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生活保護者の集いコミュの大事なのは数字を正しく読み、常に現場を見、決して空気に流されないこと - 「賢人論。」第83回藻谷浩介氏(後編)

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https://blogos.com/article/360810/?p=1

みんなの介護2019年02月27日 21:07

「少子高齢化」という言葉を藻谷浩介氏は強く批判する。少子化=子どもの減少と、高齢化=高齢者の激増という、お互いに何の関係もない問題を一緒くたにしているうえ、「生産年齢人口の減少」という深刻な問題を覆い隠してしまうからだ。子どもの増減とは無関係に、高齢者の増加は続く。前・中編では子どもと生産年齢人口の減少を掘り下げたが、後編では「高齢化」に焦点を絞った。

取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人

年金増額よりも生活保護強化の方が経済を活性化する
みんなの介護 『デフレの正体』(角川oneテーマ新書)で藻谷さんは、高齢化により逼迫する医療・福祉財政への処方箋として「生年別共済」を提案されていました。詳しく説明していただけますか?

藻谷 今の年金の基本設計は、賦課方式です。「今の現役世代から徴収した年金を、今の高齢者に配る」という方式です。年金が導入された1970年代には、15〜59歳の数が、年金を貰う側の60歳以上の4倍以上もいたので、この制度は実に上手く回りました。

しかし、その後日本の平均寿命は大幅に伸び、戦後のベビーブーマーも65歳を超えました。年金の受給開始も65歳に延ばされましたが、65歳以上と15〜64歳(生産年齢人口)の数は1:2に近づいており、やがて1:1に向かっていく見込みです。

みんなの介護 1:4から1:1ですか…。

藻谷 そのため賦課方式では年金支給額を賄えず、政府は税収を年金の補填につぎ込んでいます。これでは、少子化対策などに使えるお金がますます減り、将来の見込みが立ちません。

そこで、私が当時考えたのが「生年別共済」でした。年金を生まれた年別の共済に分割し、同じ生年の人同士で医療・福祉に必要な費用を負担し合う仕組みです。

加入者が亡くなった場合、生前支払っていた掛け金は、より長生きしているお年寄りへの支給に回されます。日本の高齢者には合計すれば十分な貯蓄があるので、受け取る権利を使う前に亡くなる人が残す分で、長生きしている人の生活は支えることができます。

ですが今では、考えが変わっています。

みんなの介護 どのような理由で考えが変わったのですか?

藻谷 生年別共済を制度化するには、法律改正や制度設計などに多大なコストがかかりますが、日本政府にはそれを実行する力がありません。議論をしている間にどんどん事態は悪化していきます。

そこで考えたのが正反対に、賦課方式を制度設計通りに厳格運用すること。つまり税収から年金支給額を補填するのをやめるのです。

みんなの介護 それでは年金支給額が減ってしまうのではないですか?

藻谷 もちろん、生産年齢人口の減少に連動して年金支給額は減ります。これを止めるには少子化対策しかありません。児童福祉に高齢者が反対するというような、バカな話はなくなります。

では、年金支給額が減って食べられなくなる人はどうするのでしょうか。生活保護制度を制度通りに運用して、生活保護で救うのです。働けなくなった高齢者が生活保護に頼ることに、何のモラルハザードも生じません。

予防医療を手厚くすれば全体の医療費は下がる
みんなの介護 生活保護を充実させるといっても、お金を使うことに変わりはないのでは?

藻谷 もちろん関係職員は大幅に増員せねばなりませんし、不正使用も取り締まらねばなりませんが、実は高齢者支援に必要な額も大きく減るのです。

税収のうち10兆円を年金支給額の補填に使うのと、生活保護に使うのとでは、どちらの効率がいいでしょうか?

年金は、貯金の多い人にも少ない人にも、高齢者になっても所得のある人にもない人にも一律に支払われます。正確には、貯金の多い人ほど厚生年金を多めにもらっている可能性が高いですね。ですから、その多くが消費に回らず、貯蓄されっぱなしになります。

その一方、生活保護は貯蓄のある人は受けられません。支給した額はそのまま消費に回ります。経済活性化の効果は、生活保護の方がはるかに高いのです。

みんなの介護 生活に必要な額しか支給されないので、生活保護費が貯蓄に回ることはありませんものね。

藻谷 はい。賦課方式を厳格運用すれば、貯金のある高齢者はそれを残さずに生活費に回します。貯金がなくなっても問題はありません。堂々と生活保護を受けて生きて行けます。

高齢者が遺して亡くなる財産は一説には毎年30兆円とも言われますが、その相当部分が消費に回れば、250兆円程度の日本の個人消費には巨大なプラスとなり、その分企業は儲かり、若者の賃上げもでき、年金の払い込みも増えます。ですから年金の減額=公費負担の増加にはなりません。

また、生活保護受給者は医療費扶助といって、医療費がタダになりますが、それによって全体の医療費が減るというメリットもあります。

みんなの介護 無料で医療を提供するのに、医療費が減るんですか?

藻谷 実は、医療費というのは、小さな病気をするくらいのことでは大して増えないのですが、生きるか死ぬかというギリギリの状態で入退院をくり返す人が多くなると、跳ね上がります。早い段階で医者にかかるほど、生涯の医療費は減ります。つまり最低限の医療を気軽に受けられる社会の方が、全体の医療コストは下がる可能性が高いのです。

長野県は男性の平均寿命がもっとも長い地域ですが、高齢者一人あたりの医療費も全国最低水準です。戦後の早い時期から医師が家庭にまで出向いて食生活など生活習慣の改善を指導し、「予防医療」に取り組んできたからこそ、高齢者の医療費を低水準に抑えられたのです。

日本全体が長野県並みに予防医療に取り組めば、高齢者の増加による医療福祉の負担増はかなりの程度まで抑えることができるでしょう。

逆が米国で、医療保険制度の不備からよほど悪化するまで医療にかからない国民が多く、結果として一人当たりの医療費は日本の数倍もかかっていると言われます。

弱者同士の互助介護が業界の空気を変える
みんなの介護 ところで、介護業界では働く人の低賃金と人手不足による長時間労働などの問題を抱えています。解決策はありませんか?

藻谷 医療福祉の現場で働く人の人件費を増やせていないのは、短期的には消費税を10%に上げられていない政府の失敗が大きな原因です。

需要が急増しているのに、サービスの供給側に払うお金を確保できていない。増税しても、その分が介護や保育の従業者の賃金に回るのであれば、消費が増え、経済が活性化して回収できます。

医療福祉サービスの価格統制をしている政府の的を射ない介入をやわらげ、市場原理を取り入れるべきだという意見が出ているのも当然ですが、介護報酬を自由化すればすべての問題が解決するかというと、そういうわけでもありません。高齢富裕層に高付加価値の介護サービスを行う事業者はすでに登場していますが、その存在に業界全体の人件費の水準を高めるほどの効果がないのは明らかです。

とはいえ、消費税増税だけで団塊世代が後期高齢者になった際の介護の費用とマンパワー不足を賄えるわけではありません。老老介護の比率を高めることも急務です。

みんなの介護 「高齢者の介護を高齢者に任せる」ということですか?なんだか過激な策ですね。

藻谷 昨年の9月に文庫になった対談集『完本 しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮文庫)で、高齢・障害・認知症のホームレスの支援活動を行っている「ふるさとの会」の水田惠さんの話を聞きました。

その支援施設には、生活支援員が24時間常駐している「自立援助ホーム」や「宿泊所」などがあるんですが、そこでは利用者が一方的に支援を受けるのではなく、利用者同士が共同生活をしながらお互いの面倒を見ているんです。

認知症の同居人を要介護4の利用者が面倒を見たり、その逆だったりということが当たり前のように行われているんですね。もちろん、生活支援員が何もしないわけではないのですが、「利用者同士でやれることはやってもらう」のが基本なんです。

みんなの介護 高齢者同士、あるいは病気や障害を持った人同士だと、お互いの不自由さや辛さを理解することができて、「互助」の力が発揮されるのですね。

藻谷 その通りです。「ふるさとの会」はNPO法人ですが、2007年に株式会社を作って高齢者に住居を提供する目的の不動産事業をはじめました。

社会福祉法人になって補助金をもらうことを選択せず、なぜそのような形で運営しているのかと聞いてみると、社会福祉法人の基準に合わせようとすると、本来必要とされている多様な支援ができなくなってしまうから、という答えが返ってきました。介護士の資格を絶対視することも、老老介護の妨げになります。

政府の制度がこうした多様な取り組みをも支援できるような柔軟なものになっていけば、介護の現場の空気は多少なりとも良くなるのではないでしょうか。

高齢者が減っている田舎では、子どもが増え始めている
みんなの介護 藻谷さんは、止めようもない高齢化に向かっている日本の未来をどのように見ていますか?

藻谷 65歳以上人口が総人口に占める割合を「高齢化率」といって、2017年10月1日現在で27.7%ですが、この数字は今後もどんどん上がります。困ったことに、それを見て「高齢化には歯止めがない」と諦める誤解が、世間に蔓延しています。

そもそも高齢化とは、高齢化率の上昇ではありませんよ。そこに誤解の根源があります。

みんなの介護 高齢化は「高齢化率」の上昇ではない。では何なのでしょう。

藻谷 「高齢者の絶対数の増加」です。高齢者の定義は75歳以上でも、80歳以上でもいいですが、とにかく高齢化とは絶対数の問題であって、比率の問題ではありません。医療介護の費用も、マンパワーも、高齢者が増えれば増やさねばなりませんし、高齢者が減れば減らせます。

団塊の世代は2020年に70歳になり、2040年には90歳になる。その頃には団塊の世代のほぼ同数いる彼ら彼女らの子どもたち、すなわち団塊ジュニアの高齢化も始まります。

これが今、日本で起きている「高齢化」の本質で、日本全体がおしなべて同じ状態になっているわけではありません。

というのも、地方生まれの団塊世代は3人に1人が都市部に就職しました。そのため団塊ジュニアは都会育ちが多く、しかも最近さらに大都市の都心に集中してきています。彼らが加齢することで、東京などの大都市では今後も高齢化=高齢者の激増が続きます。

その一方、多くの過疎地ではもう高齢者の減少が始まっています。

みんなの介護 高齢者の絶対数が減っているということですか。

藻谷 そうなんです。このインタビューの中編で「過疎地の代表」として例に出した島根県では、もう県全体で75歳以上の人口が減少に転じています。つまり高齢化の進行は止まりました。

そこで浮いてくる高齢者医療介護の費用を子育て支援に回すことも始まっています。その結果、19市町村のうち9つの市町村で0〜4歳児の子どもが増えるという現象が起きました(2010年と2015年の国勢調査の比較)。

お金だけの問題ではない面もあります。同年代の仲間がひとり、またひとりと亡くなって「次は自分かもしれない」と考え始めたとき、ようやく高齢者の眼差しは、次世代を担う子育て中の世代に対してやさしくなるんです。

高齢者の意識の変化は退職時に起こるのではなく、仲間の死=近い将来の自分の死という現実に直面したときに起こるもののようです。

みんなの介護 意外な事実です。

藻谷 このような乳幼児増加の流れは、山間過疎地や離島ほどはっきりしています。集落単位では、全県で300もの集落で、乳幼児が増え始めているんです。

高齢者が減って乳幼児が増えるというのは、つまり地域が若返り始めるということです。物事は大きく循環しているのであって、一方的に破滅に向かって進んでいるのではありません。

さらには『里山資本主義』(角川oneテーマ新書)の中で紹介されている広島県庄原市の事例のように、福祉施設自体が地産地消に取り組み、地域の経済を活性化するエンジンとなることも始まっています。

みんなの介護 こういう社会の変化は、都会の環境しか知らない人には気づけないことでしょうね。

藻谷 都会で高齢者が減り始めるのはまだ20〜40年も先なので、そこに籠っている限り、実感はできません。都会人こそ、田舎に足を運んで関係を作っておくべきです。

みんなの介護 社会の変化をいち早く察知し、正しい対応をするためのコツを教えていただけませんか?

藻谷 世間の空気を疑い、数字と現場を確認すること。もう平成も終わるわけですが、世間の空気というのは、恐ろしいことに昭和のまんまですね。「空気しか読まない(KY)」「数字を読まない(SY)」「現場を見ない(GM)」、という3つの態度を改めるべきです。

「数字を正しく読む」「現場を常に見る」「空気に流されない」ということは、「無知の知」と好奇心さえあれば、誰にでもできます。周囲と群れるほど、これができなくなる。群れることを求められる仕事の人、つまり政界、官界、学界、経済界に属する皆さんは、特に要注意です。ぜひ強く意識して、KY、SY、GMを脱してください。

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