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生活保護者の集いコミュの生活保護費削減で存亡の危機に立つ福祉アパート 大阪あいりん地区発サポーティブハウスの実態と課題

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http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/238739/111100085/?rt=nocnt

日本最大の日雇い労働者の街とされる大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ヶ崎)。労働者が減った15年ほど前から、簡易宿泊所を転用した、「サポーティブハウス」と呼ばれる新たな住まいの形が登場した。主に65歳以上の高齢者や、病気やケガなどで働けない人向けに、「定住」するための場所を提供するとともに、日々の生活を様々な面からサポートする。
今では寄る辺ない人たちの「終(つい)のすみか」としての役割も果たしている同施設。だが、幾つか課題も重くのしかかる。 サポーティブハウスにおける取り組みの実態や直面する課題について、自らハウスを営み、NPOサポーティブハウス連絡協議会の代表理事も務める山田尚実さんに話を聞いた。
(聞き手は 庄子育子)

山田尚実(やまだ・なおみ)氏
サポーティブハウス「メゾンドヴューコスモ」代表。2001年、夫の死去に伴い、簡易宿泊所の経営を引き継いだ後、サポーティブハウスに改装した。2011年より「NPO法人サポーティブハウス連絡協議会」代表理事。
まずは、大阪のあいりん地区にサポーティブハウスができた経緯をお聞かせください

山田:サポーティブハウスが初めてできたのは2000年です。バブルの崩壊により1997年ごろから始まった建設不況で、この街は稼ぐ手段がなくなって、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所(簡宿)に泊まれずに路上で寝るしかない人たちが急激に増えました。

 本人さんたちはもちろん大変でしょうし、簡宿の経営者にとっても、昨日まで泊まっていた人たちが野宿になるのを見ると心が痛むと同時に空室の増加で経営難に陥るところが出てきた。路上で亡くなる方も増え、このままでは街がすさんで釜ヶ崎自体が衰退してしまう恐れがあるということで、1999年に学者や研究者、支援団体、地域住民、そして簡宿の経営者らが集まって「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」という勉強会の場を設けました。そこでの議論の末に生まれたのが、サポーティブハウスの考え方でした。

具体的にどういったものを目指すことにしたのですか

山田:「路上から畳の上へ」を合言葉に、簡宿を、まずは生活保護を受けられる住まいの場としてのアパートに転用することにしました。行政区によって差があるようですが、大阪の場合、宿泊施設にいる状態では生活保護が受けられませんので。

 それでアパートに衣替えするに当たって、単に登記を変えるだけではなく、建物のバリアフリー化や、コミュニケーションの場となる談話室の設置、スタッフの365日24時間配置といった基準を自主的に設けて、満たすようにしました。というのも、釜ヶ崎には、大阪万博の開催などで建設ラッシュだった1970年ごろまでに大量に流入した労働者が多く、そうした人たちの高齢化が進み始めていたからです。

ずっと住み続けてもらうことを前提にした住まいづくりを進めたというわけですね。

山田:ええ。野宿状態からでも利用できるように、入居時には保証金なし・保証人なし、家賃も後払い可としました。生活保護につながったら家賃をもらいましょうという形です。手順としては、その人との話し合いによる聞き取りだけで、お部屋に住んでもらい、契約書を交わす。そしてスタッフが一緒に役所に出向いて生活保護申請の手続きを支援する。生活保護給付が認められるまでには1カ月ぐらいかかるので、その間のお弁当代を立てかえたり、着の身着のままで来られる方のために、古着を集めて着ていただけるものを用意したりといったこともするようにしました。

 入居後は、常駐スタッフが日々の生活を様々な面からサポート。支援内容は多岐にわたりますが、共用部分の清掃、安否確認以外に、例えば服薬時間の管理や見守り、通院時の付き添い、入院中の見舞い、弁当の手配、介護保険の相談などに応じることにしました。こうした一定の要件をクリアした転用アパートを、支援体制があるという意味でサポーティブハウスと名付けたわけです。

釜のおっちゃんたちに上から目線は厳禁

山田さんが現在、運営されているサポーティブハウス「メゾンドヴューコスモ」のオープン時期や内容についても詳しく教えてください


服薬管理が必要な入居者向けに1日分の薬を小分けにするスタッフ
山田:オープンは2001年です。その年に夫が亡くなって、私が簡易宿泊所の経営を引き継ぎいだのですが、当時、128室あった部屋の稼働率は50%を下回っていました。バブルの崩壊で経営が苦しくなったことで主人は体を壊した。だから、主人と同じことをやっても二の舞になる恐れがあるし、私自身、簡宿を続けていく自信は到底なかったので、サポーティブハウスとして新たな形でやっていくことにしました。

 覚悟を決めてからは、約2500万円をかけて内装を大幅にリニューアルしました。1階の8室と廊下をつぶしてサークルやイベント活動も行える広めの談話室をつくったほか、共用の浴室、洗面所、トイレをバリアフリーに。1室3畳の各居室は、壁紙や畳を新調し、エアコン、テレビ、冷蔵庫を備え付けとしました。その際、居室ごと電気メータをつけて、様々な電化製品を使ったり室内での炊事ができるよう、電気容量を増やす工事も行いました。

サポーティブハウスへの転用後、入居率は変化されましたか?

山田:ここ数年は、120室のうち空いているのは10室程度で、入居率が9割を超えています。

それだけニーズがあるということですね。

山田:ええ。入居者については、オープンして間もないころは、野宿の方が圧倒的に多かった。けれど、今は野宿の人が全体的に減っているので、状況は大きく違います。どこかのアパートや簡宿に住んでいたけれど、体を壊したり認知症の症状が現れたりして一人暮らしするのが困難になり、それでもちょっとした見守りがあれば生活できる。そんな方たちが、支援団体などを通じて紹介されてくるケースが多くを占めます。現在、110人の入居者の大半は男性の単身者で、平均年齢は約70歳です。

今、スタッフは何人いらっしゃるんですか?

山田:全部で8人です。通常、日勤帯は、私も含め4〜5人は必ずいるようにしています。夜は宿直者1人体制です。入居者は宿直者の泊まる部屋を知っていますので、何かあったら誰かがすぐにそこに呼びに来る感じになっています。

昼間の時間帯は充実した人員体制ですね。

山田:そうかもしれません。基本的な姿勢として私たちスタッフは身体介護をしません。するのはあくまで日々の生活のサポートです。ただ、これが本当に多種多様なんです。薬の管理や金銭管理を行っていることは先ほど申し上げましたが、とにかく相談業務が多い。

 「釜のおっちゃん」たちはそれこそ事情のある方がほとんどですよ。借金の問題であるとか、体の問題であるとか、そのほか本当にありとあらゆる問題を抱えている。自分では経験しないようなことばかりです。例えば、戸籍を取り寄せたら、家族と連絡を取っていないから死んだことになっていたとか、住民票を移されてどこか身に覚えのない借金をつくられていたとか。病気や障害にしたって、この地域に日雇いで来られる方って、普通の一般社会で生活していくのが難しい人が圧倒的に多い。

 釜ヶ崎というのは、そういう人たちでも普通に受け入れてやっていけるすごく懐の深い街なんです。その方たちが、景気のいいときやったら建設会社なんかもゴミ集めとか運搬とか単純作業があったりで仕事をさせてもらえて生きてきはった。けれど60(歳)になり70(歳)になり、仕事もできなくて生活保護につながったものの、生活スキルがない。そういう方たちが病院に行くのにどうすればいいかとか、役所から来た手紙をどうやって読むか、どういうことが書いてあるかとか、それこそ銀行の通帳をどうやって作るのかというのをわからない人が山ほどいてはる。字が書けない人たちももちろんいる。そういう人たちに一人ずつ手を差し伸べている、というか寄り添って一緒に安定した生活を送っていきましょうというのが私たちの役割です。

 とにかく、上から目線は絶対だめなんです。釜のおっちゃんたちは、たとえ生活スキルがなかったとしても、「この橋、ワシ建てたんやで」「このビル、私が建てたんや」とか、自分が今までやってきはった仕事に対して誇りをもっていますし、実際、そういう人たちが高度成長期を支えてきた。ですから、リスペクト(尊敬)しながら、困っていることは一緒にやろうねというスタンスでやらないと。あとはやり続けることが肝心です。

特定の介護会社に頼らない

見守りが必要な人はどんどん年を取っていくわけですよね。


白を基調とした3畳の個室。各部屋にエアコン、テレビ、冷蔵庫を備え付けている
山田:そうですね。うちで今、要介護認定を受けている方は半数近くいてはります。

 介護については、私はすごくこだわりがあるんです。うちは介護会社を持っていないんです。それで今、うちの入居者が利用している介護会社は10社ぐらいあります。

10社ぐらい入っているということはこのサービスはここが得意とか使い分けているということですか?

山田:そう。例えば、お風呂に一緒に入ってもらわなあかん人やったら、同性同士で男性ヘルパーが多いところがいいでしょ。にぎやかなところが好きな人はにぎやかなおせっかいやきのおばちゃんスタッフらが多いところがよかったりする。介護会社にもそれぞれ特色があるので、本人さんの特質や性格、必要なことを考えながら、できるだけふさわしいところを選んで本人さんたちに決めてもらっています。

「うち1社にしてください」という営業をかけられたりしませんか?

山田:ないない、だって私たち介護会社に対してうるさいですから(笑)。

 まず、うちの入居者のもとを訪れるにときには事務所の前で、「今から誰そこのところに行きます」と必ず声をかけてから入室してもらうようにしています。

 入居者を日ごろ見ているのは私たちでしょ。そしたら例えば昨日までは調子が良かったけど、今朝、見たら、顔色悪いし咳出ているということが分かる。だから、入りはるヘルパーさんに「昨日まで元気だったけど今朝はこんなでちょっと様子みてあげて」とか言うんです。それでヘルパーさんに、帰り際、「熱測ったけど、ちょっと病院に連れて言った方がいいと思います」などと報告してもらう。そして、うちの方で実際に通院に付き添ったり、ケアマネージャーさんに連絡を入れたりしています。

 そんな連携ってとても大切やと思っているんです。ヘルパーさんはスポットでしか入れないですから。日頃見ている私たちが責任を持ってつなげないと。デイサービスを受ける際の施設スタッフともしょっちゅう情報交換しています。

 それから、うちはもし対応の悪いヘルパーさんだったりしたら、そこの介護会社に「この間、この人入ってはったけどこんな状態で困った」とすぐに伝えるんです。もうその人は出入り禁止ね、とあからさまには言わないけれど、そんなニュアンスを言葉の節々に出しながらね。そうした方が、質が高まるでしょ。

 うちには何社も介護会社が入っていて、各社を比較しながらスタッフの力量が試されているって、介護会社側もわかっているので、「一手にサービスを請け負わせてください」なんて絶対言ってきません。そして基本的にとてもいい人材を出してきてくれてはると思います。

 延べにしたら1日100人ぐらいの介護のスタッフの方たちがうちには来ています。要介護度5の人もいるので。

えっ、(重症度が最も高い)要介護度5の人がいるんですか。

山田:ええ、脳梗塞で半身不随になってもうベッドから自力では動けないといった人たちがいてはります。すると、ヘルパーさんにはおむつを替えたり食事介助のために朝昼晩入ってもらう。また、訪問看護や、場合によっては訪問診療にも来てもらいます。あとは車椅子に乗せられる方は、移乗してもらってデイサービスに行き、そこでお風呂に入れてもらうとか。

 ある要介護度5の人は、脳梗塞でいったん入院した病院から、「居宅での生活は絶対無理や」と言われたけれど、本人さんがどうしても、「帰りたい。病院はいやや、コスモで死ぬんや」と言うので、連れて帰ってきたこともありました。

突如現れる家族に翻弄されることも

山田:病院との関係で言うと、私たちサポーティブハウスが大切にしているのは、通院時の付き添いや入院中の見舞い以外に、病院側スタッフとの徹底したコンタクトなんです。入居者の方の調子が悪くなって入院したら、私たちは必ずアポを取って、ドクターや看護師、医療ソーシャルワーカーなどの方たちとお会いして、今後の治療方針や退院時期の目途などを必ず聞くようにしています。また、もろもろ入居者本人の希望を伝えたりもしています。

病院には頻度としてはどのぐらい行かれるのですか?

山田:通常のお見舞いであれば、最低月に1回以上。医師とのやり取りに関する最近のあるケースでは、肝臓癌の手術を受けるのに、毎週のように病院に話し合いに行っています。

もう家族ですね。

山田:そうですね。でも本当の家族じゃない。ほんまの家族がいてはり、困ることもあるんですよ。だって、家族さんが優先じゃないですか。

 今までにこんなことがありました。私たちや支援団体の方で長年にわたってサポートを続けてきた方が癌で入院された。それで、死期が迫ったら、病院の方で、本人さんから音信不通だった家族の連絡先を聞き出して実際に連絡を取った。そうしたら、家族は関わり合いたくないから、「病院にすべてお任せします」と言ってきた。すると、私たちはもう何も口出しできない。

 本当はその方は、入院される前に、「手術を受けるならこうしてほしい」とか、「死ぬならうちで最期を迎えたい」と話されていた。でも、病院は「家族に任されたのだから」と聞く耳を持つことはなかった。しかも、「もう見舞いにも来るな」とも言ってきて…。結局、その方は病院で亡くなられました。

入居者さんにとって気の毒なお話ですね。

山田:ええ。家族との関わりに関しては本当に難しい。ほかにも、実は家族が良かれと思ってやったことが災いするケースもあるんです。

 精神障害を抱える入居者さんがいて、その方にはお兄さんがいる。お兄さんは悪い人ではなく、むしろ弟さん思い。それで、たまにだけれど、この施設に来て、弟さんを連れ出して、焼き肉を食べに行かれたりたりするんです。おかげで入居者さん本人はうれしいんやけれども、その刺激が、その人の病気を悪化させてしまっている。その人にとって今、一番あかんのは日常のルーチンから外れたことなんです。それをすると、リズムを崩しておかしくなる。だから、ありがたいんやけど、遠慮してほしいというのが本音。結局、このケースについては、お兄さんに精神科のドクターの方から話をしてもらいました。

家族が無関心というのも問題だけど、たまに来てもらってもそれはそれで迷惑ということなんですね。

山田:迷惑というか本当にリズムを崩すんで、本人にとっては苦しいから、少し配慮してもらいたいと言いますか。お兄さんは自分が帰った後の弟の苦しむ姿を見てないので何も知らないわけです。

入居者の中には認知症の方もいられるんですよね。どのぐらいの割合でいらっしゃるんですか。

山田:認知症の初期かなという人も含めれば1割じゃきかないと思います。最初から認知症で入って14年たつ人など、いろんな方がいてはりますよ。

徘徊される方とかもいらっしゃるのでは

山田:もちろんです。あまりにひどい場合は、介護施設に入所してもらったこともあります。例えば、毎日、違う警察から「迎えに来てください」と連絡きていた人がいてはった。近くを徘徊している分には、ヘルパーさんや私らが探せるんやけど、元気でどんどん遠くまで徘徊されるようになった。そうなると、もう私たちの手には負えなくなって、介護施設にお願いしたのです。

こちらで見ていられる近場の徘徊の頻度というのは。

山田:それはしょっちゅう(笑)。認知症の方には、ヘルパーさんに頼んで衣服や靴に全部名前を書いてもらっています。

 あと、ときには徘徊される方の後ろをずっとついて歩くこともあります。この間も、外に出ては「俺は重病や。入院させてほしいんや、救急車呼んでほしいんや」と会う人会う人に言う人がいるので、私が10メートルほど後ろにつけて、「この方、認知症なんです。大丈夫ですから」と、説明して回りました。


談話室で入居者と会話を楽しむ山田さん
「広くなければ文化的でない」として切り下げられた住宅扶助

ところで、数々のサポートをされている費用はどうやって賄っているのですか。

山田:手数料を一切もらうことなく、家賃の収入だけで賄っています。私が代表を務めているNPO法人サポーティブハウス連絡協議会に加盟している8施設とも同様の扱いです。家賃は、1人当たり月額4万2000円です。これは大阪市が定める、旧基準での生活保護の住宅扶助額の上限に当たります。

 旧基準というのは、今年7月から住宅扶助の額が変わったんですよね。新たな基準では、大阪市の生活保護の住宅扶助の上限は4万円になり、さらに「床面積」の要素が新たに加えられて、狭ければそこから減額されるようになった。うちの場合、月額3万6000円です。

 この制度改正の背景には、狭小スペースに何人もの生活保護者を住まわせ、限度額の家賃を不当に得るいわゆる「貧困ビジネス」の抑制があります。

確かにこのへんで悪質なところがあるのは事実。そもそも、私たちはこの地域で、サポーティブハウスという形で、ドヤをアパートに変える先陣を切ったわけですけれども、それを見て、一切サポートなしで、登記のみドヤから福祉アパートに変えて、我々と同じだけの家賃を徴収するところが結構出てきた。「看板書き換え施設」とでも言いますかね。

 そういうアパートでも、昔ながらの世話やきの管理人さんががんばっているところもある。けれど、貧困ビジネス的なところがやはり入り込んでしまっている。だから懲罰的に生活保護の住宅扶助が下げられた。

 でもその影響を受けるアパートは悪徳事業者に限らないんです。サポーティブハウスは多くのスタッフを雇って入居者一人ひとりに寄り添った支援をしているのに、役所は「広くなければ文化的ではない」の一点張りで、例外を認めてはくれない。

 新基準は今年7月以降に生活保護費の給付が認められた方から適用されるので、まだ大きな影響はありません。けれど、この先、じわじわと効いてきます。うちはすべての人が新基準適用となれば、今より月額で60万円超の収入減になります。家賃が下がれば、スタッフを減らさなければいけません。でも、支援の質を保つにはそれはできないし、したくない。本当に悩ましい問題です。

 今回の住宅扶助の引き下げに関し、この辺りでやっている支援団体の方々も同じように憤慨してくれています。そういう人たちとタッグを組んで、行政に支援の実態と必要性を行政に訴え続けるしかないと思っています。

なるほど、家賃引き下げの件は深刻ですね。

山田:ええ。あと、中には比較的年齢が若い方から「広いところがいいから転居したい」という声が上がることもあります。転居できる人はしてもらってこちらも一向に構わない。でも、そういう人に限って、ギャンブル依存やアルコール依存で、生活支援が欠かせなかったりする。

 保護費が振り込まれたらその日のうちにお金を使いきり、家賃を払えずにアパートを追い出されてしまった。そんなことを繰り返し、それなら金銭管理をしてくれるからということで、支援団体がうちを紹介して、入居してきた。行政からも、生活保護費を受け続けるなら、ちゃんと面倒をみてくれるところに入ってもらわないと困るとお灸をすえられている。

 だから、うちでサポートしているわけです。もしそういう形でうちに来られている人たちが、広くてきれいだけれども支援がないところへいったら、あっという間に元通りの生活になりますよ。それは文化的な生活ではないですよね。

地域とのつながりが希薄に

住宅扶助引き下げ問題のほかに大きな課題はありますか

山田:釜のおっちゃんたちと地域とのつながりが薄れつつあることをとても危惧しています。

 釜のおっちゃんたちをたくさんの眼で支えて、一人ひとりに安心・安定した生活を送ってもらえるようにすることが私たちの願いです。孤独な身のおっちゃんたちの楽しみの一つに、子どもたちとの触れ合いがあります。近所の保育園の運動会の際には、向こうから声がかかって、おっちゃんたちが設営や片付けの手伝いをしているんです。そのお礼にと言って、運動会場に高齢者席というのを設けてくれて、おっちゃんたちはそこで競技を見ています。

それは入居者にとって楽しみになりますよね、張り合いといいますか。

山田:ええ。そこからは焼き芋大会にも招待されています。

 実は近所の小学校とも、行事によっては呼ばれる関係がこれまで長年続いていました。けれど、その学校は児童数の減少によって今年3月末で廃校となった。それで隣の校区にある二つの学校と一体化されて、市立の中高一貫校に生まれ変わりました。これが橋下徹市長の肝いりで作られた、高度で充実した教育を行うことを売りにした「スーパー校」なんです。橋下さんは西成区の活性化を目指したようです。

 ただ、この学校が作られる過程で、周囲の生活環境が悪すぎるといった非難の声もたくさんあがりました。だからか、学校側は地元と距離を置き、そこから今年は運動会の際にお呼びがかからなかった。おっちゃんたちはもうがっかりですよ。

 せっかく肝いりでつくった小中一貫校だけれども、地域に還元されなければ意味がないと私は思うんです。これまで積み上げてきた子供・子育てとの連携が途絶えかけている。釜のおっちゃんたちをどうか切り捨てないでほしい。そう切に願っています。

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