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生活保護者の集いコミュの貧困を見せ物に? 炎上した釜ケ崎のPR、背景には何が

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貧日雇い労働者の街として知られる大阪市西成区の「あいりん地区」(通称・釜ケ崎)。大阪市がこの春、釜ケ崎を含む新今宮駅周辺を「新今宮ワンダーランド」と名付けて、地域のイメージ向上や来訪客の増加を目指すPR事業を始めたところ、ネット上で「ホームレスを見せ物にするのか」といった批判が相次ぎ、「炎上」状態となった。

 PR事業を始めた背景には何があるのか。西成区のまちづくりの有識者委員を務め、PR事業に意見を求められたという白波瀬達也・関西学院大学准教授(42)=福祉社会学=と街を歩き、同様に事業へ意見を寄せた地元の人たちに話を聞いた。


【動画】釜ケ崎などの一帯をPRする大阪市の事業「新今宮ワンダーランド」。その現場を歩いた=西田理人撮影
かつてあふれた野宿者は
 6月上旬、大阪市南部の新今宮駅。構内の階段を下りて駅の南側に出ると、雨にぬれた釜ケ崎の街があった。

 身一つでやって来ても、日雇いの仕事があり、簡易宿泊所で安く寝泊まりができる。様々な事情を抱えてたどり着く人たちも懐深く受け入れてきた街だ。1966年、行政によって「あいりん地区」と呼ばれるようになった一方で、釜ケ崎という通称も使われ続けている。

 白波瀬准教授が釜ケ崎の現地調査を始めたのは、2003年。当時の新今宮駅前には「野宿者が暮らすブルーシートの小屋が、びっしりと立ち並んでいました」と振りかえる。

しらはせ・たつや 79年生まれ、奈良県出身。社会学者。関西学院大学人間福祉学部准教授。03年から、釜ケ崎の研究を開始。07〜13年、西成区内の施設でソーシャルワーカーとして活動。18年度から、西成特区構想の有識者委員。著書に「貧困と地域」(中公新書)など。

 バブル崩壊後、建設現場での日雇いの仕事が激減。90年代後半には、野宿者があいりん地区だけで千人に達したというが、いまは小ぎれいなホテルなどが建ち、駅前に当時の面影はない。

 厚生労働省が2000年代に2度の通知を出し、生活保護を受けられるようになった野宿者の多くが、簡易宿泊所を転用した福祉アパートなどに移っていったのだという。

 白波瀬准教授は「野宿者が集まる駅前の光景は注目を集め、盛んに報道もされていました。いまでも当時のイメージが残り、街の変化が世の中に伝わっていない面もあるかもしれません」。

 駅前の車道を南側へ渡ると、地上13階建ての「あいりん総合センター」が目の前にそびえる。日雇いなどの仕事をあっせんする労働施設、医療施設、市営住宅などが集まり、釜ケ崎の象徴とも言われる場所だ。

 70年に開設された建物の耐震性に問題があるとして建て替えが決まり、現在は閉鎖されている。

 建物の周囲には段ボールや廃材などが積み上げられ、「みんなで団結だ!!」と書かれたボードも。軒下で野宿を続けながら、建て替えに反対している人たちもいる。

労働者の街から、福祉の街へ
 建物内に入っていた労働施設「西成労働福祉センター」が、すぐそばの鉄道高架下に仮移転していると聞き、案内してもらった。

 同センターの近くに駐車したワゴン車のフロントガラスに目が留まった。「一般土工 1万円」といった雇用条件が書かれた紙が貼り付けてある。働き手を求める業者の車だ。

 同センターは、業者の求人情報を取りまとめて、日雇い(現金)の求人の場合は、月〜土曜の午前5時から労働者に紹介している。労働者は電光掲示板の表示で条件の合う仕事を見つけ、車で乗りつけている業者と話がまとまれば、すぐに働きに出られる仕組みだ。

 雨が降り続くこの日、センターの中には、床に横になって休む中高年の男性たちの姿が目立った。

 白波瀬准教授は「釜ケ崎は高度成長期からバブル期まで、日本経済に欠かせない労働力の供給地でした。大阪万博の会場や瀬戸大橋の建設で活躍したのも、日雇い労働者たちです。ただ、労働力を送り出す役割は以前に比べると小さくなっています」と説明する。

 同センターによると、日雇い(現金)求人の年間累計は、バブル期の89年にはピークの約187万人を記録したが、90年代後半には100万人を割り込むようになり、19年には約25万人にまで減少した。

 背景には求人方法の多様化や、労働者たちの高齢化があるという。

 センターを出て釜ケ崎の中心部を歩くと、「福祉の方歓迎します」といった看板を掲げたアパートが目に入る。高齢化で生活保護を受給する労働者が増加。それを受けて、労働者向けの簡易宿泊所を、生活保護受給者向けのアパートに転用する例が目立つという。

 白波瀬准教授は「かつては日雇いの仕事を求めて来る人が目立ちましたが、いまは主に支援を要する人たちが街に流入しています。釜ケ崎は『労働者の街』から『福祉の街』に変わったとも言われます」。

 生活保護の受給(保護)率は、西成区が23・00%(19年度平均)。そのうち、あいりん地区は約40%に達する。全国平均の1・64%、大阪市の4・95%(いずれも20年3月)と比べて高い水準が続く。

「踏み込んだPR」
 こうした状況を打開しようと、大阪市は13年度から、住民や地域団体などとも連携して、まちづくりに取り組む「西成特区構想」を本格化。白波瀬准教授はセーフティーネットの強化を目指す立場で、18年度から有識者委員を務める。

 簡易宿泊所や福祉アパートの前を通ると、大量の自転車が、ずらり整然と並べられていることに気がつく。これもまちづくりの取り組みの一つ。労働者たちを清掃作業に雇い、ごみ拾いなど街の美化に力を入れているのだという。そのおかげもあってか、街を歩いていても、かつて釜ケ崎の特徴とされた「独特のにおい」は感じられない。

 そんな街区を行くうち、簡易宿泊所の窓ガラスにポップな絵柄のポスターが貼ってあるのが目に入った。こんなコピーが添えられている。

 「来たらだいたい、なんとかなる。新今宮ワンダーランド」

 西成特区構想の一環として、釜ケ崎、新世界を含む新今宮駅周辺のイメージ向上や、観光客を含む来訪者の増加を狙う大阪市のPR事業だ。

 昨年度、事業を委託された電通関西支社は「新今宮ワンダーランド」と銘打ったPRを企画。今春からウェブサイトなどで、街の歴史やグルメ、「絵になる街歩きコース」といった散策ルートの発信を始めた。

 だが、釜ケ崎をインスタ映えする「観光地」として扱うようにも見える内容。いまも困窮者が多く暮らす街だけに、ネット上には「貧困を見せ物にするのか」「(観光資源としての)搾取では」などと懸念する意見が相次いだ。

 こうした批判の声が上がったことについて、西成区役所総務課は「街のマイナスのイメージをまずゼロに戻そうと、踏み込んだPRになった。困窮者の支援の側面も盛り込んだが、行政が発信する難しさを改めて感じた」。

 地域の人たちはどう見ているのか。

「来れば選択肢が増えるのに」
 「批判には納得がいかないところもあります」

 そう話すのは、NPO法人「釜ケ崎支援機構」の主任相談員、小林大悟さん(34)。釜ケ崎の東側にあり、簡易宿泊所が集まる太子地区の事務所を拠点に、生活保護受給者の生活相談に乗ったり、人とのつながりづくりを手伝ったり。一人ひとりの事情に合わせた自立の手助けをしている。

 小林さんは西成生まれ。地元を知る若手の一人として、電通の担当者から発表前の「新今宮ワンダーランド」について意見を求められ、「(インスタ)映(ば)えしか考えていないのでは」と指摘した。困窮者を支援してきた地域の歴史を盛り込むよう求め、企画に反映されたという。

 小林さんは地域をPRすること自体には賛成で、「西成、釜ケ崎の印象を変えたい」と声に力が入る。

 「雇い止めの派遣労働者やネットカフェ難民など、支援を必要とする人は多様化しています。ここに来れば選択肢が増えるのに、怖い場所だと思い込んで来られない人たちがいるんです」

 その日の必要を満たす炊き出しや、一夜を過ごせるシェルター。さらに、日雇いに限らない就労につなげる相談支援など、釜ケ崎には官民による様々なサービスが集まっている。

 白波瀬准教授は「釜ケ崎はある意味、貧困が可視化された地域です。そのため地域の運動によって、困窮した人を支える『社会資源』がつくり上げられてきた歴史があります」。

 西成特区構想では、こうした「社会的包摂力」と、アクセスのよさという「地の利」をダブルエンジンにしたまちづくりが進められつつあるのだという。

「取り組み次第で、街は変わる」
 小林さんの事務所を出て太子地区を歩くと、荷物預かりサービスの店が目に入った。看板には「1day L・SIZE ¥150」。元は労働者が遠くの現場に入る際に利用する店だったが、近年、釜ケ崎に急増したインバウンドの観光客のスーツケースも預かるようになった。

 関西空港から新今宮駅へは、南海電鉄の特急で早ければ約30分。同駅はJR西日本も乗り入れ、10年後には新路線「なにわ筋線」も開通予定。「大阪ミナミの新たな玄関口」として注目されている。

 そんな新今宮駅を中心としたエリアをPRする「新今宮ワンダーランド」には、南側の釜ケ崎だけでなく、北側にある通天閣がランドマークの下町、新世界(浪速区)も含まれる。

 釜ケ崎と新世界は、目と鼻の先。JR西日本の列車が通る高架をくぐるとすぐ、てっぺんが雨に煙った通天閣が見えてきた。

 大阪府への訪日外国人は19年、過去最多の1231万人を記録した。多くの旅行者でにぎわった新世界はコロナ禍のいま、ほとんど人通りが絶えた状態だ。

 17年からゲストハウス「HOME HOSTEL OSAKA」を経営する朝倉優さん(35)を訪ねた。新世界生まれの朝倉さんも、「新今宮ワンダーランド」に意見を求められた一人だ。

 「海外からの旅行者は宿泊サイトでまずエリアを選んで、ホテルを決めます。新世界だけでなく、釜ケ崎も含むエリア全体を盛り上げることが大事です」

 ゲストハウスは昨年4月から臨時休業中だが、コロナ後には、釜ケ崎の関係者とも相談して、ガイドツアーを企画したいという。「そこに住む人たちの取り組み次第で、街は変わっていくはずです」

 白波瀬准教授は「釜ケ崎と新世界は隣接していても、交流は活発ではありませんでした。若手を中心に、お互いを知り合っていこうとする動きが進みつつあるようです」。

 新世界の南端、大阪名物の串カツ店などが並ぶジャンジャン横丁を通り抜けて、再び釜ケ崎側へ。「ディープ大阪ストリート」と書いたのぼりがあがる商店街「飛田本通商店街」にあるカフェに入った。

「役割持つこと、生きる証しに」
 木のぬくもりが感じられる店内には、詩を書き付けた書などが飾られている。その多くが元日雇い労働者たちの作品だ。

 「喫茶店のふりをしながら、釜ケ崎のおじさんたちと表現できる場をつくっています」

 そう話すのは、NPO法人「こえとことばとこころの部屋」(ココルーム)代表の上田假奈代(かなよ)さん(51)。釜ケ崎を拠点に、詩や哲学、アートなどの講座を年200回ほど開いている。

 受講する元日雇い労働者の多くは、年をとり生活保護を受けるようになった人たち。部屋にこもりがちで、孤独の問題を抱える人も少なくないという。

 白波瀬准教授は「高度成長期に日雇い労働者を集めた政策もあり、釜ケ崎の住民の多くは単身の高齢男性です。様々な事情を抱えてたどり着く人が多く、お互いの私生活には立ち入らない。そうした匿名性の高さも、孤立の要因となっています」と解説する。

 上田さんは16年から、「旅人と釜ケ崎のおじさんが出会う場」として、ゲストハウスの運営も始めた。地域に開放している1階のカフェは、ふらりやって来る「おじさん」たちと、国内外の旅行者たちの交流の場にもなっているという。

 「おじさんが旅行者の若者を励ます姿をよく見ます。苦労を生きてきた人たちなので優しいんですね。役割を持つことが、生きている証しにもなるのでは」

 このカフェは、電通の呼びかけで地元の商店主や地域の関係者らが集まり、企画段階だったPR事業について、意見を述べ合う会議が開かれた場所でもある。

 その後、電通がまとめた「新今宮ワンダーランド」が批判を浴びたことに、上田さんは「地元と丁寧なコミュニケーションも必要だった。外部にPRを委託する前に、行政と地元がもっと話し合えていたらよかったのに」と困惑する。

 ただ、善意からとみられる「釜ケ崎を変えるべきではない」「PRなど必要ない」といった批判に対しては、上田さんは「貧しいまま、孤独なままでいろ、とも聞こえてしまいます。地域への偏見も残っています。変わるなというのは、違うのでは」。

進む再開発、居場所失う恐れも
 上田さんの案内で、3階建ての屋上に上がると、釜ケ崎の周囲の街が一望できた。東の方角には、上層階が雨雲に包まれたあべのハルカス、その手前には天王寺動物園。北の方角には繁華街の難波、通天閣がある新世界。新今宮駅の北側には、建設中の星野リゾートの大型ホテルも見える。

 たしかに観光の拠点として、これほど恵まれた立地も珍しい。

 白波瀬准教授は「すでに民間の土地取引は活発になっています。ただ、再開発には気をつけるべき側面もあります」と言う。

 再開発によって地価や家賃が上昇したり、街の雰囲気が変わって居づらくなったりして、元々住んでいた人たちが街を追われてしまう。米ニューヨークをはじめ、世界の都市で確認されている現象で、「ジェントリフィケーション」と呼ばれるのだという。

 釜ケ崎についても、再開発によって居場所を失う人たちが出ることを懸念する声がある一方、ホテルの進出でベッドメイキングの仕事が生まれるなど、雇用の機会が増えるという意見もある。

 白波瀬准教授は「困窮者をしっかりと受け止めることは重要ですが、同時に自立を促す出口づくりも必要。そのためにも街の活性化を困窮者の雇用につなげる視点が大切です」と指摘する。

 「弱い立場の人を誰も排除せず、街にどうにぎわいを呼び込むか。難題ですが、行政と住民、地域団体などが立場を超えて協力していくしかありません」

 後日もう一度、街を歩き、住人たちに声をかけた。

 「なんとかランドは聞いたことがある」と生活保護を受けている70代女性。高齢で旅館の仲居の仕事が続けられなくなったという。「観光客が来るのはいいけれど、カメラは向けないで。事情があって、ここにいる人もいるから」

 二十数年前に釜ケ崎に来た元日雇い労働者で、いまは生活保護を受けている50代男性は「働きたいけど、現金(日払い)の仕事はほとんどない。観光客が増えたら、おれらにできる仕事も本当に増えるのだろうか」。(上原佳久、西田理人)

「人情のまち」売りにされる一方で
 渡辺拓也・大阪市立大学都市文化研究センター研究員(労働社会学)の話 労働者のため、困っている人のためと言って「まちづくり」が進む中で、実際に何が起きてきたのかを見る必要がある。この間に地域内では、路上生活を送る人に対する大規模な強制排除が2度も行われている(2016年の花園公園、19年のあいりん総合センター)。就労支援や居場所づくりといった社会的包摂への道を用意するだけでなく、野宿しながら生きる権利が同時に守られなければ、用意された選択肢に従わない人たちの排除を結果的に強化してしまうのが実情ではないか。「人情のまち」が売りにされる一方で、路上生活を送る人たちは置き去りにされている。これでは、このまちに関わる人たちがジェントリフィケーションに抗しているとはとても言えない。

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