ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュのこのままでは当事者が“不正受給予備軍”扱いに 厚労省に有名無実化されかねない生活保護制度

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
http://diamond.jp/articles/-/50147

生活保護のリアル みわよしこ

2014年3月3日、厚労省は「社会・援護局関係主管課長会議」を開催した。この会議は、次年度の生活保護行政が実際にどのように運用されるべきであるかを各自治体の担当課長に伝達する会議である。

改正生活保護法をめぐる国会答弁で何度も繰り返された「運用は変わらない」は、どの程度実現しそうであろうか? 運用のどこが、どのように変わる可能性があるのだろうか? 生活保護制度は、どのように変質させられようとしているのだろうか? 厚労省・課長会議の内容から、その実態を探る。

生活保護制度と戦争の
切っても切れない関係


2014年3月3日に開催された課長会議の様子。会場は厚労省内の会議室。全国の自治体から参加した担当課長たちと傍聴者たち


 2014年3月3日、厚労省は「社会・援護局関係主管課長会議(以下、課長会議)」を開催した。この会議は毎年開催されている定例会議である。この会議には、全国各自治体で生活困窮者支援を担当する課長が参加する。厚労省の担当者から、次年度の困窮者援護に関して、あるべき運用の姿が伝達される。なお、実務を担当する係長を対象とした「係長会議」も開催されている。

 ここで「困窮者援護」に含まれるのは、生活保護のみではない。昨年12月、改正生活保護法と同時に成立した生活困窮者自立支援法による各事業も含まれる。また、忘れられがちではあるが、軍人恩給・中国残留邦人に対する支援・旧日本軍に従軍していて戦死した人々の遺骨収集も、この会議で取り扱われる。

 生活保護法が成立した当時の状況を考えれば、これは少しも不思議なことではない。1946年(昭和21年)に制定・施行された生活保護法(旧法)は、1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)の占領軍指令(SCAPIN403・SCAPIN775)によって、急遽制定された。背景には、終戦直後の日本の深刻な貧困状態があった。生活保護制度と旧日本軍軍人・中国残留邦人・戦死者・戦争障害者・ひとり親世帯(母子世帯)・戦災児童には、共通の背景があるのだ。

 生活保護法(旧法)は、1950年(昭和25年)、近代国家の福祉制度にふさわしい生活保護法(新法)に改正され、施行された。「国家責任」「無差別平等」「最低生活維持」「補足性」の原理は、このときに含められている。これらの原理は、2013年の改正生活保護法においても、あからさまに否定されてはいない。

 余談であるが、1949年(昭和24年)に制定された「身体障害者福祉法」も、一連の戦後処理の流れの中にある。つい最近、「全聾」ということになっていた作曲家が「実際はゴーストライターに作曲を行わせており、しかも聴覚に問題を抱えてはいるものの障害者手帳の交付対象ではなかった」という報道が話題になった。この作曲家をめぐる報道で障害認定基準に初めて接し、「なぜ、こう『ざっくり』としているのだろう?」という疑問を持たれた方々も多いのではないだろうか?

障害認定基準の『ざっくり』ぶりは、実際に身体に障害を抱えた人々が障害者福祉の対象にならなかったり、あるいは適切な福祉サービスや補装具を利用することができなかったりする問題の背景でもある。しかし、1949年当時に想定されていた「障害者」に多数の戦争障害者が含まれていたことを考えれば、当時の状況に対しては、それほど不適切でもなく、少なくとも「ないよりマシ」ではあったのではないだろうか?

 たとえば肢体不自由の認定基準は、離断・切断に関しては具体的かつ詳細であるけれども、機能障害に関しては記載が少ない。マンガ家の水木しげる氏のように肢体の一部を失った戦争障害者を主対象としていたのであれば、昭和20年代当時の状況に対しては、それでも有効だったのであろう。約70年後の現在も同様と言えるのかどうかは、また別の問題であるが。

一応は否定される
「水際作戦」「扶養の強制」

 さて、改正生活保護法で最も注目されているのは、「申請が実際に要式行為化(「必要な書類を揃えて申請しない限り申請は受理しない」という扱い)されるのかどうか」「三親等以内の親族への扶養の強制が実際に行われるのかどうか」の2点であろう。これらの2点については、国会の質疑で政府によって「運用は変えない」と強調されている。また、「要式行為ではありません」「(扶養の強制は)これまで同様、限定的に例外的に行う」という内容の答弁も行われている。

 まず、申請の取り扱いについては、「現行の運用は変えない」「申請権の侵害ととらえられる行為は厳に慎むように」と口頭で強調された。口頭で強調されたのみならず、配布された資料(15ページ目下部)にも、

「申請の法定化は、第29条(関係先調査)の改正に合わせて、申請時の確認事項についても法理上明確に位置づける必要があるという法制的な観点から規定したもの。

→ この法改正によって、申請事項や申請様式をはじめ、事情がある方について認められている口頭申請についても、現行の運用を変えるものではない。

→ 言うまでもなく、保護の相談に当たっては、相談者の申請権を侵害しないことはもとより、侵害していると疑われるような行為も厳に慎むこと」

 とある。

「改正生活保護法の修正案や国会答弁が反映されている」

 と見ることもできる。しかし省令案は、前回その問題点を述べたとおり、申請権を担保したものとなってはいない。

 では、扶養に関してはどうだろうか? 

前掲PDFの28ページには、

「扶養の照会は現在でも行っているが、この通知及び報告徴収の対象となり得るのは、福祉事務所が家庭裁判所の審判等を経た費用徴収を行うこととなる蓋然性が高いと判断するなど、明らかに扶養が可能と思われるにもかかわらず扶養を履行していないと認められる場合に限ることとし、その旨厚生労働省令で明記する予定である。さらに、通知等で参考とすべき考え方を示す予定である(以下略)」

 とある。これもまた、国会答弁が反映されたものと見ることができる。しかし省令案の該当部分を見ると、ほぼ「親族が困窮している場合・申請者がDV被害者である場合に限定して、通知・扶養照会を行わない」という内容になっている。親族の困窮状態やDV被害者であるかどうかを判断するのは、福祉事務所側である。つまり「原則として通知と扶養照会を行う(例外はあるけれども)」ということだ。

 なお、生活保護問題対策全国会議は、省令案のこの部分について、

「これらの規定の適用場面については、前記「生活保護関係全国係長会議資料」において、「福祉事務所が家庭裁判所を活用した費用徴収を行うこととなる蓋然性が高いと判断するなど、明らかに扶養が可能と思われるにもかかわらず扶養を履行していないと認められる極めて限定的な場合に限ることにし、その旨厚生労働省令で明記する予定である」と記載され、25年5月31日衆議院厚生労働委員会にて村木局長(当時)も同趣旨の答弁をしていた。

 つまり、原則として通知や報告要求は行わず、これらを行うのは「家裁を活用した費用徴収を行う蓋然性が高いと判断される」極めて例外的な場合に限るものとしていた」

 と国会答弁の内容を紹介したうえで、

「省令案は、原則と例外を完全に逆転させ、原則的に通知や報告要求を行うが、通知等を行わない例外的場合として(筆者注:「DV被害者」などの具体的内容)を規定する方法をとっている。つまり、実施機関が(筆者注:具体的内容)の場合であると積極的に認定した場合以外においては通知を行い、報告要求も行うことになる。家裁を使った費用徴収を行うか行わないか判断しかねる場合、国会答弁では、通知や報告要求をしないはずであったが、省令案を前提とすれば通知や報告要求を行うべきこととなる。

 これでは、「極めて限定的な場合に限る」という説明や答弁が全くの虚偽であったということになり到底容認できない」

 と批判している(http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-195.html)。

厚労省は何を重視しているのか?
不正受給対策の強調に感じる疑問

 課長会議を傍聴し、資料の全体に目を通してみた筆者には、申請権の保障・親族の扶養を強制されないことに対して、そもそも厚労省は関心を持っていないようにも見える。いかに口頭で、それらが強調されたとしても。

 前掲PDFの3ページに、改正生活保護法の「主な改正内容」として取り上げられているのは、下記の4点である。

1.就労による自立の促進
2.健康・生活面等に着目した支援
3.不正・不適正受給対策の強化等
4.医療扶助の適正化

 この4項目のそれぞれは、決してあって悪いものではない。就労できずにいる状態は、働く権利を奪われている状態でもある。心身の健康・健全な生活習慣が維持されていることは、最低限度といえども文化的な生活を営むために重要なことであろう。不正・不適正受給は、ないにこしたことはない。医療扶助をブラック医療ビジネス的に利用することも、あってはならない。

 しかし、当事者の申請権が保障されていてこその生活保護制度である。生活保護制度によって当事者の生活が保障され、当事者の親族の生活や幸福追求が妨げられないからこそ、生活保護制度は機能するのである。この2点がおろそかにされつつ、就労自立・本人の努力・不正受給対策・医療扶助の適正化が強調されることを、筆者は納得できない。

 前掲PDFの37ページから41ページにかけては、不正・不適正受給に対する制度としての対応が詳述されている。記載内容はほぼ、

「どのような手順と手続きによって生活保護法第78条を適用するか」

 である。強化された調査権限によって、どのように・どこに調査が行うかなどが、詳しく述べられている。この「生活保護法第78条」とは、不正受給に関する規定である。一方、生活保護法第63条(費用返還義務)については、資料内に記載を見つけることができなかった。

の課長会議資料の記載に従えば、自然な解釈は、

「たとえば収入申告の義務を知らされていなかった生活保護世帯の高校生が、バイト代の申告を行っていなかったら、収入申告漏れとして第78条を適用する」

 となる。悪意がまったくないケース・単なる無知や情報不足にもとづいているケースでは、以前は最初から第78条を適用されて不正受給とされることはなく、最初の1回や2回は第63条が適用されていたのである。しかし近年、どのような背景があっても、どのような生活保護当事者であっても、いきなり第78条を適用される事例が増加している。

 この課長会議資料の記述は、「これからは、例外なくそうしてください」ということではないのだろうか? たとえば収入申告漏れがあった場合、本人が悪意でも故意でもなかった可能性・本人の落ち度とは言い切れない可能性を一切考慮せず、「収入申告漏れだから不正受給」という扱いをするということではないのだろうか? もしそうであれば、生活保護当事者に対する徹底した「性悪説」と見るしかないであろう。

生活保護制度は
「福祉」の制度ではなくなる?

 筆者には、この課長会議資料や省令案によって、生活保護法新法に含まれていた4つの原理「国家責任」「無差別平等」「最低生活維持」「補足性」が少しずつ骨抜きに、有名無実にされて行こうとしているかのように思えてならない。さらに、不正・不適切受給の事例もあることを理由として、生活保護当事者を不正受給予備軍であるかのように扱い、監視の対象とする動きも強まっている。

 今、生活保護制度は、福祉の制度でも社会保障制度でもなくなろうとしているのではないだろうか? 現在のところ、法的にも表面的にも社会保障制度の一部であり、「最後のセーフティネット」という装いにはなっている。けれども実際には、生活保護を利用するしかないところまで追い詰められた人々を、国・行政による公認のもと、差別的な扱いの対象にするための制度となろうとしているのではないだろうか?

 ただでさえ脆弱な日本の社会保障制度を、これ以上後退させてはならない。そのために現在最も重要なのは、生活保護制度を改悪・後退させないための努力であろう。どうか、省令案へのパブリック・コメントを、「ちょっと待った!」の一言だけでもお送りいただきたい。

コメント(1)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。