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生活保護者の集いコミュの30年来の不倫&結婚の末に…夫婦が行き着いた「悲しい結末」

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https://news.yahoo.co.jp/articles/6966954f15b05fe48a683d331a02098e16e8c954

東京都葛飾区で心中事件を起こし、一命をとりとめた64歳の男性の言葉である。

「生活保護を受けて暮らしていました。けど、収入が足りず、以前から妻ともめていました。そんなさなかに、生活保護の住宅扶助が5000円ほど切られることになったんです。どうしようもない、生きていてもしょうがないって思って、妻を殺して自分も死のうとしてしまいました」

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20年度に起きた心中事件は、全国で46件、101人。NHKの調べでは、その半数近くが、コロナ禍の影響で自殺者が急増した10月〜12月の3ヵ月間に集中していたという。

コロナ禍によって、日本の格差がますます開いている今、経済困窮によって人はどのように心中へと追いつめられるのか。実際に起きた事例から考えてみたい。

◆33年前の出会い

吉岡浩人(仮名、以下人物名は同。事件当時64歳)が妻の小枝(同62歳)と結婚したのは、12年のことだった。当時二人は60歳前後。事件が起こる3年ほど前である。

二人の結婚が遅かったのには、複雑な事情があった。最初の出会いは33年前の82年。浩人は31歳で既婚、小枝も29歳の既婚で二人の子供がいた。浩人はカタブツを絵に描いたような人間だったが、小枝は自由奔放な性格でアルコール依存だった。浩人は自分とは正反対の小枝にほれたのだろう。

出会って間もなく、二人はW不倫の関係になり、駆け落ち同然で家を出る。当時、小枝が家に残した末の娘がまだ生後9ヵ月だったことが、どれだけ衝動的な行動だったかを物語っている。

二人は結婚しようとするものの、浩人の妻が離婚に応じず籍を入れられなかった。浩人はそんな申し訳なさがあったのだろう、小枝を甘やかした。

もともと放埓な性格だったこともあって、小枝はショッピングや飲食を重ねた。足りない分は、多額の借金をしていた。それでも浩人は小枝をとがめることをしなかった。

そんな関係が10年ほどつづいた後、小枝は突然行方をくらましてしまう。男をつくって青森へ行ってしまったのだ。浩人に愛想をつかしたのだろう。

その後、ようやく浩人の妻が離婚に応じたが、すでに小枝とは連絡もとれなくなっていた。

それから約20年の歳月が過ぎた。この間、浩人は独身のまま、妻から請求された慰謝料と小枝の残した借金を支払いつづけた。これが不倫の代償だった。

一方、小枝は青森で男と別れた後は不摂生が祟り、体を壊し、精神疾患を患った。東京に残してきた家族に連絡を取って支援を求めるものの断られ、生活保護を受けて生きていくようになる。

◆「何度も無言電話が」

彼女の孤独を物語るエピソードがある。駆け落ち当時、9ヵ月だった娘は児童養護施設で育てられた。彼女が10代のある日、突如として青森にいるはずの小枝から連絡があり、会おうといわれたという。

待ち合わせ場所のファミリーレストランに行くと、小枝は別れた夫の悪口ばかり言いつづけた。娘は不信感だけが募っていったという。

娘の言葉である。

「その日以降、何度も無言電話がかかってきました。一度思わず『お母さんなの?』と言ったら、電話の向こうから『うん』っていう声が聞こえてきました。それで電話は切れてしまいました」

生活保護を受けながらの闘病生活の中で、寂しさに耐えかね、かつて捨てた娘に無言電話をくり返していたのだろう。彼女もまたどん底にいた。

09年、葛飾区で浩人も生活保護を受けながら、駐輪場の管理人のアルバイトをして細々と暮らしていた。

そんな彼のもとに一本の電話がかかってくる。小枝からだった。

「浩人さん? 私、小枝……久しぶりだね。会わない?」

小枝は寂しさのあまり浩人に連絡をしたのだ。

浩人はずっと小枝に未練を抱いていたことから、電話の声を聞いて暗い人生に光が射したようだった。

「会いましょう!」

20年ぶりに浩人は小枝に会った。顔は昔のままだったが、健康はかなり悪くなっていた。その時の印象を浩人は公判で述べる。

「彼女はとても生活が苦しそうで、糖尿病や精神病の薬をたくさん飲んでいました。あれだけ好きだったお酒も飲めなくなっていました。私はそんな彼女を見て、面倒を見てあげたいと思いました。僕も生保を受けてましたが、働けるくらいの体力はあったし、20年前は結婚できなかったので、今度はちゃんと入籍してあげたいという気持ちもありました。それに、夫婦になれば、彼女も健康になるんじゃないかとも思ったんです」

浩人にしても、小枝にしても、ここでやり直すことが二人の人生の最終章に花を添えることになると思ったのだろう。

こうして12年10月、二人は晴れて再婚する。

亀有駅から徒歩数分の1DKのアパートが二人の新居だったが、生活は生活保護と駐輪場のアルバイトで成り立っていた。収入の内訳は次の通りだ。

アルバイト代 10万円前後

生活保護 8〜10万円

合計 約18〜20万円

厳密にいえば、生活扶助が11万9200円で、これに住宅扶助(6万9800円)が加わった額が生活保護費の全額(18万9000円)なのだが、アルバイトの収入があるため、その差額分が差し引かれて右記のようになる。60代の夫婦が細々と生活していくぶんにはやっていけるはずだし、浩人もそう計算していただろう。

浩人もまた次のように述べている。

「彼女は必要な人、一緒に生活をしていく中でうまくやっていける相手でした。仕事から帰ると家にごはんがあって『おかえりー、一杯飲む?』と声をかけてもらえる。そういう時はありがたいなぁと思いました。結婚生活は楽しかったことが多いです。家で二人でテレビを見て食事をする。毎日のことが楽しかったです」

だが、彼女の浪費癖は治るどころか、より悪化していた。生活費をわたせば、毎日食べられないほどの量の野菜や肉を買ってきて冷蔵庫を一杯にして多くを腐らせてしまう。連日のようにカラオケに行く。一チケット数千円もする大衆演劇に頻繁に通う……。

浩人は何度も気を付けるよう注意したものの、小枝は聞く耳を持たないどころか、精神疾患によって躁と鬱をくり返し、時には大量の睡眠薬を飲んで道で倒れて救急車で運ばれる状態だった――。

【後編】では、浩人と小枝の暗転する生活と、苦悩の末に選んだ「悲しい結末」について詳述します。

取材・文:石井光太
77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

入籍してから半年後、吉岡浩人(仮名、以下人物名は同。事件当時64歳)は予想もしなかった事実を知ることになる。妻の小枝(同62)からかつてした借金の返済を迫られていると言われたのだ。

弁護士に相談したところ、月々6000円の分割にして4年かけて返済することにした。浩人には、生活保護の過剰支払い分の返済として、それとは別に毎月8000円を払っていたので、合計すると1万4000円ほどの支払いになった。

【前編】30年来の不倫&結婚の末に…夫婦が行き着いた「悲しい結末」

浩人は小枝にわたす生活費を週1万4000円と決めて生活費を切り詰めることにした。だが、彼女はそれを2、3日でつかいはたし、「お金ちょうだい」と言ってくる。話が通じないので、仕方なく1000円、2000円と払っているうちに出費だけが膨らんでいく。

そのせいで、月の生活費は生活保護費の支給日の10日前には底をついている状態だった。毎月、最後の10日間は水とわずかな米やパンだけで過ごす。そうした生活をするうちに、浩人はどんどん精神的に追いつめられていった。

浩人は言う。

「今思えば、もっと彼女に厳しくしていればよかったと反省しています。でも、あの時は言っても言い負かされちゃうというか……。いくら言っても聞いてくれないし、彼女に『生活保護から早く抜け出したいね』とか『もっといい仕事あるといいね』と言われると、自分が悪いのかもしれないと思いました。実際に僕も弱かったり、甘かったりする部分があって、彼女に対して強い口調でやめろとは言えなかったんです」

厳しい三つの選択肢
おそらく浩人の中には、厳しく叱りつけて小枝に嫌われるのを恐れる気持ちがあったのだろう。小枝に逃げられれば、再び孤独な生活に引き戻されることになるのだ。

15年6月1日、浩人の家計に打撃を与える出来事が起こる。国が生活保護の住宅扶助を削減したのだ。

役所の職員に相談に行ったところ、職員から月に5000円減額の6万4000円になるとつたえられた。これは今住んでいるアパートの家賃より安い額だった。浩人がそれを話すと、職員はこう言った。

「足りない分については、大家さんに値下げをお願いするか、ご自身で自己負担するか、家賃の安いアパートに引っ越すか三つに一つになります」

浩人は愕然とした。月の3分の1はほとんど水だけでやり過ごしている状況なのに、これ以上どうしろというのか。浩人は冷静に考えることができず、「家で妻と相談します」と言って帰宅した。

その日、浩人は生活保護費が削減されたことを小枝に話した。小枝は答えた。

「えー。じゃあ、引っ越し先探してよね!」

不動産へ行って安い物件が見つかったとしても、今より悪い条件になるのは明らかだ。そうすれば、また小枝から不平不満を言われることになる。浩人は頭を抱えた。

その日から6日間、浩人は鬱々と悩みつづける。何より恐ろしいのは、小枝に出て行かれ、孤独な生活を強いられることだ。そんなふうに孤独死を待つくらいなら、二人でいるうちに死んだ方がずっとましだ。

6月7日の夕方、二人はキッチンの前のこたつで早い夕食を取った。今はまだ生活保護費が支給されたばかりだが、もう少しすればまた底をついて水で腹を膨らませる生活になる。気持ちはどんどん沈んでいった。

小枝はそんな浩人の心配をよそに、食事を終えると睡眠薬を飲み、コタツで眠りはじめた。浩人は彼女を敷きっぱなしの布団に運んでから、晩酌をしている中で、だんだんと「もう死にたい」と思うようになった。

しかし、今自分が自殺したとして、小枝は一人では生きていけないだろう。彼女だけでは、数日で生活保護費をつかいはたし、ホームレスになるか、飢え死にするかだ。そんなつらい目に遭わせるくらいなら、一緒に逝かせてあげた方がいいのではないか。

両手をブルブルと痙攣させ……
アルコールも入って余計に鬱状態になっていたのだろう。その気持ちは膨れ上がり、もう心中するしかないという考えに傾いていった。逆に言えば、それだけ孤独が恐ろしくてならかったのだ。

浩人は立ち上がり、睡眠薬で眠っている小枝のもとへ歩み寄って言った。しばらく彼女の寝顔を見つめてから、コタツの電気コードを手に取り、彼女の首に巻きつけて、思い切り絞め上げた。小枝はうめき声をだし、両手をブルブルと痙攣させ、2、3分して息絶えた。

彼は絶命したのを確認してつぶやいた。

「俺もすぐいくから」

そして台所で包丁を手に取ると、浴室に入り、浴槽にお湯を入れた。そしてTシャツとハーフパンツ、それにトランクスを脱いでから浴槽に入り、左手首を二度にわたってVの字に切った。後の調べによると、傷は深さ5mm、長さ5cmだった。さらに左首と腹部を5cmずつ切ったところで、浩人は意識を失った。

これでもう一人になるのを恐れなくていい。天国で小枝と二人で安心して過ごせる。そんな気持ちだったという。

だが、2時間ほどが経った21時過ぎ、浩人は浴槽の中で意識を取りもどした。自殺未遂に終わっていたのだ。出血のせいで、意識がもうろうとし、再び自殺をする力は残されていなかった。

彼は20時40分に警察へ連絡し、駆けつけた警察によって身柄を取り押さえられることになった。

この無理心中事件の経緯を知り、浩人を「浅はかだ」と一蹴するのはたやすい。

しかし、この事件は無理心中を考える上で重要な要素が含まれている。それは、二人が貧困に陥る前から問題を抱え、共依存の状態に陥っていたことだ。

普通に考えれば、生活保護費が多少削減されたとしても、きちんと話し合い、切りつめるところは切りつめ、あるいは第三者に支援を求めれば、心中には至らなかったはずだ。

だが、無理心中する者は、そうしたことをする力がない。浩人にしてみれば、家族から見放され、約20年間もどん底の生活をした末に、ようやくつかんだ幸せだった。それゆえ、小枝に生活態度を改めさせることができなかったし、小枝もまた精神疾患によってそれができる気力を持ち合わせていなかった。

そう考えると、無理心中は貧困など一つの事象だけが原因で起こるものではないことがわかる。もともと持っていた問題がつみ重なって生きる力がなくなり、そこに貧困という問題が追い打ちをかけるように起きてはじめて無理心中となるのだ。

コロナ禍で増加する心中について考える時、その当事者の背景に目を向けることが重要だといえる。

取材・文:石井光太

77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

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