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生活保護者の集いコミュのメンタルヘルスの「パンドラの箱」に希望は残っているのか

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https://wezz-y.com/archives/94272

前編では2021年のメンタルヘルス10大事件として、行政の「弱者見殺し」というホンネ・精神科病院での新型コロナ感染クラスター・セレブのメンタルヘルス・違法な身体拘束を違法とする判決・イジメとキャンセルカルチャーの5項目を取り上げた。どの1項目も、1冊の書籍に値する背景と重みを持っていたり、歴史を変える可能性があるほど画期的だったりする出来事だ。10年後に振り返った時、「2021年は、日本のメンタルヘルスにとって好ましい転機だった」と言いたいものである。

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 前編に引き続き、残る5項目を紹介しよう。

6. 「貧」と「困」がメンタルヘルスを悪化させるという当然の事実

 コロナ禍に覆い尽くされて2年目となる2021年、自殺の著しい増加が明確になった。2021年版自殺対策白書に示されているのは、2020年までの自殺の状況であるが、子どもと女性の自殺の顕著な増加が確認された。警察の自殺統計を見る限りでは、2021年は、2020年の傾向を維持しつつ、概ね同様の推移となりそうだ。


 もっとも、コロナ禍との因果関係は明確ではない。「コロナ禍で失職や収入減少に見舞われたので、貧困からメンタルヘルスが悪化して自殺が増加した」という単純な結論を導くには、あまりにも根拠が不足している。動機や原因を見ると、明らかに「増加している」と言えるのは「健康問題」のみ。「経済・生活問題」「学校問題」では、明らかな増加は示されていない。

 同白書にはクロス集計による詳細な検討も示されており、学生または有職、同居家族のいる女性の自殺が増加している傾向が見られるが、20代女性に限定すると単身女性の自殺が多い。同居家族がいない20代女性の自殺では、コロナ禍以前からの社会的孤立や貧困が影響している可能性、失職や収入喪失に対して助けを求める相手がいない可能性が考えられる。しかし「家族がいれば安心」「仕事があれば何とかなる」というわけではない。20代・40代女性では、同居家族があって職業を持っている場合に自殺が顕著に増加している。

 いずれにしても、コロナ禍による社会的・経済的インパクトがもたらす大小さまざまな「貧」、そして多様な「困」が、心身のストレスを複合的に増加させていることは疑いようがない。増大したストレスが脆弱性の高い人々を自殺その他の重大な成り行きに至らせることも自然ではある。数値に「脊椎反射」するのではなく、誰もが生きやすくなる方向性を求め、具体的に生きられる社会に向かって少しずつでも歩みつづけることが必要なのであろう。

 なお2021年は、2011年の東日本大震災から10年、2016年の熊本地震から5年の節目あたる。「被災」「被災者」という言葉では捉えきれない多様な困難は、世の中の関心が薄れても各個人や各家庭を覆いつづける。2020年、東日本大震災と関連した自殺者は5名であった。55名だった2011年と比較すれば減少しているのだが、「注目されにくくなった10年後、なお残っている」という事実に注目すべきであろう。

7. メンタリストDaiGo氏の「ホームレスの命はどうでもいい」発言

 8月7日、YouTubeにおいて240万人のフォロワー数を誇るメンタリストDaiGo氏が、新規動画を公開した。動画には、「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「自分にとって必要のない命は、僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい」「(人間は)群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてきてる」「犯罪者が社会の中にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ。同じですよ」という発言が含まれていた。

 公的扶助がなくては生きられない貧困状態、あるいは貧困状態を背景としたホームレス状態にあることを理由として、社会から排除したり抹殺したりすることは、少なくとも基本的人権を認めている国家においては許されない。数多くのジェノサイドの悲劇が、人類をそのように変えてきた。しかし日本の精神障害者は、長年にわたって社会から排除され精神科病院に収容され続けている。その日本において、DaiGo氏の考え方には何ら新規性はない。DaiGo氏は、人類が克服しようとしているはずの負の歴史を、YouTubeという舞台で「正論」めかして語っているだけだ。

 とはいえ、現在ただいま生活保護を利用している人々やホームレス状態にある人々にとっては、「あなたたちは殺されても仕方がない」というメッセージが自分自身に向けられているのである。8月14日、生活保護問題対策会議をはじめとする4つの支援団体は共同で声明を発し、DaiGo氏およびDaiGo氏を起用してきたメディアに対して謝罪と反省を求めた。DaiGo氏は当該動画を削除し、反省と活動自粛を表明したが、10月には「ファンからの賛同多数」という理由で活動を再開している。

 筆者自身も、複数の精神障害者および生活保護利用者から「死ねと言われているようで怖くて外出できなくなった」と聞き、記事化を期待された。しかし、記事化には乗り気になれなかった。筆者にとっては「一有力YouTuberの暴言」ではなく、自分自身の現在のすぐ先にある当然の近未来のようなものであるからだ。

 精神障害や生活保護は見た目だけでは分からないが、筆者は車椅子を利用する身体障害者である。コロナ禍が社会にもたらしたストレスは、通りすがりの小さな暴力や暴言という形で、筆者の上に日常的に降りかかっている。DaiGo氏の発言は、筆者にとってはあくまでも「ネット空間で言っただけ」。なんとしても阻止すべき成り行きは、240万人のフォロワーが煽動されて路上生活者を襲撃したりする可能性、さらに国政選挙の候補者としてDaiGo氏が支持されて自身の思考を現実にする可能性であろう。

 「メンタリスト」を肩書とするDaiGo氏は、約210万人の生活保護制度利用者、そして年末にかけて増加すると見られている路上生活者多数を「名指し」し、「殺されても仕方がない」と言わんばかりの主張を行った。当該の人々の「メンタル」ヘルスを悪化させ、抗議を受けて反省のポーズを示したものの、変化らしい変化は見られない。DaiGo氏のそのようなあり方を無言で無意識のうちに「生暖かく」支持してしまっているのは、日本社会である。その日本社会に、自分自身も属している。せめてもの社会的責任として、筆者はDaiGo氏の2021年のありようを記憶にとどめておきたい。

8. 心神喪失だから無罪、心神耗弱のはずなのに死刑執行

 2021年は、法的責任能力とメンタルヘルスに関する日本の矛盾が明らかになった年でもある。

 11月、2017年に祖父母ら5人を殺傷した30歳の男性に対し、心神喪失状態だった可能性を考慮した無罪判決が神戸地裁で言い渡された(検察が判決を不服として控訴したため、確定していない)。

 12月、3人の死刑囚に対して死刑が執行された。3人のうち1人は、2004年に7人を殺害した65歳の男性だった。男性には複数回の精神鑑定が行われ、結果はすべて心神耗弱だったのだが、地裁・高裁・最高裁は、いずれも完全責任能力を前提として死刑判決を下した。死刑が執行された現在となっては、本人の責任能力は確認できない。

 心神喪失または心神耗弱によって法的責任能力が失われていた可能性を考慮する理由は、3歳児を成人同様に扱うことが適切ではない理由と共通している。「自転車の前カゴに置き去りにされている現金1万円入りの財布を我が物にする」という行為の意味は、その人が3歳なのか13歳なのか23歳なのかで全く異なる。少なくとも、「他者」「所有」という概念を持っているかどうか疑わしい3歳児を、窃盗罪に問うわけにはいかないだろう。

 完全な法的責任能力がなかった人、言い換えれば「その時、善悪をわきまえた『成人』と言える状態ではなかった人」は、3歳児の財布持ち去りを窃盗罪に問えないのと同じ理由で、成人を前提とした刑事司法の対象から外される。現在の日本の法律の建て付けは、そうなっている。


 しかし、この考え方は時代遅れになりつつある。国連障害者権利条約は、障害者の「すべての者との平等」を目標としている。成人に完全な法的責任能力があるのなら、障害を持つ成人にも完全な法的責任能力がなくてはならない。精神障害や知的障害等によって状況把握や判断が阻害されている場合でも、完全な法的責任能力を発揮できるようにすることが社会の責務である。この条約を2014年に締結している日本において、法的責任能力に関する「すべての者との平等」が実現するのは、何十年かかろうが「時間の問題」だ。

 1つの無罪判決、そして1人に対する死刑執行は、過渡期に入りかけた2021年の日本の矛盾を示している。

9. 京都ALS女性嘱託殺人

 事件そのものは2019年に発生したが、2021年も日本のメンタルヘルスの今後にとって重要な出来事が続いているため、敢えて1項目を設けたい。

 2019年、京都で介護を受けながら単身生活を送っていた女性ALS患者が、安楽死したい意向をSNS等で述べたところ、2人の医師に有償での自殺幇助を持ちかけられた。女性は130万円を医師の口座に振り込み、希望通りに鎮静剤の大量投与を受け、そして死亡した。女性は数年にわたって、介助を受けなくては生きられない辛さや安楽死への希望をSNS等で語っていた。疾患と介助によって女性のメンタルヘルスが損なわれていた可能性は高い。それにしても、生活保護で暮らしていた女性が、どのように130万円を用意したのか。自ら銀行のATMを操作する身体能力はないのに、どのように130万円を振り込んだのか。事件の核心に近い重要な事実の数々は、未だ明らかにされていない。

 事件は、2020年7月に公表された。医師2名は既に逮捕され、起訴されている。公判は未だ開始されていないが、2021年、2名の医師の余罪は次々に明らかにされた。たとえば2021年5月には、2011年に医師の1人・Y医師の父親(当時77歳)を殺害した容疑により、共謀したとされるY医師の母親とともに殺人容疑で逮捕された。しかし、物証はない。殺害方法は明らかにされておらず、「何らかの方法により」とされている。証拠とされたのは、Y医師と母親のメッセージのやりとりである。このような逮捕が認められるのなら、「あいつ呪い殺してやりたい」とSNSに書き込んだ直後に当該人物が頓死したら、殺人容疑で逮捕されることを怖れなくてはならないではないか。

 さらに2021年12月、厚労省はY医師の医師免許を取り消した。Y医師は、韓国で医師免許を取得したとして、2009年に厚労省に申請して日本の医師国家試験を受験し、合格して医師免許を取得した。しかし韓国で医師免許を取得したという事実はなく、受験にあたって厚労省に提出すべき韓国の書類も提出されていなかったという。当時の厚労省の関係者は、何らかの根拠と判断によって受験を認めたはずだが、厚労省の調べでは経緯不明のままだ。

 一度、何らかの逸脱を犯した人物に対しては、これでもかこれでもかと負のレッテルが重ねられる。そのレッテルの根拠は必ずしも明確ではなく、責任の所在はあいまいだ。しかし、その人物の犯した逸脱がある限り、どのような負のレッテル貼りも非難されない。

 生きるための介助によってメンタルヘルスが損なわれる状況、安楽死に希望を見出すような状況は、やがて高齢になり介助を必要とするはずの全ての人々が直面する可能性のある未来像だ。そして、これこそが事件の最大の背景であろう。

筆者は、Y医師の異常さが強調されるたびに不安を覚える。「生きたい」「できれば、より自分らしく生きたい」という希望が叶わなかったALS女性患者の状況は、日本の多くの人々に迫る自らの未来像なのだ。しかし日本の現政権は、「おかしな人がいたから起こった、おかしな事件」ということにしたいのではないだろうか。そのために、Y医師の異常さを次々に発掘して報道させているのではないだろうか。「下衆の勘繰り」かもしれないが、この状況は筆者のメンタルヘルスにとって好ましくない。

10. なぜ、心療内科クリニックは放火されたのか

 2021年のメンタルヘルス事件として、12月17日の大阪北新地ビル火災を取り上げないわけにはいかないだろう。

 大阪市北区の雑居ビルの4階にあるメンタルクリニックに、数年前から通院していた60代の患者男性が、ガソリンを用いて放火した。このクリニックでは、リワークプログラムなどグループで行う活動を積極的に行っており、この日もプログラム参加者多数がクリニックを訪れていた。放火は脱出経路を塞ぐ形で行われ、25名が死亡、男性を含む3名が負傷した。男性は救命されたが、脳の損傷により聴取は困難であると報道されている。

 この事件は、まだ捜査途上にある。クリニック内の資料等が火災の被害を受けたため、放火した男性の診断名など、重要な情報の多くが未だ報道されていない。しかし現時点でも、今後の流れに関して注意すべきポイントは数多い。

 筆者が最も要注意であると考えているのは、「良くないメンヘラが良いメンヘラ多数と医療スタッフと医師を殺傷した」という構造である。起こった事件を現象面から見れば、まったくその通りだ。そして数多くの報道が、この構造を強化し続けている。

 死傷した他の患者たちについては、生前の「努力家」「心優しい」といった人物像が好意的に報道されている。そうはいっても、メンタルクリニックを必要とするメンタルヘルス上の課題があり、休職中であったり失業中であったりした人々である。相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚の表現を借りれば、「生産性がない」あるいは「生産性が低い」状態にあった。しかし、その状況は、「誰にでも起こりうるかも」「そういう時期もあっていいはず」という共感とともに受け止められている。「メンタルクリニックに通っているような人」というスティグマ視が少ないことは、救いである。

 放火した男性に関しては、好意的な人物像がほとんど見当たらない。元雇用主の「真面目で腕のいい職人だった」という語りが、ほぼ唯一のものだ。家族を殺傷しようと試みて殺人未遂容疑で逮捕された前歴、刑務所での受刑歴、社会的孤立状態にあった可能性も報道されている。そこに「被害妄想」「アルコール依存症」といった用語が混じる。今後、「なぜ、こんな危険人物を“野放し”にしておいたのか」という世論が高まり政治利用される可能性は、極めて高い。近隣住民や精神医療福祉が本人を取り囲む「社会的包摂」によって、本人の社会的孤立を解消すればよかったのだろうか? それは、本人にとっては自尊心をえぐられ続ける監視や軟禁のようなものだ。他者への攻撃は自傷や自殺に転化する可能性が高まり、結果として抑制できるかもしれないが、それを「社会的包摂」と呼ぶのは欺瞞であろう。

 もちろん筆者自身、このような事件に自分や大切な人々が巻き込まれて命を落とすような事態は避けたい。殺人や放火に至らないストレスフルな人間関係や会話も、避けたり減らしたりしたい場面がある。「メンヘラ」や「サイコさん」であろうがなかろうが、自分が受け入れられる狭い範囲でだけ付き合いたい人物は、間違いなく存在する。おそらく、これは人類にほぼ共通する望みだろう。しかし、誰もが自分の周囲の人間関係をコントロールし、付き合いたい人とだけ付き合うことを徹底すると、結果として社会的排除が行われることになる。その次に訪れるのは、排除された人々からの復讐に対する底知れない怖れである。

 今日、日常を生きて明日のために眠るためには、ある程度の安心が必要だ。危険なフラグやレッテルを遠ざけ、何らかのバリアを設けて接近を防げば、とりあえずの安心が手に入る。しかし、かりそめの安心を強引に維持し続けると、遠ざけて排除した誰かまたは何かによって、いつか突然覆されるものだ。「平凡でささやかな日常の幸せが奪われた」というタイプの事件の多くは、この図式で説明できる。

 似たような事件の再来を防ぐために最も有効な対策は、個人や小コミュニティにとっての「安心のために一定の排除をしたい」「排除への復讐は不安だ」というジレンマを抱え続けていくことではないだろうか。このジレンマが、遠回りながら着実な歩みを可能にするのではないだろうか。筆者には、そう思われてならない。

 今、必要とされているのは、「良くないメンヘラが良いメンヘラ多数と医療スタッフと医師を殺傷した」という事件の構造を、意図的に脱構築することであろう。

まだ「災害ユートピア」は残っているのか
 2019年末に始まったコロナ禍は、満2年にわたって世界を覆い続けている。人々は、数多くの学びを強制され続けている。たとえば2019年末、細菌とウイルスの違いや「PCR」「抗原」「抗体」という用語は、広く知られているわけではなかった。「mRNAワクチン」について考えたことがあったのは、研究者や医療関係者の一部であろう。しかし現在、これらは一般常識や日常用語である。

 同時に、数多くの経済的・社会的インパクトが世界を襲い続けている。レベッカ・ソルニットは著書『災害ユートピア』(亜紀書房)において、災害に襲われた地域に自然発生する暖かな共感と互助を「特別な共同体が立ち上がる」と表現した。新型コロナにおいても、特別な共同体は立ち上がっている。しかし、人にも資金にも物資にも余裕が薄い。思いや志が、いつも持続可能性につながるとは限らない。

 たとえばフードバンク事業は、配布すべき食糧が調達できなければ成り立たなくなる。支援団体で活動する人々が疲弊すると、具体的な日々の活動が困難になる。2021年の日本において、これらの可能性は現実となった。あまりにも吝嗇な日本の「公助」を転換させることに成功すれば、人・資金・物資の不足は解消するのかもしれない。しかし、それだけで課題のすべてが解決されるわけではない。

 人は、一人では生きていけない。家族、地域、交友など、さまざまなつながりの中で生きている。さまざまなつながりや共同体を、公共が支えている。個人と共同体と公共の連環は、どうあるべきなのか。自分という個人は、どのような連環を作り、その連環のどこで生きていくのか。この問いに、各個人が直面しつづけなくてはならない。国家や大企業といった「長いもの」に巻かれていれば生涯を全うできる時代は、もう来ないだろう。

もう一度、「希望」を抱こう
 2021年のメンタルヘルス事件10件を、もう一度振り返ってみよう。

 精神科病院で続く新型コロナ感染クラスター発生は、各精神科病院の隠しておきたかった実情を、同業の精神科医らに対して明らかにするという「怪我の功名」でもあった。たとえば東京都では、都立精神科病院である松沢病院に設置された新型コロナ病棟が、精神科病院の入院患者の治療に対応している。少なくとも松沢病院の医師やスタッフたちは、搬送されてきた他院の入院患者によって、その病院の衛生状態やケアの実情を知ることができる。そして、未だに畳敷きの大部屋病室の残る精神科病院が東京都内に少なくとも2院ある可能性をはじめ、健康や生存にそもそも適していないのかもしれない精神科入院病棟の存在が明らかになりつつある。


 沖縄県においては、8月、うるま記念病院のクラスター発生が明らかになったことから、原因究明や権利擁護に関する動きが急速に進み始めた。「つい数年まで共に暮らしていた父母や祖父母が、精神科病院の中で必要な治療もケアも受けられないまま人生を終えた」という悲劇の数々は、精神科病院の中を異世界から「私たちの社会」に近づけるエネルギーを生み出した。

 2021年、メンタルヘルス上の課題を抱えたセレブたちは、自らの状況をカミングアウトした。それは、社会に対する「各個人の健康は、メンタルヘルスを含めて最優先されるべき」というメッセージでもあった。多くの人々が、そのメッセージを好意的に受け止めた。たとえば12月、神田沙也加氏の早すぎる人生の終わり、そして一人娘を喪った神田正輝氏と松田聖子氏に対して日本社会が示した理解と配慮は、複雑な経路で獲得されつつある日本社会の精神的成熟の現れなのかもしれない。

 大阪北新地火災では、信頼できる主治医・通い慣れたクリニック・仲間などを同時に喪った患者たちが、数日のうちに緩やかな互助の輪を立ち上げた。メディアの一部に見られる無神経な取材に対し、批判の声を上げる人々もいる。身内や親しい人々を喪った人々を支えようとする人々もいる。大阪市は行政として、患者たちの常用薬や転院に関連する困難を軽減する姿勢を示している。

 希望の光は、数多く見えている。しかし課題は多い。小室眞子氏が複雑性PTSDを語れる一方、いわゆる「ブラック企業」で「ギリギリ」「限界」という状況にありながら辛さを語れない人々がいる。そもそも皇室に関して言えば、メンタルヘルス問題については雅子皇后という先人もいた。自らのメンタルヘルスを守り、必要な配慮や理解を受ける理解が、「セレブ限定」であってよいわけはない。

 あらゆる人々が自らのメンタルヘルスを大切にし、そのことによって社会のメンタルヘルスのレベルを高められる日々を実現するためには、数多くの課題を解決しつづける必要がある。それは、2022年に向けた宿題だ。

 ギリシャ神話の「パンドラの箱」は、開けられたとたんに数多くの災厄を吐き出した。慌てて閉じてしまうと、「希望」が閉じ込められた。

 もう一度、「パンドラの箱」を抱えよう。箱の中には「希望」が残っている。
みわよしこ
三輪佳子。東京理科大学大学院理学研究科修士課程(物理学)を修了後、電機メーカの企業内研究者(半導体シミュレーション)だった1997年より著述活動を開始。2000年より著述活動に専念、科学・技術一般に関する著述活動を行う。2005年に中途障害者となり、障害当事者として日本の社会福祉に直面(障害者手帳取得は2007年)。2011年、東日本大震災を契機に、社会保障・社会福祉についても著述活動を開始。障害者や女性の権利に関して、国連等での活動も行う。現在は著述活動のかたわら、立命館大学の大学院博士課程に在学し、社会保障政策の決定プロセスを研究中。著書は「生活保護リアル」(2013年・日本評論社)、『いちばんやさしいアルゴリズムの本』(2013年・共著・技術評論社)、「おしゃべりなコンピュータ 音声合成技術の現在と未来(2015年・共著・丸善出版)など。関心対象は、科学・技術・公共政策・災害・教育など幅広い。無類の愛猫家でもある。

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