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生活保護者の集いコミュの「運用は変えない」の明文化を純粋に喜んでいいのか パブコメで変わった改正生活保護法省令案

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http://diamond.jp/articles/-/52186

2014年4月25日   みわよしこ [フリーランス・ライター]

いよいよ、2014年7月1日より(内容の一部は4月1日より)改正生活保護法が施行される。

改正生活保護法の成立にあたっては、生活保護の申請権が侵害されないよう配慮を求める内容が修正案に含められた。また、生活保護法改正をめぐっての国会での審議では、再三、政府により「運用はこれまでと同じ」「運用は変えない」という答弁が行われた。

しかし厚労省は、2月、改正生活保護法の運用の実際を定める省令案を公開した。この省令案は、運用を大きく変化させ、生活保護の申請権を大きく侵害する可能性を含んだ内容であった。

それに対して、数多くの人々が問題点を指摘し、パブリック・コメント(パブコメ)を政府へと送付した結果、4月18日、大きく内容を変更された省令が公布された。

そこで今回は予定を変更し、この省令成立の経緯と背景、省令案変更の意味について考えてみたい。
(参考:省令案の問題点を指摘した政権ウオッチ編・第56回
『運用は変えない」はやはりウソなのか?改正生活保護法・省令案から見えた厚労省の表と裏』)

国会答弁の「運用は変えない」を具体化した
改正生活保護法省令案

 2014年4月18日、官報に「厚生労働省令第五十七号」が掲載された。この省令は、2013年12月に成立した改正生活保護法に基づき、生活保護法施行規則の一部を改正する内容である。生活保護法施行規則は、生活保護法の運用の実際、つまり生活保護制度の実現のありかたを定める重要な位置づけにある。日本国憲法第25条の生存権規定の精神が、生活保護法によって実体ある制度として実現され、さらに施行規則が「当事者にとっての憲法第25条と生活保護法」を定めている、というわけだ。この厚労省令第五十七号は、たとえば生活保護の申請に関しては、

「保護の開始の申請について、申請者が申請する意思を表明しているときは、当該申請が速やかに行われるよう必要な援助を行わなければならない」

 など、自治体に対して申請権を侵害せず申請を援助することを求める内容となっている。

 しかし、2014年2月17日、「電子政府の総合窓口(e-Gov)」で公開された当初の省令案は、最終的に公布された厚労省令第五十七号とは似ても似つかないものであった。この省令案には、生活保護に関する申請権を実質的に侵害することになりそうな項目など、問題ある数多くの内容が巧妙に含められていたのである。

初めて多数のパブコメが省令案を変えた!

 2013年5月に国会に提出された生活保護法改正案には、申請を要式行為(申請にあたって、必要な書類等を揃えておくことを義務化すること)としないことを明文化する修正(2013年5月)が加えられた。また、2013年5月から11月にわたって繰り返し行われた国会での審議では、「生活保護制度の運用はこれまでと同じ」「運用は変えない」「改正生活保護法の成立後、申請権の侵害につながるような運用を行うわけではない」という内容の政府答弁が繰り返された。

 2013年12月、改正生活保護法・生活困窮者自立支援法が成立した折には、引き続いて附帯決議が行われた。その内容は、生活保護制度が生存の最後の砦であることを認め、ついては申請手続きを要式行為とするなど申請を困難にする運用は行わず、親族による扶養も生活保護適用の前提や要件とはせず、やみくもに経済的自立を迫ることもしない……というものであった。

 しかし、この2月に公開された省令案は、これらの修正・附帯決議・国会答弁等を、まったく無に等しくする内容だった。もちろん、日本弁護士連合会・生活保護問題対策全国会議など貧困問題に取り組む数多くの団体が抗議の声をあげ、省令案に対するパブリック・コメント(パブコメ)の送付を呼びかけた。筆者も本連載で、繰り返し、読者の皆様へ「パブコメを!」と呼びかけた。結果として、3月28日のパブコメ締め切りまでに、1166通のパブコメが寄せられたという。省令案に対するパブコメとしては、例外的に多数だったといってよい。

 過去、パブコメが省令案を変えた実績はなかった。しかし3月7日、田村憲久厚労相は、衆議院での高橋ちづ子議員(共産党)の質疑に対して「パブコメの意見を踏まえて心配のないように対応したい」と答弁。つづいて4月15日、東京新聞は、

 田村憲久厚生労働相は15日の記者会見で、改正生活保護法で実務の大枠を定める厚労省令案について、パブリックコメント(意見公募)の結果を反映させて変更する考えを示した。「必要な修正があれば対応する」と述べた。
 と報道した(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014041501001370.html)。

 そして4月18日、厚労省令第五十七号が公布された。この省令の内容は概ね、改正生活保護法に加えられた修正・附帯決議・国会答弁の内容を具体的にしたものと言ってよい。多数のパブコメが、「省令案を変える」という前例を作ったのだ。画期的な出来事である。

 特に、本連載を読んでパブコメを送付された読者の方々に対して、筆者は心から感謝を申し上げたい。生活保護制度の今後については、事実に基づいた冷静な議論が重ねられる必要があると考えている。議論を重ねる前に強引に既成事実が作られてしまうような動きは、食い止めなくてはならないだろう。お一人お一人のパブコメが、強引な流れを食い止め、再考を促す力になったことは間違いない。

省令案の変更を
喜んでよいのだろうか?

 この数年は、日本の多くの人々にとって、少しずつ生き難さが増すばかりの毎日ではなかっただろうか? 「真綿で首を絞める」という言い回しを実感するような日常ではなかっただろうか? パブコメが省令案を変えてしまったという成果からは、その息苦しい流れを変えられる可能性・状況を打開できる可能性を読み取ることが可能だ。

 しかし筆者の心中には、「確かに、素晴らしい成果であることは間違いないんだけどなあ……?」という疑問もある。

 一時の「ぬか喜び」に終わってしまう可能性を、誰が否定できるだろうか? 少なくとも、手放しで喜ぶことはできない。油断はできない。

 そもそも、実現されたのは、当たり前といえば当たり前のことばかりではないか。成立した法律の条文が、審議のプロセスの中で加えられた修正ともども尊重されること。「守られないもの」と相場が決まっている附帯決議ではあるけれども、必要あって行われたはずの附帯決議の内容が尊重されること。国会で繰り返し政府が行った「運用は変えない」という答弁が反故にされず、その内容が実現されること。国会という立法の場のルール・民主主義の基本的なルールが尊重され、その結果が行政においても尊重されること……。そうではない省令案が当初提示されたこと自体に、大きな問題があったと言うしかない。

 さらに言えば、政府答弁の言う「運用は変えない」が本当なのであれば、そもそも生活保護法を改正する必要はなかったはずだ。政府は「運用は変えない」と言いつつ、「運用を変えたい」から生活保護法を改正すべく働きかけたのである。その「運用を変えたい」は、改正生活保護法の成立後に、「運用を変えよう」となるのが当然の流れであろう。その流れを考えれば、当初の省令案は出て来て当然なのである。

 もう一度、当たり前のことが当たり前に行われる流れを作らなくてはならないのではないだろうか? 省令案1つを食い止めたくらいで喜ぶわけにはいかないのではないだろうか?

パブコメに見る
省令案への賛成意見は?

 寄せられたパブコメの内容や、その内容に対する厚労省の見解は、「生活保護法施行規則の一部を改正する省令(案)に対して寄せられたご意見について」として公表されている。

ここには、1166件のパブコメが寄せられたことは記載されているものの、賛成意見・反対意見がそれぞれ何件だったのかに関する記載はない。また、パブコメ送付者の居住する都道府県や属性(個人か団体か)の分布などは公表しても全く支障ないのではないかと思われるが、そのような情報に関する記載もない(パブコメ送付時には、住所・氏名〈団体・法人名義であればその名称〉・電話番号・メールアドレス等の情報を入力することが求められる)。

 さらに、紹介されているパブコメの内容を見てみると、数は多くないものの、省令案への賛成意見も見受けられる。「少数意見を尊重しつつの多数決」という民主主義の原則からいって、これらの意見を無視することはできないだろう。

 たとえば、申請手続きに関しては、

「申請書による申請は今現在も行っている方法であり問題はないが、むしろ申請と同時に提出すべき書類(銀行通帳、証券、資産に関する書類全て他)を法定化し、義務として提出すべきことを原則化すべき」

 という意見が紹介されている。「さらに厳格に要式行為化すべし」ということだ。この意見に対する厚労省の考え方は、

「(生活保護の)要否判定に必要な書類の提出は可能な範囲で保護決定までの間に行うというこれまでの取り扱いに今後とも変更がないことにつきましては、法令の解釈に関わる事項であることも踏まえ、通知にて明記することとしております」

 という内容である。「国会で政府側が主張した『運用は変えない』という原則に基づくと、そのご意見は取り入れるわけにはいかないんです」という意図を読み取ってよいところであろう。

 また、いわゆる「生活保護バッシング報道」の大きな端緒となった親族の扶養義務に関しては、

「高所得者については、扶養義務を強化すべき」

 という意見が寄せられている。この意見に対する厚労省の考え方は、

「これまでの国会での政府答弁等において説明しているとおり、福祉事務所が家庭裁判所の審判等を経た費用徴収を行うこととなる蓋然性が高いと判断するなど、明らかに扶養が可能と思われるにもかかわらず扶養を履行していないと認められる場合に限り行うことを考えております」

 というものだ。

一部自治体では、すでに、親族への扶養(仕送り)の実質的強制が行われている。現在であれば、福祉事務所に扶養を求められた親族は、相当の経済的余裕があるのでなければ「できないので、しません」と答えればよい。「実は多額の資産があって」「実は見た目よりも非常に裕福で」ということであれば、福祉事務所が家裁に審判を申し立て、扶養が命令されるだけである。であれば、一部自治体で既に実施されている扶養の実質的強制は、いったい何なのであろうか? 政府の目指すところは「司法を経由するというステップを踏まずに、扶養を強制できるようにしたい」ということなのだろうか? そのために、可能な地域から既成事実を作る試みがなされているのだろうか? 「下衆の勘ぐり」と言われようが、危惧しないわけにはいかない。

 しかし、現在のところ政府は、「(筆者注:改正生活保護法の成立にあたっての)国会での政府答弁等において説明しているとおり」、そのような一部自治体の動きに対して、表向きは「親族に対する扶養を一律に強制するのは不適切」という判断を示す程度のことはせざるを得ない状況にある。田村厚労相も、大阪市で扶養の実質的強制が行われている件について

「画一的な対応はしないということでございまして、先ほど来、ちゃんと適用するときには慎重に慎重を期して対応していただくように我々としては助言をさせていただいております」

 と述べている(2014年3月20日、参議院予算委員会における、共産党・辰巳孝太郎議員の質疑に対する答弁)。

 さらに厚労省の考え方を読んでみると、

「これまでの政府答弁を改めることを意図しているものではありません」

「国民の皆様に無用な心配、混乱を生じさせることのないよう、国会審議での政府答弁に合わせた規定ぶりに修正することといたしました」

 とある。

「暴走」と言いたくもなる政府の動きは、国会で行われた数多くの質疑と政府答弁を根拠として、辛うじて食い止められているのだ。

「議会民主主義」という最後の砦

 現在のところ、危惧や懸念を国会議員が「国会での質疑」という形で政府にぶつけることはできる。野党の質疑は、政治的に大きな力とはなれない。結果として危惧や懸念を強化する法案が成立することを妨げるほどの力にはなれない。しかし、政府のホンネがどのようなものであろうとも、国会答弁で「基本的人権の尊重をやめます」「社会的弱者を、さらに困難な状況に陥らせます」と政府側が堂々と主張するわけにはいかないのである。


この仕組みの重要性は、もっと認識される必要があるだろう。異議申し立て・疑問の表明が充分に行われることは、健全な政治・健全な政策実行の大前提だ。さらに、

「異議申し立てを行う人々が存在でき活動できる状況を目標として、選挙での投票行動を行う」

 という選択をする人々が増えてもよいところではないだろうか? 

 筆者は、阪神淡路大震災時の社会党(当時)政権に、大いに失望した。民主党政権にも「裏切られた」という思いがある。共産党には尊敬できる議員もいるけれども、政党としての共産党は支持していない。そもそも自分自身はどのような意味でも共産主義者ではない。筆者が福祉論者であるのは、健全な自由主義競争にとって、充分な社会保障が不可欠であるからだ。しかし、ここ数年の筆者は、

「社民党・民主党・共産党が一定の議席や勢力を失ったら、日本の民主主義はいったいどうなってしまうのだろうか?」

 という危惧を抱き続けている。異議を申し立て、疑問をぶつける人々が存在できなくなった時、たとえば現在でも充分に守られているとはいえない子どもの人権を、誰がどのように守れるというのだろうか?

 ともあれ、パブコメで省令案が動いたのは事実だ。存続さえ危機的状況にあるといってよい生活保護制度の後退は、ほんの少しだけ食い止められた。その背景には、議会民主主義のルールのもとに行われた数多くの議論や、現場での数多くの交渉の積み重ねがあった。

 もちろん、これで油断するわけにはいかない。しかし、この実績を小さな足がかりとして、すべての人の生存権が守り続けられる将来を引き寄せることができる可能性を信じて少しだけ楽観的になることくらいなら、してもよいのではないかと思える。10年後も、30年後も、今日生まれた赤ちゃんが寿命を迎える日にも、生存権が保障されている日本を信じて。

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