ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュの「甘えるには勇気がいる」 娘が自死、私は未遂…マリーさんの心の音

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
https://digital.asahi.com/articles/ASR3Z7607Q8SPIHB016.html?linkType=article&id=ASR3Z7607Q8SPIHB016&ref=commentplus_mail_top_20230408&comment_id=13368#expertsComments

A-stories 追い詰められる女性たち
 前向きだけど、空回り。

 人生46年を振り返って、「へこたれマリー」と名乗る。読書が好きで、夏目漱石の「吾輩は猫である」の一節「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」に癒やされる。「昔の人も同じこと感じてたんだと思える。今に始まったことじゃないんだなって」

 大阪府内に住むマリーは、父や夫の暴力から逃げ、3人の子どもを育て、32歳で定時制高校に入学して学び直した。

 一昨年7月、長女(当時23)が自宅で倒れているのを見つけた。薬の大量服用だった。入院して14日後に亡くなった。

 「私の心の傷をもっと見てほしい」

 生前、長女は母や兄弟にそんなことを話していた。

 長女は風俗で生計を立てていた。

 コロナ禍で仕事がなくなり、7万円ほどの携帯料金を支払えずに焦っていた。飲食業で働く長男(27)に相談したが、長男もコロナで苦境に陥っていた。携帯料金を滞納し、仕事探しもできなくなった。

 コロナ禍1年目。家を出て独立する方がいいのか、長女は悩んでいた。

 「私、頑張る。でも、しんどい」

 コロナ禍2年目。一家が集合住宅の1階に引っ越した際は「ママとラジオ体操をする」「庭にヒマワリの種をまきたい」と、支援者に前向きな姿勢を見せていた。だが、家の中では「生きててもおもしろくない。未来に希望がない」とつぶやいた。

 一人娘が天国に旅立ち、母を心配した次男(21)が同居してくれた。その4カ月後、今度は母が、亡くなった長女のもとへ行こうとした。マリーが自宅で倒れているのを次男が見つけた。

ここから続き
 マリーは1カ月間の入院を経て、自宅に戻った。

貧困、虐待、学び直し…過去の自慢はある
 過去のつらい記憶ばかりが浮かんだ。

 父との2人暮らしで、暴力を受けて育った。大阪、神奈川、長崎などを転々とした。食事を満足に与えられることはなく、中学時代はほおがこけたマリーを、「今食べられるだけ食べて」と美術教員がファミレスに連れ出してくれた。父は、マリーの高校進学を勧めてくれた教員にすごみ、話は立ち消えとなった。

 中学卒業後、大阪府内の飲食店で夜、働き始めた。3歳年上の男性客と出会い、妊娠した。結婚し、夫が住む和歌山県へ移り住んだ。

 望まない性行為、子どもへの暴力と長時間の説教、マリー名義での借金の強要。マリーは、自分に落ち度があると思い込んだ。プチ家出を繰り返したが、「俺、変わるから」と懇願され、その都度戻った。

 目覚めたのは、小学5年だった長女が「家に帰りたくない」と学校で泣いた時だ。子ども3人を連れ、中学時代の知人を頼って大阪へ逃げた。全ての荷物を持ちきれず、長女はクリスマスプレゼントでもらったおもちゃ「シルバニアファミリー」のセットを置いてきた。「あれ、私のやのに」。長女は何度も後悔していた。

 マリーは生活保護を受けた。

 「みんなの税金で成り立っている制度だから、すぐ働くように」「その辺の喫茶店でバイト募集していないか聞いてみたら」

 生活保護のケースワーカーから、そんな助言を役所で受けた記憶がある。「あれもこれも1人でやらないといけない時期に、ゆっくり子育てしてくださいという感じではなかった」。飛び込み面接は恥ずかしいから、求人広告をチェックした。スーパーの裏方やパチンコ店の清掃仕事にも就いたが、収入が増えず、「中卒」の限界を感じた。

 32歳で定時制高校に入学。夕方まで職業訓練でパソコンを学び、日が暮れると10代の仲間と机を並べた。赤点はなかった。50メートルを9秒台で走り、文化祭は子連れで参加。どこに行くのにも自転車をこいだ。腹筋が割れた。ちょっとした過去の自慢だ。

 帰宅後は長男に方程式を教えてもらった。きゃっきゃと笑い声が響く暮らし。年下の同級生の彼氏もできた。

心の傷に絆創膏はらぬまま 現れたほころび
 何とかして何かを身につけようと必死だったマリーにほころびが表れたのは、定時制に通い始めて3年がたった頃だった。

 長男の進学費用の工面、長女の非行、次男の発達障害が重なり、マリーの肩にのしかかった。幻聴や幻覚が始まった。

 「長女に、あんたなんかうちの子じゃない、と言ったらしいんです」

 マリーにとって、周囲の対応も気が重かった。

 「授業中に子どもが寝ているのは、子どもに家事をさせているからだ」「水泳大会に行きたがらないのはちゃんと育てていないからだ」。事情を直接マリーに聞かないまま、全て母親の責任にされていた。ケースワーカーには「どうしていつも僕を困らせるの」とぼやかれた。

 定時制のスクールソーシャルワーカーの発案で、民生委員や小中高の教員ら十数人の支援会議が開かれた。マリーは会議に出席して「私のことを私のいないところで勝手に話さないでください」と訴えた。

 出席者は一様に驚いたが、マリーは少しすっきりした。

 精神科に通い、薬の服用が始まると、体が思うように動かないことが増えた。統合失調症と診断された。精神障害者手帳2級を取得した。定時制高校は卒業できたが、体力が続かず、就職はかなわなかった。今は解離性同一性障害との診断を受けている。

 「父や夫から受けた心の傷に、ばんそうこうを貼らずに放置してきた。若さでごまかしがきいていたし、傷を癒やすことにかまけている余裕もなかった」

 生活保護は、子どもたちが働き始めて収入が得られるようになると終了し、子どもたちが家を出て行った後にまた受給した。

死を選んだ長女 コップの中の水が一気に…
 死を選んだ長女は、思春期にキャバクラやガールズバーで働き出した。「ママに愛されたい」「この家の人は誰も私を慰めてくれない」と言い続けていた。マリーと同じ定時制高校に進学したが、在学中に中絶を経験し、精神科に通い、抗うつ剤などの薬を飲み続けていた。2年7カ月在学し、2015年に中退した。

 「学校行事の写真にはいつも写るような行事好きな明るい子で、家族が好きだった」

 中退直前まで見守ってきた高校教員は、長女の訃報(ふほう)を静かに受け止めた。

 弟の世話がある時や心がしんどい時は、学校を休みがちで留年もしたが、同じ境遇の子と仲良くなって支え合っていた。生徒と家族のケアにも熱心な学校だった。

 「高校は子どもが子どもとして救われる最後の場所。中退や卒業後に関われることが仕組みとしてほとんどない。そこが課題だ」

 一方、同じ高校でマリーの担任を務めた別の教員は「コップの中の水が徐々に増えて、一気にあふれた」と表現する。マリー一家に向けられる世間のまなざしと、暴力と貧困のループをほどこうと奔走してきた。

 一家には、生活保護、訪問看護に加え、困った時に相談に乗ってくれる元担任ら、地域福祉の専門家が関わっていた。SOSは察知されていたのだ。

 だが、マリーのしんどさは変わらなかった。評価や叱咤(しった)激励がほしいわけではなかった。小学生の頃から、父親に生きている意味がないと言われ続け、「生きるって何? 生きてていいの?」という疑問がいつもつきまとっていた。本の世界に逃げることから始め、本の中だけは自由な場所だと知った。

 そんなマリーが自身と対等な立場で、気持ちを伝えられるような人が周りにいただろうか。

 「もっと頑張れ」「他にもしんどい人がいる」。そんな声をかけられてきた。複雑な窮状を知って、どうしていいか分からず去っていく人もいた。

 マリーはしばらく考え込んだ。

 「甘えるのには勇気がいる」(中塚久美子)

記者は考えた
 困ったら相談を――。コロナ禍以降、繰り返し呼びかけられています。SOSが出されても、それを受け取る側がどうするかで状況は大きく変わります。そこにもっと目が向けられることが必要です。

 困った女性たちの多くはSOSを出し、役所にも相談しています。ですが、わずかに条件と異なるだけではじき飛ばされたり、「大変ですね」と慰められながらも具体的な助けを得られなかったりしています。

 マリーさんがぼそり、つぶやいていました。「勝手に支援しているつもりになっている。本人が置き去りにされている」と。

     ◇

 杏林大教授の加藤雅江さんは、大学病院の救命救急センターで30年以上、精神保健福祉士として自殺を図った人々と向き合ってきました。

 ある時、治療にあたる医師たちから「なぜこれほど自殺未遂が多いのか。治療して退院させるけど、意味があるのか」という疑問が噴き出しました。そこで加藤さんは入院患者に聞き取りをしました。

 話を聞いたのは年間100人程度、10〜60代の幅広い年齢層。そのほとんどが、落ち着いた子ども時代を送れていませんでした。虐待、性暴力、DV(家庭内暴力)、非行、ヤングケアラー……。これらを何度も経験し、不登校や引きこもりなどをへて、実社会とのつながりが希薄になっていました。

 「支援につながらなかったとか、嫌な思いをしたから支援なんて受けても仕方ないとか、そういったことがインタビューを通じて見えました」

 加藤さんは、支援が十分に行き届かない理由について、「支援する側が助けたいと考えていることと、支援を受ける側の困りごとがずれています。意識しないと、支援者は自分の尺度で測ってしまう」と指摘します。

 また、支援する側が「成果」を求めがちで、食料不足や不登校、親の病気といった目に見える困りごとのほうが、支援されやすいといいます。

 支援に携わる専門職にも問題があるとみます。「その家庭を変化させようと『指導』の立場をとります。変化は苦痛を伴うのに、変化しないとやる気のない家庭と評価します」

 加藤さんはマリーさん親子の事例について、「表面化している部分にだけ対応して、なぜ薬物の大量摂取を始めたのかについて誰も対応できていなかったのではないか」と分析します。

 元ヤングケアラーへの聞き取りでは、学校の先生や保健師、行政の担当者による支援よりも、地域の人が声をかけたことで助けられたというケースが多かったといいます。

 「マリーさんの娘さんに、近所のお姉さん的存在の人がいて、『薬を飲まないとどんな気持ちになるの?』『どんな時に飲むの?』と生活のなかで声をかけられたら、また違ったんじゃないかと思います」

 小瓶に手紙を入れて海に流すことを想定したアプリがあります。時々誰かが拾って読んだり、返事を書いてくれる人がいたり。そんな仕組みです。

 加藤さんは言います。「小瓶を流すだけでいい子もいれば、反応がほしい子もいます。つまり、気持ちを浄化してあげることが大事。もやもやした気持ちは、支援として取り扱ってくれないので、自分で何とかするしかないと思ってしまいますが、そこに焦点を当てる支援が必要で、次の一歩を踏み出す力になります」

 加藤さんはいま、若い女性たちが一時的に住めるシェルターをつくる準備をしています。DV被害者に逃げるよう促したとしても、行き場がないと不安になるからです。困ったときに具体的にすぐ動いてくれる支援がセットになっていなければならないと強調します。

 また、支援制度や相談窓口についても、対象条件や方法など、利用する側の目線に立った改善が求められていると指摘します。(中塚久美子)

コメント(3)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。