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生活保護者の集いコミュの見た目は「個性」か アルビノ当事者と考える日本のルッキズム|#U30と考える

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https://news.yahoo.co.jp/articles/912682a7025e0c94d684d496e38167a9239580d7

の外見を重視し、見た目で判断や評価をするルッキズム(外見至上主義)。特定の見た目だけを賛美したり、強要したりする考え方は差別や偏見に繋がる恐れもあり、その傾向に疑問を持つ人は増えてきている。

U30世代の若者が社会に対して感じるモヤモヤを、第一線で活躍する大人にぶつけて、より良いヒントを探る連載「U30と考えるソーシャルグッド」。今回のテーマは「ルッキズム」。アルビノ(眼皮膚白皮症)当事者として発信している神原由佳さんに、NO YOUTH NO JAPANのメンバーが話を聞いた。

多様性が掲げられ、「人の目を気にせず自分らしく生きよう」と声高に言われる現代。しかしネットでは容姿に関する情報が溢れ、見た目についての暗黙のルールはまだ社会に残っている。アルビノ当事者に日本の外見至上主義はどう映るのだろうか──。

悩んだ中高時代 「今はこの自分にしっくりきている、そんな感覚」

NO YOUTH NO JAPAN三村紗葵(以下、NYNJ三村):神原さんがご自身の見た目について意識し始めたのはいつ頃ですか。また、特に深く悩んだ時期はいつですか。

神原由佳(以下、神原):強く意識し始めたのは小学校低学年の頃です。図工で自分の似顔絵を描く時でした。クレヨンやクーピーなどのはっきりした原色で髪や目の色を表現するのが難しかったです。当時は肌色と書いてあって、自分の色とは合いませんでした。

画材の中でどれも自分の色がなくて人との違いを強く意識しました。また、黒板の上に貼られたみんなの似顔絵を見たときに、黒髪が並ぶ中で黄色や白で描いた私の絵は浮いていました。外見なので普段自分では鏡を見ないと違いを意識しませんが、黒板の上にあるので目に入ってしまって。やんわりと違いを意識させられました。

特に強く悩んだ時期は中高生の頃。思春期になると外見やアイデンティティで揺らぎがある人もいると思います。私も「自分って何者なんだろう」と、人と違うことに悩みました。また、当時は辛くても何が辛いのかを言語化できませんでした。わかってほしいけどうまく伝えられない。でも簡単に理解されるのも複雑だなという思いもあって悩みましたね。

NO YOUTH NO JAPAN足立あゆみ(以下、NYNJ足立):ご自身の思いを発信していると「アルビノでかわいそう」といった声もあると思いますが、それに対してはどう思いますか。

神原:ショックな反面、これは個性かと言われたら私はまだそこまでポジティブに捉えられないですね。生まれた時からこうだしなぁという感覚が正直なところです。だからネガティブなものでもないけど、個性や強みというほどでもない。この自分にしっくりきている、そんな感覚です。

NYNJ足立:神原さんがご自身の見た目をポジティブに捉えられるようになったのはいつですか。またそのきっかけについて教えてください。

神原:自分の見た目をポジティブに捉えられるようになったのはこの2、3年くらいのことです。突然という訳ではなくて、20歳過ぎたくらいから徐々にという感じでした。

人と関わる手段として、見た目の問題は避けて通れない
神原(続き):最初のきっかけは、大学入学時です。制服や校則がなくなり、高校までより浮いている感覚が減りました。あとは、辛かったことを言葉にできるようになったことです。そうすることで友達と話せて、議論ができるようになりました。議論する中でお互いのことを知ることができ、信頼関係が築けたことが大きかったです。それまでは人と違う自分は劣っている、見捨てられるのではないかと思っていましたが、違っても見捨てられることはないと確信を持つようになりました。人に受け入れられることで、自分の見た目も人格も好きだと思えるようになりました。

下の世代には、見た目を理由に進路を狭めてほしくない

NYNJ三村:社会福祉士、精神保健福祉士になった理由はなんですか。また、どんなお仕事をしていますか。

神原:手に職をつけたかったのと、人が好きだったからです。大学生の頃、就活生やサラリーマンを見て、私も黒髪の画一的なスタイルにはまらないといけないんだと感じていました。同時に、生まれつき白髪の私が就活をするのは、染める手間や黒髪を強要されると考えると嫌だし、圧倒的に不利だと思ったんです。なので資格を手に入れて、人の役に立ちたくてこの仕事を選びました。いまは精神保健福祉士として横浜市の精神障害者生活支援センターで福祉的な相談や通院のお手伝いなどをしています。私のような見える疾患の人と精神の見えない疾患の人は対極にあるように見えますが、共通点もあり、当事者としての経験が仕事に活きていると感じます。

でも、この進路は間違ってなかったと思える一方、自分で進路を狭めてしまったのかなと思うところもあります。アルビノは皮膚ガンになりやすいと言われていたので、高校くらいまで自分は早く死ぬと思って将来のイメージがあまり抱けませんでした。アルビノでもこういう活動をしているというロールモデルもなかったですし。だから、下の世代には見た目を理由に進路を狭めてほしくなくて発信活動もしています。

なぜ、見た目を気にせずに生きるのは難しいのか

NYNJ足立:「人の目なんて気にせずに好きに生きよう」とよく言われるようになりましたが、なぜいまも見た目を気にせず、自由に生きることがこれほど難しいのだと思いますか。

神原:誰かと繋がっている安心感を求める上で、見た目の問題は避けて通れないからだと思います。見た目は人と関わっていくための一つの手段になり得る。だからこそ暗黙のルールや枠があると思います。

NYNJ足立:どんな時に私たちは見た目のイメージを強要されていると思いますか。

神原:わかりやすいのは就活ですね。他のアルビノ当事者の方とお会いする機会もあるのですが、周りには一般企業に勤めている人が少ないと感じます。私は一般企業の就活はしませんでしたが、バイトの面接を髪色が原因で落とされたことはありました。バイトの面接に入った瞬間から「めんどくさいのが来た」みたいな感じで場が凍るのがわかるんですよね。ひどいところだと履歴書も見てくれなくて。せめて、なぜこういう外見なのかを聞いてくれたらいいのにと思うことはありましたね。

「自分を好きになれない自分」がいることを認める
神原(続き):このことをコラムで書いたら「髪くらい染められないのか」「協調性がない」「働く気がないのか」などとネットでコメントしてくる人もいました。そもそも生まれつきの姿を変えるのはおかしいですよね。「アルビノって綺麗だね」と日常生活では言われたりもしますが、就活などの場面ではそれは違うよね、となってしまう。そのギャップに戸惑う当時者は多いのではないでしょうか。

NYNJ足立:なぜ画一的な見た目を強要されることがあると思いますか。

神原:おそらく、自分たちがそうだったから、当たり前のルールだと捉えているのだと思います。また、そう言ってくる人と当事者の間には乖離があって、結局他人事だからだと思います。例えば、髪くらい染められないのかと軽々しく言われますが、私は髪も体の一部だから強要されて染めるのは、ある意味自傷行為のようなものだと思っています。強要してくるのは、染めたくないのには理由があることに考えが至ってないことが原因かもしれません。

NYNJ三村:「ありのままの自分を受け入れること」が正しいのでしょうか。自分の見た目をどうしても好きになれない人にはどのような言葉をかけますか。

神原:確かに最近メディアやSNS、広告などでボディポジティブがよくうたわれますね。でも必ずしもそれだけが正解だとは私は思いません。どうしても好きになれないものを好きになろうとするのは、精神的に不健康だと思うので。一足飛びに100%好きになろうとするのではなく「好きになれない自分がいる」と認めることから始めると良いと思います。

相手を多角的に見る 見た目について話をすること

NYNJ足立:活動の中で、この問題に対する意識や環境が変化したと感じられることはありますか。

神原:東京五輪の開会式で渡辺直美さんの容姿を侮辱する演出を提案していた問題で、SNSで違和感を感じた人の意見が多くて変化を感じました。ただ、まだ日常生活レベルの会話では、見た目問題については話しにくいと思います。

NYNJ三村:まだルッキズムが根付く社会にどんなメッセージを発信したいですか。またどう変えていくと良いと思いますか。

神原:私の中にも、無自覚なことを含めてルッキズムや差別心はあります。まず自分の中に差別や偏見があることを認識するのが第一歩だと思います。そして、相手をいろんな側面から見られる人が増えるような発信をしたいなと思います。見た目を判断の材料にしてもいいですが、見た目だけで判断するのは素敵な人との出会いを取りこぼすことになるので、自分の中にあるルッキズムや差別心と折り合いをつける方法をいろんな人と考えていきたいです。

NYNJ足立:社会を変えるために若者ができることはなんだと思いますか。

神原:話をすることは大事だと思います。見た目の問題は誰もが抱えるかなり身近な問題です。語りやすい雰囲気や世の中にしたいですね。私の10代の頃を振り返っても、人を判断するときに見た目のウェイトが大きかった気がします。人を見る目がまだ育ってなかったからかもしれません。人を見る目を養うためには経験も必要かと思いますが、相手を多角的にみる方法を学ぶ機会もあればいいなと思います。

取材を終えて

「見た目についていろいろ言う側と当事者の間には乖離があって、言う側にとっては結局他人事」という言葉が印象に残りました。見た目の問題は身近で、誰でもいつでも当事者になり得る問題です。相手の考えには何か理由や別の側面あるのかもしれません。見た目も含めて相手を多角的に見て、違和感を感じた時には話をすることを大切にしていきたいです。

神原由佳◎アルビノ(眼皮膚白皮症)当事者。1993年兵庫県生まれ。日本アルビニズムネットワークスタッフ。現在はソーシャルワーカーとして勤務する傍ら、アルビノや外見に症状があることで日常生活に支障をきたす「見た目問題」について、メディア取材に応じるほか、エッセイの執筆やウェブCMの出演、講演などで当事者発信をしている。

NO YOUTH NO JAPAN

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