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生活保護者の集いコミュの生活保護の高齢傷病者に就労を強いる 現実無視の行政指導

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http://diamond.jp/articles/-/75843
生活保護のリアル みわよしこ ダイヤモンドオンライン

2015年7月30日午後、東京高裁において、「静岡エイプリルフール訴訟」と呼ばれる裁判の判決が下った。「働けるのに働かない」を理由とした生活保護打ち切りに関する本訴訟では、何が争われ、どのような判断が行われたのだろうか?

エイプリルフールのような事件に
常識的な高裁判決が下った


判決直後、支援者たちの集会に掲げられた「勝訴」の文字。参加者たちは口々に判決を祝福し、Mさん自身・手弁当で支援に携わった弁護士たちや支援者たちの長年の労を労った
Photo by Yoshiko Miwa
 2015年7月30日午後、東京高裁において、生活保護利用者の「働けるのに働かない」を争点とした訴訟の高裁判決が言い渡された。

 原告であるMさん(70歳)は、63歳だった2009年、現在も居住している静岡市の福祉事務所から、就労するよう指導を受けた。Mさんは就労活動を行ったものの、市の定めた期限の間に就労に至ることができなかった。2009年4月、静岡市は「就労意欲がない」として、Mさんの生活保護を打ち切った。

 Mさんは数ヵ月後、生活保護の利用を再開することができ、現在も生活保護を利用して静岡市内で生活している。しかしMさんは2010年4月、数多くの理解者・支援者の応援のもと、打ち切り処分の撤回と保護を受けられなかった期間の苦痛に対する国家賠償を求めて、静岡地裁に提訴した。2014年10月2日、静岡地裁は、静岡市の「就労意欲がない」とする判断を不当とし、生活保護打ち切り処分の取り消しを求める判決を下した。しかし静岡市は地裁判決を不服として、東京高裁に控訴していた。

 7月30日に言い渡された高裁判決は、地裁判決を全面的に認め、静岡市の主張を退ける内容であった。

「最初、訴訟までするつもりはなかったんです。提訴してから5年、長かったです。イヤになって『やめてしまいたい』と思ったこともありました。でも、周囲に信頼できる人たちがいたから、何とか続けられました。今日、高裁でも勝訴という結果になって……『裁判、やった甲斐があったかなあ』と思っています。でも、静岡市が上告するかもしれませんから、本当に喜べるのは、2週間後ですね」(Mさん)

 この訴訟は、関係者たちから「静岡エイプリルフール訴訟」と呼ばれている。地裁への提訴日が2010年4月1日であったことと、関係者たちの「エイプリルフールのウソのような珍事件」という思いを背負った通称だ。

 2009年のMさんは、「働けない」状態だったのだろうか? それとも静岡市が言うとおり、「働けるのに働かない」状態だったのだろうか?

路上生活でも警備員に
なのに「働きたくない人」扱い?


1時間前、高裁で勝訴判決を聞いたばかりのMさんは、喜びとともに、一段落してほっとした様子であった。とはいえ、勝訴が確定するのは14日後
Photo by Y.M.
 Mさんが生活保護を利用し始めたのは、2005年、60歳の時だった。Mさんは、農業用運搬装置を敷設する現場作業に「日給月給(報酬は日給、1ヵ月に一度まとめて支払われる)」の派遣で従事していたが、仕事が減ってきたため収入が減り、家賃を払うことができなくなった。Mさんは住居とともに、仕事も失うことになった。

「ある程度の蓄えはあったんですが、それも使い果たすと、仕事を辞めざるを得なくなりました」(Mさん)

 仕事があるときに出勤するための住居を失ったMさんは、地下道で路上生活をしながら警備の仕事に就いていた。しかし、夜11時・12時まで振動の絶えない地下道では、充分な睡眠を取ることができない。

「地下道で周囲にいた人たちには、生活保護を受けている人が何人かいました。情報をもらって、役所に行って。2回目に役所に行った時に申請して、1ヵ月近くかかりましたけど、保護は下りました」(Mさん)

 Mさんは生活保護の利用を開始した後もしばらく、警備の仕事を続けていた。さらに、持病の糖尿病の治療を受けはじめた。母親が糖尿病であったMさんは、同様に糖尿病を発症していたのだが、生活保護を利用し始めるまでは、医療費がないために治療を受けていなかったのだ。

 2009年、63歳になっていたMさんは、糖尿病の他に腰痛・膝痛を抱えており、医師に「就労はできない」と診断されていた。しかし静岡市はMさんに就労を命じた。Mさんはハローワークに通い、懸命に仕事を探した。しかし、63歳という年齢に加え、自動車の運転免許も資格もないMさんが就ける仕事は、限られている。

「ハローワークに行って検索しても、自分の条件に合う仕事は、そんなにないんです。50歳過ぎたら、仕事、ないに等しいし。見つかる仕事はほとんど軽作業で、さらに通勤手段という問題があります。自転車しかないので、通勤できる地域も限られています。だから、毎日、毎週は行きませんでした。毎日行って、昨日と今日と検索結果が同じだったら、無駄になるだけですから。『だったら、家にいて、できることをやっているほうがいい』と思います。体調が悪くて外出できない日もあるし。でも市役所は、とりあえず『ハローワークに、行け行け行け行け』なんです。行っても、仕事があるわけはないのに」(Mさん)

それでもMさんは4社に応募し、3社の面接を受けた。しかし、採用には至らなかった。糖尿病その他の病気を抱え、ハローワークに通うのも痛みをこらえつつ、という63歳のMさんが就労に至らなかったことを理由として、2009年4月、静岡市は生活保護を打ち切った。2008年の「リーマンショック」の影響で失業者が急増し、収入の激減と再就職の困難に直面する人々が若年層にも多数いた時期のことであった。

 高齢で、健康が損なわれており、就労に有利な資格等を持っているわけでもないMさんが、他の求職者とともにハローワークで就労のために活動しても、就労に至る可能性は極めて低い。「どういう仕事なら就けるのか」「どういう条件なら続けられるのか」といった丁寧な検討は行われたのだろうか?

「市役所の就労支援員の指導を受けたこともありますが、自分の生活パターンを考えるようなことは全くなく、『この仕事はどうですか』を繰り返すだけという感じでした」(Mさん)

 資格やスキルや経験を持っている30代や40代の転職でも、転職エージェントの専門家が充分な聞き取りをし、転職者を求めている企業との間で丁寧な摺り合わせを行わなくては、なかなか成功には至らないものだ。より条件の悪いMさんが、成功に至りそうな就労支援を受けていなかったのは、確かであろう。

生活保護制度は
社会の何もかもを支えている

 憲法学者の笹沼弘志氏(静岡大学教授)は、生活困窮者支援にも深く関わり続けており、Mさんと「静岡エイプリルフール訴訟」を支援してきた人々の一人でもある。その笹沼氏は、この判決をどう見ているだろうか?

「生活保護の『稼働能力活用』要件は、福祉事務所に『働けるのに働かない人は生活保護の対象にしなくてよい』と解釈され、生活保護からの排除の方便として便利に使われてきました。今回の高裁判決には、『もう、そういう使い方はできない』ということが、はっきり示されたという意義があります」(笹沼氏)

 この裁判での争点の一つは、生活保護法第4条第1項の

「第四条  保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」

 をどう解釈するか、という問題だ。

「静岡エイプリルフール訴訟の地裁判決・高裁判決では、今までの行政の考え方が基本的に覆されました。その人が生活に困窮している事実があれば、保護しなくてはならないんです。その時、資産・能力などを活用しているかどうかは、保護した次の段階で問題になります。その人が『生活保護の要件を満たさない』ということを証明する義務は、福祉事務所にあります。立証責任は、福祉事務所にあるわけです。証明できないなら、保護する義務があります」(笹沼氏)

とはいえ、「今回の静岡エイプリルフール訴訟で、特別に画期的な判決が」というわけでもない。この数年、「働けるのに働いていない」を理由とする生活保護打ち切りと、打ち切りを不当とする訴訟が全国各地で続いている。「生活保護利用者の『働ける』を証明する義務は、福祉事務所にある」という考え方は、それらの訴訟の中で現れた流れである。

「就労に関して困難を抱えている当事者が『就労の場はなかった』と証明しなくてはならなかったのですが、一連の判決で、就労の場が『実際にあった』ということを行政が証明しなくてはならなくなりました」(笹沼氏)

 就労の場の有無は、本人の努力で決まるという意見もあるかもしれない。

「でも、このところの判決では、本人に対し、特定の雇用主が『雇用したい』という意思表示をしていて、本人が『働きます』と言っているという事情がない限り、『就労の場がある』とは言えないことになります。そうなると、法的には、稼働能力があることを理由にして生活保護を打ち切ることはできません」(笹沼氏)

 生活保護でなく、この4月から本格的に事業が開始された生活困窮者自立支援法では、どうだろうか?

「生活困窮者自立支援法でも、同じです。仕事がなく、収入がないならば、保護しなくてはなりません。保護されない場合、裁判で争えば勝てます。失業しているとは、働く場がなく働く権利を行使できないということです。国には、仕事を確保するか給付を行う義務があります」(笹沼氏)

 それはガマンが足りないからだ、どんなに劣悪な仕事でも選ばなければ就けるはずだ。ガマンできないというなら、強制就労でもさせれば……長時間労働と強いストレスのもと、高いとはいえない賃金で働き続ける人々の怨念は、かえって強くなるかもしれない。

「でも、義務と権利は違います。仕事は、憲法25条でいう『健康で文化的』なものである必要があります。その考え方は、労働基準法にも盛り込まれています。『健康で文化的』ではない職業は、違反しています。国際的な考え方もそうです」(笹沼氏)

 劣悪な条件での労働が後を断たないのは、そういう労働でも就く人がいるからだ。

「今回の判決では、生活保護の本来の姿が回復されたとも言えます。劣悪な仕事を拒否して、当然の水準以上の仕事につくまでのつなぎとして、生活保護を活用する。それが本来のあり方です。『生活保護しかない』という人は、働く権利を侵害されているんです。働けて働きたい人には、安定した雇用の場、勤労の権利が確保されるべきです。でもそれは、『どんな仕事でも』ではありません。人間の尊厳に値する勤労条件が、最低条件です」(笹沼氏)

 その「人間の尊厳に値する勤労」を支えるのが、憲法第25条の「生存権」であり、生活保護制度である。生活保護は労働も含めて、社会の何もかもを支えている。そのことを再認識する機会ともなるのが、今回の「静岡エイプリルフール訴訟」高裁判決であろう。

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