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生活保護者の集いコミュの「貧しい女なら言うことをきく」元ホームレスが感じた視線 「渋谷事件、彼女は私」

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https://mainichi.jp/articles/20201229/k00/00m/040/002000c
#自助といわれても

東京都渋谷区で11月に路上生活者の女性が襲われて死亡したことに抗議するデモの参加者=渋谷区で2020年12月6日午後5時15分、丸山博撮影

 「年を取った時、自分もバス停でひとりポツンと座っている姿が浮かぶんです」。東京都渋谷区のバス停で今年11月、路上生活者の女性が男に頭を殴られ死亡した。その境遇を、自分と重ね合わせる女性がいる。山野恵美さん(38)=仮名。大学卒業以来、非正規雇用の仕事を転々とし、5年間の路上生活も経験した。今年夏には、新型コロナウイルスの影響で日雇いの仕事も失った。菅義偉首相は目指す社会像に「自助・共助・公助」を掲げるが、行き場を失って路上に迷い出る女性たちの姿が、その目に見えているのだろうか――。事件を「ひとごとと思えない」と語る女性に、話を聞いた。【木許はるみ/統合デジタル取材センター】

「全くひとごとと思えない」 デモ会場での叫び
 事件が発生したのは11月16日午前4時ごろ。渋谷区幡ケ谷のバス停のベンチに座っていた路上生活者の大林三佐子さん(64)が、近所の酒店従業員、吉田和人被告(46)=傷害致死罪で起訴=に頭を殴られ、死亡した。

 大林さんが路上生活に至った経緯は詳しくは分かってはいない。結婚はせず、十数年前に上京したようだ。約3年前に杉並区のアパートを引き払い、今年2月ごろにスーパーの販売員を辞めていた。現場のベンチに座ったまま寝ている姿が、以前から近所の住民などに目撃されていたという。起訴された吉田被告は、「事件前日にお金をあげるからバス停からどいてほしいと頼んだが、断られて腹が立った」「痛い思いをさせればいなくなると思って殴った」などと供述している。


現場のバス停に献花して手を合わせる大林三佐子さんの弟=東京都渋谷区幡ケ谷で2020年11月22日午前11時35分、鈴木拓也撮影
 記者が山野さんと会ったのは、12月6日、渋谷区の代々木公園周辺で開かれた大林さんを追悼するデモの会場でのことだ。「ずっと非正規で日雇いで暮らしてきて、今のコロナで仕事もなくなり、暮らしているんですけれど、全くひとごとと思えず、自分にも起こるかもしれない」――。ニット帽にコート姿でマイクを握り、声を振り絞るように語る姿が気になった。「私は野宿していたこともあるし、野宿者の支援に携わっていたこともあるんですけれど、その中でも嫌な思いをすることがたくさんあって……」。大林さんの事件を「自分のこと」と捉えるその思いを詳しく聞きたくて、後日、都内の公園で落ち合うことにした。

会社勤めに希望持てず非正規に 震災で気力失い
 山野さんは2005年に関東の大学を卒業して以降、人材派遣会社5社以上に登録し、日雇いを中心に非正規の仕事で生計を立ててきた。「私は就職氷河期の最後の世代です。必死で就職しても嫌な目に遭って辞めていく人を10代のころからずっと遠目に見てきたので、会社に就職することにあまり希望を見いだせなくて」。精神的に不安定になることもあり、同じ職場に居続けるよりも、日雇いの働き方が自分に合っていると思っていた。

 そんな生活を5年ほど続けて、30歳目前になった山野さんを待っていたのが、派遣労働を巡る社会の変化だった。関東の他県に住む祖父母の介護でしばらく仕事を離れ、11年夏に半年ぶりに復職しようとしたが、その前年に政府が労働者派遣法改正を決定し、日雇い派遣を禁止する動きが広がっていたのだ。

 「もう前の働き方はできなくなるんだ」。当時、友人宅に居候していたが、その友人も失業し、居続けることが難しくなっていた。さらに震災とその後の社会的不安感の増大は、もともと不安定だった山野さんの精神に負担をかけ、「仕事を探す気力がなくなっていた」。


路上生活中の経験を話す山野恵美さん(仮名)=東京都内の公園で2020年12月10日午後3時52分、木許はるみ撮影
 母子家庭で、母親も非正規のため頼ることができない山野さんは、生活保護の申請も考えた。だが、「当時は受給者へのバッシングも強かったですし、行政の窓口で自分の出生や成育歴のプライバシーをすべてさらけ出すのも、その後の生活をずっと管理されるみたいで」抵抗があったという。行政が用意するシェルターや宿泊場所があっても、「大部屋でプライバシーがなかったり、入所者の間のいじめがあったり、劣悪なところと聞いていたので、なかなか入ろうとは思えませんでした」と語る。

 行き場をなくした山野さんは11年秋、知人を頼り、東京都内の河川敷で暮らし始めた。事業所などから廃材や段ボールを集め、100円ショップで購入したくぎやガムテープなどで、体一つが収まるくらいの小屋をつくった。小屋にはカセットコンロや鍋を置き、パックのご飯やカレーなどのレトルト食品を主に食べた。自転車で3分ほどの公衆トイレを利用し、手洗い場で水をくみ、小屋で飲食や洗面用の水に使った。

 生活費はアルミ缶の収集と日雇い労働で賄った。2日に1度はアルミ缶を集めて、業者に1キロ100円前後の相場で買い取ってもらう。早朝から自転車をこぎ、捨てられた缶を回収して回った。ハローワークの出張所で月に数回、東京都が募集をする清掃や草取りなどの作業に従事し、8000円前後の日当を受け取ることもあった。

 路上生活中に「みじめさを感じることはなかった」という。友人宅に居候していた生活と比べると、「自分で稼いだお金で生活をつくっていける」という思いがあったからだ。「自分の家を借りていると、生活費のために働かざるを得ませんよね。たとえ悪質な派遣会社でも、生活費を得るためには仕事をもらうしかない。悪質な企業に加担して延命させているようなものです。野宿生活は最低限の費用を稼ぐだけなので、そういう構造から少し距離を置けるように感じました」

 だが、当然だが路上生活は楽ではなかった。理不尽に向けられる敵意、そして女性ゆえの、想像もしなかった困難が山野さんを襲ったのだ。

「貧しい女」への視線 気持ち悪さと恐怖
 まず閉口したのは夏場の生活だ。冬の寒さは、友人宅から持参した布団や寝袋にくるまり暖を取って我慢できたが、「暑さがきつくて。ネットカフェに泊まりに行くこともありました」。アルミ缶を集める際に、住民から「持っていくな」と苦情を言われることもあった。「毎日のように回収し、たくさん集める人はいましたが、私は体力的なこともあって、そこまでたくさんはできませんでした。いっぱいアルミ缶があるところでも、変な男性がいて行けなくなったところもありました」

 恐怖とも隣り合わせだった。日常的に「襲撃」があったからだ。「小屋で寝ているときに騒がしいなと思ったら、高校生くらいの人にロケット花火を小屋に向かって打ち込まれたことがありました。小屋に入ると火薬の臭いがしたこともあります。相手が何人かも分からないし、次にいつ来るかも分かりません。それからは、ちょっとした物音でも身構えてしまいました」。見知らぬ人に、小屋をじろじろ見られながら周囲をうろつかれたこともあった。「『何かご用ですか』と声をかけ、話をしていると『ふざけんな』って言って私の顔につばをかけて逃げて行ったんです」↵

 さらに予想もしなかったのが、街にいる時も、テントにいる時も、降りかかってくる男性からの性的な声掛けだった。「アルミ缶をあげるからついて来なよ」「お金をあげるから、ちょっと付き合わないか」――。女性がアルミ缶を回収している時やテントで寝ている時、中年の男性が声を掛けてくることが何度かあった。「自分が野宿しているテントを通り過ぎた後、女がいるのでびっくりして、男性が引き返してくることもありました。『おじさん、この近くに住んでるんだけど、ちょっと来ない』って」

 「性的な声掛けみたいで、気持ち悪さと恐怖をすごく感じていました。路上生活を始めるまで、街でナンパされたり、声を掛けられたりすることはなかったんです。野宿をして、見た目が貧しい女で、小屋に住んでいる。そういう状態で声を掛けられたので、きれいとか、かわいいという評価じゃなくて、『貧しい女だから簡単に言うことを聞くだろう、聞かせられるだろう』。そういう視線を度々感じました。今思い出しても気持ち悪いです」


東京都渋谷区で11月に路上生活をしていた女性が襲われて死亡したことに抗議し、デモ行進する人たち=渋谷区で2020年12月6日午後6時15分、丸山博撮影
 当時、山野さんは強い態度に出られなかった。路上生活をしていて、身の安全を確保できないからだ。周りに相談しようにも、男性ばかりの環境で、気軽に話せる相手が見つからなかった。

 「(声を掛けられた時は)その場で笑ってごまかしながら、翌日からは、なるべく遭遇しない場所でアルミ缶を集めるようにしました。男性と対等な関係なら強い口調で断れることも、野宿している時は、自分のいる場所が分かるし、仕返しをされても抵抗する力もない。すごく不本意なんだけど、愛想笑いしながら、やんわり断ったりとか。非常に不本意でしたけどね……。一回でも声掛けがあると、しばらく嫌な思いで頭がいっぱいでした」

 警察に相談をしても、路上生活者として嫌な扱いを受ける不安がある。何かあればいつでも逃げられるように、寝る時はジーパンをはいて、周囲に知らせられるように笛を近くに置くようにしていた。

 「大林さんの事件も『お金をあげるからどいてほしい』と容疑者が話していますよね。『断られて腹が立った』と。私が受けていたような視線を感じるんです。『お金をあげれば言うことを聞かせられるだろう』と。大林さんのような方に福祉が必要だと言われますが、それ以前に、公共の場所に女が1人で寝ていてももう少し安全な社会なら、こんな事件にならなかったのにと思います」

 報道によると、大林さんはベンチで座ったまま寝ていて、服装は「一見すると、ホームレスに見えなかった」と目撃者が証言している。「路上生活をしている女性たちは、横にならずに寝たり、見た目でホームレスと分からないようにしたり、無防備な状態を避けて、何かあってもすぐに逃げられるようにしているという話を聞きます。公共の場所にいても、暴力を加えられないようにするにはどうしたらいいのかなと強く思います」

 厚生労働省によると、19年の路上生活者の人数は4555人、うち女性は171人で全体の約4%と圧倒的に少数だ。炊き出しなど支援する側のスタッフも男性が多い。「女性が少ないので嫌なことを言われたり、野宿者の男性にからかわれたりして、炊き出しに行くのを嫌になったという話も聞きます。命に関わることなのに、支援の集まりにも行けない。女性がその場を立ち去ることで、何もなかったことになる。『支援してあげるよ』と言われても、警戒するだけの理由があるんです」

女性だけ聞かれる「恋人は?」 事件は氷山の一角
 もう一つ山野さんが悩まされたのが、行政から日常的にさらされる立ち退きの「圧力」だった。「いつ出て行くことになるのか、常にストレスでした」。結局山野さんは、行政とのやりとりに疲れ、5年ほどで路上生活を終え、15年ごろから家賃2万5000円の賃貸アパートで暮らし始めた。求人誌で見つけた、日当をもらえる運送業の会社で単発の仕事をこなし、月15万円ほどの収入で生活する日々。しかし、今度は新型コロナで生活が一変した。2〜4月は引っ越しなどで繁忙期のはずが、一向に仕事が回ってこない。会社からは「5月末には仕事の量が戻ってくると思う」と楽観的に言われたが、状況は変わらなかった。少ない貯金を取り崩し、定額給付金の10万円で暮らしをつないだが、最後に仕事に入ったのは7月下旬。会社からの連絡は途絶えた。

 再び路上生活をすることも考えたが、環境は変わっていた。「11年の時よりも、公共の空間の管理や規制が厳しくなっていました」。実は19年の路上生活者数(4555人)は、5年前より2953人減少している。「路上に出られる場所がない、公園で住める場所がない。体一つでベンチで横になって生活するとしても、テントに比べて身を守るものが圧倒的に少ない。定住しないで路上生活をするのは、あまりにもリスクが高いのです。監視カメラで見られていて、ベンチに寝転がるとすぐに警備員が来てしまいます」

 山野さんは9月、同年代の知人が生活保護を受けたのを見て、自身も申請した。月額8万円の生活保護費で、暮らしをつないでいる。役所の申請窓口では、話の中で「友人が」と言葉に出すたびに、男性かどうかを聞かれる。母子家庭で育った山野さんは、母親が児童扶養手当を役所で申請している時に「恋人は?」と聞かれていた幼い記憶を思い出したという。「男性の生活保護の申請に付き添った時は、そんなことを聞かれているのを見たことがなかったのに」と表情を曇らせる。

 女性の路上生活者を襲った事件は、大林さんの事件以外にも発生している。報道によると、1月には上野公園で路上生活していた70代の女性が殺害されたとみられる事件が発生したほか、3月に岐阜県で路上生活者の女性が少年たちに襲撃され、女性を逃がそうとした別の路上生活者の男性(81)が暴行されて死亡した事件も起きている。

 「大林さんの事件を聞いて、『またか』って思いました。人が亡くなった時だけ報道されますが、実際には見えない膨大な数の嫌がらせや暴力があって、事件は氷山の一角です。自分がたまたま路上にいない間に、どんどん公共の場所が女の人にとって危険なところになっていることにショックを覚えます。大林さんの事件で起訴された人は『大ごとになると思っていなかった』と話しているみたいですね。貧乏な女を殴るっていうのが、大ごとじゃないと感じたのかな。でも、その認識はその人特有のことじゃなくて、社会全体でそう扱われているように感じます」


「ただお金のない人が暮らせる場所が減っている。このベンチもです」と話す山野さん。この日座ったベンチにも取っ手があり、寝そべることができないようになっていた=東京都内の公園で2020年12月10日午後3時53分、木許はるみ撮影
 抗議デモに参加したのは、事件で動揺した気持ちや不安を共有したいと思ったからだ。「私は生活保護を受給できましたが、生活保護はバッシングや、(生計を支援してくれる家族を探す)扶養照会、窓口での(注文を付けて申請を断念させる)『水際作戦』と何重にも壁があります。本来は行政が制度を積極的に周知するはずですよね。『公助』が足りなければ、税金を納める意味があまりなくなってしまいます」

 「行政は路上生活者が減ったと言いますが、見えないところで隠れるように暮らさざるを得なくなっているだけです。生活に困っても、空いている場所に暮らして何とかしのぐことができれば、コロナ禍でこれだけたくさんの人が失業している中で、もっと自力で命をつなげた人がいたかもしれないし、困窮している人が可視化されれば、政治へのインパクトも違うと思います」。そして言葉をつなぎながら、こう続けた。「私も、いつまでこうした生活が続けられるかは分かりません。これから仕事が見つかったとしても、非正規の仕事しかないと思います。福祉の予算も削られていくでしょう。自分が年齢を重ねて大林さんくらいになった時、ほかに頼れる人もいなくて、バス停でポツンと座っている姿が浮かぶんです」

ホームレス団体の女性「行政の姿勢が事件に影響したのでは」
 新型コロナによるしわ寄せは、女性に向かっている。若者の貧困問題に取り組むNPO法人POSSEが今年2月から新型コロナに関連した労働相談を始めたところ、11月30日時点で3304件の相談があり、その6割を女性が占めた。女性の相談者の7割は、パートや派遣社員などの非正規雇用だという。

 路上生活を余儀なくされる女性も増えているようだ。女性の路上生活者らのグループ「ノラ」を設立した女性によると、周辺でも夏ごろから、中年の女性の路上生活者が増えているという。「普段から脇に追いやられている女性の立場が、(新型コロナで)もっと厳しくなることは想像できます。最初に影響が出るのは、普段からギリギリのところで暮らしている人です」と話す。

 しかし、路上に出ても、テントを張ることはおろか、寝袋や布団を公園や道路の管理側が撤去し、預かられることもある。「路上生活者はどうやって取り返していいのか、方法も分かりません。でも生きるために重要なものです。(管理者の目を避けるため)路上を転々とせざるを得なくなり、ちゃんと寝ることもできず、孤立してしまい、支援の目も届きにくい。こんな緊急事態に路上から追い出すのはやめてほしい」「ステイホームと言われますが、家賃も払えず、どうやって家にいながら食べていくんですか。家にいると死んでしまうので、外に出てきているんです。自分たちで工夫をしながら生活しようとしても、行政はさまざまな規制をつくって、そこで生活ができなくさせています。勝手にいなくなるのを待っているように感じます」

 この女性自身も、新型コロナの感染拡大以降、石をぶつけられたり、爆竹を投げつけられたりするなど、路上生活中に立て続けに襲撃を経験した。これまでも東日本大震災やリーマン・ショックなど、社会が不安定な時は、襲撃が増えたという。「特に女性や高齢者が狙われやすい。社会的なストレスのしわ寄せが、弱い立場の人に向かってくるんじゃないでしょうか」。襲撃を受けても、ほとんどの路上生活者は抵抗ができないという。

 「路上生活者を排除する行政の態度が、大林さんの事件や最近の襲撃に表れていると思います。変わった人が事件を起こしたという加害者だけの問題ではありません。行政が何を優先しているのか、どういう街をつくっているのか。それが影響していると思います。緊急事態の今、行政が守るべきなのは地主でもオーナーでもない。貧困者です。行政が貧困者を守る姿勢を見せなければ、ホームレスを目障りと思う人の考えは変わらないと思います」と訴えた

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