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生活保護者の集いコミュのホームレスは「自己責任」でいいのか? 14歳で痛感した社会の“無関心”

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https://news.yahoo.co.jp/articles/52ff01b859a79e221fa77889c479e76dd1d5ae97

ホームレスの支援を行う、認定NPO法人Homedoor(ホームドア)理事長の川口加奈氏は、14歳の時に参加した釜ヶ崎(大阪市西成区)の炊き出しで出合った元ホームレスの“おっちゃん”に大きな衝撃を受けた。

そのおっちゃんの生まれ育った家は貧しく、中卒で日雇い労働をして生計を立てる外なかった。しかし50歳を過ぎて体力などの問題から仕事を与えてもらえず、困窮してしまったという。

川口氏は、何らかの事情を抱えてホームレスになった人に「やり直す」チャンスが与えられない社会を疑問に思い、その頃から小さなアクションを始めた。

現在、Homedoorは“ホームレス状態の人が撮影した写真集”の出版を目指したクラウドファンディング(カメラマンはホームレスのおっちゃんたち!写真集出版で支援の輪を広げたい。)を行っている。ホームレスの方の目線で撮影された個性ある写真で、この課題を理解してもらうきっかけに繋げたいという。

そんな川口氏の著書『14歳で“おっちゃん“と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』(ダイヤモンド社)では、中学時代に直面した“ホームレスに対する世間の偏見”について振り返る。

※本稿は、川口加奈 著『14歳で“おっちゃん“と出会ってから、15年考えつづけてやっと見つけた「働く意味」』(ダイヤモンド社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

「自己責任」で片づける世の中の怖さ
炊き出しで出会ったおっちゃんたちはおっちゃんたちなりに、がんばっている気もした。

「じゃあなんでホームレスのままなんだろう?」

自分の頭で考えるには限界を感じ、ホームレス問題について調べはじめた。すると、ある新聞記事を見つけた。

「ホームレス焼死 少年逮捕」

こんな見出しから始まる新聞記事には、私と同世代の中高生が、ホームレスの人を襲撃して殺したという事実が書かれていた。なんと私と同い年の少年もいた。

亡くなった方は、足が不自由で持病もあって仕事を辞めざるを得ず、2年前から兵庫県姫路市でホームレスをしていたそうだ。テントで寝ていたところに火炎瓶を投げ込まれ、焼死した。驚いたのが、少年たちは足が不自由であることを認識したうえで、火炎瓶を投げ込んでいたことだった。

他にも残虐な事件が毎月のように全国各地で起きていた。路上で寝ていたら、5人の少年に囲まれて殴る蹴るの暴行を受けて亡くなってしまった方。熱湯をかけられ、全身を火傷してしまった方。鉄パイプや角材で殴打されて亡くなってしまった方。

その方たちは、どんな気持ちで亡くなったんだろう。私は思いをめぐらせた。

寝ていたら、いきなりテントが燃えている。でも足が不自由で逃げることもできない。
寝ていたら、少年たちに囲まれている。わけもわからず殴りつづけられる。

ホームレスだから。路上で寝ているから。

それだけの理由で殺されてしまう日本って嫌だな、そう思った。

さらに事件を調べていくと、事件を起こした少年たちの供述には、こうあった。

「社会のゴミを掃除するという感覚だった」
「人間のくずなので、死んでもいいと思った」

私は、その少年少女たちの気持ちがなんとなくわかった。わかっちゃいけないはずだけど、わかった。私も、炊き出しに参加するまではそちら側のものの考え方をしていたからだ。

――自己責任じゃないの?
――怠けているからホームレスになったんじゃないの?

でも今は、そうではないとわかる。ホームレスになるには、ならざるを得ないだけの理由があるのだと。

では、私とその少年たちにどんな違いがあったのだろうか。

ストレスがたまっていたか、いなかったかの違い?
襲撃するような友達がいたか、いなかったかの違い?

そうではなく、それは問題を適切に知る機会が「あった」か「なかった」かの差ではないか。好奇心からとはいえ、私はたまたま炊き出しに参加することができ、知ることができた。

じゃあ知って終わりなのか。そうじゃないんじゃないか。知ったからには「知ったなりの責任」というのが実は発生しているんじゃないか。そんな気がした。

全校集会で志願の5分間スピーチ。結果は……
知ったなりの責任を果たしたい。そこで思いついたのが、ホームレス問題を伝えることだった。

学校の先生が、「ホームレスの人を襲ってはいけません」と言うよりも、友達が「ホームレスの人ってこういう人なんだよ」と言うほうが伝わるんじゃないかと思った。生まれて初めてかもしれない。私だからこそできる、私がしたほうがうまくいく。そんなことを見つけられたのだ。

そこで物は試しと、まずは自分の学校で友達に伝えようと考えた。時はちょうど冬休み。休み明けの全校集会で、ホームレス問題について発表しようと企んだ。

しかも、冬休みの作文の宿題が出されていたので、炊き出しに参加した感想とホームレス問題について書いたら一石二鳥。早速書き上げた作文を持って、私は先生の元を訪ねた。

「今度の全校集会、私に5分、時間をください」

先生は非常に驚いていた。あまり真面目でもないし、目立つ存在でもない生徒が、急にそんなことを言い出したからだ。全校集会もコンテンツがいっぱいで時間が取れないと渋る先生を前に、「どうしても読みたいんです」と繰り返し、「では、クラブなどの活動発表をする時間があるから、そこで発表してください」と言われた。

このエピソードを披露したあとで書くのもなんだが、実は私はシャイで、人前で話すという経験はそのときまで皆無だった。文才もないほうで、読書感想文なんていつも落選。だから、どう話せばホームレス問題がより伝わるのか、一言一句にまでこだわり、徹夜で読む練習もした。

そしてとうとう、発表のときがやってきた。しーんと静まり返っている集会の場で、私はその緊張に耐えきれず、声を震わせながら懸命に作文を読んだ。

作文も後半に入ったところだろうか、少し余裕が出てきて、ふと、作文用紙から顔を上げた。すると、友達はみんな爆睡。全校集会は昼寝の時間となっていたのだ。

怒りがこみ上げてきた。こっちは徹夜で練習してまで作文を読んでいるのに、なんで寝ているんだ――。ただ、寝ている人を責められない自分もいた。いつもは私も、全校集会では爆睡する側だったからだ。

意気消沈しながら、クラスに帰った。そうだ、学級委員長もしている真面目なあの子なら聞いていたかもしれないと、声をかけた。

「私の話、どうだった?」
「え?どうせ自業自得やん」

全然伝わっていなかった。自業自得ではない理由を私は説明するも、友達は聞く耳を持たないという感じで何も伝わらない。何よりまだ、私も自信がなかった。

本当に、自己責任じゃないのかな? もっとがんばればなんとかなるんじゃないかな? そんな思いがまだ拭ぬぐいきれていなかったのだ。

「誰かがきっとやってくれる」 その「誰か」って誰?
結局、作文を読んで失敗するという経験がトラウマになり、それから何もアクションを起こさないままに時は過ぎていった。

「誰かがきっとやってくれる」

自分の中ではそんな言い訳ができ上がっていた。中学生の私なんかが何かやらなくても、政治家とかえらい人とか、お金をたくさん持っているオトナが何かしてくれるんじゃないか。そのほうがよっぽど早く、問題は解決する。そう自分に言い聞かせていた。

しかし、なんの因果か私は毎朝毎晩、必ず「新今宮駅」を通らなくてはならない。否が応でも、駅のプラットフォームに立つと、ホームレスの人たちの姿が目に入ってきてしまう。

夏の暑い日には、「こんなに暑いけど、熱中症になってへんかな」と道端で寝ている人が気にかかるし、冬の寒い日には、「この寒いなか路上で寝て大丈夫なんかな」と、ボロボロの服を着たホームレスの人を見るたびに心の奥がぎゅっと締め付けられた。

炊き出しに参加するまで、まるで「ホームレス」という人種がいるかのようにひとくくりにしてきたけれど、いつの間にか、私の中でホームレスの人たちが、近所にいるおっちゃんのように感じられていた。

身なりはボロボロだし、中には臭いのきつい人もいるけれど、でも、自分の父親とも年齢だってそう変わらないし、道案内してくれた優しいおっちゃんだっていた。

質問したら丁寧に答えてくれたおっちゃんだっていた。だから、寒そうな様子を見たときに、かつては他人事だったその状況が、自分事になったとまでは言わないけど、「友達事」のようには感じられた。

しかし結局、何もできないまま、でも、心に何かが引っかかったまま約1年が過ぎた。

そんなある日、ひとりのおっちゃんが駅の改札を出たところの階段に座り込んでいるのが目に入った。

「あ、あのおっちゃんや!」

偶然にも、私が炊き出しでコートを渡そうか悩んだおっちゃんがいたのだ。ひと目でそのおっちゃんだとわかった。なぜなら、1年前とまったく同じ、ボロボロの、もはや布きれと化した服を着ていたからだ。

「あれ、何も変わっていない……」

誰かがきっとやってくれる。誰かがやったほうがうまくいく。そう自分に何度も言い訳をして、見て見ぬふりをして1年を過ごしてきたが、状況は何も変わっていなかった。

駅のプラットフォームから見えるホームレスの人のテントは1年経っても変わっていないし、襲撃事件が減ったかというとそういうわけでもない。誰かがきっとやってくれると思っていても、何も変わらないんだと気づいた。

――じゃあもし、今、自分が何かしたら?
――何もしないよりは、襲撃事件を少しは減らすことができるんじゃないかな?

そう思えた。少なくとも、今よりはマシになるんじゃないか。大きな変化は起こせないかもしれない。でも、ほんのちょっとでいいから、小さな変化でいいから、何かを変えることってできるんじゃないか。

思い込みかもしれない。自分に何かできるっていう勘違いかもしれない。それでもいい、そう思い込もうと思った。もう、指をくわえて見ているのは嫌だった。

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