ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュの貧困“再発見”から15年…子どもの貧困対策が「現金給付」に消極的である理由

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87208

貧困の再発見と子どもの貧困対策推進法の制定
「貧困」が再発見されたのは、2006年のことである。その頃、私は授業で恐る恐る「日本に貧困問題はあると思うか」と学生に尋ねた記憶がある。それほど「豊かな日本」には「貧困」はないという思い込みが広がっていた。

その後、2008年は「子どもの貧困元年」と言われ、2013年に議員立法により「子どもの貧困対策の推進に関する法」が制定される。そして、翌2014年、「子どもの貧困対策大綱」(以下、大綱)が閣議決定され、2019年には同法と大綱が改正される。

広告

こうして様々な子どもの貧困対策が実施されるようになり、ひとり親世帯の貧困率の高さも広く知られるようになった。貧困が問題になり始めた2006年、竹中平蔵総務大臣(当時)は、日本社会に格差は存在するが、「社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はない」と語ったそうだが、おそらく竹中氏も、今はもうそのようには言わないだろう。

〔PHOTO〕iStock


現金給付の抑制と現物給付の拡大
そうした中、子どもの貧困率は2012年の16.3%をピークに、2015年13.9%、2018年13.5%と減少してきた。なぜ減少したのか。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林庸平・横山重宏(2017)は、2015年の子どもの貧困率低下の要因は、「低所得層の賃金の増加が主因であり、社会保障の充実等が理由ではない」と分析する(「『子どもの貧困率の低下』の背景を探る」)。子どもの貧困対策にもかかわらず、社会保障による「現金給付」は拡充していないというのである。

確かに、貧困率を集計している厚生労働省の「国民生活基礎調査」を見ると、18歳未満の「児童のいる世帯」の社会保障給付金(年間)は、2013年の子どもの貧困対策法以後増加しておらず、むしろ減少している(2012年23.2万円、2015年17.4万円、2018年18.5万円)。

20歳未満の子のいる「母子世帯」の社会保障給付金も、2012年の49.3万円がピークであり、以後、2015年42.5万円、2018年37.3万円と減少している(次の表)。しかも、児童のいる世帯全体より、約半分が貧困世帯の母子世帯の方が、社会保障給付費の減少幅が大きい。

厚生労働省「国民生活基礎調査」(各年)より作成 https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/20-21.html
母子世帯は、死別・離別・未婚などで、現に配偶者のいない65歳未満の母親と20歳未満の子(養子を含む)のみの世帯をいう。「社会保障」は、年金以外の社会保障給付金。「その他」は「公的年金・恩給」「財産所得」「仕送り・企業年金・個人年金・その他の所得」の合計。
その一方で、近年、「幼児保育・教育の無償化」や「高校授業料無償化」、「大学授業料無償化」などの教育支援が進められており、これらの「無償化」も、子どもの貧困を解決するための「現物給付」として位置づけられている。今日の子どもの貧困対策は、使途がある程度親に任されている現金給付を抑制あるいは削減して、教育や保育という特定の現物給付を拡充しているのである。

子どもの貧困対策の論理を考える
だが、2014年の大綱は、「経済的支援に関する施策については子供の貧困対策の重要な条件として、確保していく必要がある」と書いている。また、2019年の大綱は、「子どもの貧困に関する指標」として、ひとり親世帯の34.9%が、過去1年間に食料を買えなかったことがあったとするデータを挙げている。教育の現物給付をいくら拡充しても、このような子どもの切迫した貧困を直接解決することができない。にもかかわらず、なぜ子どもの貧困対策は貧困世帯への現金給付を拡充しないのだろうか。

一方、近年進められている幼児教育・保育の無償化は、そもそもは自民党が「国家戦略」として打ち出したものである(自民党文教制度調査会・文部科学部会 幼児教育小委員会「国家戦略としての幼児教育の無償化について」2008年)。

広告

だが、自民党は野党時代、党の国家戦略本部の中長期政策「日本再興」(2011年7月)において、民主党政権の子ども手当は「子どもは社会が育てる」という「誤った考え方」に基づくものだと批判して、0歳児については「家庭で育てることを原則」とするという方針を打ち出している。

「子どもは社会が育てる」という理念が「誤った考え方」であり、無償化がそうした考えに基づくものでないとすれば、近年の無償化はどのような理念に基づく「国家戦略」なのだろうか。

つまり、ここで考えてみたいのは、子どもの貧困対策の是非や有効性についてではない。なぜ今日の子どもの貧困対策は、現金給付を抑制しながら、教育や保育の現物給付を拡充するのかということである。現金給付か現物給付かという対立は単なる優先順位や財源問題ではなく、そしておそらく有効性の問題でもないだろう。子どもの貧困対策の前提には、現金給付を抑制する論理と現物給付を進める論理があるからである。

結論的に言えば、子どもの貧困対策が現金給付を抑制するのは、現金給付が子どもの生活や生存を国家と社会が直接保障する制度だからだろう。それに対し現物給付の拡充は、教育機会や就労のチャンスを広げることによって、子ども自身が「貧困の連鎖」を断ち切るための政策である。したがって、今日の子どもの貧困対策は子どもを支援しつつも、貧困の解消そのものに責任を負うことはなく、その解決を子ども自身に委ねるものと言えるだろう。



児童福祉サービス(現物給付)の増加
では、まず、国立社会保障・人口問題研究所の「社会保障費用統計」より、「児童・家族関係」の社会保障給付費(給付総額)の推移について見ておこう。次のグラフを見ると、2013年の子どもの貧困対策推進法制定以来、現物給付が拡大する一方、現金給付が抑制されていることがよく分かる。

「児童・家族関係」の社会保障給付費は、高齢者関係給付に比べればはるかに給付総額が少なく伸び率も小さいものの、近年大幅に増加している。それは、「児童福祉サービス」の現物給付が急増しているからである。

児童福祉サービスの給付費は約7割が就学前教育・保育であり、2015年に実施された「子ども・子育て支援新制度」により、認定こども園、幼稚園、保育所を通じた給付(施設型給付)と小規模保育などへの給付(地域型保育給付)が創設されたことから、児童福祉サービスの給付費が急増することになった。2019年10月には「幼児教育・保育無償化」が実施され、児童福祉サービスの給付費はさらに増加している。

国立社会保障・人口問題研究所(2021)「令和元(2019)年度社会保障費用統計」より作成。児童家族関係給付費には、他に育児休業給付、出産関係費が含まれる。http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/security.asp

児童手当と児童扶養手当(現金給付)の抑制
一方、現金給付は抑制ないし減額されている。児童・家族関係の主な現金給付としては、中学生以下の子どものいる世帯に対する「児童手当」と、18歳未満の子どものいるひとり親世帯の低所得世帯に支給される「児童扶養手当」がある(2010年から父子家庭にも支給)。

児童手当の給付総額は、民主党政権時代の2010年度に「子ども手当」に変わったことによって急増するが、2012年度に再び児童手当に戻ってからは減少傾向が続く。近年の減少は子ども数の減少によるが、給付総額の減少にもかかわらず、児童手当を拡大する動きは見られない。

それどころか、2021年2月の閣議決定により、2022年10月から年収1,200万円以上の世帯には児童手当の「特別給付」(子ども1人月額5,000円)を支給しないことになった。それによって削減した金額(370億円)を保育所の整備にあてるという。これも現金給付を抑制し、現物給付を拡大する政策の一環と言えるだろう。



ひとり親世帯への児童扶養手当の抑制と削減
ひとり親世帯の低所得世帯に支給される児童扶養手当の給付総額は、2014年まで増加してきた。だが、それは児童扶養手当制度が拡充したからではなく、母子世帯の増加にともなって受給者数が増加したことが主な理由である(受給者は2012年が最多で108万人)。

そのため、かえって給付総額を抑制ないしは削減する措置がとられてきた。なかでも、小泉政権下の2002年には、一部支給の所得制限の緩和と引き替えに全額支給の所得制限が204.8万円から130万円へと大幅に引き下げられ、受給5年後で支給額を半額まで減らす「一部支給停止制度」(2008年より実施)と一部支給の金額を所得により10円単位で減額する逓減制度が導入された。

子どもの貧困対策の登場以後は、さすがにこうした削減は行なわれなくなり、ようやくわずかに拡大したが、それは、母子世帯の減少により、児童扶養手当の受給者が減少したためだろう。2016年には、第2子への支給額が月額5,000円から10,000円へ、第3子以降は3,000円から6,000円へ引き上げられた。第2子への増額は、実に1984年以来、3人目以降の引上げは1994年以来のことである(第1子は1990年代半ば以降、月額約4万2000円でほとんど変わらない)。

また、2018年には、全額支給の所得制限が年収130万円未満から160万円未満へと緩和されたが、160万円という額は、所得制限を361万円から171万円へと大幅に引き下げた1985年の水準にも及ばない。子どもの貧困対策は、相変わらず児童扶養手当の拡大に抑制的で消極的な姿勢をとり続けていると言えるだろう。


生活保護の「生活扶助」の引き下げ
児童扶養手当以上に抑制・削減されてきたのが、生活保護である。生活保護は、小泉政権下の2005年に削減され、安部政権下の2013年と2018年にも大幅な見直しが行なわれた。

なかでもとくに槍玉にあがったのが、日常生活の経費を保障する「生活扶助」と、子育て世帯のための「母子加算」や「児童養育加算」である。母子世帯に支給される母子加算(月額2万円程度)は、小泉政権下の2005年から段階的に廃止され、2009年4月に一旦全廃された。民主党政権の発足により同年12月に復活したが、安部政権下で再び削減されることになった。

広告

3歳未満の子ども等に対する「児童養育加算」は、従来児童手当と同額が支給されてきたが、2018年の見直しで、児童手当の金額よりも引き下げられた(1.5万円から1万円へ)。学習支援費も定額から実費に限定され、扶助の対象もクラブ活動費のみとなった。

その結果、子育て世代の生活保護費は、子どもの貧困対策以後かえって減少する。桜井啓太(2018)の試算によると、40代夫婦と小学生・中学生の世帯の場合、2013年4月の生活扶助基準(本体のみ、都市部)は約20万円だったが、2020年は17.6万円、40代のひとり親と小学生・中学生の世帯の場合は、同じく16.8万円から14.7万円に減少する(「2018年度からの生活保護基準見直し―子どものいる世帯への影響を中心に」『賃金と社会保障』旬報社、No.1700)。

その一方で、「収入を増加」させたり、「自立を助長」したりするための「生業扶助」は拡充されている。2005年度に生業扶助の一環として、高校生の学用品費、授業料、教材代などを支給する「高等学校等修学費」が創設され、2007年度には「ひとり親世帯就労促進費」が設置された。そして、2013年には、「生活困窮者自立支援法」が制定され、生活困窮者の自立支援の一環として「子どもの学習・生活支援事業」が盛り込まれた。

このように、生活保護制度においても、生活を支えるための現金給付が抑制されつつ、子どもの教育や親の就労を促進するための現物給付が拡大しているのである。



「貧困の連鎖」を断ち切るための子どもの貧困対策
ここまで見てきたように、今日の子どもの貧困対策は現物給付を拡大する一方、現金給付に対してはきわめて消極的・抑制的である。実際、2019年の大綱は、「子供に支援を届ける方法としては現物給付がより直接的」であると述べており、現金給付に対する否定的な姿勢を明言している。また、「子供に支援を届ける方法」とあるように、親ではなく、直接子どもを支援することが意図されており、この点も今日の子どもの貧困対策の大きな特徴である。

では、なぜ子どもの貧困対策は現金給付を抑制し、子どもへの現物給付を拡大するのか。それは、子どもの貧困対策が、「子どもの現在及び将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう」にするための政策だからだろう(子どもの貧困対策推進法第1条)。つまり、今日の子どもの貧困対策は、国と地方公共団体が教育サービスという現物を子どもに直接提供することによって、教育の機会を提供し、子ども自身が「貧困の連鎖」を断ち切るようにするための政策なのである。

生活の保障から「ワークフェア」へ
こうした今日の貧困対策は、高度経済成長期までの貧困対策とは大きく異なる。1957年版の『厚生白書』は、先進国における貧困は、「高水準の経済力のもとにおける所得の適正な分配についての失敗」として捉えるべきだとし、「わが国における貧困対策の貧困さ」「貧困についての問題意識の低さ」「貧困追放の意欲の欠乏」を主張した。

この当時、貧困は何より所得の再配分の失敗として捉えられていたのである。こうした理解は、子どもの貧困を家庭の貧困の「連鎖」の問題として捉える今日の捉え方と対照的である。

それゆえ、かつての貧困対策では、社会保障給付を拡充して再配分機能を高め、貧困世帯の生活と生存を保障することが目指された。1961年に母子世帯の「生活の安定」を図るために児童扶養手当法が制定され、1971年に制定された児童手当法もまた、子育て家庭の「生活の安定」と「児童の健やかな成長」を給付の目的としたが、それは、子どもの健やかな成長には家庭生活の安定が重要であり、そのためには、社会保障による経済的保障が不可欠だと考えられていたからである。

広告

しかし、1985年の児童扶養手当法の改正により、手当を支給する目的として「自立の促進に寄与する」ことが加えられ(第1条)、2002年の改正で、受給者は「自ら進んでその自立を図り、家庭の生活の安定と向上に努めなければならない」という条文が挿入される(第2条2項)。貧困母子世帯の子どもの「家庭生活の安定」は、社会保障によってではなく、基本的に母親自身の就労によってはかるべきものとされ、親への就労支援=自立支援が進められる。

こうして児童扶養手当は、子どもの福祉を保障するための「所得保障の機能」を縮小して、母親に就労による自立を求める「ワークフェア」(work welfare)へと転換することになった(堺恵『児童扶養手当制度の形成と展開―制度の推移と支給金額の決定過程』晃博書房、2020)。今日の子どもの貧困対策が現金給付を抑制する背景には、こうした「ワークフェア」の理念があるのである。



「児童家庭福祉」から「子ども家庭福祉」へ
子どもの貧困対策はまた、「児童家庭福祉」から「子ども家庭福祉」へ、という児童福祉の理念の転換に基づくものでもある。

1960年代に広がった「児童家庭福祉」という理念は、親と子を一体のものと見なし、親による教育こそが子どもの利益であり権利であるという認識を前提にして、親(母親)による保育や教育を国家・社会が保障しようとするものだった。そこには、「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」(児童福祉法第2条)とする戦後の児童福祉法の基本理念がある。

それに対し、2016年に社会保障審議会児童部会が打ち出した新しい「子ども家庭福祉」は、もはや親と子の利益を一体のものとは見なさない。子どもは親から「自立」した権利主体であり、それゆえ、親に対して「適切に養育され、発達する権利」を持ち、それが侵害された場合、親権の「停止」や「喪失」をも申請しうる存在である(2011年民法改正)。

子どもの貧困対策が親ではなく子どもに現物給付を行うのは、子どもを独立した権利主体と見なす「子ども家庭福祉」の理念が前提にあるからだろう。一定年齢に達した子どもは、国や地方公共団体から直接現物給付を受け、「生まれ育った環境」に左右されることのないよう、自ら「貧困の連鎖」を断ち切って、親から自立すべきなのである。

親の「第一義的責任」論の登場
こうした現物給付の拡大により、国と地方公共団体の任務は大幅に増大する。だが、子どもの育成に関する公的責任は増加せず、むしろ、軽減されている。2006年に改正された教育基本法をはじめ、2000年代に入って制定された家庭支援や子育て支援に関する法律には、子どもの育成は親が「第一義的」に責任を負うという条文が挿入されるようになったからである。

そのため、2016年に改正された児童福祉法においても、子どもの育成は保護者が「第一義的責任」を負うという条文が新たに設けられ(第2条2項)、親とともに子どもの育成に責任を負っていた国と地方公共団体は、親を「支援」する立場に位置づけ直された(第3条)。

広告

子どもの貧困対策推進法が、国と地方公共団体の任務を貧困対策の策定とその実施に限定し(第3条)、子どもの貧困の削減に責任を負うと明記しないのは、こうした親の「第一義的責任」論が前提にあるからだろう。子どもの貧困対策が現金給付に消極的なのもそのためである。子どもの貧困対策は、子どもの養育は親に「第一義的」に責任があると見なすことで、親に就労を促し、現金給付を抑制するのである。

このように、親の「第一義的責任」論は、近代自然法の普遍的な理念にみえて、実は、国や地方公共団体が子育て支援や貧困対策を行なうに当たって採用した新たな政策理念あるいは法概念と言えるだろう。国と地方公共団体は、親の「第一義的責任」論によって自らの責任を軽減することで、現金給付を抑制しつつ、現物給付などの支援を行うようになったのである(広井「学校と家庭の教育責任の変容」大桃敏行・背戸博史編『日本型公教育の再検討』岩波書店、2020年)。



申請による個人給付としての教育と保育の無償化
教育と保育の無償化もまた、親の「第一義的責任」論を前提とした「個人給付」である。このことは、そもそも親に教育責任がある以上、当然のことに見えるかもしれない。だが、1971年に児童手当法が制定された際、児童手当は「児童養育に社会が積極的に参加することを示した社会的制度」として捉えられていた(1971年版『厚生白書』)。同じ給付制度でも、親の「第一義的責任」論を前提とした今日の給付制度とは、意味づけが大きく異なる。

実際、今日の高校無償化は、義務教育の無償制とも、そして、2010年度に民主党政権下で導入された公立高校無償制度とも、制度理念や制度設計がかなり違う。民主党政権時代の公立高校無償制は、「授業料を徴収しない」と法律で定め、国が授業料に相当する経費を都道府県に対して交付するものだった(ただし、私立高校は「就学支援金制度」)。

それに対し、自民党政権下で2014年度から実施された現行制度は、一定所得以下の世帯の高校生に対して授業料相当分を給付する「就学支援金制度」である。そのため、生徒は受給に際し、資格の認定を受け、申請書等を提出し、毎年収入状況を報告する必要がある。

2019年10月から実施された幼児教育・保育無償化も、保育園などの利用料を保護者に給付する制度である(対象は3歳から5歳の児童、および、非課税世帯の0歳から2歳児)。保護者がこの給付を受けるには、市町村に申請する必要があり、受給資格があると認定された場合に「教育・保育給付」(施設型給付費など)が給付される。給付金は保護者には直接給付されず、市町村が施設に支払うが、それは施設が保護者の代理として受領することになっているからであり(法定代理受領)、親が保育料を支払う必要がなくなったということではない。

このように、近年の無償化は、無償化といいながら、義務教育の無償制のように、授業料を徴収せずに、次世代育成のコストと責任を社会が負担する制度ではない。あくまで親が授業料や施設利用料を払うことを前提に、親や高校生が申請した場合にのみ、相当分を「支援」する個別支援制度である。

こうした申請主義は手続きが煩雑であり、アクセスできない人がかなりいるうえ、膨大な事務コストがかかる。それでも今日の無償化が申請による個人給付制度なのは、受給資格を認定し、受給者を限定するとともに、教育費を負担すべき親の責任を確認するためだろう。親は申請のたびに、保育や教育の費用は本来自ら負担すべきものであるということを認識することになるのである。

子どもの貧困対策は問題解決を子どもに委ねる
以上のように、今日の子どもの貧困対策は、貧困問題を「所得の再配分の失敗」として捉えるのではなく、家庭の貧困の「連鎖」、つまり個々の家庭の問題として捉える。その前提には、子どもの養育は親に「第一義的」に責任があるとする親の「第一義的責任」論がある。

そのため、子どもの貧困対策では、子どもの生活と生存の保障は主要な目的とはならず、「子どもの現在及び将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう」にすることが目指される。

こうして、子どもの貧困対策にもかかわらず、子どものいる家庭への現金給付が抑制・削減され、母子世帯の社会保障給付費は、児童手当のみの一般世帯以上に削減されてきた。子どもの貧困対策が、かえって貧困世帯への現金給付を削減しているのである。

広告

将来、実際に貧困から脱出することができるかどうかは、かなりの程度子ども自身に任させる。現金給付を削減・抑制し現物給付を拡充する今日の子どもの貧困対策は、子どもの貧困の削減に直接責任を負わず、貧困問題の解決を親と子どもに委ねる政策なのである。

こうして子どもの貧困対策は、子どもの貧困の削減に直接責任を負わず、貧困問題の解決を親と子どもに委ねるのである。


実践女子大学教授
広井 多鶴子
TAZUKO HIROI

専攻は親子関係制度史、教育行政。著書に『現代の親子問題―なぜ親と子が「問題」なのか』などがある。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。