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生活保護者の集いコミュの「ゴミ屋敷」に暮らす生活保護受給者の声。後遺症と毒親の呪縛に苦しみ…

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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200430-01662928-sspa-soci

 トランクルームに住む「ワーキングプア」、劣悪環境で暮らす「ネットカフェ難民」、母の遺骨と暮らす「車中泊者」、田舎暮らしで失敗した「転職漂流者」、マスク転売をする「新型コロナで失職した男」……etc.

 貧困問題に鋭く切り込み、ネットで大論争を巻き起こした週刊SPA!「年収100万円」シリーズが、追加取材による大幅に加筆・修正して書籍化! 憧れを抱き上京したはずの東京で、絶望しながらも、年収100万円前後で必死に生きる16人の叫びを収録したノンフィクション。各章の考察コラムには、自身も困窮家庭出身である新進気鋭のジャーナリスト・吉川ばんび氏が担当している。

 4月30日発売、「年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-」(扶桑社新書)から今回は収録されるエピソードを1人公開。ゴミ屋敷で暮らす男性が、生活保護受給に至るまでの経緯とは?

後遺症と毒親の呪縛に苦しむ「ゴミ屋敷に暮らす生活保護受給者」
●大森雄二さん(仮名・38歳)男性

「ちょっと散らかっていますが……大丈夫ですか?」

 大森雄二さん(仮名・38歳)に訪問取材のお願いで電話連絡した際、部屋の様子を何度も「散らかっている」と説明していたのが気になっていた。その理由は、ドアを開けるとすぐに理解できた。笑顔で招き入れる大森さんの表情とは裏腹に、その背後には目眩(めまい)がするほどのゴミの山がそびえ立っていた。

 大森さんは東京で月13万円の生活保護を受給しながら、必死にもがき続けているひとりだ。現状について話を聞くため、板橋区の大山駅にほど近い住宅街のアパートを訪ねた。

腐った卵のような異臭がする部屋
 木造、築51年。大森さん曰く、全6室のうち5部屋に生活保護受給者が住んでいて、「大家は生活保護住宅扶助に合わせて家賃を設定している」という。新築戸建てが立ち並ぶ朗らかな住宅街の一角で、昭和の雰囲気を残す老朽化した建物は、一種独特な雰囲気を醸し出していた。

 A3用紙2枚分程度の玄関の三和土(たたき)には、踏みつぶされて平らになった運動靴が散乱。そこから続く4畳二間の部屋は間仕切りの戸が倒壊し、奥の部屋までビッシリとビニール袋や衣類が積み上がっているのがわかる。

 玄関脇の台所には段ボール箱がうずたかく積み上げられ、その上には濁った水が張られた洗面器が無造作に置かれている。ユニットバスのドアは蝶番(ちょうつがい)が乱暴に外され、バスタブのなかに立てかけられていた。

「物が多い部屋なんで、土足で入っていいですよ」

 腰の高さまで積み上がったゴミを踏み分けて部屋の中央へ進むと、山の頂上に座るよう勧められた。天井の照明器具からはクモの巣が張り巡らされ、顔の近くで揺らいていたが、大森さんは気にも留めない。壮絶に汚れた部屋にしてはにおいが少ないと思いきや、時折、腐った卵のような強烈な刺激臭が顔に吹きつける。部屋の中に、どこからか風が吹き込んでいた。

閉じない窓とモノクロの世界
「窓がきちんと閉められなくて、隙間風が入ってきてしまうんですよ。寒くないですか? こんな部屋の状況を見られたくないのもあって、大家に修理も頼めず、そのままにしているんです。エアコンも故障しているけれど、何年も放置しています」

 居室の窓の一部は、東日本大震災のときに激しい揺れで窓枠が歪んでしまい、閉まらなくなったのだという。おかげで夏は蒸し風呂、冬は極寒状態だ。窓の隙間からは、隣接する新築戸建てのリビングが見えた。風に揺れる庭の樹木と黄色いカーテン。近隣の子どもの笑い声が聞こえる。ホコリと異臭に覆われて色彩を失った室内から見る外の世界は、あまりにも眩しい。大森さんは、近くに落ちていた段ボール箱を拾うとサッと隙間を覆った。

「昨夏、体調が悪くなり救急車を呼んだのですが、待つ間に意識を失って倒れてしまったんです。でも、窓が開いていたため救急隊員が外から声をかけてくれ、目が覚めました。あるときは、栄養失調で気絶しているところを、遊ぶ約束をしていた友人が家まで訪ねてきて発見してくれたこともあります。

 『外から確認できたおかげで命拾いしたね』と言われていい面もあるけれど、台風の日は部屋の中まで嵐になるんです。大切な書類がいくつか飛んでしまい、部屋のどこにあるのかわからなくなりました」

 貧困さゆえ度重なる栄養失調に悩まされているというが、部屋にはコンビニの総菜パンの袋が散乱している。大森さんが“捨てられない”状態になったのは、生活保護受給のため現在のアパートに転居してからだ。うつと関節炎を抱えており、片付けられない家財道具とゴミが混然一体に積み上がる一方になった。

「一度、区の保護司さんがこの状況を見かねて家財処分料が支給されるよう手配をしてくれて、清掃業者を呼んだことがあります。作業のために『事前にいるモノといらないモノに分別するように』と言われましたが、それが難しいんですよね」

 結局、業者は表層の目につく生ゴミを処理しただけで、部屋の中が整理整頓されることはなかった。近隣からは『くさいアパート』と呼ばれていることも知っているが、自分ではもう処理はできないという。 

「だいぶ荷物は減りましたが、あっという間に元通り。現在は清掃バイトで高級レストランのフロアを掃除しているくせに、僕、自宅の掃除はできないんです。この下には、レアなマンガがたくさんある。あの棚は、(手前にゴミの山があり)もう手が届かないけれど、マニア垂涎のマンガがある。この部屋は『ガラクタばかり』じゃない。お宝が眠っているんですよ」

 大森さんが指さす足元には衣類が入ったビニール袋と、ペットボトルが散乱しており、価値ある本が眠る気配は感じられなかった。「オークションにかければかなりの値がつく小説もある」と豪語するが、果たして、売れる状態で保管されているのだろうか。

「人は離れていくけれど、モノは離れない。手放せるわけがありません」

 チラシや段ボール箱、正体不明の液体で湿ったビニール袋の上にどかっと座り、大森さんは周囲を愛おしそうに眺めた。この状況でも、大森さんが飄々としていられる理由は何なのだろうか…

後遺症と毒親に追い詰められうつを発症
 大森さんは、生活保護を受給するようになるまで、昼は不動産管理会社で顧客管理、夜は配送業と、昼夜を問わず働き続け、年収は600万円代後半だったという。ダブルワークの理由を尋ねると「頼まれると断れない性格だからかな」と苦笑いした。

「2月の寒い夜でした。先輩に頼まれ、つい夜の仕事を引き受けてしまったんです。昼の仕事は、オフィスワークとはいえ気を使う仕事。疲れが溜まっていたのを無視して働きすぎたのが原因で、事故を起こしてしまいました」

 ブラックな職場環境では、仕事ができる者ほど損をする。さらに人がいいとあっては、重労働をなすりつけられる標的となる。大森さんは夜間の足元が悪いなかで集中力が切れ、重い荷物を抱えたまま転倒。股関節を骨折し、ほかにも数か所の打撲を負った。

「事故にあうまでは品川区のワンルームマンションに住んでいました。オフィス街に近く、新築で家賃は11万円。そこから一変、生活保護を受けることになりここにたどり着きました。以前は岐阜の山奥で仕送りを待つ両親のためがむしゃらに働き、必死に稼いでいましたが、今は受給額13万円とバイト代2万円を合わせても年収140万円程度。好物だったラーメンも食べられず、100円おにぎりをかじる暮らしになってしまいました」

 事故当時、入院先の病院から「怪我をしたのでしばらく仕送りできない」と連絡した大森さんに両親がかけた言葉は「来月の仕送りは15万円頼む」、「車を買うから頭金を出してくれ」というお金の無心のみだった。

「両親は田舎で小売店を営んでいましたが売り上げは年々落ちていて、いつ店をたたもうかという状態でした。そんな中、母は家業の合間にパートを掛け持ちして大学の学費を工面してくれたんです。毎月の仕送りは、僕のわがままを聞き大学まで進学させてくれた両親への恩返しのつもりでした」

ハローワークはブラック求人だらけ
 年金未納だった両親の老後を思い、親名義で貯蓄までしていたという。しかし、重傷を負い、副業がバレたために本業の仕事までも失いかけていた状況にもかかわらず、息子の体調を気遣う言葉がなかったことで、大森さんの心は壊れた。

「言われるがままに仕送りし続けたことで、両親にとって僕はただのATMになっていたということです。それが本当にショックで、足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚でした。退院後、自宅から出られなくなってしまったんです。両親に言われた最後の言葉は『あのとき、おまえを堕(おろ)しておけばよかった』です。以降、一切連絡を取っていません。僕は、親を捨てたんです。いや、その逆かもしれませんね……」

 精神的負荷となっていた家族と断絶したものの、大森さんのうつは快方に向かわない。近所のコンビニへ行くために4時間もかかる状態が数か月続いた。後遺症の神経炎にも悩まされる中、追い打ちをかけるように会社から一方的な解雇通告される。さらに、家賃未納で借りていた住まいからの退居まで迫られた。

「収入のほとんどを仕送りしていたため僕には蓄えがなく、しばらく引きこもりに近い生活をしていたため、生活費として借金もかなりしていました。会社には親しい同僚もいなかったし、趣味の友達もいない。孤独で体調も万全ではない。生活保護に頼るしか、選択肢はありませんでした」

 区役所を訪れると、その深刻度を判断した担当者は大森さんを「別室」に招いた。震える手で必死に名前、住所を書いている最中、担当者の「ゆっくりでいいですから」という言葉に、涙が溢れたという。

「なんとか生活保護受給にこぎ着けたので、現在は生活を立て直したいという気持ちはあります。ハローワークで求職活動は継続していますが、早朝か深夜の仕事ばかり。持病を持つ私には難しい……。オリンピックに向けて何か仕事があるんじゃないかと期待していたのに、期待外れでした。昨年ようやくありついた食品製造のバイトでなんとか糊口をしのいでいます」
 
 事故から10年以上経つ今も、後遺症がある。片足を引きずるようにゴミ山を移動して中を見せてくれた冷蔵庫には、大量の薬が入っていた。

「痛み止めのほか、数種の薬を飲んでいます。体調の優れない日もあり、思うように働けないのがいちばんの悩みです」

 大森さんは2年前に脳炎で、昨年は熱中症のほか関節炎でも入院を経験している。うつは薬でコントロールできているというが、すみかの荒れようも確実に体調に影響を及ぼしているようだ。

「生活保護からは抜け出したいけれど、あの頃のようにはもう働けない。少しでも条件のいい仕事はないかと、じっと、求人票を見つめる日々です」

 部屋は、心のありようを映す鏡とも言われる。部屋と体調と仕事、大森さんはどこから片付け始めるのだろうか。

<取材・文/週刊SPA!取材班>

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