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生活保護者の集いコミュの39歳で毒親から逃げた女性が語る苦悩「私の人生って何だったんだろう」

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https://news.yahoo.co.jp/articles/6c3ee7546120fd9dd005d8aa22bfb42f0aaa1998

体罰、暴言、過干渉……子どもを自分の思い通りに支配しようとする毒親。共働きの増加という社会的背景のなか、余裕をなくし毒親化している人が増えている。あなたは「自分は毒親ではない」と確信をもって言い切れますか?

【画像】39歳まで遠藤さんが暮らしていた実家の和室

毎日グチを聞かされ……“毒”を浴び続けた子が成人後に抱える苦悩
 子どもの心に深い傷を残す、毒親の言動。そのダメージは、子どもが成人した後の人生に影を落とすことがある。

 都内に暮らす遠藤由美さん(仮名・39歳)もその一人だ。由美さんは、あと半年で40歳になるが、一人暮らし歴は半年に満たない。今年1月に逃げるように関西の実家を離れ、東京のアパートに入居したのだ。

「実家は関西のベッドタウンの一軒家。私は一人っ子で、妊娠を機に専業主婦になった母は、私を出産のとき難産で死ぬほど苦しかったこと、専業主婦として人生を費やしていることに虚しさを感じることを、私が小学生の頃から繰り返し話して聞かせました」

 自分が母の人生を食いつぶしてしまったのではないか……。いつしか、遠藤さんはそんな罪悪感を抱くようになった。

「私と母は、傍から見ると“友達親子”だったと思います。父と母は仲が悪かったので、いかに自分が父から虐げられているかを、毎日グチってましたね。思い返せば、私自身は母に悩みや相談事をしたことがありません。彼女は私の話を遮って、自分の話しかしないんです。でも、家族のために母が犠牲になっていると思うと、口答えできませんでした」

物心がつくころから両親の喧嘩を見て育った
 母親は身近に頼る人もなく、孤独だったのだろう。遠藤さんが言うように、夫婦仲も悪かった。

「父は地元では名の通った不動産会社に勤めていましたが、家に帰ってくるといつも不機嫌でした。私や母がテレビを見て笑い声を上げると、うるさいと怒鳴ったり、散らかしてしまった服やカバンをゴミ箱に捨てられたりしましたね」

 物心がつくころから遠藤さんは両親の喧嘩を見て育った。また、父親は遠藤さんにも厳しかった。

「父の口癖は『将来カネに困らないようになれ』。私は小学4年生のときからチアリーディングを習っていて、高校もチアの強豪校に通いたかったのですが、進学校ではなかったので、父に反対されました。大学も教員免許が取れる国立の学部をすすめられましたね」
彼氏との同棲に反対。なのに「どうして39歳にもなって独身なんだ」
 高校は父の言うとおりに進学校へ通った遠藤さん。ただ、どうしても教員にはなりたくなかったため、大学は実家から通うことを条件に希望する学部への入学を許してもらった。卒業後は、地元で営業事務の仕事に就き、両親に言われるがまま実家暮らしを続けた。

「35歳のときに、当時付き合っていた彼氏と同棲したいと話したら、母から反対されました。それから彼とは疎遠になり自然消滅です。それなのに、昨年『どうして39歳にもなって独身なんだ。近所に恥ずかしいから、早く孫の顔を見せてくれ』『独身で不安定な身なのに、なぜ教育学部に通わなかったんだ』と、両親揃って急に私を責めだしたんです。そのとき初めて、親の話をまともに聞いていたらダメだと気がつきました」

自分の人生ってなんだったのだろう……
 遠藤さんは黙って荷物をまとめ、単身東京へと向かった。しかし、自由の身になって初めて、自身に異変が起きた。

「他の同級生は自分の意思で夢を叶えたり、家庭を持ったりしている。ただ両親の言うことだけを聞いていた私は、何ひとつ手に入れられなかった。自分の人生ってなんだったのだろう……。怒りと悔しさで夜は眠れず、逆に昼は力が湧かず部屋から出られません」

 長く実家暮らしだったため、幸い貯金は1000万円近くある。遠藤さんは今、精神に失調を抱えながらも、自分の歩むべき道を見つけようと暗中模索している。

―[急増!]毒親してる人―

<取材・文/週刊SPA!編集部>
※週刊SPA!4月27日発売号の特集「[急増!]毒親してる人」より

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