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生活保護者の集いコミュの「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感

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https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00091/?P=1

書こうか書くまいか散々悩んだ結果、やはり書こうと思う。

 なぜ、悩んだのか?
 一つには、何から書いていいか分からないほど、「絶望」に近い感情を抱いたこと。そして、もう一つは、どうしたら伝えたいことが伝わるか、最善の方法が見つからなかったからだ。

 が、今書いておかないと後悔しそうなので、書きます。
 テーマは「人さまに迷惑をかけるな!」といったところだろうか。

 まずは、遡ること14年前に起きた、忘れることのできない“ある事件”からお話しする。

 2006年2月1日、京都市伏見区の河川敷で、認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母親の首を絞めて殺害した。自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが、通行人に発見され、未遂に終わった。

 男性は両親と3人で暮らしていたが、1995年に父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる。一方、男性は98年にリストラで仕事を失い、親子は親族の好意で家賃を半額にしてもらい、月3万円のアパートに引っ越した。
 その後、男性は非正規で働くことになるが、母親の認知症は悪化。昼夜逆転の生活になり、男性は慢性的な睡眠不足に陥ることになる。

 しかし、生活費のためには仕事を辞めることはできない。そこで男性は介護保険を申請し、母親は自宅近くの施設でデイケアサービスを受け、男性はどんなに寝不足でも朝には会社に行き、仕事と母の介護に追われる日々を過ごすようになる。心身ともに疲弊しても、決して仕事を休むことはなかったそうだ。

仕事と介護の両立求めて職安へ
 そんなある日、男性が仕事に行っている日中に、外出した母親が道に迷って警察に保護された。その後も同様の事態が繰り返し起きたため、男性は仕事を休職して、介護に専念することになった。

 収入が途絶えて生活が困窮する中、男性は「せめて復職するまで生活保護を受給できないか?」と役所に相談した。ところが、職員から「あなたはまだ働ける身体なのだから頑張って」と諭され、生活保護支給を断念する。当時の報道によれば、「休職中だったため認められなかった」という。

 母親の症状はさらに進み、男性は仕事を辞め、再び役所に「生活が持ち直せるまで、しばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談した。しかし役所側は、「失業保険の受給」を理由に拒否。男性は母親のデイサービスを打ち切るなど、介護保険の自己負担をギリギリまで抑えながら、介護と両立できる仕事を求めて職安通いをするが、仕事は見つからなかった。

 なんとかカードローンなどで生活費を工面したが、限度額を超え、男性は追い詰められるようになる。自分の食事を2日に1回にして、母親の食事を優先し、この頃から心中を考えるようになったそうだ。


 そして、2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭でパンとジュースを買い、母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町かいわいを歩き、河川敷へ向かった。

 男性「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」
 母親「そうか、あかんのか……。一緒やで。お前と一緒や」
 男性「すまんな。すまんな」
 母親「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」

 男性はこの会話を最後に、母親を殺害し、自らも包丁で切りつけるなどして意識を失った。数時間後、通行人が2人を発見し、男性だけが命を取りとめたという。

 この事件は、4月19日、京都地裁で初公判が開かれ、地域の住民や関係者から126人分の嘆願書が提出され、メディアの注目を集めた。……覚えている人も多いかもしれない。

裁かれたのは被告だけではない
 何よりも衝撃的だったのは、6月21日に行われた3回目の公判で、裁判官が被告人質問で男性に「同じような事件が後を絶たないのはなぜか」と聞いた際の答えだ。

 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」(毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 〜追いつめられた家族の告白〜』(新潮文庫)より)。

 結局、京都地裁は男性に懲役2年6カ月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡し、裁判官は国にこう、苦言を呈した。

 「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と。

 そして男性に、「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけたという。

 繰り返すがこの事件が起きたのは、2006年1月である。この事件の6年前、国は介護保険を導入した。しかし、介護保険の効果について分析した研究では、「支援が必要な高齢者に対するケアの充実が図られたが、介護殺人の件数が減少する傾向は一切認められていない」ことが分かっている(湯原悦子氏の論文「日本における介護に関わる要因が背景に見られる 高齢者の心中や殺人に関する研究の動向」より)。

 また、1998年から2015年までに発生した介護殺人の件数は716件で、件の事件のあった2006年は49件と過去最悪を記録。その後、2008年には54件発生するなど、50件前後で推移している(湯原悦子氏の論文「介護殺人事件から見いだせる介護支援の必要性」より)。

私は、件の事件が起きた当時、介護現場の調査研究のヒアリングを行っていたので、この事件の裁判の内容は鮮明に記憶している。が、実はこの事件には続きがあった。

 2014年8月、男性は琵琶湖に飛び込んで自ら命を絶っていたことが、毎日新聞大阪社会部の取材で分かったのである。

 これは2016年4月にNHKがドキュメンタリー番組で報じ、2019年5月に毎日新聞大阪社会部取材班が出版した書籍『介護殺人 〜追いつめられた家族の告白〜』に詳しく記されている。取材班は、「当事者が胸の内に封印している事実こそが、本質を照らし出す」と考え、介護殺人の加害者の取材を進めた。その過程で、件の男性が亡くなっていたことを知ったそうだ。

 取材を重ねたどり着いた、男性の身元引き受け人の親戚の言葉。それはとてつもなく重くて、「社会とは何か?」を考えさせるものだった。

不器用な人をも救う「公の何か」
 「困った人を救う制度がないわけではないし、私は何でも行政が悪いとも思いません。でも、A(件の男性)のように制度を使いたいけど使えない、あるいは使わない人間もいるということですかね。そんな不器用な人にも手を差しのべる公の何かがあれば、とは感じます」(『介護殺人 〜追いつめられた家族の告白〜』より)

 ……さて、私が何を言わんとしているのか、お分かりいただけたでしょうか?
 そう。これが「自助、共助、公助、そして絆」の顛末(てんまつ)である。

 ご承知のとおり、自民党総裁になった菅義偉官房長官は、出馬表明した際に出演したテレビ番組で、「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」と述べた。

 私はこの発言を聞いたとき、一瞬耳を疑った。でもって「……台風が来ているからだよね? 自然災害が増えているから、自助、共助、公助なんて言ってるんだよね?」と、マジで思った。

 だが、そうではなかった。
 菅氏は、「まずは自分のできることを自分でやり、無理な場合は家族や地域で支え合い、それでもダメな場合は国が守る」と繰り返した。自助・共助・公助は、40年前の1970年代に掲げられた「日本型福祉社会」の基本理念だ。それを、新時代を迎えようとしている“今”、自らの政策の柱に掲げたのである。

日本型福祉社会は、1979年の大平正芳首相のときに発表された自民党の政策研修叢書で発表されたもので、その骨子は、以下のように菅氏の発言と重なっている。

自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本とする
→「まずは自分のできることを自分でやる」(菅氏)
これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完する
→「無理な場合は家族や地域で支えう」(菅氏)
その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準・家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などを「公助」として位置付ける
→「それでもダメな場合は国が守る」(菅氏)
社会が変わっても変わらない「日本型社会福祉]
 つまり、自助の精神は古くから日本社会に根付く、「人さまに迷惑かけてはいけない」という考え方に通じるもので、北欧に代表される「政府型」や、米国に代表される「民間(市場)型」ではない。「とにもかくにも、“家族”でよろしく!」という独自路線の福祉政策が、日本型の福祉社会だ。

 当時の日本社会の典型的な家族モデルは「夫婦と子供2人の4人家族」であり、働く人の9割以上が正社員で、介護は嫁の仕事だった。人口はピラミッド型で、「介護」という言葉が社会保障の議論の中に出てこない時代である。

 そのときの仕組みを国は維持し続けている。これまでも書いてきた通り、どんなに「家族のカタチ、雇用のカタチ、人口構成のカタチ」が変わっても日本型福祉政策は踏襲され続けてきてしまったのだ。

 1986年に『厚生白書 昭和61年版』として発表された、社会保障制度の基本原則では、上記の「日本型福祉社会」の視点をさらに明確化し、「『健全な社会』とは、個人の自立・自助が基本で、それを家庭、地域社会が支え、さらに公的部門が支援する『三重構造』の社会である」と明記。2006年に政府がまとめた「今後の社会保障の在り方について」でも、40年前と全く同じことが書かれている。

 一方で、世界人権宣言にある「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」という条文と同様の内容の一文は、自民党の改憲草案にはなく、現行憲法にない「家族の尊重、家族の相互の助け合い」が追加された。

 いわずもがな、日本は1970年にすでに高齢化社会(65歳以上の人口が、全人口に対して7%超)に突入し、95年には高齢社会(同14%超)、2007年には超高齢社会(同21%超)になっている。

家族に介護を押しつける仕組みそのものに無理があることは明白なのに、少子高齢社会に向き合わず、問題を解決しようとする活発な議論すらしてこなかった。その間、家族のカタチも雇用のカタチも変わったのに、「とにかくまずは自分のことは自分で守れ!」を貫いた。

 要するに、「自分で守れなければ残念だけど仕方ないね。国は最低限のことはするけれど、生活の質や尊厳までは守りません」と切り捨てていることに等しい。

 このような考え方が「人さまに迷惑をかけてはいけない」という呪縛を生んでいる、そう思えてならないのである。

「それでもダメな場合は国が守る」と言うが…
 介護殺人に関する研究は1980年代から徐々に増え、2000年代に入り急増している。

 研究手法はさまざまだが時代を経ても一貫して、「介護殺人の背後には経済的困窮がある」こと、「家族中心主義は社会からの孤立につながる」こと、「自立自助の原則は結果として介護する人を追い詰める」ことが指摘されている。

 人は言う。「なんで相談してくれなかったのか?」と。

 だが、経済的にも精神的にも追い詰められると、相談する余裕すらなくなるのだ。

 菅氏は言う。「それでもダメな場合は国が守る」と。

 件の介護殺人を犯した男性を、果たして国は守ったのだろうか。

 生きるとは、何か? ただ単に寝る家があり、餓死しなけりゃいいってことか。

 金もない、人に頼ることもはばかられる、勇気を出してSOSを出しても断られれば、残るのは「絶望」だけ。生きるには「光」が必要なのだ。

 1980年代から研究者たちが、「介護する人たちへの支援」を訴え続けているのに、その声は聞こえてないということだろうか。

 「雇用があることが何よりも大事」と言うけれど、日本の貧困層の9割は、働けど働けど楽にならないワーキングプアだ。ワーキングプア世帯は推計で247万世帯、北海道の全世帯数に相当するという試算もある(日本総合研究所「中高年ワーキングプアの現状と課題 ―キャリアアップ・就労支援制度に新しい視点を」)。

 さらに、シングルマザーの就業率は先進国でもっとも高い84.5%なのに、3人に2人が貧困というパラドクスも存在する(経済協力開発機構(OECD)の報告より)。

 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」

 という男性の言葉の意味を、「自助」を社会福祉の前面に掲げる人たちは、どう受け止めているのか、教えてほしい。

 このような問題を取り上げると、「結果の平等」を追求するような政策は、「堕落の構造」を生むと反論する人たちがいるが、堕落とは何なのか?

 菅氏は、テレビ番組に出演した際、「自助、共助、公助」をつっこまれるたびに、「『そして、絆』ってありますよ!」と何度も繰り返していたけど、絆って何? ホントなんなのだろう?

 どうか今一度、立ち止まって、1970年代の社会福祉の理念を踏襲し続けることの是非を考え、見直してほしい。


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