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生活保護者の集いコミュの反貧困ネットワーク 事務局長 瀬戸大作さん 日記 6/11

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6月11日(金)
❶日曜から木曜まで連日の午前から21時過ぎまで支援業務が続いていたので今日の午前は休息にして多発する金曜日のSOSに備えた。昨日夕方にたて続けに来て翌日に持ち越したSOSの対応が3件控えていて電話掛けして面談予約、夕方からの駆けつけに備えていた。
★反貧困ネットワーク事務所にいる阪上さんから電話が入る。事務所に神奈川県の海老名市の公園からFAXが届いている。対応できないか?夕方まで公園にいる。達筆な字体と居場所の地図、そしてこのように書かれていた。「絶望のどん底の中、反貧困ネットワークの活動を新聞で知りました。このFAX代かパンを買うか迷いましたが、FAXを送る事にしました。最後の100円玉です。どうか助けてください。体力も限界ですが、日が暮れるまで公園でお待ちしています。」神奈川担当の杉浦さんに連絡をとる。誰か駆けつける事はできないか!しかし反貧困神奈川の仲間たちは全員が昼間は仕事を持っていて夕方まで駆けつけるメンバーがいない。全員がボランティアなのだ。今日の夕方に会う予定だった相談者全員に連絡をとり時間を変更してもらい自宅の練馬から首都高速と東名高速で向かうが渋滞と公園の場所がよく解らず到着時間が17時となってしまった。公園に相談者Tさんは見当たらない。もう諦めてしまったか、、でも簡単に帰る事はできない。1時間近く待ち、もう帰るしかないと思った頃に、Tさんの姿が見えた。「本当に来てくれたのですね。もう来られないと思いました。」Tさんは泣いていた。北関東出身で厚木方面で働いてきたが雇い止め。近隣の福祉事務所で生活保護申請したら無低送りになりそうになり生活保護を断念、図書館で朝日新聞読んで最後だと思いFAXした。今日から近くのビジネスホテルで3泊、杉浦さんが21時に来てくれてTさんと打ち合わせして月曜日に生活保護申請する事になった。本当に良かったです。この時ばかりは「朝日新聞がひとりの命を繋いだ。」
❷当初の予定より4時間も遅れてしまった。20時30分に上野駅でお会いしたNさん 数日前に埼玉県北部の道の駅で車上ホームレス状態でSOSがあり駆けつけた兄弟、お姉さんの生活保護申請に同行した。一緒に車上で暮らしていた弟のNさんはギリギリまで都内で寮付きの仕事を探していたが見つからず、お姉さんの近くに住みたいとの事なので来週火曜日に同じ福祉事務所で保護申請します。都会の暮らし これからもささえあって生きていく、応援していきますよ。
➌次の相談者は南千住の泪橋交差点で待っていてくれたMさん、21時を過ぎてごめんなさい。Mさんは西成や寿でもドヤで暮らしながら日雇いで働いてきた。長期化するコロナ禍で飯場の仕事もなくなった。給付金を渡し、1泊2000円のドヤで週末暮らす。ドヤに住んでいても寿のある横浜市中区では無低に入所強要されたという。山谷ではどうかと聞かれる。ほしのいえの中村シスターに電話確認してみた。山谷のドヤに泊まりドヤ領収書を持参すれば台東区役所では、ドヤに住み続けながら生活保護を利用できる。無低や施設にいれられそうになったら必ず連絡をもらう。駆けつけるよと伝えた。Mさんは笑った。
❹今日の最後の駆けつけ支援は新宿駅西口、22時を過ぎていた。待っていたのは20歳の青年、建築系のバイトで雇い止め、生活保護は考えていないと言い切る。私はこう伝えた。
「今後も東京で暮らすのであれば「住まいの安心」をまず最優先させた方が良いと思います。日々、日払いの仕事はあるか、寝泊まりするお金はあるか考える日々より、生活保護制度の利点であるアパートでの暮らしを利用した方が良いです。コロナ禍で仕事がなかなかみつからない状況です。焦ってはダメですよ。」帰宅したらメールが届いた。「生活保護申請を前向きに考えようと思いました。協力してくれますか。」もちろんです。いつでも同行するよ。

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