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ひふみ神示コミュの先祖供養 (お彼岸・お盆)

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お彼岸とお盆は、先祖供養ですね。
ひふみ的に、ご先祖様とはいかなるものか、
このトピックでは考えてみましょう。

<先祖拝詞>
*******************************************************
 此の祖霊宮に(コレのミタマヤに)
 神鎮まり坐す(カミシヅまりマす)。
 遠津祖神(トオツミオヤノカミ)、
 代々の祖霊神達の御前(ヨヨのオヤのミマエ)、
 また親族家族の(またウカラヤカラの)
 霊祖神の御前に(ミタマのオンマエに)
 謹み敬ひも白す(ツツシみイヤマひマオす)。
 此の家内には(コレのウチには)
 諸々の曲事(モロモロのマガコト)、
 罪穢あらしめず(ツミケガレあらしめず)、
 夜の護り(ヨのマモり)、
 日の守りに(ヒのマモりに)
 守り幸はひ給ひ(マモりサキはひタマひ)、
 まこと神国のみ民としての(まことカミクニのみタミとしての)
 義務を全うせしめ給へ(ツトメをマットうせしめタマへ)、
 夜の護り(ヨのマモり)
 日の守りに守り(ヒのマモりにマモり)、
 捧ぐるものの絶間無く(ササぐるもののタママナく)、
 子孫の(ウミノコの)
 弥栄継ぎに(イヤサカツぎに)
 栄えしめ給へと(サカえしめタマへと)
 畏み畏みも白す(カシコみカシコみマオす)、
 惟神霊神幸はへませ(カムナガラタマチはへませ)、
 惟神霊神幸はへませ(カムナガラタマチはへませ)。

 水の巻 第03帖 (277)
*******************************************************

≪神示式祝詞集≫
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38945754&comm_id=263044

コメント(42)

大切な神示をありがとうございます。

真の聖者であろうとえせ聖者であろうと、自分が出逢った方は何がしかを伝えてくれる教師です。
最近は体験のひとつひとつが「出逢い」として感じられるようになりました。
すべての出逢いに感謝。

日の光ひとつとっても限りない喜びが内在しているように感じます。
一日のすべてがそうだというわけではありませんが、すこしでもよろこびの中にいるよう、日々精進します。
決して意図して創るものではなく、内側から湧き出てくるような…

「自分」というのは、新たな出逢いを通して定義が変わっていくのを実感します。
いずれありとあらゆるものが「自分」であることを実感できるのでしょう。(←希望的観測)
そのときには「自分」ではないのでしょうが。

とりとめのない文章で失礼します。

かむながらたまちはへませ。
いつもありがとうございます。<(_ _)>
我が家でもささやかながらお仏壇にお位牌を祀り、
毎日のお食事供養は欠かさないようにしています。

「○○家先祖代々の霊位」のお位牌を中央に、
左右に祖父母と父の戒名の書いた位牌があります。
うちはカトリックなので本来戒名はなく、
それで戒名は自分でつけました。

先祖供養というのは、宗教とは関係がないんです。
キリスト教徒であろうと仏教徒であろうと無宗教であろうと、
そんなことに関係なく、霊界の掟どおりにする事が大切です。
それは決して単なる形式ではなく、
幽界に行かれているご先祖さまにとっては切実な問題なんです。

お墓以上に、家庭の仏壇の位牌というのは大事なんですね。
とても貴重な御神示を賜りまして誠にありがとうございました。
☆バザールさん
 コメントありがとうございます <(_ _)>
 かなり清まった感覚を感じますね。
 メグリ多き私よりか、すごいのではないでしょうか。

 【出逢い】・・・そうですね・・・
 【内なる自分】に出会うとき、必ず外からの出逢いがあったように思います。特に異性との出逢いは強烈なものがありまして、自分が見ないようにしているパンドラの箱をこじ開けるようなパワーがあったのではないかと、今振り返ると思います。ひとつひとつ、境界がぶっ壊れてゆく感じです。神様の遣い・・・

 そういうの、皆さんないでしょうか・・・
 私だけでしょうか・・・(^^ゞ

 そうそう、出逢いって言えば、昨年末長谷章宏さんと遭遇いたしまして、強烈な体験だったのです。その長谷さん、このトピックに関連したようなことを、ブログで発表されたので、とてもタイムリーなコトとして、また勝手に引用させていただきます。
≪すべて≫by長谷章宏
http://tlcoct21.blog81.fc2.com/blog-entry-23.html
ウーム、シンクロ現象。。。。
☆ホリポンさん
 こちらこそ初コメント、ありがとうございます <(_ _)>

 宗像でIT独立会社ですかぁ。。。いいですね (=^ェ^=)

 以後、よろしくです <(_ _)>
 ちなみに私が以前学ばせていただいた【祈らら(キララ)】というまどいでは、上記の『内なる自己』を4段階に分け、段階的かつ系統的に浄化する道、祈り修法として、主宰の紫野ひかり先生が指導されています。「自分でやる」セルフクリーニングの道であり、現在は【霊(ひ)の祈り】と云われています。地縁・先祖縁・過去世縁・神縁・・・自分で受け止められる分だけマイペースでできるようです。仏壇や神棚、神社仏閣等、いわゆる『外の目当て』を使う修法ですが、そのように外との関わりから内なる自己を知ってゆく道が向いてそうだという方、お出かけにワクワクする方にはお勧めです。
http://www.murasakino.net/

私の場合はブログ記事にも一部書いてありますが、かなり自己流で段階を経ない道を歩んでしまいましたので、ちょっと違います。ま、それもドラマチックで面白いとは思いまするが・・・(^^ゞ
 
☆Rabitan さま
 順番が前後してしまいましたが、私もカトリックの洗礼を20歳のときに受けたものです。大きな宗教団体で仏教的な考え方も学びました。しかしそれとは別に、霊界の、想念世界の法則ってありますよね。幽界の方々に対しましては、やはり【外の目当て】が必要になるのでしょうか。
 神示で云われているところの【幽界のお掃除】が起こったときに、幽界の方々はどうなるのでしょうか。『幽界を神界でまつる』とはどういうことでしょうか。
 それらのテーマについても、考えてゆきましょう。
 ありがとうございます <(_ _)>
シュバンさん

最初レスを拝見して、いろいろと書こうと思うことの構想を練っているうちに、
最初のレスは削除されてシンプルに書き直されたのですねえ(笑)

すでに削除されたシュバンさんのレスですが、
お説ごもっともだと思います。
宗教とは別に霊界の、想念世界の法則というのは厳として実在し、
仏壇と位牌というのもまたそれだと思います。

ただ、ご指摘のとおり、たしかに今までの世なら、
つまりご先祖さま方も幽界での修行を続けられ、
また再生転生してくるという時代が続くのなら大事な供養であるが、
今はもう位牌を通して云々の時代ではないという考え方は、
確かにその通りだと思います。
実は前の私の書きこみを書きながら、
そのことが頭によぎったのです。

しかし、祖霊祀りの根本に何があるかといえば、
あくまで祖霊への「感謝」の想念です。
たしかに、間もなく幽界はなくなり、
ミロクの世か魂の抹殺か二つに一つという時代が来ます。
だからといって、従来の先祖供養をやめてしまうのは違うと思います。
そういう意味で、私は続けさせて頂いております。

ミロクの世、霊文明の基本にあるのは「感謝」の想念だと思います。
状況が変わったと言って感謝をしなくなる人は、
果たしてミロクの世には入れるでしょうか?

これは、環境問題についてもいえると思います。
「不都合な真実」を私は見ましたが、
そこでアピールされていたのは現界的な対策ばかりです。
われわれはもっと霊的な対策を立てねばならないのですが、
では、現界的対策はどうでもいいかというとそうはならないと思います。
確かに来るべき大天変地異は七度目の、人類最後の天の岩戸開きで、
人知人力ではもうどうしようもないところにきています。
神・幽・現三界にわたる大建て替えなのですから、
現界を人間が変えようというのは不可能でしょう。

だからと言って、人知人力での環境対策は無駄だとかたずけて傍観し、
関心を示さないのも違うと思います。

今、現界に生かさせて頂いている以上、
与えられた人知で最大限の環境浄化に努力する、
そういう努力のない人はやはりミロクの世には入れないでしょう。

「もうすぐ天変地異が来るんなら、勉強なんかしたって小がない」と、
学生が学業を放棄するのは間違っていると思いますし、
先祖供養も環境問題も同じことだと思います。
コメントありがとうございます。
前レスは、なんだか攻撃的な感じがして、大神さまが直接おっしゃるならともかく、私がRabitanさんに言うことではないなと感じましたので、一度削除させていただきました。<(_ _)>

私の今の内面状況としましては、最後の審判のときにいます。
『消滅か真釣りか、二つに一つ』
だから、内側にご先祖様や神々様を感じていても、
「あんたら大神さまに帰依するのか、消滅するのかどっちやねん!」
と、問い詰めている状況なので、私の内面性が出てしまいました。
私の中で、もはや輪廻転生が無いのです。いわゆる霊界もありません。

私一人だけではなく、全員が全員帰依して、一如に感謝できなければ、【一切が喜び】という状態にはならないでしょう。バラバラではダメなのです。ご先祖様に感謝するのではなく、ご先祖様が懺悔して感謝するのです。元つ真釣りにです。感謝の対象は、もはや大神さまだけ。無から有を生み出せる方。そこに全員、無数にいる存在が、一如に感謝できるようにならないと、私に平安はありません。

なんだかうまく言えないのですけど、ご先祖様はもはや祈りの対象ではないのです。自分の責任としてまつろわせないといけない、厄介な存在。それだけ大神さまとの隔たり、ミロクの響きとの隔たりがあり、肉体を持っている私は、その全責任を負っているのです。

いや、これはちょっと説明するのが難しい。

Rabitanさんは、Rabitanさんでいいと思うのですが・・・

私はご先祖様に幽界にいられては困ります・・・
【幽界】の響きの、責任を取らされているから。
結局【幽界の響き】が残っていると、いい現実も創造できません。
そこまで切羽詰った状況だということです <(_ _)>
シュバンさん
ん〜〜、確かに難しい。

感謝の対象はもはや大神さまだけということですが、
私は、すべての人は神の子であり、神の分けみ魂を頂いている以上、
互いに感謝し合い、愛し合い、拝(おろが)み合うべき存在だと思っています。

もちろん、ご先祖様はもともと「祈りの対象」ではないでしょう。
祈るのは神様に対してで、
ご先祖さまは祈るために祀っているのではなく、
日々の感謝を申し上げ、また神経綸を現界にいる私どもがお伝えして差し上げる、
そういう意味もあると思います。
ご先祖様の中には今、守護霊になって下さっている方もいらっしゃるのですから、
やはり感謝を申し上げるべきだと私は思っています。

幽界に行ってしまったら、
なかなかそういうことを聞くチャンスはないようですから。

ただ、あまりそれを「自分の責任」とまで背負い込んではいません。
今、いちばん大切なのは、やはり個々の身魂磨きと精進しかないのではないでしょうか。
現界にいる我われの精進によって、ご先祖さまも救われていくのだと思います。
他にかまっている暇があったら(この「他」にはご先祖様も含まれます)
自分のお借金を返済して魂を磨き、神性化せよ、
そうすることで自ずと人を導く力も出て、人を救える己へと昇華していく、
そういう図式ではないでしょうか?
あぁ・・・なるほど〜・・・・

Rabitanさん、私がここで言わんとしている【先祖供養】は、【そういう図式】を前提としていないのです。Rabitanさんがおっしゃっている【先祖供養】と、私の言いたい【先祖供養】では、文字が同じでも内容が違います。表と裏くらいに違います。お互いが逆様です。よって【感謝】という言葉の意味も、そのように違っています。

Rabitanさん、私はRabitanさんとの議論に勝とうとは思いません。できるだけ共感することを探したいと思います。が、私が経験から語っていることと、Rabitanさんが図式としている霊界観では、おのずと違ってきます。お互いが逆様同士のようです。今回のことで、たとえRabitanさまとのご縁が切れるとしても、このことはハッキリ表明しておかなければならないことのように感じます。以下、述べるコト、お許しください。

【霊界】を前提として、輪廻転生があるというポジションは、あくまでも【岩戸内宇宙】だけで【是】とされる図式、前提です。その中でRabitanさんがおっしゃったように【霊界の掟】という正しさがあると思うのですが、その正しさも、岩戸内だけで通用する正しさに見えます。この霊界と輪廻転生を前提とした正しさ、これは私、以前大きな宗教団体にいたときに学び、それが正しいものだと、何の疑いも無く信じ、人にも伝えていました。

が、しかし・・・
私が経験しつつあるのはそこから先だと理解しています。個人的な経験として、『岩戸が開きつつある』ということなのです。その経験の過程でRabitanさんがおっしゃっているような前提は、足元から崩壊してゆきます。そしてその崩壊とともに、【正しい】と思っていたことと、丁度逆様のことが起きます。総てが一つに収束してゆき、全存在の身魂責任が、肉体を持った【自分】に流れ込んできます。私はわざわざ背負い込んでいるのではありません。霊界を前提としているということは、本当の責任を問われず、【自分は正しい】というあやま知鳴る自己観の元、転生を繰り返しているのです。

霊界があり、輪廻転生があるということは、本当の身魂責任の観点からすると、【正しくない】のです。それをやっていること自体、全員が全員、大神さまの【掟】を破った大犯罪人です。【掟】の観点も逆様です。これは長谷本の『真のヒトになるための生き方』で語られている内容ではないかと思うのですが、私も完全に岩戸開き状態ではないので、長谷さんのように自信を持って断言することはできません。

しかし、上記のご神示のように
【一切が自分であるためぞ】
という感覚を、本当に自分のこととして感じるためには、Rabitanさんが前提としている霊界観が崩壊して、個人的に岩戸が開いた状態にならないと判らないと思います。そうなると、一切が、総ての総てが逆様になってしまうのです。

うーむ、やっぱり【教え】と【道】は同居できないのでしょうか。

この【教えと道】の違いに関しましては、ひふみ神示に度々出てくるテーマなので、あとでまとめてみようと思います。

とにかくですね、【一切は自分】であり、責任がかかってきます。
それゆえにイエス・キリストが十字架にかかったのだと思います。
私はこの十字架体験を、実際にやっているのです。
ひふみ神示の道は、キリストになる道。経験です・・・

うーむ、なんとも心苦しいのですが・・・
表明だけは、書いておこうと思います。

失礼いたしました <(_ _)>
シュバンさん、有り難うございます。

私もシュバンさんと議論するつもりはありませんし、
議論からは何も生まれないというのが私の持論です。
それよりも、シュバンさんの今回のご意見を拝読して、
なるほどなあと思った部分が多々あります。

確かに、以前の私ならがむしゃらに
いわゆる「自説」を押し付けていたでしょう。
その癖はなかなか直らないのですが、少なくとも長谷本に接してからは、
少しは変わってきていると思います。

で、私もシュバンさんの書きこみにいろいろレスしてきたのは、
共感を得たい、共通点を認識したいということが主でした。
シュバンさんは「逆様」とおっしゃいますけど、
私はまだ互いに発見していない隠れた「共通認識」があるような気がします。
何ゆえそこまで「逆様」なのか、そこへんが今ひとつ引っかかります。
私も、今までの世の中、
逆法の世の中が何から何まで逆様だと考えているのですから、
同じように逆様を感じるもの同士がまた逆様というのは……???

もはや今後は輪廻転生はなくなり、
神・幽・現三界にわたる大ひっくり返しが間もなく行われる、
幽界も消滅する、人類最後の天の岩戸が開かれる、
それらのことを認識する時に、私とて、
いつまでも従来の霊界にとらわれている私ではありません。

ただ、もっともっと、シュバンさんの厳しいご意見をお伺いしたい、
とらわれていないつもりでもとらわれている自分を、発見したいと思っています。

今、私の最大の弱点は、神理が頭にあって、
まだまだ腹に入っていないということです。
身、口、体の三位一体の行が、
今の自分にいちばんの課題だと思っています。

決してシュバンさんに依存するわけではありませんが、
今後ともいろいろお考え、ご体験をお聞かせ下さい。

「縁が切れる」などということは、二度とおっしゃらないで下さい。

真に有り難うございました。
それと、こういう文章もあります。

<霊界人の解放>
*******************************************************
今回の地球創生に向けて、数え切れない多くの霊界人が救いの道を求めて地上世界に滝の様に降り始めているのですが、自らの子孫達、または似た遺伝子を有する地上人を通さなければ救いの道は開かれず、しかし子孫達に先祖への自覚が薄い為に、先祖達は浮遊せざるを得ない状況に陥り、必死に救いを求めて他の地上人に憑依する事も多々あるのが現状の様です。

此処で霊界人に向かってはっきりと宣言すべき事は、「あなた方霊界人の救いは、あなた方の子孫を地球創生の道へと導くために、人類誰もが例外無く神性を宿す神の子であるという気付きを子孫達に与え、その神性を光輝かせる道へと協助する事が、地上人のカルマ解消への道であり、それは即あなた方先祖のカルマ解放への条件であり、その原則を超えては霊界人達の救いの道は無いと言う事であります。」

「人類は宇宙本源の神の神性を宿す神の子として創造されている。」という事への認識を回復する事がカルマ解消への道であり、そのために真の愛を自ら実践して行く、愛の主体者と成る事が重要です。逆に言えば、私達は先祖のカルマの集約体でもありますから、私達のカルマを解消する事は即ち先祖のカルマそのものを清算する道でもあり、誰もが先祖を解放する責任ある立場にあると言う事です。

カルマは避ければ避けるほど重くなり、逃げる事の出来ない宿命であり、また決して他力だけで救われる事は無いということであり、自らの救いはあなたの親なる守護神の導きと先祖の守護霊達の協助によって、あなた自らの努力によって愛の主体者=神の子となる事でありましょう。

感謝合掌

【霊界人の解放について】byフランシスコ・ガブリエル
http://blog.livedoor.jp/fransisco/archives/50434176.html
*******************************************************
これは、私の考えとRabitanさんがおっしゃったことと、ミックスしたような文章になっているかもしれません。
ご先祖様等の霊界人様方は、【肉体】を通してしかカルマ解消が出来ないのです。なぜなら、カルマと言うのは、肉体次元で、この三次元世界を縁として発生したものだからです。それゆえ今の時代、【天意転換】がもう霊界で始まっている時代には、霊界人様方の危急の要請が、肉体を持った我々に迫ってきているのです。
これは直接【肉体】にかかってきている想念であり、そのために私たちはカルマ解消のための現実を創造し、【苦】を体験しています。それを責任転嫁せず、たとえご先祖様の分であろうと、【自分の分だ】としっかりハラに納め、日々精進することが肝要です。自分のカルマ解消が、即霊界人様方の救いになるのです。決し別々ではありません。全部一つです。
しかしそのなかでも、過去の宗教のように、誰かが一人で全部背負い込むと言うのは間違いでありましょう。それこそその一人とか救世主に背負い込ませる【責任転嫁】になるからです。もうそのような宗教の時代は終わりました。みんながみんな自分だけの責任を果たし、自分の救世主になる時代です。それが即ご先祖様、過去世の霊人様、はたまた神々様までの救済に繋がってゆくのですから、守護とか共助とかが必然、当然になってくるのです。こちらから霊人さま方に教えてあげなければならないことも、多々あるでしょう。
そんな中で、神の子としての、本当の真釣りとは何か、
本来創られた最初の創造の源とはどこか・・・
あくまでも個人体験として、どこまでも追求してゆくことが大事と心得ます。

皆さん、真摯なご意見、いつもありがとう御座います。 <(_ _)>
シュバンさん
17番のレスでは本当に痛い所を突かれました。
自分では頭で分かっているのに今ひとつ腹に入らず、
それが悩みの種となっている部分をしっかりと指摘して下さいましたね。
耳が痛かったですが、今後ともよろしくお願いします。

なお、21番の書きこみは、私とシュバンさんの考えをミックスといわれてますが、
私は全くその通りだと思いますし、
これがそのまま100%私の考えといってもいいくらいです。
あ、よかったです、共感できて (^-^)

ただ、20番を書いた方は、『ヤーヴェ』を主宰神としてらしゃるのです。その世界での理想、【エデンの園】は、長谷情報的に言うとまだ【中津】の世界だそうで、今だ岩戸の中・・・そういう注釈が要ります。長谷氏はそのもっと外側にいらっしゃるらしい・・・。

ま、自分の創っている現実、足場の【あ】から歩んでゆくしかないので、共通認識が立ちました、21番から歩んでゆくことに致しましょう。

よろしゅうお願い申し上げます <(_ _)>
お盆週間に突入しましたので、アゲでつ。。グッド(上向き矢印)

*******************************************************
そなたらの周りには、そなたがこれまで生まれ変わって
出逢って来ておる方々ばかり 姿形変えて再び引き寄せて
おるのじゃから、不足申さずみなに感謝致されよ。
因縁ある御魂ばかり引き合わせて改心させて、共に弥栄える
御仕組みでありますぞ。 神々様、守護霊殿、
みなみな大層御苦労でありますのじゃから
皆々様に御礼申し、共に歩まれてくだされよ。
うれしうれしと何処までも何処までも共に歩まれますぞ。

どうしてこのような状況になって居るかと申すならば、
因縁あるからじゃと申す。 そなたと相手との因縁、
そなたと人々との因縁、そなたと国の因縁、
そなたと動物たちとの因縁そなたと地との因縁、
みなみな因縁あるが故に 現れておるのじゃから、
他を悪く申すでないぞ。 新しい因縁生み巡るぞ、
メグリとなりますから気付けてくだされよ。

肩に付くぞ。重くなるぞ。体が痛むぞ。
家族の不幸もみなみな因縁からじゃ。共に浄化致されねばならんぞ。
家族の因縁、国の因縁、世界の因縁、これ一人が背負うことありますぞ。
みなの為、生きるとはそのことでもあるから、覚悟致せよ。
それ出来るもの、神人と申す。神人、世界中に溢れて来るぞ。
喜んで、身魂お使い下さいませと現れてくるぞ。
使われるには、それ相応に掃除洗濯必要でありますのじゃから、
綺麗さっぱりお迎えくだされよ。

一人で千人分の、万人分の因縁、背負うことあるから貴き御役目じゃ。
誰に判らんとも身魂捧げる人民、みなみな神人となるから
みなみな、あなさやけあなすがすがしあっぱれな見事な御霊じゃ。
天晴れ末代名残しうれしうれしと御光となりますぞ。
みなみな、我、まだまだ小さいのう。
もっと大きくこの方となりて下されよ。

2006年12月3日 天の日月の神 艮の金神 愛歌う
*******************************************************
 日月地神示 『の』の巻  画像提供、『よしあき』さん
結局ね、このトピックで私が申したいのは、上記の日月地神示に顕われになっている内容ではないかと思います。

『因縁を背負う』ということ・・・
私の観察では、これを無意識にやっている人がいるように感じます。

★神社・仏閣がなぜだか好きで、一通り廻ったあと、神示に出会った人。
 内面的に悶々とする期間も体験され、それが『背負う』ということかも。

★精神疾患や、呼吸器疾患を、家族を代表してやっている人。
 長男・長女に顕われていることが多いが、実は背負っているのでは??

このように、社会的に不遇であっても、お隠れになっていても、貴いご神業をされている方というのは、結構たくさんいるのではないかと思うのです。このコミュでは、そのような方々を大切に尊重したいと思います。そして『因縁』ということをもっとハッキリ意識されて、大神さまの子と光輝を十分に発揮されてゆくことを、深く希望します。

アセンション、天意転換の時代、次の世には『因縁のメグリ』を残すと云うわけにはゆかないのです。それぞれの方がそれぞれの【分】を背負っています。その大きな流れをかんがみて、神人への道を、惟神の道を歩まれますよう、お祈り申し上げます。

大神さま、一切を祓いましませ・・
喜び、弥栄ましませ。。
元つ御国が、来ますように。。 合掌
日本晴れさんが『幽界と神界』トピにカキコされた内容です。<(_ _)>

<ご先祖様の開運を祈る>
******************************************************
幽界が・・神界とつながってないのは20年前に知りました。
人間界はつながってる・・だから憑依されたりするんだって・

そして魂は今回で転生最後っていうのもわかってた。。
だからこそ その魂たちが 転生されないのをわかってるから
人間界に憑依したり、いろいろ救われたくて来ているんだと言うことも・・

私の わかってからの20年はそれを何とかしようとする
戦いだった気がします。
私のやってきたことはそれに尽きます・・

いつも人のご相談を受け付けるたびに
霊たちが、私はその霊たちを助けるノウハウを持っているから
つながってくるんだなって 感じて
涙が出そうなことが何回もありました。必死さがね

今は 神社に開運を祈りに行く・・ということを
お話しするのですががんばる人。。辞めちゃう人いろいろです
レイキや気で波動をあげる・・光で包んで天上に上げる
ということも彼らを霊を上げてあげるひとつです。
それで彼らは光の中に吸い込まれていきます。

大体半年から一年 神社に開運を祈りに行けば
先祖も開運しますよ。祝詞も含めてですが
もちろん 浄霊してもらってもいいのですが・・
私はともかく 浄霊は対価があるでしょ

私たちは先祖の代表です。
催眠療法してると つくづく思います。
先祖は私たちの前世でもあったのだな・・と
だから祓いきらないといけないのですよ

先祖の代表として 恥ずかしくない生き方をしよう
そして先祖の代表として 彼らを浄化する役割が
私たちにあるのだということなんです。

私の催眠のセッションでは、霊が降りてきます。
降霊でもあるからです。

そこで傷つき苦しんでいる先祖を またそれに憑依してる人を
あげることにもなります。
だから いつも思っていました。霊も大変だなって。。

今大阪に来て 知名度が低いので催眠も減りましたが
札幌にいるときは1日三人四人とか
お客様がお見えになったものです。

霊はちゃんとわかっています。
だから 催眠に見えるときも準備してくるんですよ^^

レイキの時もそうですね
何日って決まると もう一週間前くらいから
そわそわと待っておいでです。

行くと 必死の目で 私を見ます。
いつもわかったよって・・言ってあげます。

現実に霊と付き合わなくてはいけない私なので
大変ですが、それが使命みたいですね^^
******************************************************

写真は『千葉寺』で咲いていた彼岸花。
千葉氏信仰、十一面観音さまの総本山です。
浄化と救済の現場で臨床的にがんばる方のお言葉、
ご経験に基づいているだけに重いですね。

私どもは『肉体を持っている』ということがどういうことなのか、
常日頃から深く自覚することが、結局は自分自身の癒しに
繋がるものなのだと私は考えます。

これを機に、このコミュメンバーの方々には、
『代表選手』としての自覚が深まることを、
この場をお借りしまして、強く記念させていただきます。。

<(_ _)><(_ _)>
そうそう、戦ってやっつけるような祓いじゃ意味ありませんよね。どうしてそれが憑いていたのかという原因探求や改心に繋がらないからです。
やたらやっつけたがっている人には気をつけましょう。

ひふみで言うところの『霊界』は、地震の巻とかに詳しくて、岡本天明氏も別途研究論文を書かれているようですが、ネガティブな意味での幽界や霊かかりと言った言葉と区別を付けづらい感じがします。
まそれも追々ね。
Rabitanさんにもサボートしてもらいながら。

よろしくお願いいたしますよ。(*^_^*)!

これは関連あるでしょうか・・・

<地上で生きる人間の責任>
*************************************************************
 どんな人間にとっても、同じ種類の遺伝子を持つ限り、人間という種のすべての過去は十字架である。単純に考えても、歴史的にいま生きている人間が、征服者、殺戮者、強姦者の遺伝子をより多く受け継いでいることはあきらかではないか。生き残ったものは、その十字架を共有している。短い歴史を見て、民族が違う、肌の色が違うといったところで、報復の連鎖がはじまるにすぎない。
 生き残ったものの方が、責任が重いということである。未来に対して、責任があるということである。過去と同じあやまちを、次の世代にも、さらにその次の世代にも循環させ続けるのかということが問われるのだ。その意味で、ほんらい人間は、生まれ変わる必要もない。生きて、考えられる身体がある間しか、精神世界の上層にコンタクトすることができないのだから。
*************************************************************
はい、お盆です。お墓参りに行くのが面倒なので、
このトピでご先祖様を【うれし】にしてしまいましょう揺れるハート

父方のご先祖様(シュバン:初澤高太郎の場合)
-----------------------------------------------------------
私の血筋?? えーとよくわからないのですが昔【初沢城】という
のがあって、高尾にあった城を守るための出城というのでしょうか、
そういうのが鎌倉末期まであって、そのお城は上杉氏の内戦によって、
負けた側が使っていたので潰れたと言う話。その上杉系子孫が【初沢】
を名乗ったかどうかはいざ知らず、下妻市役所の反対側の公園、
多賀谷城主の家臣として、石碑に【初沢】という名前が残っています。
父によると、『関ヶ原の戦い』で多賀谷が西軍についてしまったため、
多賀谷は元より、家臣・同属は名前も帯刀も許されなくなってしまいました。
でも江戸時代も終わり、やっと姓名を名乗ることがゆるされたと。

この【多賀谷】氏が【坂東平氏】の流れだとすると、平将門に
関係があるんですね。しかも、今でもある本家の家は、
将門とおじさんたちが散々血を流し合った場所なのでした。
そして子孫たちも分裂したまま、坂東平氏と伊勢平氏として、
源平合戦まで対立のエネルギーは、膨らみ続けるのでした。・・・

左神社は、【大宝八幡宮】(関東では最も古い八幡宮)

この神社は、多賀谷氏がこまめに改修したりしていたみたいですが、
もっと古い話をすると、平将門公が【新皇宣言】をしたところだと、
あとになって、芋づる式にわかってくるわけです・・・
-----------------------------------------------------------
はい、ご先祖様をもっと【うれし】にしたい人は、
このトピックで光上げしていただきましょう。(=^ェ^=)ウマりんごおにぎり
じっくり読ませていただきました顔(願)

何かと無知ゆえ、うまく言葉にはできませんが
来世はない、と言う心境におりますもので
正にタイミングが来たところでしたので胸に響きます

ありがとうございました顔(願)
うん、『次の転生はない!』ということをハラに落としておかないと、

本当の身魂磨き、【火】の洗礼の方は、できかねると思います。

みんな水のお清めばかりして、火で焼いてから流すのだという

順序をわきまえないと、祓いは難しいと思うのです。

大きい宗教団体では、【真光】さんあたりがこれを言っている

と感じますが、他の組織宗教は全部ダメ!!

と、私は体験的に報告することができます。


ところで、天河の写真ありがとうございました。
何か神気が鳥居まで降りてきて、出迎えているような
感じですね、ナイスです。(=^ェ^=)魚
もうこの際、南北朝関係も・・・

<大宝城と南北朝>
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 大宝城は1232年に下野の小山氏一族の下妻長政が城を築いてから、代々下妻氏の居城でした。4代目の政泰は小田城の小田治久、関城の関宗祐、伊佐城の伊達行朝、志築城の益戸国行、駒城の中御門実寛、真壁城の真壁幹重らと共に常陸における南朝方の中心勢力として、小田城に拠る興良親王や北畠親房、春日顕国らを守っていた。1341年に小田城が解放された後は、興良親王や春日顕国を迎え入れ、足利方の高師冬の大軍を迎え撃った。大宝城の北方1km程の所には南北に細長い大宝沼を挟んで関城が有り、船で互いに連絡を取り合いながら2年あまりに渡り攻防戦を繰り広げたが、ついに力つき、城は落城、政泰は自刀して果てた。この時に大宝城を脱出した春日顕国は兵を集め1344年に再び大宝城を奪い返したものの、すぐに捕らえられ斬殺された。
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http://blogs.dion.ne.jp/arf/archives/361221.html
らむう先生が日記の方で『ひふみ神示と先祖』について
書かれていますんで、慎んで引用させていただきます。

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「先祖」についての【ひふみ神示】の神示するその神義は、このような「多時間的自己」と「中今の哲理」にその基軸を置きつつ、さらに、「多空間的自己」さらには、「多次元的自己」への射程を持つものです。

換言すれば、現界における私たちの波「想念の浄化」・「潔斎」は、私という「概念」を「包越」し、「多空間的」・「多時間的」・「多次元的」に「拡大」していくということです。

そこで、「先祖」ということについて【ひふみ神示】をここで検討してみることにします。

クローバー『…今の世は逆様ぢゃ。チャペル先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ。(まるょん) から出て(ちょん)にかへり、無限より出て有限に形し、有限から無限にかへり、又有限に動くのがマコトのやり方であるぞ。マコトの理解者には甘露の水ぞ。』(第28巻・「夏の巻」第2帖)


クローバーチャペル内の自分は神であるが、外の自分はチャペル先祖であるぞ。祖先おろそかにするでないぞ。チャペル先祖まつることは自分をまつることぞ。外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。信じ切るからこそ飛躍するのぢゃぞ。不信に進歩弥栄ないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。まかせ切るからこそ神となるのぢゃ。神に通づるのぢゃ。他力で自力であるぞ。真剣なければ百年たっても同じ所ウヨウヨぢゃ。一歩も進まん。進まんことはおくれていることぞ。真剣なれば失敗してもよいと申してあろうが。省みることによって更に数倍することが得られるのであるぞ。いい加減が一旦成功しても土台ないからウタカタぢゃ。下座の行、大切。』(第27巻・「春の巻」第11帖)

クローバー『未来にもえることが現在に生きることであるぞ。そなたは現在に生きる努力が足らん。夢ばかり追ってゐてはうたかたぢゃ。そなたはチャペル先祖に対する考へ方が間違ってゐるぞ。チャペル先祖はそなたではないか。地下にあるそなたの根がチャペル先祖でないか。根のない草木はすぐ枯れる道理ぢゃ。先祖は家をついだ兄がまつってゐるから、分家した自分はチャペル先祖はまつらいでもよいのぢゃと申して御座るなれど、よく考へて下されよ。根から芽が出て幹となり枝が栄えてゐるのと同様ぞ。枝には根はいらんと申すのと同じような間違ひであるぞ。分家してもチャペル先祖まつらねばならん。チャペル先祖をおろそかにするでないと、気付けてあるでないか。』(第31巻「月光の巻」第42帖 )

この様に、「先祖」ということは、【ひふみ神示】においても、その根本的な哲理に深く関係することなのです。そしてそれは、波「想念の浄化」や波「潔斎」という「メグリ」や「ゴモク」と言った、自己の裡に存在する「負の要素」を積極的に「浄化」する私たちの「行為」へと帰結していきます。

やや欠け月【天と地の結び・橘流写経の集い】コミュニティ

http://mixi.jp/view_community.pl?id=3959425

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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1098989563&owner_id=17790362
お彼岸に際し、写経をしてみました。

左側は19×14の『橘流般若心経』
右側はひたすら『南無阿弥陀佛』

なかなかお墓参りに行けないので、今回は納経してみようと思います。
はい、1年ぶりにこのトピックですが、昨年も『橘流写経』でしたね。
今年も愛知県で2日連続講演がありますので、是非お越しを。

【橘流写経・集中講座2日間】3月21日(日)22日(祝)
http://mixi.jp/view_event.pl?id=51128496&comm_id=263044
ああ、東京道場でも28日(日)に『橘流写経』の中級編集中講座が入りましたね。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=51312169&comm_id=263044

愛知県と東京での集中講座、霊的にとても意味深いと思います。

あのー、今年は65年目なのですよ。
東京・名古屋・大阪等、大都市圏無差別爆撃・・・
そう、B-29による本土爆撃の時期が3月に集中しています。
ワタクシ管理人は、この65年目という節目が気になって仕方ありません。

どうか大都市にお住まいの皆様方、ご慰霊の志を。。。m(__)m
≪B-29戦略爆撃機による絨毯爆撃ーWikipedia≫
http://ja.wikipedia.org/wiki/B-29_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29

1945 年に入り、日本本土空襲の指揮を執っていたヘイウッド・S・ハンセル准将は、アーノルド陸軍航空軍総司令官にその姿勢が消極的と判断され更迭された。指揮権はヨ−ロッパ戦線で実績をあげたカーチス・ルメイ少将に引き継がれた。ルメイは「日本の継戦能力を根本から絶つ」として、爆撃対象を軍事施設だけでなく、焼夷弾を使用して民間施設にも拡大した、このことについては当初「民間人攻撃は国際法に反する」と反対の声があったがこれを押し切って低高度からの夜間無差別絨毯爆撃を開始した。総計14万から17万トン(諸説あり)の爆弾を東京・名古屋・大阪をはじめ、日本各地の都市に対して絨毯的に投下し、主要都市を焦土化した。絨毯といっても、適当にばら撒いたわけではなく、極めて効率よく破壊、殺戮するための手法が執られていた。

すなわち、先鋒部隊が目標一帯の外周に火災の壁(ファイア−・ウオ−ル)を作り、交通を全遮断し住民の避難の手段を断った後に、本隊が内側の市街地を通り過ぎざまに火の海にし、民間人を多数殺傷した。十字爆撃と呼ばれたものである。この実現のために、事前に目標地域を偵察、詳細に分析し、戦闘機並みの高速(富士山上空から東京までわずか10数分で到達)で予定されたコースを正確にトレースし、各機が課せられた予定の地点に爆撃を行った。

上記の通り、軍も抵抗はおろか、有効な察知手段すら持たなかった。焼夷弾攻撃にあたっては、日本家屋のモデルなどを作って、延焼速度等まで徹底的に研究している。この殺戮の手法のため、目標とされた地域の住民には、安全な逃げ場など残らない状況であった。

被弾・故障したB-29の不時着用と護衛戦闘機の基地として硫黄島が選ばれ、アメリカ軍は多大な犠牲を払って日本軍からこの島を奪った。同島までたどり着けないB- 29のために、東京湾近辺に潜水艦が配置されて乗員の救助にあたった。

都市の住民8万人近くが焼死あるいは重傷・罹災等になった東京大空襲や、大阪大空襲は、B-29の重要な戦果とされる。さらに日本各地の港湾・航路に空中投下機雷を散布して海上封鎖を行い、国内航路に大打撃を与えた(飢餓作戦)。特に関門海峡はじめ主要な港湾や海峡に多くの機雷が投下された。当初は数十機編隊で、1機あたり爆弾の搭載量も2〜3トンであったが、1945年になると5〜6トンを搭載するようになり、終戦近い頃にはB-29とそれを護衛する戦闘機の集団約500機で来襲するようになった。

また、アメリカ軍は同年6月以降、爆撃予告ビラを作成し、B-29によって全国32の都市へばら撒いたとされ、約半数の都市を実際に爆撃した。日本国民に向けた声明とB-29が爆撃をする予定の都市を記したもの、爆撃後の日本国民の惨状を文章と絵で示したものなどがあった。
≪日本本土空爆≫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2

あ・・・日月神示が降り始めたのは1944年6月10日であるが、
B-29が日本本土を空爆しはじめたのはその5日後、6月15日
北九州は『八幡』が皮切りである。以後1年以上、原爆投下まで
総死者数50万人ともいわれる・・・

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