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生活保護者の集いコミュの貧困層が急増!?国際社会も警鐘鳴らす改正生活保護法の「ワナとムチ」

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https://diamond.jp/articles/-/171916

生活保護法再改正の「ワナとムチ」
国際社会も警鐘を鳴らす内容に
 2018年6月1日、生活保護法再改正が参院本会議で可決され、成立した。私から見れば、「アメとムチ」ならぬ「ワナとムチ」のような法律だ。「大学進学支援」という極めて少量の「アメ」が薄く引き延ばされて表面を覆っているかのように見えるが、24金で薄くコーティングした鉛の球を「24金の球」と呼ぶ人はいないだろう。

 直前の5月24日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)はプレスリリースを発表し、日本政府に対話を申し入れた。プレスリリースは、極度の貧困と人権の特別報告者、対外債務と人権の独立専門家、障害者の権利の特別報告者、高齢者の人権の独立専門家の連名となっており、国際社会に重く受け止められていることがわかる。しかし、日本政府は応答していない。外務省に送られたプレスリリースは、現在のところ完全に無視された格好となっている。

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 今回は、この特別報告者プレスリリースを通じて、日本の生活保護が国際社会の中でどのような役割を担っているのかを概観したい。

 なお、国連特別報告者は国連そのものではないが、国連の看板を背負って調査などの活動を行う専門家たち、「ほぼ国連」だ。意見の相違もあれば、一時的な勘違いもあるが、最初から正解を持っているわけではない。むろん、何らかの正解を押し付けるために活動しているわけでもない。活動目的を一言でまとめれば、「いつでもどこでも誰にでも、人権が守られているように」ということだ。人権はその個人にとっても重要だが、さらに世界規模の重要性を持っている。

 社会保障、特に公的扶助は、世界の発展と安定に対して非常に重要な役割を担っており、先進国には牽引が期待される。難民問題は戦乱や紛争から生まれる。戦乱や紛争は社会の不安定さから生まれる。

 社会を不安定にする大きな要因の1つは、貧困と格差だ。戦乱や紛争によって命からがら逃げ出すしかなかった人々は、近隣諸国の品性の問題として、待ったなしで救済しなくてはならない。しかし、「なんでウチがやらなきゃいけないんだ」というホンネの不平不満は避けられない

 難民問題を含め根本的な対策は、各国単位でも地域単位でも世界単位でも「近所迷惑」「ご町内の迷惑」の発生を抑えることに尽きる。国連を「国際町内会」と考えれば、納得しやすいだろう。「その町内会はイヤだから、別の地球をつくって移住したい」と望んでも、現在のところは実現不可能だ。

 日本の公的扶助はほぼ生活保護だけである。「それしかない」という状況も問題なのだが、ともあれ生活保護は法律としても保護費としても、「扶ける」「助ける」の2つの「たすける」を組み合わせた「扶助」の名に値する必要がある。今回の国連特別報告者たちによるプレスリリースは、「日本のそのワナとムチ(極薄アメコーティング)、削減される一方の生活保護費は、『公的扶助』なのですか?」という問いかけでもある。

「生活保護法改正、待った!」
国連特別報告者リリースの中身
 プレスリリースは、英語版・日本語版ともコンパクトにまとめられており、日本語訳は全文で約1100文字という短さだ。それをさらに要約すると、以下のようになる。

(1)今年10月から実施予定の生活扶助費の段階的な引き下げは見直しを。貧困層、特に障害者、一人親世帯、また高齢者の最低限の社会保障を脅かしてはいけません。

(2)日本のような豊かな先進国で、貧困層が尊厳を持って生きる権利を、意図的に踏みにじっていいんですか?

(3)緊縮政策が必要なのはわかりますが、差別撤廃も、基本的な社会的保護の保証も、やめてはいけません。

(4)日本の生活保護基準の決定方式、低所得層と生活保護受給者の消費を比べるという方法は、おかしいんじゃないですか? 欠陥のありそうな方法で、貧困に陥る人々を増やしていいんですか?

(5)生活保護法の改正については、ちょっと待った!

一見した私の印象は、「ここまでツッコミが入るとは!」だった。問題があることは以前から理解されているとはいえ、非常に詳細な理解に基づき本質をえぐった今回のコメントには、正直なところ驚いた。生活保護受給者の暮らしを深く知る開業医は、「一読して、感動のあまり身体が震えた」と語った。社会運動家の結城翼氏らも、このプレスリリースに関する記事を直後に発表している(結城氏の記事はこちら)。

 しかし、特別報告者たちの申し入れは、あくまで「この件で日本政府と対話したい」という希望にとどまっている。強権をもって「応答せよ」と迫れるわけではないからだ。このまま日本政府が無視を続けたり、あるいは拒否したりすれば、「マナー違反」として呆れられるかもしれない。しかし、「そんな態度なら日本に何らかのお仕置きを」という成り行きは考えられない。少なくとも、 道路交通法違反と同レベルでの「ルール違反」 ではない。しかしだからと言って、「このまま無反応で構わない」というわけでもない。

国連での振る舞い方は
町内会のゴミルールから理解できる
 わかりやすい例として、ゴミに関する町内会のルールを考えてみよう。

「ゴミを収集所に出すのは午前7時以後」といったルールは、7時より前に家を出なくてはならない会社員を、しばしば困惑させる。そのようなルールがすでにあると知らずに賃貸住宅に転居してきて、風紀委員のようなご近所さんに厳しくチェックされて不快な思いをしても、多額の初期費用をすぐに用意して転居するわけにはいかない場合が多いだろう。ルールを変えたいと思っても、賃貸住宅の入居者は町内会員にしない町内会もある。参入できたとしても、多数決で敗北する可能性が高い。すると、不平不満を抱えながら次の転居の機会を待つしかない。

 しかし、同じルールの作成に自分自身を含む多様な人々が加わっているとすれば、状況は全く異なる。「午前7時」という時刻は、望ましい到達目標や当面の落とし所として決められるだろう。人により家庭により、事情がそれぞれ異なることは承知の上で定められるルールに対して、「厳守!」と叫ぶ声は上がりにくい。

とはいえ、「守らなくてもよいルール」というわけではない。「午前7時」という時刻は、カラスなどによる被害を最小限に食い止めるために定められたはずだ。「午前6時40分が許されるのなら、午前6時30分でも大して変わらないはず。大して変わらない10分を積み上げていけば、前の晩の午後7時でも大丈夫」というわけにはいかない。「午前7時」はゴミ収集車の来る時刻、カラスの活動状況、「みんな」の都合などの要因を考慮して一応決めたラインだ。「みんな」がおおむね守れば、「みんな」が幸せになれるはずだ。

強制力があるかないかも
参加者自身が選択できる
 国連という「国際町内会」には、条約・規約など数多くのルールがある。それらは、トップダウンで勝手に決められたルールではなく、国際「ご町内」のみんな、各国政府・各国NGOなど多数の参加で、時間をかけて決められている。また、それらのルールを取り入れるかどうかは、各国に任せられている。あるルールを受け入れるにあたって、強制力の内容や程度を選択できる場合もある。

 そもそも、「国際町内会」への参加のあり方が国ごとに異なる。「とりあえず加盟だけ」から「費用をたっぷり拠出し、条約をたくさん締結し、前提となる国内法も整備して」までのバリエーションがある。しかし「とりあえず加盟だけ」でも、1948年に定められた「世界人権宣言」に従う約束はすることになる。

 世界人権宣言には、以下のように書かれている(下線部は筆者による)。

「基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認」

「一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意」

「加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約」

「権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要」

この対話は成長するチャンス
日本は世界の知恵を集められるか
 今回特別報告者たちは、世界人権宣言、および日本が締結してきた国際人権規約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障害者権利条約など多数の条約に基づいて、日本政府に対話を求めている。とはいえ日本は、各条約を「一応、守ります。実施状況の定期審査も受けます」という形で締結しているに過ぎない(例外は子どもの権利条約の一部)。

「やる気」がもう少しあれば、「ちゃんと守ります、違反したら、国民がそちらに通報してくれます」という形で、具体的には「選択議定書」を含めて締結するはずだが、そこまでの「やる気」は見せていない。だから日本は、無視を決め込むことができる。「内政干渉、激おこぷんぷん!」とブチ切れ、対話を拒否することもできる。

 しかし、この対話の機会を逃すのは、日本にとって「損」ではないだろうか。しかも、北朝鮮が対話に応じようとしている歴史的な時期なのだ。北朝鮮と比較して「日本って?」という印象を持たれたら、少なくとも国際社会で「得」はしないだろう。


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 日本政府には、申し込まれた対話に応じ、基本的人権についての理解をアピールする自由がある。国際町内会の「日本町」の中での社会的進歩と生活水準の向上を図ってきていることをアピールする自由もある。生活保護に直接関係する国際人権規約の社会権規約について、「日本、ちゃんとわかっているんです」とアピールする自由もある。国益のために、それらの自由は大いに活用すべきではないだろうか。

 もちろん、「わかってます」「やってます」だけであれば、特別報告者たちの鋭いツッコミや調査の前にタジタジするだけだ。しかし、「すみません、わかってませんでした」「申し訳ない、できてませんでした」と認め、どうすれば「わかっている」「できている」に近づけるのか、アドバイスを受けることもできる。

 国家財政の事情を含め、日本の数多くの「わが町の事情」をどのように扱えば、国家の破綻を起こさずに社会保障を充実させられるのか、世界の知恵を集めて解決に向かうこともできるだろう。

 この重要な機会を、ぜひ日本政府に活用してほしい。

(フリーランス・ライター みわよしこ)

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