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生活保護者の集いコミュの車椅子の歌姫が生活保護に支えられて掴んだ「自立」とは

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https://diamond.jp/articles/-/179749

生活保護に支えられる
「車椅子の歌姫」とは
 2018年9月8日、「車椅子の歌姫」として知られる歌手・エッセイストの朝霧裕(あさぎり・ゆう)さんは、「第10回彩の国ゆめコンサート(ゆめコン)」のステージで、最後の1曲『名前で呼んで』を歌い上げた(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=jJkY0-64hvw

「すべての人が『その人』として大切にされてほしい」という願いを込めた歌だ。会場を埋め尽くした約300人の観客は、朝霧さんと仲間たちに大きな拍手を注ぎ続け、朝霧さんたちは晴れやかな笑顔で応えた。「ゆめコン」は、この日が最終回だった。


 朝霧さんは生まれつきの難病のため、全身の筋力が極めて弱い。筋肉の量も少ないため、136cmの身長に対して体重は30kgにも満たない。生まれてから一度も、自分の足で歩けたことはなく、現在も「車椅子からベッドに移動する」「入浴する」「トイレに行く」「置いてある本を手に取る」など、日常生活の動作の多くで介助を必要とする。また内蔵の筋力も弱いため、風邪のようなありふれた病気が、しばしば生命に関わる事態を引き起こす。したがって、24時間介助は必須だ。

 生存と生活、そして様々な活動の基盤になっているのは生活保護だ。2001年、22歳だった朝霧さんは、さいたま市のアパートで1人暮らしを始めて以来、生活保護を利用し続けている。1人暮らしのきっかけは、生まれて以来ずっと自分を介護していた母親が、同居していた祖父母の介護も行う可能性が目前に迫り、危機感を覚えたことだった。いずれは、親自身の老後や親が亡くなった後のことも考えなくてはならない。

 障害者が家を離れて地域での1人暮らしに踏み切ること、就労収入による自活が困難な場合に生活保護を生活の基盤とすることは、日本に障害者に対する所得保障が存在しない以上、極めて自然なことだ。

 しかし生活保護の目的は、“健康で文化的な最低限度“までの生活の底上げと「自立の助長」だ。生活保護で暮らしながらコンサート活動を続ける朝霧さんに「それができるのに生活保護?」「まず”自立“しなきゃ」という視線や言葉を向ける人々は少なくない。

 そもそも朝霧さんは、なぜ「ゆめコン」を始めようと思ったのだろうか?

関係者全員が生きて
最終回を迎えたという最大の奇跡
 朝霧さんには、もともと抱いていた夢があった。

「個人が個人として出会える場所を、つくる夢があったんです。特定の団体や養護学校、同窓会、会社などと無関係に、障害がある人もない人も」(朝霧さん)


「彩の国ゆめコンサート」がラストを迎える様子
 しかし、街の中はまだ階段ばかりで、最寄り駅にはエレベータがなかった。あまりにも外に出にくい毎日を送りながら、「何かをやるべきだ」と考えていた朝霧さんは、2003年のある日、突発的に公共施設の客席数300のホールを予約した。

「ちょっと、どうかしていたんじゃないかと(笑) なにか、突き動かされるものがあったんです。だって、世の中は階段ばかりで、『歌が好きなら歌えばいい』『文章を書きたいなら書けばいい』という気持ちの、ぶつけどころがなかったんです。きっと、度胸あったんですね。今ならできないかも」(朝霧さん)

 幸い、養護学校時代の同級生の1人が思いを受け止め、実行委員長を買って出た。大学生、地域の主婦などのボランティア、アマチュアミュージシャンなどが集まり、2003年、「第1回彩の国ゆめコンサート」が開催された。

 第1回の開催時から、「10回やろう」という決意があった。2010年の第7回まで、「ゆめコン」は、ほぼ毎年開催された。しかし、朝霧さん自身も、主力スタッフのうち数名も、2005年以来ずっとプログラム表紙などの絵を提供しているパステル画家の辻友紀子さんも、進行性の難病を抱えている。重くなっていく障害を受け止め、車椅子や人工呼吸器といった新しい機器とともに生きる新しい日常に適応し、生活を立て直し、次の段階を切り開く必要がある。障害者の多くは、このような“チャレンジ“が続く毎日を生きている。私自身もそうだ。

「ゆめコン」は、各人の障害の重度化や多様な事情の数々が重なり、2011年から2013年まで中断を余儀なくされた。2014年に再開された第8回以後は隔年となり、2018年の第10回、最終回が開催された。開催や記念CD制作などの費用は、チケットの売上、協賛及びクラウドファンディングによって賄われた。余剰金や収益はすべて、寄付されている。

朝霧さんの「10回やろう」という決意は、現実になった。年々、朝霧さん自身の曲・歌詞・歌唱も認められていき、著名なミュージシャンや舞踏家などのゲスト出演が増えた。たとえば第8回「ゆめコン」には、アニメ映画『千と千尋の神隠し』のテーマソング『いつも何度でも』を歌った木村弓氏(歌手・ライアー奏者)が出演している。朝霧さんは、「第10回を、最高の形で締めくくれてよかった」という。でも、最大の奇跡だと思っているのは、コンサートとしての成功ではない。

「最初に『10回やろう』と決めたとき、最初の関係者全員が、10回目に生き延びているとは思いませんでした。よく、やれたなあと思います」(朝霧さん)

 中断した時期もあったため、10回目は1回目の15年後となった。15年経過すれば、来場者やファンにも様々なことが起こる。健常者から難病患者になった人もいる。がんで大手術をして生命は取り留めたものの、障害が残った人もいる。

「途中で病気や障害を抱えたお客さんの中には、最初は『支えてあげる』という意識だったけれど、『上からモノを言っていたと反省した』という方もいます。15年経てば、みんな年齢が上がり、色々なことがあります。お客さん同士も友達になれる場となったのだったら、本当にやってよかったと思いますが……。まだまだ、これからもやるべきことがあります」(朝霧さん)

朝霧裕さんにとって“自立”とは?
確信を持てるまでの苦難の道のり
 そういう朝霧さんに、「あなたの考える“自立”とは?」と尋ねてみると、少し考えて、「社会制度は社会制度として、堂々と使いながら、その上で、できること、やりたいことは諦めないこと」という答えが返ってきた。

 しかし朝霧さんは、最初からそういう確信を持てたわけではない。22歳で1人暮らしを始めたとき、「同世代の健常者と同じくらい働かないと申し訳ないという思いは、強かった」という。同年齢の健常者は、高校や短大を卒業して就職し、すでに中堅になっていたりする。大学に進学した人は、卒業して就職していたりする。年月が経過すると、年収が上がっていったり、結婚したり、子どもを持ったりする。一方で、朝霧さんは生活保護で単身生活を続けている。

「22歳から30歳くらいまで、『もっと頑張らなくちゃ』とあがいて、大きく体調を壊しました。一般企業の“お試し雇用”で働いてみたこともありますが、半年もちませんでした。腸閉塞になったり肺炎になったりして、いただいた給料は全部、入院の差額ベッド代に使うことになりました。……健常者とは体力が本当に違うということが、はっきりわかるところまで頑張ってみましたが、命をなくしてしまったら、元も子もありません」(朝霧さん)

 朝霧さんは、自分がどう生きるのかを根源的に問い直すことになった。

「一生の中で何をしたいのか。そこに焦点を当てて生きていくほうがいい。私はそう思います」(朝霧さん)

 しかし日本では、毎年、万単位の人々が自殺で命を失っている。過労死の悲劇も、毎年どこかで発生している。

「心や身体に無理を強いる生き方が、正しいことだとは思いません。健常者の方を含めて、1回しか生きられない中で命を使うことこそが、私は『働く』ということだと思います」(朝霧さん)

「生活保護なのに……」
そんな言葉とどう向き合ったか
 しかし、「生活保護なのに」という見方をする人々は必ずいる。そういう言葉をぶつけられると、「堂々としていればいい」と思いながらも気持ちが揺れる。

「自己満足かもしれないけれど、自分の中で1つ、『ここまでは命を使って頑張った』と言えることがあり、残せることがあるのだったら、それは『働く』ことだと思います」(朝霧さん)

 執筆や講演で報酬を得たら、もちろん、福祉事務所に収入申告する。朝霧さんの受け取る保護費は、その分だけ少なくなる。それを「生活保護なりの自立」と称賛する人もいるだろう。

「この姿を見せて、社会に出ること、できること、何かをすること、すべてが自分の役割であり仕事だと思っています。誰かの役に立つところまでできたのか、大きなことをなし得たのか、それはわかりませんが」(朝霧さん)


稼いでいれば“自立”している?
貧困な自立観は誰も幸せにしない
 新進気鋭の社会福祉学者として期待される桜井啓太さん(名古屋市立大学准教授)は、もともと生活保護ケースワーカーだった。多くのケースワーカーが、日々の業務の中で抱くであろう「“自立”とは?」という疑問に、桜井さんはこだわり続け、研究者へと転身した。桜井さんは、朝霧さんの“自立”観をどう見るだろうか。

「朝霧さんのような障害当事者の方々が、自分のしたいことを『あきらめない』で、制度を「堂々と使う」ために、地域に出ました。これが、障害者の自立生活運動です。この運動において用いられた自立観は、多様で生き生きとして、かつ、それまでの『自立』の意味内容を鋭く問い直すものでした」(桜井さん)

 “自立”とは、「1人の人間として、その存在を認められること」であり、守られるべき者でも救世主でもない自分の人生において「あらゆる事柄を選択」し、自分なりに生きることだ。そして障害者自立生活運動は「障害当事者自身によって、障害者が地域で生活をするために必要な制度や社会の意識を新しく」つくり変える(日本自立生活センター協議会「自立の理念」より)。それは障害者たち自身のためであると同時に、社会全体のためである。

「反面、朝霧さんの言う“自立”が、現在の生活保護の『自立支援』の枠組みの中で認められているかというと、ずいぶん心もとないです」(桜井さん)

 生活保護の現場には、「死亡自立」という隠語がある。「生活保護を使用しなくなることが自立」とする考え方への皮肉でもある。あらゆる人の多様な“自立”観は、生活保護制度が始まって以来、何回も公的に認められ確認されている。しかし現在、制度運用に公的に反映されているとは考えにくい。

「そこに、『自立支援』という政策の根本的な問題点があります。そもそも、誰が『自立』を決めるのでしょうか? 現在は、そこに答えないまま、行政機関や支援者が“なし崩し”に、その人の『自立』を決めています」(桜井さん)

2004年、社保審・生活保護制度の在り方に関する専門委員会は、社会生活自立・日常生活自立・経済的自立の3つからなる多様な自立観を示した。自分の意志で身体を動かせない人にも、介助者とコミュニケーションする社会生活がある。就労していなくても、毎日の日常生活があり、経済活動がある。この自立観は、現在のところ、公式には否定されていない。

「でも、『自立は就労だけでない』『日常生活や社会生活の自立もある』と言ったところで、その“自立”を決めるところで当事者が除外されていれば、意味がないでしょう」(桜井さん)

不幸の連鎖を断ち切るカギは
“自立”を考え直すこと

本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
 桜井さんは、朝霧さんの自立観や活動を「すごい」と評価する。ただし、“自立”は、生活保護で暮らしながらも思索や表現の能力に恵まれた人だけのものではない、ともいう。

「自立に向き合うならば、生活保護を受けている人が『(自分の財布と相談しながら)したいことをする』ことをどのように保障できるかから、スタートすべきです。おそらく、『税金で生活しているのに、偉そうなことを言うな』という声があるでしょう。でもそんな、誰かを封じ込める言葉で思考停止してしまわずに、『何のお金で生活していようが人には侵されてはならない領域がある』ことを考えてほしいと思います。

 また、たまたま生活保護を利用していないだけで“自立”している気になっている私たちの側のおかしさも、同時に考えてほしいです」(桜井さん)

 そこには、生活保護をテコに「みんなで、それぞれが幸せになる」という可能性が隠されているのではないだろうか。少なくとも、生活保護への憎悪を増幅させて幸せになれた人はいない。それどころか、生活保護への憎悪は、直接的にも間接的にも、誰もが不幸で生きにくい社会へとつながっている。

 日本社会の不幸の連鎖を断ち切るカギの1つは、各人それぞれの“自立”を考え直すことにありそうだ。

(フリーランス・ライター みわよしこ)

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