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生活保護者の集いコミュの年収100万の貧困家庭で育った私が経験した、ヤバい「格安シェアハウス生活」

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76525

ヒオカ フリーライター

私の父は精神障害がある上、複数回の事故や病気による手術で体が弱い。障害者雇用やアルバイトを転々とし、時に無職だったこともある。そんな状況の中、姉を含む4人で暮らしていた。

年収100万円の貧困家庭で育った私の体験を書き綴った記事をnoteで出したところ、たくさんの声が寄せられた。賛否含めて、多数の反響をいただいたことをキッカケに、現代ビジネスでも『年収100万の貧困家庭で育った私が、「穴あき下着」で過ごした青春時代』を寄稿させていただいた。

私のような貧困家庭に育った人の実態をもっと知ってもらうために、今回は衣食住の「住」について紹介していきたい。

他の子とは明らかに違っていた
私の家族が住んでいたのは、地方の家賃1万5千円の県営住宅だった。

片田舎のさらに山奥、白くて同じ形をした家が立ち並ぶ。そこに住み、同じ小学校に通う友達が何人かいたため、お互いの家をよく行き来していた。

県営住宅に住む子どもたちの暮らしぶりを見て不思議だったのが、どの家も片付けができておらず雑然としていることだった。

私の家も常に汚くて、カビがそこらじゅうに生え、床が抜け落ちていた。6畳のリビングにはモノが溢れ、残った狭いスペースで両親と寝ていた。

写真はイメージです/photo by iStock
同級生には祖父母が農家を営んでいる家も多く、そんな子たちは立派な一軒家に住んでいた。県営住宅以外に住む子どもたちの家は綺麗に整えられており、本やゲームも豊富で、必ずピアノ教室やバレーボールクラブなど習い事もしていた。

一方、県営住宅に住む子どもたちは、いつも兄弟で喧嘩が絶えなくて、素行が悪くて有名だった。その後の進路は定時制高校に進むか中卒で就職するケースがほとんどで、大学に行った人は一人もいない。

今振り返ると、私をはじめ県営住宅に住む友達は、普通と何かが違っていた。

みなランドセルがお下がりで傷だらけ。あちこち皮が剥がれた物を使っている子もいた。保健室の先生から防寒着や長靴、給食のあまりのパンや牛乳を受け取っているのを見たこともある。

その理由を明確に述べるのは難しいが、やはり低所得者が集まり、一般的な家庭との違いが様々な面で如実に表れていたということなのだろう。

8畳の寝室で6人の女性が睡眠
私は家にこそ学習環境はなかったが、市立図書館で勉強を重ね、なんとか公立の大学に進学。それを機に自宅の県営住宅を出て、6年半にわたり「格安シェアハウス」生活を送ることになる。

一人暮らしをするためには数十万円の初期費用に加え、家具・家電などを一から揃えるのに途方もないお金がかかる。それゆえ最初から一人暮らしという選択肢はなかった。

そんな私を見かねて、高校時代の先輩がシェアハウスを紹介してくれた。そこは家賃光熱費など込み込みで3万5千円、初期費用は0円というところだった。

このシェアハウスでは女性6人が共同で暮らしていた。8畳ほどのリビングと8畳ほどの寝室が一つずつ。そこに6人が布団を隙間なく敷いて、寝られる人から寝る。洗面所やトイレなどの水回りだけでなく、あらゆるものをシェアしており、2つしかない勉強机はいつも取り合いになっていた。

夏になり、大きな問題が起こる。そのシェアハウスの寝室にはエアコンがなかったのだ。

夜になるとマンション全体が熱を帯び、扇風機も熱風をかき回すだけだった。あまりに室内が暑く、ベランダに布団を出して寝てみたりもした。

写真はイメージです/photo by iStock
1時間しか寝られない日もあり、気がつけば食欲も落ち、全身が倦怠感で襲われるようになる。放課後、保健室に行って1〜2時間仮眠をしたり、友人宅に泊めてもらったりしてなんとか夏を凌いだ。

それでもやはり、シェアハウスの人間関係や自分だけの空間がないストレスは続き、秋頃に急性胃腸炎で救急車で運ばれる事態が発生する。その後も慢性胃腸炎に悩まされ、体重は12キロも落ちてしまった。

劣悪な環境に耐えられず、1年生の冬に別のシェアハウスに引っ越した。結局、大学生活4年間の間に、合計3回も住まいを移すことになる。

あらゆる音が筒抜け
社会人になってからも格安シェアハウス生活から脱することができず、引越しを繰り返していたが、流石にドミトリータイプに懲りて、個室のシェアハウスを探すことになる。

そこで引っ越した先が、家賃共益費込み3万8千円の個室タイプのシェアハウスだった。4畳半の個室がまるでカラオケボックスのようにワンフロアに6部屋並び、一棟12人が共同生活を送る。

写真はイメージです/photo by iStock
収納はなく狭かったが、自分だけの空間があることで精神的余裕が生まれた。

ただし、やはりここでも問題が起きる。壁がかなり薄く、あらゆる音が筒抜けなのだ。

話し声はもちろん、掃除する音、物を落とした音、ベッドの軋む音…、隣の部屋の人の息遣いまで聞こえてきそうなほど、とにかく驚くほど全て丸聞こえだった。

隣の住人にも「ドアを閉めるときは手を添えて音を立てないように」と注意され、毎回細心の注意を払って扉を閉めていたほどだ。

私は仕事柄23時過ぎに帰宅するのだが、深夜に生活音を立ててはいけないため、0時半にはベッドに潜り込まなければならない。帰宅してからベッドに入るまでが、ある意味で一番神経を使う時間だった。

本来であれば一番休息できる空間であるはずの自宅。しかし私にとっては決して気が休まる場所ではなく、休日もいかに家にいる時間を減らすかを考えてばかりいた。

そんなある日、決定的なことが起きる。

異様な雰囲気の中年女性
深夜にPC作業をしていたとき、私の部屋のドアを乱暴に叩く音がするのだ。恐る恐るドアを開けると、そこにはものすごい形相をした中年女性が立っていた。

「さっきからなんなんですか!!!!!不快な音がするんですが!!!!!」

あまりの剣幕に圧倒され、言葉を失ってしまった。私はただタイピングをしただけで、それほど大きな音は立てていないはずである。そもそもこの女性がどこの誰なのかも分からない。

写真はイメージです/photo by iStock
「音を出すことはしていない」と説明したが、「絶対に何かしているはずだ!」とまるで取り合ってもらえない。とにかくその場をおさめるために「すみませんでした」と謝罪の言葉を絞りだすと、女性はすごい勢いで下の階に降りていった。

その後も、度々その女性の怒号が深夜に響き渡ることがあった。若い世代が集まる格安シェアハウスで、他の住人に威圧的な態度を取るその中年女性は、異様な雰囲気を放っていた。

それからというもの、深夜は本当に何もできなくなってしまった。睡眠薬を流し込み、ただベッドの中で朝が来るのを待つ。睡眠薬の副作用から、日中もじっとしていられなくなり、休憩中や人と話している時も椅子をガタガタと震わせ挙動不審になった。

「このままではいけない」と思い、家に帰れない状況を友人に相談すると、家に居場所がなかったり、生活に困窮している若者を支援している団体の連絡先リストを教えてくれた。

「様々な相談に応じています」「必要に応じて専門機関や公的機関をご紹介します」という耳障りのよい言葉とともに相談窓口の連絡先が書かれていた。しかし、実態は想像していたものとは違った。

何回もかけてみるものの、繋がらない。やっと繋がったと思っても、対応したのは明らかに気怠そうな声色の女性。「警察に相談するか、ネカフェに泊まってください」とだけ言われ、電話を切られた。

シェアハウスの管理会社に、怒鳴り込まれたことや日常の騒音被害について訴えたが「検討しまぁす」と言われたのみ。後日「メールで注意しておきました」とだけ連絡がきた。

顔も知らない人からの援助
知り合いが紹介してくれたウィークリーマンションに避難しながら、ついに一人暮らしする物件探しを始めた。

数週間前までは、そんな選択肢は考えられなかった。初期費用や家具家電代を払える見込みなどなかったからだ。

東京で一人暮らしをすれば家賃だけで5~6万円はするだろう。光熱費などを考慮すれば、シェアハウスのランニングコストの倍はかかる。それを考えると途方もない夢に思えた。

しかし、記事を書き続けることで、ライター活動を応援したいとnoteのサポート機能を使って支援してくださる方が少しずつ増えていった。加えて、Twitterで私の状況を知って、初期費用を貸したいと申し出てくれる人が何人か現れたのだ。

noteにあるヒオカさんのページ
また、東京でできた友人何名かが、収入から見た妥当な家賃と、今後のランニングコストの見積もりを一緒に考えてくれるなど、生計の立て方についてのアドバイスもくれた。

「食料などは支援する」「本当に困ったらあなた一人くらい泊まらせてあげる」と言ってくれる友人まで現れ、心が救われる思いだった。

受けた援助は初期費用だけではない。

「Amazonの欲しいものリストを作ったら?」と友人に提案され、誰も支援してくれないだろうと思いつつ作成しnoteで公開したところ、連日多くのギフトが届いたのだ。冷蔵庫や洗濯機、炊飯器やレンジなど、家具家電や雑貨が支援だけで全て揃ってしまった。

記事を書くことで、ここまで支援者が増えるとは想像もしなかった。無名の私の体験記に感銘を受けてくれる人がいたことも予想外だったが、こんなにも親身になって具体的に手を差し伸べてくれる人が存在することになによりも驚いた。連日多くの人から心配や励まし、情報提供の連絡が届き、本当に力をもらった。

どうか諦めないで欲しい
私のように貧困状態の人が、負のループを断ち切り、自立した生活を送ることは決して簡単なことではない。

一人暮らしひとつとっても、初期費用や一から家具・家電を揃えるお金を貯めことは、かなり大きなハードルとなる。

その上、固定費を払う恐怖心を乗り越える必要がある。長年、貧困状態にあるとリスクを考え、必要なものに投資できず、「安物買いの銭失い」のループから抜け出せなくなるのだ。

「ここは妥協してはいけない」という、一般的な人なら経験則で分かる最低限の出費も理解できないし、目先の安さばかりにとらわれ長期的には損してしまう。

格安シェアハウスの内見で多少問題を感じても、「自分にはここが妥当だ」「安さを考えれば仕方ない」という思いが先行し、実際トラブルが起きても我慢する癖がついてしまっていた。

友人から言われた「住居は1番に投資するところ、絶対に削ってはいけない」「ストレスを感じるところから抜け出す権利がある」という言葉は、まさに目から鱗だった。

photo by iStock
貧困層はどうしても住環境への投資が後回しになりがちだ。固定費のなかでもかなり大きな割合を占めるので、そうなるのも仕方がないのかもしれない。

しかし、住環境は生活の基盤だ。仕事へのモチベーションや健康、文化的生活の土壌となる。負のスパイラルを抜け出し、長期的な安定を得るために、実は住環境を整えることは最優先事項なのだ。

貧困家庭出身者の方々に伝えたいのは、「自分だけで解決しようとしないでほしい」ということ。たしかに、助けを求めても誰も応えてくれないという諦めや、弱みを見せることがみっともないと思う気持ちは痛いほどにわかる。よく思わない人がいるのも事実だし、傷つくことだってあるかもしれない。

しかし、そこに怯えて現在の環境を変える可能性を閉ざしてしまうのはあまりにもったいない。どうか、私の経験が誰かの背中を押す一助となることを願ってやまない

ヒオカ
HIOKA

1995年生まれ。地方の貧困家庭出身。関西の公立大学卒業。“無いものにされる痛みに想像力を”をモットーに、動画編集という本業の傍らライター活動を行う。ノンフィクションライター志望。








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