ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュの反貧困ネットワーク 事務局長 瀬戸大作さん 日記 3/11

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
3月11日(木)
東日本大震災と福島原発事故から10年を迎えた。
❶2011年3月当時はパルシステムの事業部長だった。被災地との物流が止まった。浪江町にあったパルシステム福島相双センターが警戒区域となり、事業継続不能となり組合員全員が避難した。被災地に物資を送り続ける。一方で容赦なく計画停電でセットセンターも止まり、組合員への商品供給も欠品多発、指示が飛ぶ。「被災地を優先せよ!」
❷7月に郡山のルートインホテルに常駐体制を敷き、組合員が避難によって減少して経営危機に陥ったパルシステム福島の組合員拡大支援チームを会員生協の精鋭チームを派遣してもらい、経営危機から脱却させた。でもこの活動中に、須賀川市で戸別訪問中に訪問相手のお母さんに言われた一言が人生を変えた。「何でこんな線量が高い場所で半袖で活動しているの?土の線量を計測させてもらった。3マイクロシーベルトを超えていた。
➌秋以降から郡山を経由して会津若松にある応急仮設住宅に毎週、通い続けた。大熊町からの避難者が13か所の仮設住宅で暮らしていた。そのうち4か所の仮設住宅(えは長原・松長・亀公園・緑公園)のコミュニティ活動支援に通い続けた。木幡ますみさんと仮設住宅で出会った。仮設住宅の部屋の中には田中正造の肖像画が掲げてあった。
❹2012年春頃から経産省テント、官邸前抗議、疎開裁判に関わるなかで、規制庁前で抗議活動している満田夏花さん、阪上武さん、避難者の長谷川克己さんと出会った。福島原発告訴団の説明に来てくれた小金井市議の片山かおるさんに出会った。
❺満田さんたちと出会って以降、「原発事故被害者の救済を求める全国運動」設立に参画して、骨抜きにされた「原発事故子ども被災者支援法」の実効を求めてきた。パルシステムにおける「産直産地と連携した保養プログラム」「会員生協の甲状腺検診」立ち上げに関わった。その時に県外避難者の窮状を知る事となった。関わっていた「さようなら原発1000万人アクション」で原発事故被害者救済に取り組むよう働きかけ、現在まで避難者問題を取り組むに至っている。
❻2017年3月末での区域外避難者の住宅無償提供打ち切りを控え、2016年7月に「避難の協同センター」を設立、住まいを失う危機にある避難者の住宅確保と支援延長に活動を集中させた。2017年5月に支援してきた母子避難のお母さんが自死した。毎年3月末になると避難者への支援が次々と打ち切られてきた。現段階では国家公務員住宅に住む区域外避難者が、福島県から二倍家賃請求と退去できない理由を考慮されず、追い出しが強要されている。原発事故被害者は棄民とされた。
➐新型コロナ感染症拡大で、仕事を失い住まいを失った人々からのSOSが続出した。事務局長を担っていた「反貧困ネットワーク」が呼びかけ「新型コロナ災害アクション」を設立し、連日の現場支援を続けている。一方で「避難者の窮状」が埋没してしまった。ソーシャルデイスタンスで復興支援員の訪問活動も居場所も保養もSTOPした。緊急アクションのSOSで福島出身の方や、除染作業員の方が多く見受けられるようになった。避難者の子どもがSOSをだして緊急保護した。郡山では原発作業員が雇止めされて生活保護を申請したら、その日からの居所も提供されず、原発反対の仲間たちが支えている。
❽原発事故から10年が経過した。この国は「復興」「絆」を叫び、公的責任、加害責任を「自己責任」にすりかえて弱き人々を棄民とする。悲しい国となってしまった。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。