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生活保護者の集いコミュのコロナ貧困を黙殺する社会の闇。“普通の青年”DaiGo氏を変えたもの<森達也×藤田和恵対談>

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https://news.yahoo.co.jp/articles/5b77580c963414fd76e1035e02e8a53c933abbda

 報道されなければ“存在しない”ことになるのか? 日々の感染者報道の陰で、忍び寄る「経済による死」。黙殺されるコロナ禍の闇を、気鋭のジャーナリストと映像作家が語り合った。

 オリンピック・総裁選――時機に応じて、注目度の高いトピックがメディアを席巻する一方、コロナ禍当初は活発だった「コロナで死ぬか、経済で死ぬか」という議論は、今ではほとんど目にしない。だが、「経済による死」のリスクは、ますます高まっているという。

 なぜ“コロナ貧困”は黙殺されるのか? ルポルタージュ『ハザードランプを探して 黙殺されるコロナ禍の闇を追う』を上梓したジャーナリストの藤田和恵氏(@RM2cRkuYhmNMz1B)と、『A』『i-新聞記者ドキュメント-』など独自の視点を持つ映画監督の森達也氏(@MoriTatsuyaInfo)が、日本に巣くう病理に切り込む。

仕事も住まいもあった人たちが突然どん底に
ジャーナリスト・藤田和恵氏

藤田和恵(以下、藤田):私は2020年からコロナ禍の生活困窮者支援を行う「新型コロナ災害緊急アクション」の同行取材を続けています。貧困の取材は以前から長く続けていますが、今回はまったく状況が違う。

 中高年はもちろん、最近は20代、30代の若者や女性、外国籍の相談者も増えています。特徴的なのは、ホームレス状態なのに服装はこざっぱりしていて、そうは見えない人が多いこと。つまり、最近まで仕事も住まいもあった人たちが突然、どん底に突き落とされており、他人事ではない不気味さを感じます。

森達也(以下、森):貧困問題にはそれなりに関心を持っていたけれど、藤田さんのルポで知らないことがたくさんあると気づきました。菅政権は発足時に「自助・共助・公助」を掲げたけれど、生活保護を申請しても、悪質な施設(無料低額宿泊所)に放り込まれ、それを行政が黙認するなど、公助が機能していない。

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<菅政権のコロナ禍での発言>

「私が目指す社会像。それは自助、共助、公助、そして『絆』であります」
――’20年9月14日、自民党総裁に選出された際の決意表明として。

「政府には最終的には生活保護という仕組み」
――’21年1月27日、参院予算委員会でコロナ禍での生活困窮者への対応を求められて。
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「当時のDaiGoは、普通の青年でした」
映画監督・森達也氏

藤田:行政の最前線に立つ職員も非正規だったり、何か月もまともな休みもなく、疲弊しきっています。溢れる前のコップの水のように、「経済による死」のリスクは1年前より格段に高まっているのに、なぜか黙殺されています。

森:この国特有の隔離と排除、そして目をそらすことの背景には、集団化への強い欲求と古来から伝わる“穢れ”意識の影響が、二重らせんのように機能していると思っています。ホームレスや犯罪者など異分子を排除することで、社会の同質性を高めようとする圧力がある。社会から疎外し、視界から消すことで、平穏を保とうとする。

 日本では、ハンセン病の治療法が確立されても21世紀直前まで隔離され続けた。福島第一原発の事故直後やコロナ禍の初期にも、同じような差別と隔離が社会問題になった。これは土着的な文化でもあるので、排除する側に加害者意識はなく、多くは善良な人々であったりする。

 ホームレスへの差別発言で問題になったDaiGoを7〜8年前に取材しましたが、当時の彼は、普通の青年でした。

オリンピックや総裁選に狂乱する社会の闇
「新型コロナ災害緊急アクション」の駆け付け支援。受け取ったSOSに車で駆け付けて、ハザードランプを灯す

藤田:無意識の差別や偏見、自己責任論が社会に根深く刻まれており、貧困に陥った当事者をさらに追い詰めています。体を壊しても生活保護の申請をためらったり、ホームレスになってなお「選択した僕の責任。僕がCEOなら労働者を切り捨てる企業の論理もわかる」と主張する若者もいました。

森:目をそらすことに慣れれば、それが前提になる。だからこそ、ジャーナリズムの大原則は「不可視を可視化する」ことだし、社会の死角を穿(うが)つためには、ジャーナリストは常に集団からはみだす個の視点を持たなければならない。でも、日本のジャーナリズムは組織の論理に染まりすぎてしまった。

藤田:私も新聞出身ですが、組織ではケンカをせず、和を大切にする記者が“よい記者”とされます。ジャーナリズムを担うメディアですら、異分子を排除する体質であることは問題です。貧困を取材する記者はたくさんいますが、継続して大きく取り上げられることは少ない。耳目をひく話題がメディアを席巻し、コロナ禍の貧困は存在しないかのごとく錯覚される。

ジャーナリズムを取り戻す必要がある
住まいのない生活保護申請者が放り込まれる悪質な「無料低額宿泊所(無低)」の粗末な食事(元入居者提供)

森:貧困問題は画的に地味になりますから。それよりもスキャンダルや政局という名のソープドラマ(昼メロ)のほうがウケる。情報の受け手と迎合するメディアのリテラシーの低下。

 鶏と卵の関係ではありますが、やはり、どこかでジャーナリズムを取り戻す必要があります。象徴的なのが、海外では珍しくない一人称の記事が、日本の組織では許容されづらいこと。専門家などの意見を掲載する場合は、記者が自分の意見を代弁させている場合が多い。

 なぜ、わざわざ代弁させるのか。メディア内部の人間が主観を表出すべきではないとの思い込みがあるからです。言葉にすれば中立公正で不偏不党。それは目標であって現実ではない。

 記事や映像はすべて主観であり解釈です。ある事象を切り取った時点で、発信者の主観が介在しており、客観はありえない。だから、世間を賑わすニュースや報道だけで、世界を知ったつもりになってはいけない。カメラをパンすれば、その周縁部に異なる世界が存在していることだって往々にしてあるのです。

安全圏からの報道が増えたと感じる
一部屋に8人が暮らす“脱法ドミトリー”や女性の貧困、SNSヤミ金、生活保護申請の追い返しなど、コロナ禍で浮き彫りになった闇は深い

藤田:客観性、中立性といえば聞こえはいいですが、実際には「どっちもどっち論」的な安全圏からの報道が増えたと感じます。私が今回の同行取材を始めたのは、食料配布の現場で出会った、ある30代の女性がきっかけです。

 彼女はコロナ禍で仕事を失い、給付金の審査業務の派遣にありつきました。しかし、「いつまた切られるかわからない」という不安と激務で憔悴し、ついに連絡が途絶えた。

 なぜ一人のひたむきな女性が、コロナ禍の闇に消えたのか? 私自身が、その現実を知りたかったのです。

 森さんは、DaiGoさんが普通の青年だったと言いましたが、彼は多様な現実を知らずに世界を知った気になり、差別や偏見に取りつかれてしまった。その病理こそ根深い問題だと思います。

平穏が、差別や偏見を生み出す
bizSPA!フレッシュ

森:異物に対する忌避感と集団化への過剰な希求は、彼特有のものではなく、日本の社会全体が共有しています。刑事司法の取材でノルウェーに行ったとき、刑期を終えた受刑者が社会復帰するための住居が、普通の住宅街の中にあったことに驚きました。市民も「刑期を終えたのだから、何の問題があるの?」と受け入れている。

藤田:海外には「ハウジングファースト」、つまり社会復帰のためには、まずは住まいをという考え方があるそうです。一方で、日本は隔離して社会的に抹殺する。でも、見たいものだけを見て、心地よい言葉だけを聞いて得られる平穏は、差別や偏見を生み出すだけです。

森:コロナ禍で何が起きているのか? 知らずにいることを知り、目を向けてみる。メディアを含めたすべての人が、この社会を考える上で必要なことだと思います。

<取材・文/宮下浩純 撮影/芝山健太>

【藤田和恵】
ジャーナリスト。北海道新聞社会部記者を経てフリーに。'20年に「貧困ジャーナリズム賞」受賞。最新刊は、生活困窮者支援の現場に約1年間、密着取材したルポルタージュ『ハザードランプを探して 黙殺されるコロナ禍の闇を追う』(扶桑社)

【森 達也】
映画監督。作家など多彩な顔を持つ。明治大学特任教授。'98年、オウム真理教を題材にした『A』で高い評価を得る。監督作に『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』など。小説『チャンキ(論創社)が10月1日に復刊

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