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生活保護者の集いコミュの呼吸困難でもタバコ…肺がん末期50代男性おひとりさまの壮絶最期

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https://news.yahoo.co.jp/articles/b7377958b0cd26bcaf31b91cb66db663bbe46be0

生き方に正解がないように、逝き方にも正解はありません。ただ、最期のときだからこそ、「その人らしさ」が現れると年間100人以上を看取る在宅医は語ります。呼吸困難な肺がん末期の50代男性は最期までタバコを手放さなかったというが…。本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

乳がん再発で在宅医療を選んだ女性の終活
■「お迎えって、なかなか来ないものね( 笑)」余命を延ばして終活中

「お迎えって、そんなに簡単に来ないのかしら?」

3年前に乳がんの診断を受けたC江さんは、半年前に再発して治療を続けていましたが、これ以上の治療はむずかしいと医師に言われ、在宅医療を選択されました。

病院でがん終末期の方が亡くなる過程について説明を受けていたC江さんは、「もう治療がないので、あとは亡くなるだけ」というイメージをお持ちだったようです。そのため、私がお宅にお邪魔した際も、「急にお迎えが来ちゃうんだと思って、急いで準備したのよ。でもまだ来ないわね」なんてお話しされていました。

パッチワークのお教室を自宅で主宰していたC江さんは、もともとちゃきちゃきした性格もあるのか、家族の食事の準備をしたり、お菓子を作ったりと、できることはサクサクやってしまう方です。病状を知らない人が見たら、まさか終末期の患者さんだとは思わないでしょう。

動けなくなった自分をご主人が介護するのはきっと無理だからと、ひとりでトイレに行けなくなったら入院すると決めていて、緩和ケア病棟のある病院への登録も済ませ、着々と死への準備を進めています。

実際のところ、病院の医師からは「あと1か月くらいかもしれない」という厳しい病状を伝えられていたのですが、私がお伺いするようになってから、すでに3か月以上が経ちました。

「やりたいことは、ぜんぶやってきたからね。もう思い残すことはないの」とおっしゃるC江さんには、死への不安もさほどないように見えます。

お子さんたちとも自立した関係なので、互いに干渉しすぎることなく、バランスのいい距離感を保っている印象です。ご主人もC江さんの体調をよく理解していて、「なかなかお迎え来ないわね」と言っているC江さんの隣で、いつも苦笑しています。

C江さんのように、医師から告げられた余命より延びることも、少なくありません。今KuKuRu(当院併設の緩和ケア施設)に入居されている方でも、余命2か月と言われてから、もう1年が経とうとしている方もいます。

「いろいろ片づけをやっておかなきゃと思って一気にすませちゃったけれど、まだ時間がありそうね」

C江さんはまだご自宅で緩和ケアを受けながら、今もお元気に過ごしています。自分がいなくなったあと、ご主人が一人で生きていけるようにと、お料理やお洗濯など日常生活の術をご主人に伝授する日々です。

こんなふうに前向きな終活ができる人になりたいものだと、C江さんにお会いするたびに思います。

肺がん末期の男性はネコとタバコが大事
(※画像はイメージです/PIXTA)

■「猫がいるから入院は絶対しない」おひとりさま男性の最期

さて、今度は生活保護を受けながらひとり暮らしをしていた肺がん終末期の50代のD太さんのお話。何より大事なのが猫とタバコという人でした。

もともとは、認知症の父と一緒に暮らしていましたが、わけあって別居することになったD太さん。なかなか一筋縄ではいかない方で、「亡くなるまで連絡しないでほしい」と親戚にも言われてしまうほどでした。

D太さんご自身は、自分の病状はあまり気にしていない様子でした。肺がんがかなり進行していて、つねに呼吸がゼイゼイしているのですが、それでもタバコは手放しません。かなりギリギリになるまで自宅に在宅酸素を入れずに過ごしました。この在宅酸素というのは、肺の機能が落ちて呼吸が苦しい方には導入することがありますが、酸素は引火すると爆発するので、タバコは厳禁です。

本来なら、D太さんも在宅酸素を入れることで呼吸が楽になるはずですが、タバコ優先なので、頑として拒みつづけていました。

私が訪問診療に行きはじめた段階で、すでに自分のことを自分でするのがむずかしい状況でしたから、入院を相談したこともありました。でも、とにかく猫が心配で仕方がなくて「猫を置いてはどこにも行かない」と最期まで自宅での療養を望んでいました。ちなみに猫の名はきなこちゃん。

私を含む在宅ケアのスタッフに対しては、正直、悪態ばかりついていたD太さんでしたが、きなこちゃんにはメロメロで、彼にとってはかけがえのない存在だったのです。

具合がかなり悪くなり、いつ亡くなってもおかしくない状態になってきたとき、どこまでご本人の意向に沿えるのかを、ご本人とともに、スタッフ全員で話し合うことにしました。彼が一人きりになる時間が心配ではありましたが、最終的に、「本人の選択だから、私たちにできることを最大限やって、彼の思いを最期まで支えよう」と合意し、入院はせずに最期まで自宅で療養することに決まりました。

D太さんは、自力ではもうまったく動けない状態になっていましたし、肺がんの終末期ですから、呼吸も苦しかったはずです。最終的には、在宅酸素も導入していましたが、そんななかでも杖で酸素の電源を切っては、タバコを吸っていたようです。

私が最後に訪問したときには、「おなかが空いたなあ」と言って、冷凍庫にあったご飯を温めて納豆を混ぜて食べていました。ゲホゲホッとなりながらも「美味しい」とうれしそうでした。

最期までブレずに自分の生き方を貫く
スタッフには、D太さんの自宅に伺うときは「玄関を開けたら、もう亡くなっているかもしれない、と覚悟しておくように」と伝えていました。

その翌日、実際にそうなりました。

訪問看護師が訪ねると、落ちたタバコをベッドから拾おうとしたのか、手を伸ばした体勢のまま、D太さんは亡くなっていました。それでも猫の餌はベッドの上に置かれていて、最期まで大好きなきなこちゃんの世話をしていたことが見て取れました。 性格はいろいろと大変な方ではありましたが、最期までブレずに自分の生き方を貫いた、とても印象深い患者さんでした。

さて、亡くなられた2日後のこと。D太さんが大事にしてきたきなこちゃんは身内の方が引き取れないとのこと。役所に聞くと「殺処分しかないですね」という回答でした。それでいてもたってもいられなくなり、きなこちゃんの里親探しがはじまりました。

猫の里親探しにまで奔走したのははじめてのケースでしたが、無事に里親になってくれる人がみつかって、今でもD太さんのきなこちゃんは別の名前をもらって元気に暮らしています。

まわりになんと思われようと、自分の生き方を貫いたD太さんの逝き様は「あっぱれ」だったと思います。介護スタッフは、D太さんにさんざん文句を言われて苦労が多かったはずですが、それでも懸命にサポートして、できるだけ「その人らしい」最期を迎えてほしいと頑張ってくれました。

在宅医療の現場は、医師だけの力ではどうにもなりません。看護師、ヘルパー、ケアマネジャー、薬剤師など、たくさんの人がかかわって成り立っています。だからこそ、おひとりさまでも、自宅で「あっぱれ」な死を迎えることができるのです。


中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

中村 明澄

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