。」
という声と共に、切符のコントロール。

私はまんまと引っかかった。

「ツーリストですから・・・」
と言い訳しようとしたけど、
パスポートをホテルに忘れてきてしまったんだった・・・。
それはかなりの計算外。

おかげで、私の言い訳は説得力がなく、20マルクの罰金と、それで15分間有効の切符をくれた。
そうなれば、帰るしかない。

「ドイツの風は意外に冷たい・・・。」

おとなしくユースに帰って、ベットに横になった。

一人旅に出たころから、夜寝る前には、決まって一日の反省をする癖がついていた。
その晩も、一部屋に4つある2段ベッド、その下の段に寝ころがって、先の事を考えていた。

そもそも、ドイツに住んでやる!と心に決めたのは、いろいろと考えてのことだった。
日本の社会は、自分のオープンすぎる性格には合わないらしく、バイトしても衝突ばっかりしていたし、28歳という年齢的にもキャリアがないと仕事の選択権がそろそろなくなってくる年齢にもなっていたし、体力的にも30歳を過ぎたら、あまり無理ができないようになってしまうだろうと考えると、これが無茶できる最後のチャンスなんだろう、と密かに思っていた。

しかも、二流大学の外国語学部を卒業しても、日本で語学を生かして働けることはなかなか難しく、その夢を実現させるには、身一つで外国に行って外国で体当たりで仕事を探すしかないとも思っていたから、できれば、一旗あげるか自分に納得がいくまでは、しばらく日本には帰りたくなかった。最悪ほんの短くても、しばらく外国に住む、という夢がかなえばいいか。今は9月だから、少なくても10月の終わりくらいまではいてそれから帰ってバイトしよっかな・・・・・・ん、いや、きっと仕事はない。ベルリンに住んでやるんだ。

でも、現実を考えると、このままでは10月の終わりまではお金が続かない。はやく、住む家を探さなきゃ、すぐ赤字になる。シルベスタに会えるといいな、そして、明日はタブラを叩いて、少しは足しにしよう。駄目でもやらないより、やったほうが納得いくもんね。もう、後には引けない。やるだけやってみよう。 

そんなことを考えながら、絵日記を書いていた。

そうしていると、気持ちが準備されて、先の不安な気持ちも不思議とストレスではなく、あくまでも冷静さを持てた。

絵を描いて瞑想していると、
薄暗くなった夕暮れの後の空に、花火が上がる瞬間を待っている時のような気持ちになった。
「何か流れが変わるかな?変わるか変わらないかだけでも、ちょっと待ってみたいだけなんです。でも、チャンスはきっと訪れる・・・かもしれない。疑いはなるべく持たないようにしよう。」
って。

でも、今思うと、まだ何にも始まっていないはずなのに、なんか不思議と、自分がこの町にしっくりきている感覚というか、なんかこの町に住むことになるだろうという、妙な感覚というか、自信というか・・・、あれは一体何だったんだろう・・・。
その時は、後で自分がずっこけないように、「それは、自分の“やる気”の気持ちなんだろう、」と、自分に言い聞かせていた。


(つづく・・・)

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