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生活保護者の集いコミュの誰にも頼れない社会が生み出す日本の孤独・孤立

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https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00763/

新型コロナウイルスの感染拡大で外出自粛が長引き、社会や他人との接点が少なくなる孤独・孤立問題が深刻になってきた。「人に迷惑をかけてはいけない」という意識が、この問題の根底にはあると筆者は指摘する。

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他国に比べて孤立者の多い日本
日本では2021年2月に孤独・孤立対策担当大臣が任命、孤独・孤立対策担当室が設置、現政権でも継続されている。こうした措置は、孤独・孤立問題に対する政府の危機意識の高さを表している。実際に、日本には諸外国に比べると、誰からもサポートを受けられず孤立している人が多い。例えば、05年の経済協力開発機構(OECD)の報告では、日本は加盟24カ国の中で最も孤立者が多いと指摘されている。

この傾向は最近になっても変わっていない。内閣府が15年に4カ国の60歳以上の高齢者を対象に実施した『高齢者の生活と意識に関する国際比較調査』でも、「同居の家族以外に頼れる人がいない」と答える割合が高く、社会的に孤立している人が多いのが分かる。



若者についても同様だ。内閣府が7カ国の13〜29歳の人を対象に18年に実施した『わが国と諸外国の若者の意識に関する調査』で、「悩みや心配ごとがあった場合、誰に相談したいと思いますか」という質問に対して、「誰にも相談しない」と答えた人の比率は、日本が群を抜いて高い。



孤立者の多さを反映するかのように、日本の自殺率は国際的にみても高い方に属する。例えば15年において、人口10万人当たりの自殺率は、183カ国中18番目に入る。『わが国と諸外国の若者の意識に関する調査』の対象国でも、日本より上位にくるのは韓国だけである。これらの調査結果からも、日本は他国に比べ孤独・孤立問題が深刻だと言えよう。

ではなぜ、日本には誰にも頼れず孤立してしまう人が多いのか。この短い論考では、個人および自由に対する日本独特の立ち位置から、孤独・孤立問題について検討してゆく。

困窮者を「迷惑」と決めつけて切り捨ててゆく社会
多くの先進諸国と同じように、日本社会も「個人の尊重」と「自由」を守るべき重要な価値基準としている。個々人の主義・信条や決定を尊重するゆえに、自由が守られることに重きを置くのである。しかし、「自由」には「制約」もつきまとう。諸外国と同様に、「人に暴力をふるう」「人のものを奪う」といった行為は、「他者に危害を加える行為」として厳しく禁止されている。また、暴力については、精神的なものも含まれている。

日本社会に特徴的なのは、「他者に危害を加える行為」に「世の中や他者への迷惑」が入ることだ。日本では、「自らの努力で問題を解決できず他人に頼る行為」は、他者に「手間をかけさせる」という損失をもたらす「迷惑な行為」としてタブー視される傾向がある。日本社会において、「個人の尊重」や「自由」といった標識の裏には、「世の中への配慮」という集団心理が隠されているのである。

個々人の権利ではなく、周りの人や世の中に対する責任を優先する「日本型自由主義」とでも言うべき社会の在り方は、日本の孤独・孤立問題にも大きな影響を与えている。この点についてもう少し詳しくみてみよう。

農村共同体のように人々が強くつながっている社会を息苦しい「集団主義」と見なし、克服すべき対象として位置づけてきた日本社会は、集団から脱し「一人」でも生きてゆける社会を目指してきた。その過程で私たちは、生きてゆくために必要なさまざまなものを、人とのつながりの中にではなく、貨幣を通じて得られるモノやサービス、および、社会保障によって充足させるシステムを築き上げた。今や一定の資産とインターネットの接続環境さえ用意すれば、人と会わない生活も可能である。

こうして一人で生活してゆけるシステムが整うと、人間関係は「結びたい人が好みに応じて結ぶ」嗜好(しこう)品の色合いを強めてゆく。今やつながりの中に強制的に落とし込められる時代ではない。私たちの生活は、人とのつながりの中にではなく、資本主義システムの中で学歴や資産を獲得していく努力を通じて維持されているのである。言い換えると、私たちは人から離れる自由を得た代わりに、努力してお金を稼ぎ生活を維持する責任を負わされたのである。

このような状況では、「困ったときに人に頼る」という人間社会の根本である互助的行為が難しくなる。先述したように、一人で生活してゆけるシステムの基本は、各人が生活費を稼ぎ自立することである。そこでもし周りの人に頼ると、そうした人は生活を維持する努力をせず怠けていると見られがちだ。ゆえに、日本社会では、救いを求めるささやかな声は、「甘え」や「他者への迷惑」の大合唱にかき消されてしまうのである。

東京50キロ圏内に住む5631人を対象に2016年に実施された『首都圏住民の仕事・生活と地域社会に関する調査』(代表者・橋本健二)でも、経済的に困窮し、家庭環境も恵まれず、人間関係も乏しい人ほど「人に迷惑をかけてはいけない」と強く思っているといった結果が出ている。周りの人や世の中に対する責任を優先する「日本型自由主義」の社会では、困っている人の声に「迷惑」というラベルを貼り付け、切り捨ててゆく仕組みが内包されているのである。

使い勝手の悪い生活保護制度
他者に頼れずとも、より大きな「社会」が個人の生活を保障してくれるならば、孤立することはそれほど問題とはならないかもしれない。しかし、人に頼れないことと同じ理由から、日本では「社会」(行政の支援)に頼ることも難しい。

日本にも多くの国々と同様に、住民に最低限の生活を保障する生活保護制度がある。生活保護は、日本という国が憲法で保障した「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を制度化したものだ。ゆえに、日本に住んでいる人ならば、当然のように誰しも受ける権利がある。しかし、日本社会には、「保護を受けて当然」といった考えはなかなか浸透しない。

日本社会では、生活に困窮している人に保護を勧めても、「保護だけは絶対に受けたくない」という人が少なからずいる。また、生活保護を受ける人が非難されることも少なくない。その背後にも他者への迷惑をタブー視する「日本型自由主義」の存在がちらついている。

他の多くの国と同じように、生活保護は税金を財源とする。従って生活保護制度は、私たちが当然受けるべき最低限の生活を国民全体で保障する互助的な制度と言える。しかし、少々意地悪な見方をすると、生活保護制度は、十分なお金を稼ぐ努力をしていない、あるいは、できない人の負担を周りが肩代わりする制度とも考えられる。後者の視点に立つと、生活保護を受ける人は、お金を稼ぐ努力をせずに他者の負担に甘える「迷惑な人」と認定される可能性がある。実際に日本では、生活保護受給者を激しく責め立てる「生活保護バッシング」が起きている。だからこそ、このような批判を避けるべく、かたくなに保護を拒否する人が現れてしまう。

日本の生活保護制度は、個々人が意図せずのっぴきならない状況に追い込まれたときに限り、やむを得ず恐縮して利用する使い勝手の悪い制度なのである。他者や行政への援助要請を「迷惑行為」と捉え、周りの人や世の中への責任を強調する「日本型自由主義」の社会では、何かに頼ること自体がそもそも難しいのである。

他人への迷惑回避が生み出す孤独・孤立
先述したように個人の尊重と自由には必ず制約がつきまとう。そして、制約の在り方によって、社会のありようは大きく変わる。一見、自由に見える日本社会だが、他者への迷惑を回避しようとする意識が個々人を強く拘束しがちだ。だからこそコロナ禍では、特に厳しい制限をせずとも多くの人が自主的にマスクをし、行動を律することで感染症を押さえ込むという、米国や西欧諸国が実現し得なかったことをやってのけた。しかしその一方で、ルールを守らない人、コロナウイルスに感染した人には「世の中に迷惑をかけた」と厳しい視線が注がれた。

個々人の権利よりも周りの人や世の中に対する責任に目を向けがちな「日本型自由主義」は、他の国には見られないほどの規律・秩序と引き換えに、多くの孤独・孤立を生み出してしまうのである。

バナー写真=社会に迷惑をかけることを恐れる孤立者のイメージ(PIXTA)


石田 光規ISHIDA Mitsunori経歴・執筆一覧を見る
早稲田大学文学学術院教授。東京都立大学大学院社会科学研究科単位取得退学。博士(社会学)。大妻女子大学専任講師、同大准教授、早稲田大学文学学術院准教授を経て2016年より現職。孤立や友人関係など、現代社会の人間関係に焦点をあてて研究をしている。著書に『友人の社会史』(晃洋書房、2021年)、『孤立不安社会』(勁草書房、2018年)、『つながりづくりの隘路』(同、2015年)など。

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