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生活保護者の集いコミュのひとつの産声も消さないための「内密出産」

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伊藤孝恵氏=長谷川直亮撮影
土砂降りの雨に傘を
 内密出産の制度化に取り組んでいる。内密出産とは、匿名で出産することを望む母親が病院にだけ身元を明かし、その情報を管理することで、子どもの出自を知る権利を保障するものだ。

 さまざまな課題がある。しかし、一人ではどうにもできない状態におかれ、産声をあげた赤ちゃんの口を塞いでしまう母親がいる。土砂降りの雨が降っているところに傘をさしかけ「ここで産めば大丈夫」とお母さんと子どもに言える制度をつくるのは立法府の役割だ。

生後すぐに命を奪われる子ども
 妊婦が身元を明らかにせずに匿名で出産した場合、子どもの出自は誰にもわからなくなる。内密出産は匿名出産とは異なり、特定の人にだけ身元を明かす。内密出産が制度化されているドイツでは行政が情報を管理し、子どもが16歳になった時に実母の身元を照会できる。

 日本では病院などの安全な環境で匿名出産できるところはない。妊婦はおのずと自宅や外で一人で産むことになる。そしてその場で子どもの口を塞いでしまうのだ。

 2003〜18年の16年間で833人の子どもが児童虐待により死亡している。そのうち0歳児が47.4%、中でも0歳0カ月0日0時間児、つまり生後すぐに命を奪われた子どもが18.7%と、割合としては一番大きい。「児童虐待で亡くなる子どもをゼロに」と言うのならば、この問題に取り組まなければならない。

違法性がないとする政府答弁が必要
 国内で内密出産に取り組んでいるのは「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)で知られる熊本市の慈恵病院だ。子どもの命を救いたいという願いが原動力になっている。

 「こうのとりのゆりかご」については、国会で保護責任者遺棄罪の成立は認められないという政府答弁があったことで社会の理解が得られた部分がある。しかし内密出産については法務省が明確な見解を示さないため、熊本市は慈恵病院に中止を求めており、内密出産についても違法性がないという政府答弁が必要だ。国が沈黙しているせいで、慈恵病院はこの間ずっと批判の矢面に立ってきた。

 子どもの命を救うために努力している慈恵病院を尻目に、立法府が今後も沈黙を続けることは許されない。政府答弁が得られない場合は、議員立法を目指す。

子どもが出自を知る可能性を確保する
 厚生労働省が指摘するように、子どもの出自を知る権利をどう担保するかが課題だ。親子の再統合という点でも、子どもの成長の点からも欠かせない。

 たとえば、子どもの請求を母親が拒否した場合はどうするのか。子どもからみれば、生まれた時に続いて親から2度目の拒否を受けることになる。ドイツでは訴訟を起こせるが、訴訟で解決すればいい問題だとはどうしても思えない。

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 親の都合から考えるのではなく、子どもの知る権利と心を守るにはどうしたらいいのか。少なくとも、子どもが知りたいと思った時にそもそもその情報がないという事態を避けるため、出自の情報を管理しておくことは必須だと思っている。

 慈恵病院の蓮田健院長は「出自を知る権利はすべての子どもが享受できるわけではないと割り切り、出自情報の欠落という状況を背負う子どもの存在を社会が認めて支えるほうが現実的だ。赤ちゃんの遺棄や殺人を防ぐため、出自情報の欠落を容認する。出自を知る権利よりも母子の身体的な安全確保が優先される」という趣旨の話をされていて、目からうろこが落ちる思いがしたが、私としては内密出産であっても親子が再び「引き合う」可能性は諦めたくない。

 「こうのとりのゆりかご」でも、考え直した時には親の側からアクセスできる仕組みがある。子どもに知りたいと言われた時、「情報が無いのでどうしようもない」とは言いたくない。

子どもの視点で必要な情報を
 子どもにどこまで知らせるかも課題だ。ドイツの出自証明書の記載事項は実母の名前と生年月日と住所程度だが、自由記述欄があり、育てられない事情や父親のこと、遺伝性疾患や好きな食べ物のことについて書く人もいる。

 実母の好きな食べ物だけでいいから知りたい子どもだっているだろう。知らせる範囲を子どもに預けるという考え方もあるだろうし、母親の同意がなくとも子どもが請求すれば最低限知らせる情報の範囲を決めておくという考え方もあるだろう。

 いずれにしても情報を管理しておくことが起点になる。いつも振り回されるのは子どもだ。子どもの視点で考える点がぶれてはいけない。

今そこに救える命がある
 この問題を国会で質問すると、政府からは相談窓口の充実や母子手帳配布の際の声かけ、戸別訪問などの答えが返ってくる。全く分かっていないと感じる。

 いくら行政支援を充実しても、その支援が届かない。窓口に母子手帳を取りに来ることすらできない母親が確かにいるのだ。その人たちに「こういう子どもの生かし方がある。あなたも悲しい罪を犯さなくてすむ。安全に産み、子どもも幸せに生きることができる」というメッセージを伝えなければ、虐待死はなくならない。

 「こうのとりのゆりかご」への批判と同様に、こうした取り組みが「捨て子を助長する、伝統的家族観を壊す」といった意見もある。根本解決になっていないじゃないかとヤジも飛ぶ。しかし、そんな議論をしている間にも、子どもたちは産声をあげることなく死んでいく。

 苦渋の決断を最後に支えるのは、何としても母体には医学的な介助を伴う出産が必要だとの認識や、これで救われる命があるなら、という意思だ。


 18年度から3年に及んだ内密出産に関する国の調査研究事業も終了し、今年度には取りまとめが行われる。

 今そこに救える命がある時に、その子どもを助けることは日本を壊すことにはならない。これだけ「少子化が問題」と言いながら、生まれてくる命を救うことを政治が避けるのなら、それは言行不一致だ。

 何より、政治家の家族観や宗教観よりも、母体の安全と子どもの命を守ることの方が比べようもなく価値がある。

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