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生活保護者の集いコミュの「白いカーテンが数千匹もの蠅で真っ黒に…」 “孤独死物件”の現場に見る「無縁社会」日本の深刻化

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https://bunshun.jp/articles/-/51258

 年間孤独死3万人。孤立状態1000万人。日本はすさまじい勢いで孤立大国へと向かっている。それが、日本の孤独・孤立問題をテーマに長年取材と執筆を行なっている私の偽らざる本音だ。特に新型コロナウイルスの流行が始まってからは、これまで以上に人と人との繋がりが分断されてきている。そんな日本社会が抱えるリアルな「死」の現場を追った。(全2回の2回め/前編を読む)

◆◆◆

離婚後に男性が身を持ち崩し孤独死へ…
「日本は大変なことになっていますよ。突然、警察から電話がかかってきて、〇〇さんですか。ご身内の方が死んでいます、というのがデフォルトになっている。親族や友人など身内が見つけるということは少なくなっていると感じます」


 事故物件を多数扱っている不動産業の50代男性のA氏は、そう言って驚きを隠さなかった。

 ある50代の男性はコロナ禍で孤独死して、10か月以上に渡って放置されていた。

 妻と離婚後、男性は3LDKのマンションで一人暮らしをしていたという。

「ご遺族は80代のお父さんだったのですが、『息子さんが亡くなっています』と突然警察から電話があったみたいです。あまりに長期間放置されすぎてご遺体はミイラ化していたそうです。50代といえば、働き盛りで僕と同世代。これだけの期間放置されるなんて、本当に切ない話ですよ。息子さんは離婚後、社会から孤立し、お父さんともずっと疎遠だったそうです。コロナ禍で仕事もうまくいかなかったようで、なおさら孤独感を募らせたのではないでしょうか。僕が扱う物件の中でも、離婚後に男性が身を持ち崩して孤独死する例はかなり多いんですよ」

『早く何とかしろよ!コノヤロー!』罵声を浴びせてきた近隣住人
 A氏は数々の孤独死物件を見てきた。無縁社会の深刻化をひしひしと感じている。最近扱ったのは70代女性が孤独死して、死後3週間が経過した物件だという。

「その物件のフロアのエレベータードアが開いた瞬間、異様な臭いがフロア全体に立ち込めているのがわかったんです。それと同時に近隣住民たちが出てきて、『早く何とかしろよ! コノヤロー!』と私に罵声を浴びせてきました。私は親族に頼まれて、物件の査定にやってきただけなんですよ。だけど住民たちの怒りは凄まじかったですね。怒りをぶつける矛先がないんでしょう。だけど、その怒りももっともだと感じましたね」

 聞くと近隣住民は、あまりの悪臭のため窓も開けられない日々を過ごし、かつ隣人宅には室内にまで臭いが入り込んでいたらしい。こういった孤独死を巡る近隣住民のトラブルは珍しい話ではない。いたるところで起こっており、地域を揺るがす問題になっている。しかし、冷静に考えてみると、それは我々の社会が、未曽有の無縁社会に突入しているということの現れでもあるのではないだろうか。

黒色の厚手のカーテンかと思ったら大群の蠅が
 特殊清掃業者と共にA氏が物件に突入すると、正面に黒色の厚手のカーテンが揺れるのが見えた。

 しかし目を凝らすとそれは、だまになった蠅の大群だった。数百、いや数千もの蠅がカーテンにへばりついていたのだ。

コピーライトiStock.com
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「とにかくあのカーテンの蠅には驚きましたね。特殊清掃業者がスプレーをかけると、蠅たちが死んで真っ白なカーテンが露わになりました。カーテンの色って本当は白だったんですよ。部屋の中からはマンションの権利証や、現金が数百万円ほど見つかったんです。女性はお金だけは貯めていたのでしょう。だけど、近隣住民や親族との付き合いは皆無だったみたいです。切ないですよね。こんな現実を毎日見ていると、日本は沈没しつつあると思いますね。


 物件は分譲マンションだし、亡くなられた方は貧困世帯ではないんです。そこでも孤独死が起こって大問題になっている。ご親族に話を聞くと、亡くなったおばあちゃんは昔から、『人に迷惑をかけたくない』というのが口癖だったそうです」

 A氏は、そう言ってうなだれた。

「迷惑をかけたくない」という言葉
 孤立、孤独研究の第一人者である早稲田大学の石田光規教授は、『孤立不安社会』(勁草書房)の中で、「迷惑をかけたくない」という言葉に注目する。

「この言葉は、選択性を増し、自己決定の領域におかれた人間関係の暴力性を象徴している。関係性に頼ることなく、一人で生活してゆけるシステムの整備は、これまで人と人とを半強制的に結びつけていた社会的拘束を縮小させる。(中略)そのような状況下での関係性への依存は、個々人の努力の放棄や怠慢を意味し、『甘え』や、『他者への迷惑』といったラベルを貼られる。かくして人びとは『迷惑をかけたくない』という“消極的”理由により、人間関係からの“自発的”撤退を強いられるようになる。『選択的関係』が主流化した社会では、自主性の皮を被らせて、関係を維持しうる資源をもたない人びとを巧妙に排除してゆく」

 つまり、コンビニやウーバーの普及により、人々は便利になった。

 誰かに頼らなくても一人で生活できるようになり、既存の人間関係に縛られることも少なくなった。人々は昔ながらのしがらみを解かれてより多くの自由を得るようになったといえる。

 その一方で、何かと家族などの血縁関係に助けを求めたり、執着することは「重荷」に捉えられ、自分でできることは自分でやるという風潮が強くなった。要は「血縁」ではなく「選択縁」を重視する社会、関係性を自助努力で構築しなければならない社会になったのである。

孤独は自己責任」と考える国・日本
 しかしそんな社会において、豊かな人間関係を持てるのは、例えば経済的資源に恵まれた人たちである。要は資源を持てる者の元には人が集まり、そうではない者は人間関係から排除されるということだ。そして前掲書によると、孤立のリスクはそんな資源の有無によって、親の代から子供に受け継がれることが分かっている。

 自己責任化で思い出すのは、2018年に英誌エコノミストなどが日米英3カ国を対象に行なった「孤独」に関する意識調査である。そこでは「孤独は自己責任」と考える人が日本で44%に上り、米の23%、英の11%に比べて抜きんでて多いことが判明した。何か事件が起こる度に、よく当人が「社会から孤立していた」と騒がれるが、自己責任で片付けていることをまず問題視する必要があるのではないだろうか。

コピーライトiStock.com
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 日本は昨年、イギリスに次いで、孤独・孤立対策担当大臣を設置した。私も実態調査に関するヒアリングに呼ばれたため、官僚の人たちに凄惨な現場と、そこで必死にもがいている人々の活動を伝えたが、もはや一刻の猶予もないといっていい。


多くの人が排除されない社会を
 特殊清掃現場には、部屋の全部に目張りをしていたり、シャッターを下ろして外界と遮断したような部屋とよく遭遇する。部屋の中で餓死していたと思われる事例も見聞きしている。

 そんな時、私は自分がひきこもりだった頃のことを思い出す。私が学校に行けなくなったのはクラスでのいじめが原因だったが、ひたすら「こうなったのは自己責任で、全部自分が悪い」という言葉に支配され、自らを追い込んでいた。社会から排除されているという孤独感が募り、心も体も蝕まれ、辛くてたまらなかった。そして学校からドロップアウトした自分自身を毎日激しく責め立てていた。

 私はその後支援者の助けがあって、ひきこもり状態から脱した。

 しかしそのままひきこもりが長期化していたら、社会から孤立し、助けを求める気力すらなく、崩れ落ちていたかもしれない。当時の身を引き裂かれんばかりの孤独感は、今思い出しても胸が苦しくなる。私自身そんな経験を持つ当事者ということもあり、社会から零れ落ちた人たちに目を向ける必要があると強く感じずにはいられない。

 まずは孤独・孤立についての自己責任化の流れに抗うこと、社会で傷付き生きづらさを抱えた人々に寄り添うことなど、私たちができることはいくらでもあるはずだ。多くの人が排除されない社会を望んでやまない。

コメント(1)

自己批判しないようにトレーニングしましょう。

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