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生活保護者の集いコミュの生活保護は恥ではなく「権利」、“絵に描いた餅”にしないためにできること

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https://diamond.jp/articles/-/306187

「権利は人をワガママにする」
この俗説は真実なのか
 日本では、いつでもどこでも誰でも「健康で文化的といえる生活」を営めるはずだ。なぜなら、生活保護を利用する権利があるからだ。とはいえ物価上昇と酷暑の2022年夏、「日本には生活保護があるから安心だね」という喜びの声は聞こえない。

 1950年に生活保護制度が発足して以来、政府の財政上の都合や「恥」という偏見が、権利であることを妨げ続けてきた。だから2020年、コロナ禍に際して、厚労省はわざわざ「生活保護は権利」と明言しなくてはならなかった。もはや、状況が大きく変わる可能性は皆無に見える。


 しかし神奈川県川崎市には、偏見を乗り越え、行政と予算を動かし続けてきた「前例」がある。2000年、神奈川県川崎市で策定された「川崎市子どもの権利に関する条例」(通称:川崎市子どもの権利条例)、そして条例に基づいて設置された「川崎市子ども夢パーク」だ。


 この「前例」は、どのように作られたのだろうか。そこには、生活保護制度を動かすヒントがありそうだ。

条例策定の背景は、比較的単純だ。1994年、政府が「子どもの権利条約」を批准した。この政府方針に基づく形で、各自治体は条例を策定することになった。いわば、国策の実現である。

 しかし、川崎市で条例策定に関わった西野博之さん(認定NPO「フリースペースたまりば」理事長)によれば、「権利を教える前に義務を教えなくては」「権利を教えるとワガママになる」といった反対意見も多かったという。極めて少数ながら、「女と子どもに権利は要らない」という声もあったそうだ。

 もともと進学塾の講師だった西野さんは、1986年、不登校児たちの居場所づくりに転身した。1991年には「フリースペースたまりば」を開設し、不登校児・引きこもりの若者たち・障害者たちと共に生きる場を作り始めた。条例の策定に関わり始めたのは、自然の流れだった。


 1998年、市民と子どもたちによる条約策定への取り組みが開始された。子どもたちが参加したのは、「子どもの権利」の当事者は子どもたちだからである。会議と集会は、1998年から2000年までの2年間で200回に達した。しかし多数の大人がいると、子どもが率直な意見を言いにくい。そこで、子どものみで構成される「子ども委員会」も設置された。

「自らの権利を守ってもらえる」という意識は、他人の権利を守ることにつながる。権利を相互に尊重し合うことは、社会の尊重につながる。このような理解が、対話の中で自然に広がっていった。そして2000年12月、市議会は満場一致で条例を可決した。

 とはいえ、条例の文言は理念にすぎない。「絵に描いた餅」を現実にするためには、具体的な何かが必要だ。

「まさかの反対」に
向き合い続けた日々
 次に始まったのは、子どもたちの居場所や活動拠点となる施設づくりだった。

 幸い、最寄り駅から徒歩5分の場所にある約1万平方メートルの工場跡地という、格好の予定地があった。川崎市の人々は、施設づくりのための会議の定数の3分の2を子どもたちに割り当て、大人の2倍の人数の子どもたちが関わる仕組みを作った。子どもだけで構成される「子ども委員会」も、最初から設置された。障害のある人々や外国籍の人々など、多様なマイノリティ当事者も参加した。

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 年齢も属性も多様な人々は、「どんな場所にしようか」という話し合いを重ね、イメージを育てていった。その成果として、2003年、冒険遊び場・音楽スタジオ・創作スペース・フリースペースなど多様な場を持つ「川崎市子ども夢パーク」が設置された。


 午前9時から午後9時まで開所されており、年内ほぼ無休、もちろん利用料は無料。開所以来、約20年にわたって子どもたちと子育て家庭を支え続けている。しかし西野さんは、「開所すると、すぐに『まさかの反対』が表面化しました」という。

 最初に反対を表明したのは、地域の人々だった。2003年当時は、神戸連続児童殺傷事件(1997年)、「人を殺してみたかった」という動機による豊川市の高齢者殺害事件(2000年)および2日後の西鉄バスジャック事件(2000年)の記憶が生々しく、子どもたちに対する「分からない」という不安が広がっていた時期でもある。恐れられたのは、不特定多数の子どもが集まる施設そのものだった。しかし町会の理解と協力、地域住民の運営への参加などが、反対の声を理解へと変えた。

 次に反対の声を上げたのは、近くの市立小学校のPTAだった。

「子ども夢パーク」には禁止事項はない。水遊びも泥遊びも火遊びも木登りもできる。刃物も工具も使える。もちろん大人が見守り、危険そうな場合は声をかける。大切にされているのは、安心して失敗できる環境だ。とはいえ、学校で禁止されている行為の数々が、近隣の市営の施設で認められているのである。そこに不公平感や不条理感を覚える人々は、いつでも存在するだろう。

 また、子どもの不登校や障害に対する理解も不十分だった。「不登校児と接触すると、ウチの子が学校に行かなくなるかも」という懸念も、障害を持つ子どもたちに対する「危ないのではないか」という偏見もあったという。それでも、相互交流を少しずつ重ねるうちに、反対のトーンは変わっていった。

「互いに良好な関係を作るのに、時間がかかりましたね」(西野さん)

 2006年から2021年まで「子ども夢パーク」の所長を務めた西野さんには、立場上の責任もあった。でも、努力を重ねられたのは、社会を変えたかったからだ。

「文科省も示している通り、学校に行かないことは悪でも恥でもありません。学校が合わないのなら、学校の外で当たり前に学び育つことができればいいんです。区分けする発想では、社会は変わりません」(西野さん)

 西野さん自身は、「不登校」という用語をできるだけ使わないようにしている。平日夕刻の「子ども夢パーク」では、学校帰りの子どもたちと学校に行かない子どもたちが混じり合って過ごしている。

自立とは? 社会とは?
遊ぶ子どもが投げかける問い
 ドキュメンタリー映画監督の重江良樹さんは、2019年から2021年にかけて「子ども夢パーク」を撮影し、映画『ゆめパのじかん』を制作した。この映画は、7月9日(土)よりポレポレ東中野ほか全国の映画館で順次公開される予定だ。重江さんの劇場公開作としては、大阪市西成区の児童館「こどもの里」を題材とした『さとにきたらええやん』(2016年公開)に続く2作目となる。

 重江さんは、釜ヶ崎のある西成区にこだわり、在住している。「こどもの里」は、釜ヶ崎地域の中にある。日雇い労働に従事してきた男性たちの高齢化に伴い、西成区の生活保護率は増加した。近年はやや減少に転じているが、2021年3月のデータでは22.4%であった。


「社会には、さまざまな不条理があります。路上生活も生活困窮も生活保護で暮らすことも、根本的にその人のせいではありません。釜ヶ崎と『こどもの里』から、それを学びました」(重江さん)

『さとにきたらええやん』の中では、事件が次々に起きる。事件の一つ一つに、子どもたちと大人たちの抱える困難や課題が反映されている。乗り越え続ける力の根源は、子どもたち自身、そして『こどもの里』という居場所そのものにある。

『ゆめパのじかん』には、穏やかな日常がある。子どもたちは毎日、安心安全と思える場で信頼できる他者に見守られながら、暮らし、遊び、学び、考え、悩み、そして成長していく。そこは、「こどもの里」の子どもたちも共通している。そして撮影を通して、重江さんにはうれしい「想定外」があったという。

「愛情の中で安心安全を実感しながら暮らしている子どもたちが単に遊んでいるだけに見えても、考え工夫し、失敗しながら育っています。子どもたちが持っているすごい力を、再確認しました」(重江さん)

 映画のクライマックスは、毎年11月に開催される祭り「こどもゆめ横丁」だ。その日、子どもたちは模擬店を作り、現金で商売をする。売り上げから仕入費用を差し引いて利益を計算し、利益の10%を「税」として納める。2019年の「税収」は、約1万6000円に達した。店構え・商品・売価・最低限のルール・税収の用途は、すべて子どもたちの話し合いで決める。

 子どもたちは、まさしく社会を作っている。その様子は、生活保護制度の目的の一つである「自立の助長」そのものにも見える。「今すぐ、こんな社会に住みたい」という欲望と、「こんな社会は作ってこなかった」という反省が、私の心の中に同時に湧き上がる。
自らのまなざしから始まる
コスト0円の未来への投資
 西成区に住む重江さんが看過できない問題の一つは、生活保護で暮らす人々が、しばしば「ネット炎上」の対象となることだ。表層的な激しい非難をぶつけられ、飽きられ、忘れられる。非難の論理の正体は、「『最低生活保障』という権利ばかり主張し、『自立』への努力という義務を果たしていない」という思い込みだ。その思い込みの中で、「自立の助長」は「就労支援」を指す用語に変質してしまっている。

「炎上の繰り返しの中で最も痛めつけられているのは、『当事者』と呼ばれる人たちです。社会の構造や根本にある問題を、今後も皆さんと一緒に考えていきたいと思っています」(重江さん)


 2020年3月、コロナ禍の下で学校が一斉休校となった。4月には、緊急事態宣言が発出された。しかし「子ども夢パーク」は、通常どおりに開所された。そこには、「貧」と「困」への想像力があった。

「目的の一つは、子どものSOSをキャッチすることです。休校が続き、親は仕事が減ったりなくなったりしていました。だから『居場所を閉めてはいけない』と思いました」(西野さん)

 居場所がSOSをキャッチできれば、目先の「貧」や「困」を少しだけ解消することはできる。食事が取れていない親子に食料を渡せば、行政が動くまでのつなぎになる。こんな居場所があれば、毎日の暮らしの安心感は増すだろう。居場所は欲しい。けれども、作る意欲はない。まことに身勝手な私に、西野さんは穏やかに語る。

「居場所へのまなざしがあれば、居場所はできます。たとえば、近所の公園の禁止事項を減らすとか、地域の公民館で無理なく居場所活動を始めてみるとか。奪わない場、挑戦できる場は、誰にでもいつでも作れます」(西野さん)

 生活保護制度の先行きは不透明だが、制度利用者の居場所へのまなざしなら誰にでも持てるだろう。そのまなざしは、生活保護を「権利」にするまなざしだ。自分自身が困難に直面したとき、自己責任論から自分を守ることにもつながる。目に見えない小さな変化の蓄積が政治や行政を動かす可能性を捨てるのは、まだ早い。

(フリーランス・ライター みわよしこ)

コメント(3)

この動画の中頃辺りを観て下さい。
生活保護を馬鹿にする権利がない事がわかります。
https://youtu.be/mcsuXobWCNI
>>[2]♪さん 本当にその通りだと思います。それに知らない人達はよく「俺たちの税金で」とか言いますが、ほんの微々たるものですし生保の人だって買い物すれば税金払ってるんですよね厳密には。いつ事故や病気になるか分からない明日は我が身ですよね。

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