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生活保護者の集いコミュの【閲覧注意】読むと気分が悪くなる場合があります    「異様な家族構成」生活保護夫妻、無責任10人出産…死亡乳児を衣装ケースに“密葬”持ち運ぶ愚              

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http://www.sankei.com/west/news/160611/wst1606110015-n1.html

無職で生活保護を受給していた夫妻が16年間で10人の子をもうけ、死んだ1人は火葬されず自宅で白骨化した遺体となっていた。大阪府吹田市のアパート一室で5月、衣装ケースの中から死後数年が経過した乳児の遺体が見つかった事件。大阪府警は死体遺棄容疑でこの部屋に住む白土(しらつち)憲昭(42)と妻、勇気(37)の両容疑者を逮捕したが、2人は「(埋葬などの)金に困っていた」とあきれた言い分を口にした。逮捕後に明らかになったのは、テレビ番組に登場するような幸せな「大家族」とはかけ離れた、あまりに無責任な“出産ラッシュ”の実態だった。

衣装ケースが墓に?

 「(死んだ子供は)あそこにいます」

 5月12日午前、子だくさんの家庭が住んでいるとは思えない同府吹田市片山町の2DKのアパート。府警の家宅捜索を受けた勇気容疑者は悪びれる様子もなく指差した。その先には、服などの荷物に紛れ、粘着テープでふたが閉じられた段ボール箱が置かれていた。

 捜査員が箱を開けると、中に入っていたのはポリ袋で密封されたプラスチック製の衣装ケース。さらにケースのふたを外すと、産着姿で毛布に包まれた乳児のほぼ白骨化した遺体が見つかった。

 衣装ケースを墓に見立てたつもりなのか、ケースの中には土が入っており、遺体周辺には、おしゃぶりやぬいぐるみなどの“供え物”もあった。

 司法解剖の結果、遺体は死後数年が経過していることが判明した。しかし、死因や年齢だけでなく、性別すら分からなかった。

 勇気容疑者は遺体について「ミルクを飲まなかったから病院へ連れて行こうとしたが、(生まれて)数日後に死んだ」と話した。

 府警は翌13日、死体遺棄容疑で憲昭、勇気両容疑者を逮捕。大阪地検は6月3日、同罪で2人を起訴した。

転居のたび持ち運び

 2人の供述によると、遺体の乳児は4年前の平成24年5月、当時住んでいた大阪府摂津市内の共同住宅で自宅出産した男児だった。ミルクを飲んでも吐き出してばかりで、生まれて数日後にぐったりするようになり、死亡したという。

 憲昭被告は「死体に毛布をくるんで衣装ケースに土を入れて埋めた。自分の子供のことなので、引っ越すたびに遺体を連れて行った」と供述。勇気被告も「衣装ケースに埋めたのは見ていないが、夫が『引っ越すたびに連れて行く』と私に話していた。部屋のどこかに子供がいると分かっていた」などと、乳児の遺体を衣装ケースに入れた経緯を説明した。

 正式な埋葬をしなかった理由については「金に困っていた」と供述しているという。

子供の半数は施設生活

 2人は摂津市の共同住宅を出てから府内で計3回の転居を重ねたが、引っ越しのたびに遺体が入った衣装ケースを持ち運んでいた。吹田市の現場アパートに住み始めたのは26年12月からだ。

 わが子の遺体を衣装ケースに“埋葬”し、荷物のように持ち運ぶ。それだけでも理解しがたい行為だが、一家の家族構成も「異様」だった。

 捜査関係者によると、憲昭被告は以前、古紙回収などの仕事をしていたこともあったが、ここ最近は無職で生活保護を受給していた。にもかかわらず、子供は16歳から生後4カ月まで女5人、男4人の計9人。遺体の乳児を含めると、16年ほどの間に10人の子供をもうけていたことになる。

 もちろん、子供を多く産むことは悪いことはではない。だが、両被告の場合、本当に育てる気持ちがあって子供を産んでいたのか、首をかしげたくなる事実が次々と浮かぶ。

事件直前、現場のアパートに住んでいた子供は16歳の長女を含めて4人。ほかの子供は施設などに保護されていた。最初の数人は病院で出産したものの、ほかの子供は自宅で出産したとみられ、最年少の生後4カ月の女児は出生届すら出されていなかった。

 遺体で見つかった乳児も自宅で出産したとみられる。妊娠段階でも病院に行っていないため、母子手帳すら見つかっていない。

 現場地区の民生委員を務める70代の女性は「子供の定期検診のパンフレットを持っていっても玄関すら開けてくれなかった。カーテンも閉まっていることが多く、子供が住んでいる感じではなかった」と振り返る。

発端は長女への虐待

 乳児の遺体が見つかるきっかけとなったのも、長女への虐待事件だった。

 府警などによると、憲昭被告は今年3月9日午後、自宅で長女の後頭部をつかんで引き倒したとされる。長女は弾みでいすに顔をぶつけ、鼻の骨を折ったが、憲昭被告が長女を病院に連れて行くことはなかったという。

 暴行を受けた2日後、長女が中学校に登校した。顔のあざを見つけた教員がけがをした経緯を聞いたところ、「親にもらった小遣い3千円がなくなっていた。こんなことをするのは父親しかいないと思って問い詰めると、暴力を振るわれた」と告白した。学校は府吹田子ども家庭センター(児童相談所)に通報し、長女は保護された。

 長女はこの後、センター職員や警察官に衝撃の告白を始めた。

 「昨年11月、自宅で知らない赤ちゃんの写真を見つけた。母親に誰の写真か聞くと、『死産した子なんや。ミルクをよう飲めなかったので生まれて2日ぐらいしたら死んでしまったので奥に埋めている』と言われた」

 これを受け、府警は5月12日朝、長女に対する傷害容疑で憲昭被告を逮捕。吹田市の自宅を家宅捜索し、乳児の遺体発見につながったのだ。

子育ての姿勢に疑問符

 府警は長女への暴行は単発的で日常性は低いとみているが、長女が今春まで通っていた中学校によると、中学3年の1年間で登校したのはわずか12日だった。休日が続いて教諭が家庭訪問してもインターホンに反応はなく、両被告に会うことはできなかった。

 中学校の校長は「進路指導の案内を出しても両親からの反応はなく、指導する機会も持てなかった。どこまで両親は長女のことを真剣に考えていたのだろうか」と語る。

 府警は今後、遺体で見つかった乳児が死亡した経緯についても詳しく調べる方針だ。ある捜査関係者は、両被告の親としての非常識ぶりに語気を強めた。

 「育てる能力もないのに次々と子供を産み、子供の体調が悪くなっても病院に連れて行かないのは悪質。死んだ乳児も自分たちでは埋葬したつもりだったかもしれないが、衣装ケースに遺体を放置しておくのは親として許されない行為だ」(6月6日掲載)

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