ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュの法廷で問う「なぜ姉を死なせた?」 路上生活者襲撃1年 弟の思い

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
https://mainichi.jp/articles/20211115/k00/00m/040/149000c

東京都渋谷区で大林三佐子さん(当時64歳)が頭を殴られて死亡した事件は16日で発生から1年を迎える。大林さんは非正規雇用の仕事を失い、路上生活を続けていたところ被害にあった。かつて劇団員として活動し、アナウンサーになる夢もあった大林さん。事件当時の所持金は8円で、親族の連絡先が書かれたメモ用紙も持っていたが、連絡した形跡はなかった。「なぜ助けを求めなかったの?」。弟(63)は姉に問いかける。

 2020年11月中旬、警視庁の捜査員が突然、埼玉県にある弟の自宅を訪ねてきた。「身元を確認してもらえないか」。捜査員と一緒に代々木署に向かう車の中で、「人違いであってくれ」と祈り続けた。


20代のころの大林三佐子さん=弟提供拡大
20代のころの大林三佐子さん=弟提供
 だが、安置された遺体の顔を見てすぐに姉と分かった。約20年ぶりの対面だったが、やつれた様子はなく、「眠っているように安らかな顔だった」。姉がキャリーケースを傍らに置き、バス停のベンチに背中を丸めて座る写真も見せられた。身ぎれいにしているように見えたが、捜査員から路上生活をしていたと聞かされ、心底驚いた。

 銀行口座残高は1000円あまり。ウエストポーチに入っていた名刺大のメモ用紙にはびっしりと連絡先が書き込まれていた。契約が切れた携帯電話もあった。「ここまで追い込まれていたとは」。言葉を失った。


 2人は広島市で生まれた。1学年上の姉は明るく活発で、自立心が強い性格だった。市内にある中高一貫の私立女子校に通い、高校時代は友人を自宅に招いて悩みの相談に乗るなど、友達思いな一面もあった。

現場のバス停に献花して手を合わせる大林三佐子さんの弟=東京都渋谷区幡ケ谷で2020年11月22日午前11時35分、鈴木拓也撮影拡大
現場のバス停に献花して手を合わせる大林三佐子さんの弟=東京都渋谷区幡ケ谷で2020年11月22日午前11時35分、鈴木拓也撮影
 同市内の女子短大に進学し、卒業後は結婚式の司会などの仕事をした。「アナウンサーを目指して教室に通っていたが、なかなかハードルは高いようだった」。27歳で結婚したのを機に上京したが、約1年後に離婚して広島に戻り、パソコンの使い方を教える仕事に就いた。30歳ごろに再び上京し、ソフトウエア関連の会社に勤務した。


 最後に会ったのは約20年前。姉が体調を崩して入院した時、母と一緒に見舞った。その後は疎遠になったが、姉から毎年届くクリスマスカードが無事を知らせる便りだった。

途切れたバースデーカード
大林三佐子さんから2017年に届いたクリスマスカード=東京都内で2021年11月9日午後9時45分、鈴木拓也撮影拡大
大林三佐子さんから2017年に届いたクリスマスカード=東京都内で2021年11月9日午後9時45分、鈴木拓也撮影
 17年暮れに届いたカードにはハートをモチーフにしたイラストが添えられ「お元気ですか? 良いお正月をお迎え下さい」とつづられていた。だが、30年以上、毎年欠かすことがなかった便りも、その後途絶えた。


大林三佐子さんから2017年に届いたクリスマスカード=東京都内で2021年11月9日午後9時45分、鈴木拓也撮影拡大
大林三佐子さんから2017年に届いたクリスマスカード=東京都内で2021年11月9日午後9時45分、鈴木拓也撮影
 姉の生活は徐々に苦しくなっていったようだ。捜査関係者によると、複数の人材派遣会社に登録して、都内のスーパーで食品販売員などの仕事をしていたが、16年ごろから杉並区の自宅アパートの家賃を滞納するようになり、17年に強制退去させられた。20年2月には勤めていたスーパーの販売員を辞めた。

 同年春ごろから、運行終了後の深夜から未明にかけ、渋谷区幡ケ谷のバス停で仮眠を取る姿が目撃されていた。事件の数日前には、バス停を通りかかった女性が上着やマフラーを渡そうとした。しかし、優しい笑顔で「私は大丈夫」と断ったという。

 生活保護の申請もしていなかった。「芯が強くて、一人で何とかしようというタイプ。誰かに迷惑をかける自分を許せなかったのかもしれない」。弟は、都会の片隅で路上生活をしながら、決して助けを求めようとしなかった姉の気持ちをこう推察する。

大林三佐子さんが倒れていたバス停付近を調べる捜査員=東京都渋谷区幡ケ谷で2020年11月16日午後0時半、最上和喜撮影拡大
大林三佐子さんが倒れていたバス停付近を調べる捜査員=東京都渋谷区幡ケ谷で2020年11月16日午後0時半、最上和喜撮影
 傷害致死容疑で逮捕された近くに住む酒店従業員の吉田和人被告(47)は「事件前日にお金をあげるからバス停からどいてほしいと頼んだが、断られて腹が立った」と捜査段階で供述したとされる。

 弟は年明けに始まる見通しの刑事裁判で、被害者参加制度を利用することを考えている。「『自分のしたことの責任をしっかりとれ』と言ってやりたい」

 ただ、被告に何を聞いても姉は帰って来ないことも分かっている。「人を死なせてしまうほどの憎しみとは何なのだろう」という疑問を抱き続けている。【鈴木拓也】

ヒマワリみたいな存在の「ミッキー」
 大林三佐子さんは20代前半の頃、広島市内の劇団で活動していた。劇団主宰の光藤(みつふじ)博明さん(71)は「彼女がいると周りも明るくなるヒマワリみたいな存在。きれいな声をしていて、声優を目指し『お金をためて東京に行きたい』と話していた」と振り返る。

ニックネームと同じ「ミッキー」がプリントされたTシャツを着て演劇の練習をする大林三佐子さん(下段中央)=光藤博明さん提供(画像の一部を加工しています)拡大
ニックネームと同じ「ミッキー」がプリントされたTシャツを着て演劇の練習をする大林三佐子さん(下段中央)=光藤博明さん提供(画像の一部を加工しています)
 ニックネームは名前にちなんで「ミッキー」。「ミッキーマウス」がプリントされたTシャツを着て笑顔を見せる写真も残る。1977年の公演パンフレットには演劇への思いを記していた。

 「人の気持ちというものは、自分が同じ状態にならない以外は、理解し難いものであり、全く自分の経験しない人生を送った人物に成り切る事は非常に困難であるけれど、しかし少しでもその役に近づく事がひとつの大きな課題でもあり、新しい自分の糸口であると思います」

 光藤さんは、誰にも助けを求めず、路上生活を続けていた大林さんについて「気遣いができるから他人に迷惑をかけないようにしていたのだろう。心が痛む。劇団を辞めてから何もしてやれなかった」と悔やんだ。【木原真希】

渋谷・路上生活者傷害致死事件
 2020年11月16日午前4時ごろ、東京都渋谷区幡ケ谷2のバス停のベンチに座っていた路上生活者の大林三佐子さん(当時64歳)が頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。ペットボトルと石が入ったポリ袋で大林さんの頭を殴って死亡させたとして、酒店従業員の吉田和人被告(47)=同区笹塚2=が傷害致死罪で起訴された。事件後、路上生活者のグループなどが「彼女の死はひとごとではない」と訴える抗議デモも行われた。

コメント(1)

本当に、他人事とは思えない、事件でしたね・・・。
あれから、もう一年が経ったのですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。