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生活保護者の集いコミュの反貧困ネットワーク 事務局長 瀬戸大作さん 日記 4/13

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4月13日(火)
❶午前、久し振りに参議院議員会館を訪問した。ムーミン党の同志でもある福島県出身、日本共産党の岩渕友参議院議員と再会、昨年のコロナ感染拡大以前は原発事故避難者支援の問題では常に連携させて頂き、東日本復興特別委員会や予算委員会でも避難者支援打ち切りを常に取り上げてくれた。今日は困窮者支援の仲間でもある医師の谷川智行さんと一緒に、福島県内福祉事務所の生活保護申請時の違法行為や実態把握の必要性について共有して頂く事が目的だった。福島の実際の支援者と中継を繋ぎながらの
共有会議となった。
★九州から福島に来て福島市で原発作業員として働いていたが、突然、雇止めになり。2月から郡山駅前で路上生活、原発事故被災者支援を続けている福島の友人が声かけしてくれた。問題は郡山市の生活保護申請受理段階の対応だ。相談者の男性は路上生活で所持金は400円、それなのに福祉事務所では、申請受理したが、保護決定される14日間、保護費からの前払いも渡せない。一時的な居住場所も提供できないと主張した。これでは野宿生活を続けろ!と福祉事務所が強弁しているものであり、定められている「居宅保護」を逸脱している。2年前も同様の事案が発生している。その時の除染作業員(名古屋の笹島から福島市で住み込み除染作業で雇い止めにあい、歩いてK市に来て追い返され行方不明に)も、同様の対応をされた。今回は、支援者が同行して申請受理までされたが、生保決定まで、飲まず食わずで居所がなくても仕方ないとの態度に終始したらしい。支援者が一時避難先の空き室マンションをシェルターとして提供して、みんなで食糧と生活支援をおこなって何とかアパート入居までこぎつけた。
★以前から福島県内には民間の支援団体が運営する野宿を余儀なくされた人々のシェルターがなく、仙台や塩釜の支援団体が運営するシェルターで保護してきたと聞く。緊急アクションに届く相談者からのSOSでも南相馬など浜通りの原発作業員として全国から集まられ、寮に入寮して働くが雇止めにあい路上に放りだされたり、原発作業員の仕事があり南相馬に向かったが仕事がなかったとの話を聞く。そのような福島県だからこそ公設シェルターやビジネスホテル、県営団地の活用で居所を失った人々の一時利用住宅が必要なのだ。
★避難者は今、賠償や支援の打ち切りで生活に困窮している。浪江町の生活保護世帯は、2016年に14世帯だったのが、20年は74世帯に増加。孤立と貧困がすすむ一方、それが見えにくくなっているのも課題だ。事故から10年を迎え、落ち着いたかに見えても、避難者は孤立しています。避難先の地域にもなじめず、あい次ぐ賠償や生活支援の打ち切りで、もともといた自治体の支援も少なくなり、取り残されている、(福島民医連新聞3月号より)
❷「汚染水」放出決定の暴挙に抗議する官邸前集会が開かれている。でも我慢するしかない。参議院議員会館をでて、反貧困ネットワークのシェルターがある山谷泪橋に向かう。入居者のアパート入居が決まった。中央区で生保申請したが、日本橋や銀座方面に安価なアパートがないので三多摩地域でアパートを見つけた。今日は中央区との生活保護移管交渉、無事に交渉を終えた。もうひとりのアパート入居決定した相談者と連絡がつかなくなった。行方を捜す。まったく息が抜けない。泪橋ホールの多田さんが特別に料理してくれた「ドライカレー」が美味しい。
➌今日も多数の緊急SOSメールが夕方に集中して届く。対応チームで手分けして返信と駆け付けをおこなう。私は埼玉県内2か所を広域緊急対応、大学を退学するしかなかった女性が泣いていた。都内は佐々木君に任せた。神奈川では杉浦さんが対応、夜に千葉県からのSOS、阪上さんも連日の駆けつけになる。丁寧に困難案件の返信を次々とおこなう田川さん。チームで乗り切ろう!毎日毎日、、

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