ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュの貧困を押し付けられる子どもたち 「自己責任論」で見放された、困窮家庭の実態

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
http://wotopi.jp/archives/24317
仕事があり、家庭もある。毎日忙しいし、裕福とまではいえないけれど、今後もきっと家族そろって変わることなく幸せに暮らしていける……。

さいきまこさんの最新コミック『神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜』(秋田書店)の主人公・仁藤涼子はそう思っていました。職場である小学校で、家庭が貧困状態にある児童、ネグレクトに遭っている児童の存在に気づき、「貧困や虐待は遠い世界の話ではない」と知りながらも、まさか自分がそうなるとは思ってもみなかった主人公が、職を失い、娘を連れて家を出、再就職できず、精神を病み、貧困状態から抜けだせなくなる……そのすべての始まりは、夫のDVでした。

前作『陽のあたる家~生活保護に支えられて~』(秋田書店)に続き、いまの日本に蔓延する貧困とそれを支える制度に光を当てた、漫画家・さいきまこさんにお話をうかがいます。

困窮している人を追い詰める「自己責任」論

――主人公は家族思いで、仕事熱心。何ひとつ間違ったことをしていないのに、彼女と中学生の娘があれよあれよという間に貧困状態に陥っていく……その過程のすべてが誰にでも起こりうることの連続で、たいへんおそろしかったです。

さいきまこさん(以下、さいき):前作『陽のあたる家』を描いたのは2012年、タレントの家族による生活保護不正受給疑惑が取り沙汰されていたころです。でも、実際にその家族は不正を犯していませんし、生活保護についての報道も、多くの利用者の実態とあまりにかけ離れていました。

生活保護というトピックが扱われるときは、こうした偏見が付き物で、さらに自己責任論もそこに覆いかぶさってきます。要は「自分が悪くて貧困に陥ったのだから、国が救う必要はない。税金を使うな」ということですが、ほんとうにそうなの? ということを、一度立ち止まって考えるきっかけとしてもらいたくて、前作を描きはじめました。生活保護を利用している人にかぎらず、困窮している人たちの多くには何かしらの背景があります。本作の主人公の場合はそれがDVでしたが、心身の疾患であったり、連鎖する虐待であったり、人それぞれです。

――夫による肉体的、精神的、経済的な暴力から自分と娘を守るため必死で逃げた主人公も、やはり「自己責任」といわれてしまうものなのですね。

さいき:離婚してシングルマザーとなった女性が困窮すると「あなたのワガママで離婚したんだから」といわれ、いくら相手の男性の非を説明しても「そんな男を選んだあなたが悪い」と返されるのが典型です。本作でも主人公は、元夫と出会った大学時代までさかのぼり、なぜあのサークルに入ったのかと自分を責めますが、周りの誰からも「あなたのせいじゃないよ、何も悪くないよ」といってもらえなかったら、自分の人生を疑い、そこに理由を見出すしかないですよね。

「家族内のことは家族で解決」という風潮

――本作では娘の日向(ひなた)ちゃんや、主人公が受け持っていたクラスの子どもたちなど、貧困家庭で生きる子どもたちが幾人も登場します。親世代の貧困が子どもたちにくり越されていく様子を浮き彫りにされていました。

さいき:最終章に、貧困状態にあるシングルマザー家庭で育つ男子中学生が出てきますが、彼は親戚や教師、近所の人たちから「お母さんが病気なら、あなたがしっかりしなきゃ」「お母さんの面倒をみてあげられるのは身内のきみだけだよ」と幼いころからいわれつづけてきました。似た環境で育った人たちに取材すると、同じような話がイヤといくほど出てきます。みなさん口をそろえて「誰も助けてくれなかった」というんですよね。貧困が次世代に押しつけられている実態がよくわかります。

いまの日本では、貧困でも介護でも、家族に起こったことは家族でなんとかしなさい、ということになっています。だから、せっかく生活保護を申請するところまでたどりついても、窓口で扶養義務者に助けてもらうよういわれて、不当に申請を拒まれたりするのです。家族内、あるいは親類縁者を含む共同体を頼れない、頼ったところでどうにもならないからこその貧困状態なのに……。こうした制度運用もおかしいですが、世間にも「困っているなら家族で解決」という風潮は確実にあります。

貧困の子どもが高等教育を受けづらい現状

――どんな家庭環境に生まれ育とうと、子どもは教育を受けながら健全に育っていくべきなのですが、17歳の以下の子どもにおける貧困率が16.3%※という、非常に高い割合を示すいまの日本では、それすらむずかしくなっていることが本作を読むとよくわかります(参照:平成22年国民生活基礎調査の概況)。特に、学歴をつけて社会に出たくとも「奨学金」で背負う借金が大きすぎるという問題があるのですね。

自己責任論では救えない貧困の子ども
(C)さいきまこ/フォアミセス

さいき:子どもの貧困について語られるとき、世代間ギャップを強く感じることが多々あります。「国公立の大学に行けばいい」「必死で勉強する優秀な学生なら、無利子の奨学金がある」という年配の方の声をよく聞きますが、いま50代ぐらいの人の学生時代とくらべて、国公立大の学費は何倍にもなっていますし、また、日本学生支援機構による無利子の第一種奨学金はたいへんな難関で、8割ほどがふるい落とされる年もあると聞いています。教員になれば返済しなくていいという制度もいまはなくなっています。

だから、お金がない家に生まれた家庭に育った子は、努力に努力を重ねていい成績をおさめなければ貧困から抜け出せない。その努力をちょっとでも怠ったり、努力した結果が実らなかったら、貧困のままで仕方ない……というのも、結局は自己責任論と同じですよね。経済的に余裕のある家の子でないとなるのがむずかしい職業といえば、医師や弁護士がすぐに思い浮かびますが、近年は教員もそのひとつに挙げられるようになりました。1か月の教育実習中アルバイトを休むと生活が立ちゆかなくなる、という理由で、志があるのに教員免許取得をあきらめる学生が多くなっているからです。そうして学校という現場で貧困を知る大人が減っていくことに、私は大きな不安を感じます。

――人生の序盤からけわしい道を上りつづけなければ、貧困が再生産されてしまうのですね。

さいき:けわしい道を誰もが上れるとはかぎりません。もちろん、努力を評価するのは大事です。でも、貧困のなかで精神的に追い詰められた状態が長くつづくと、努力をする気力も体力もむしばまれ、なくなってしまいます。恵まれた環境にいるからこそ、努力もできるんです。これは子どもだけでなく、大人にもいえること。だから、そんな人たちをどう救っていくかを考えることが先決です。人は無差別平等に、健康で文化的な生活を送る権利を持っているのですから。

夫のDVから、中学生の娘を連れて逃げた主人公。そのために小学校教師の仕事も辞め、再就職もままならない。底をつく生活費、執拗に追いかけてくる夫、追い詰められていく精神。困窮状態にあった母娘ふたりが、生活保護を受け、周囲の理解ある人たちに支えられながら再び希望を見出していく……。さいきまこさんの最新コミック『神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜』(秋田書店)には、女性と子どもを取り巻く社会問題が凝縮されています。

インタビュー前半は困窮した人たちをさらに追い詰める自己責任論についてお話いただきました。後半は、いま貧困状態にない人が貧困について考える意味をうかがいます。

子どもたちのSOSに気付くには少しの想像力から

――当初、主人公は貧困を自分とは遠いものとして考えていましたね。けれど、まずは受け持ちの生徒が発する「シグナル」に気づくようになります。

さいきまこさん(以下、さいき):衣服の汚れや、たび重なる遅刻、欠席など、子どもが無言のうちに発しているシグナルに一度気づくと、その背景にある問題が見えてきます。たとえば万引きをした子どもがいて、それ自体はもちろん褒められたことではないのですが、ただ「素行が悪い子!」と決めつけ、叱るのは簡単なことです。でも、何か事情があったのではないか、とちょっとでも想像力を働かせると、その子の家庭が非常に困窮しているということにまで気づけるかもしれません。

――本作では、「困っている人がいても、みんな感度にぶいよね」という台詞があります。主人公の娘は、クラスメイトの困窮状態に気づきますが、教師もほかの生徒も「ちょっと変わったヤツ」程度にしか思わず、その子が孤立しています。

さいき:この豊かな日本でまさかそんなに貧しい暮らしを強いられている人たちはいないだろう、という思い込みが強いのでしょうね。それどころか、「怠けているから貧しいんだ」「心が弱いから働かないんだ、勉強しないんだ」と一方的に決めつけられるばかりです。でも、そこでちょっと立ち止まって、彼らがそういう状態に陥った事情を考えてみてください。これって、自分にとってもプラスになるんですよ。自分は一所懸命働いているのにサボっているうように見える人がいたらイライラしませんか? そんなときに「もしかすると事情が」と考える習慣をつけると、無駄なストレスも消えていきます。

――貧困や生活保護への差別的な視線もまた、そうしたイラ立ちが原因なのでしょうか?

さいき:それに加えて、「何も知らない」というのが大きいですね。実はいまでこそこうした作品を描いている私ですが、かつては貧困を自己責任だと思っていたし、生活保護についても世間一般がもつ俗っぽくて差別的なイメージしかありませんでした。でも、自分の老後と子どもの将来を考えたとき、生活保護は自分にとって遠いものではないと気づき、当事者目線で調べはじめました。すると、自分がいままで知っているつもりだったことがガラガラと崩れていき、ただの思い込みにすぎなかったとわかりました。そして前作『陽のあたる家〜生活保護に支えられて〜』(秋田書店)を描きはじめたのですが、取材するなかで「え〜、こんな制度あるんだ」「貧困で困ったらここに相談すればいいんだ」「これは、私たちにとって権利なんだ!」と自分が気づいていったことを、登場人物に仮託しました。

生活保護や貧困は社会の“ケガレ”?

――本作では、生活保護への偏見から受給をためらう女性に対して、「生活保護は権利だから利用する」と声に出していわせるシーンがあり、とても印象的でした。

困窮した子どもたちのSOSに気付くには?
(C)さいきまこ/フォアミセス

さいき:日本は権利意識が根づいていないので、これは以後も声を大にして伝えていきたいことですね。その女性は「生活保護を受けるのは恥だ」と思っていたからこそ受給できずにいたわけですが、周囲の人が申請を勧めたのは、その家族が受給要件(受給に必要な条件)を満たしているし、それによって救われるべきだからです。しかし、申請するのはモラルがないから、と見なす傾向はいまの日本で非常に強いように見えます。だから生活保護バッシングが起きる。そんな視線のなかで権利を行使すると、ますます恥の意識を植え付けられます。

受給要件を満たしている人の割合に対して、実際に受給している人の割合(捕捉率)があまりに低い日本の現状は、国連でも問題視され、2013年に「生活保護の申請手続きを簡略化し、申請者が尊厳をもって扱われることを確保する措置」「生活保護につきまとうスティグマ(=負の烙印)を払拭すべく国民を教育すること」の2点を勧告されているのですが、改善される兆しは一向に見えません。それどころか私は最近、生活保護や貧困が社会のケガレとして受け止められているのではないかと考えるようになりました。

――だから、差別の対象になると?

さいき:ケガレや忌み言葉だと考えると、世間の貧困に対する無関心や、生活保護利用者を排斥しよう、懲らしめようという空気も腑に落ちます。自分たちの目の前からいなくなってしまえば、まるで問題がなくなったかのように思えるんでしょうね。

貧困の実態を知ればなくなる偏見と差別

――ネットなどの記事で、「生活保護」というワードを見ただけで、記事も読まずに脊髄反射的にバッシングする人が少なからずいるのも、説明がつきます。

さいき:こうした世間の空気というか、感覚的なものをなくすのは相当むずかしいことです。でも、いま目に見えている貧困の背後にこそ、とんでもない状況にさらされている人たちが無数にいるんです。それが見えている人ほど、そうした困窮者、貧困家庭を少しでも減らすためには、どこから手をつければいいんだろう……と絶望的な気分になるかもしれません。それほど根が深い問題です。ただ、実態を知れば知るほど、その偏見や差別が薄まっていくということを、私は自分自身で体験しています。知ってもらうことから始めるしかないという想いがあり、本作品では、いま女性と子どもの貧困の背景にあるものをひと通りわかるようストーリーに織り込みました。

――ひとりひとりの問題意識が変わらないかぎり、社会も変わらないということですね。

さいき:はい。本作では、福祉制度にくわしい大川先生という女性が登場しますが、彼女がいるから学校の児童とその家族は福祉に接続できたし、主人公も夫のDVから逃げることができました。そういう人が周囲にいないと、困窮している人は救われるにしても時間がかかるし、もしかしたら救われないかもしれません。だから、いま困窮に陥っていない、陥る可能性が低い人にこそ、貧困について知ってほしいと考えながら本作を描きました。先ほどシグナルといいましたが、知ってさえいれば見えるシグナルも、知らないと見えない。身近な人たちへ目配りできる人が、ひとりでも増えてくれることを願います。

さいきまこ
漫画家。2000年2月、集英社『YOU』よりデビュー。2013年に生活保護の実態を描いた『陽のあたる家~生活保護に支えられて~』が秋田書店『フォアミセス』に連載され、同作で2014年貧困ジャーナリズム大賞特別賞を受賞。2014年12月〜2015年5月、同誌に『神様の背中〜貧困の中の子どもたち〜』を連載。6人に1人という貧困状態にある子どもたちの姿を描き、読者に衝撃をもたらす。また、同誌2015年8月号では、困窮家庭の子どもたちを支援する20代女性を描いた『花びらを数えて』(『神様の背中』スピンオフ特別読み切り)が掲載。著書は他に『生活保護で生きちゃおう!』(共著:雨宮処凛・和久井みちる、あけび書房)。ツイッター:@SaikiMako

コメント(8)

貧困問題って解決される日がくるのかな?

方法はあるのかな?
>>[2]
貧困は、お金もそうですが、孤独の貧困もありますね。

私の場合ですが、仕事が無くなり、毎日1人で過ごす生活が苦痛です。

些細な事でもイライラしたり鬱々したりします。

逆に働いていても、心や体が病む場合もありますね。
>>[4]
差別は無くならないでしょうね。
小さな町内のコミュニティーや職場内だけで見ても差別はあります。
「あいつ気持ち悪い」
「あいつ生活保護を受けているくせに言う事だけは、一丁前だ」
「あいつ仕事もしない(できない)くせに横柄だ」
等、身の回りだけでも差別化は沢山あります。
これを社会単位で無くすのは不可能でしょうね。
>>[6]
僕の場合は、理解しようとしない人の相手は時間の無駄で疲れるだけなので相手にせず距離を置くようにしています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。