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生活保護者の集いコミュの親族の絆が木っ端微塵に、生活保護「扶養照会」の不要なお世話

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https://diamond.jp/articles/-/266582

生活保護の扶養照会に
仕込まれた「バグ」とは
 コロナ禍で先行き不透明な状況が続き、生活保護への期待が高まる中、福祉事務所から民法上の扶養義務者へ「仕送りできませんか?」などと問い合わせる「扶養照会」の存在理由が問われている。

 筆者が時折受ける相談の1つに、「かつて自分に家業の後継を強制しようとして脚を引っ張った田舎の親兄弟を、生活保護を申請してギャフンと言わせたい」というものがある。相談の主は、経済的には全く困っていない。それでも、現在の生活保護と扶養照会の仕組みを活用すれば、目的を達することは可能かもしれない。

 生活保護の申請は、日本国民に保障された権利である。本人が富裕層であっても同様だ。申請の際には、収入と資産の状況、居住の状況が分かる書類を持参するとよい。その際、親族の状況についても聞き取りが行われたり、記入を求められたりするであろう。親族の住所や氏名は隠さずに述べ、過去や現在の確執については黙っておけばよい。

 申請を受け付けた福祉事務所は、原則として2週間以内に保護の可否を判断し、書面で本人に通知する。むろん、本人の収入や資産、居住状況についての調査が行われるのだが、もともと所得を全て税務署に把握されている職業に就いており、資産隠しも行っていないのであれば、失うものは何もない。ただ、生活保護の対象にならないだけである。

 この間、親族は「あなたの息子さん(お兄さん)のAさんが、B市役所に生活保護の申請に来ました」といった通知を受け取った後、「Aさんに仕送りなどの援助はできませんか」という扶養照会の書面を受け取ることになるであろう。もしかすると、いきなり扶養照会の書面がやってくるかもしれない。
その書面は、3親等内の扶養義務者に届く。親や兄弟は、自分自身の兄弟やおじ・おばなどからの「どういうこと?」という電話を、立て続けに受けることになるだろう。体面を重んじる地方名士を「ギャフン」と言わせるのには、充分である。

 もっとも筆者は、こうした内容の問い合わせに回答するとき、「本来の業務だけで大変な思いをしている福祉事務所を、そういうことで困らせないでほしい」と一言添える。そして現在のところ、紳士淑女である友人知人たちは、1人も実行に移していない。

「扶養照会」には、もともと壊れている親族の絆を木っ端微塵にする威力がある。このような利用が可能な「バグ」があるというより、今となっては存在自体が「バグ」になっていると見るべきであろう。

扶養照会の曖昧さに見る
厚労省の立ち位置とは
 福祉事務所にとっての扶養照会は、「法に定められた義務ではないが、原則、することになっている」というものである。生活保護の申請件数を抑制したい場面では、「申請したことが扶養照会によって親族バレしますよ?」という一言は、有効な武器となる。また、「扶養義務者が、本人を虐待した親やDV加害を行った配偶者である」など、「扶養照会を行わなくてもよい」とされる場面は存在するのだが、明確に「してはならない」と決められているわけではない。

 この曖昧さは、現時点までの厚労省自身の宿命でもある。生活保護は、必要に応じて利用されるべき制度であるが、国家予算を掌握しているのは財務省である。財務省は1950年から、一貫して生活保護の利用抑制を求めている。厚労省は「生活保護の利用は抑制すべき」と言える立場にはない。しかしながら、「暴力団関係者」「外国人」「働けるのに働かない人」「医療が無料なので無駄な治療を受けたがる人」といった分かりやすい対象をシンボルとして、利用抑制を促進してきた

「生活保護は、遠慮せずにどんどん使ってください」と言いたくても言えない厚労省が、2020年、利用しやすくする方向で数多くの通知を発し、年末に「ためらわずに」利用するようにと呼びかけたのは、革命的な出来事であった。

 ところが、生活保護の利用を抑制する大きな要因となっている扶養照会については、現在のところ、厚労省は見直すつもりがないらしい。2月26日、扶養照会についての見直しを行う通知が発行されたものの、「見直した」といえるのかどうかも微妙なマイナーチェンジに留まっている。

「公助」と「自助」は
どのような関係にあるのか
 生活保護のような「公助」による公的扶助と、親族による扶養のような「自助」は、どのような関係にあるのだろうか。ざっくり類型化すると、以下の4通りとなる。

(1)生活に困窮した人は、親族が扶養しなくてはならない。扶養を怠り「自助」を行わない親族に対しては、刑罰を課す。

(2)生活に困窮した人は、親族が可能な限り扶養しなくてはならない。親族の経済力が薄いなどの事情があり、「自助」ではどうにもならない場合、「公助」で公的扶助を適用する。

(3)生活に困窮した人は、「公助」である公的扶助に優先して、なるべく親族による扶養などの「自助」が行われることを期待する。しかし法で義務とするようなことはせず、生活に困窮していれば「公助」で救済する。事実として仕送りが行われたら、公共がありがたくいただく。

(4)生活に困窮した人は、「公助」によって救済する。親族による扶養などの「自助」は求めない

 現在の生活保護法は「3」に該当する。しかし、生活保護法が施行された1950年からの70年にわたる時間の流れは、「3」を時代遅れにしつつある。またこの間、貧困の拡大と格差の固定が進行した結果として、親族による扶養を含め、「自助」の余地は激減している。

 なお、「1」〜「3」の類型化と整理は、生活保護制度を創った厚生官僚・小山進次郎氏が1950年に刊行した著書『生活保護法の解釈と運用』に掲載されているものである。「4」は筆者が追加した。当時の世界の社会保障の最先端というべき達成は、70年の時間が経過しても色褪せていない。生活保護での扶養の考え方は、次のように示されている。

「公的扶助に優先して私法的扶養が事実上行われることを期待しつつも、これを成法上の問題とすることなく、単に事実上扶養が行われたときにこれを被扶助者の収入として取り扱うものである」

 1950年の最先端は、2021年現在、さらなる洗練へと向かっているだろうか。

DVや虐待を客観的に
証明することは可能か
 2月26日に厚労省が発した通知では、扶養義務を求める意味がない場面の類型が明確化された。この場合は扶養照会を行わなくてもよいため、福祉事務所の負担は軽減されると期待したい。

 ところが内容を見てみると、これまでの「長期入院患者・働いていない人・高齢者・たとえば20年間音信不通など関係が途絶えている人」に、「扶養義務者に借金を重ねている、当該扶養義務者と相続をめぐり対立している等の事情がある、縁が切られているなどの著しい関係不良の場合等」が加えられ、音信不通の場合は「10年程度」と短縮されたのみである。

また、これまでも扶養照会をしなくてよいとされてきたDV被害者に、親からの虐待被害者が追加された。成人後も深い傷跡を残す幼少時の虐待が、生活保護の運用の中で位置づけられたのは喜ぶべきことかもしれない。しかしDVも虐待も、「当該検討結果及び判定については、保護台帳、ケース記録等に明確に記載する必要がある」とされている。

 本人にとっては確かな事実であっても、本人の申し立てだけで扶養照会を避けられるとは限らないようである。そして客観的な証拠を示すことは、本人にとっても容易ではないことが多い。DVや虐待は、隠れて行うものである。

 菅首相は、「最終的には生活保護」が利用できると述べた。しかし、DV被害者や虐待経験者は、安心して「最後のセーフティネット」である生活保護を利用できるだろうか。はなはだ心もとない。

「扶養を求められても無理」
という日本の実態

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 扶養照会が親族に求めているのは、金品による援助だけではない。手紙や電話など、感情面のつながりを提供することも、援助の一部である。本人は「切れてしまった」と思い込んでいた親族との縁が、生活保護の扶養照会によって復活することも、稀にある。

 しかし、本人が生活保護を必要とする貧困状態にあるとき、親族が貧困ではないのであれば、親族との良好な関係はもはや維持されていないことが多いだろう。本人が貧困かつ親族が貧困なのであれば、親族に扶養を求めても応じられる可能性はないであろう。

 扶養照会は、ほぼ、もはや意味のない「不要」照会である。わずかに残るメリットや、稀に現れる積極的な意義はわずかであり、発生する可能性は低い。すべての人々のための公平な制度であるべき公的制度に含ませておく必要はない。

(フリーランス・ライター みわよしこ)


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