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生活保護者の集いコミュの生活保護法改正案の「扶養義務強化」が 障害者にもたらす破壊的ダメージの中身

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http://diamond.jp/articles/-/41290
ダイヤモンドオンライン 生活保護のリアル みわよしこ

2013年6月に廃案となった生活保護法改正案は、再度、国会に提出されて審議される可能性がある。2013年7月に参議院・衆議院の「ねじれ」が解消したため、今回は廃案とはならず、成立する可能性も高い。改正案に含まれていた「扶養義務強化」は、特に障害者たちにとって、どのように破壊的な可能性を持っているだろうか?

廃案となった生活保護法改正案
問題は「水際作戦」だけではなかった

 2013年5月に国会へと提出され、6月に廃案となった生活保護法改正案で、最大の問題となっていたのは、一言でいえば「水際作戦の法制化」であろう。つまり、生活保護の申請を困難にし、申請をさせなかったり、断念させたりしようとすることであった。

 現在の生活保護法では、福祉事務所を訪れて口頭で「申請したい」と意思表示するだけでも、住所・氏名等の必要事項とともに「申請したい」という意思を記した書面を郵送するだけでも、法的に申請として有効である。もっとも、このような形態での申請を「申請」と認めない運用、いわゆる「水際作戦」を行う福祉事務所も少なくないのだが、現行の生活保護法では、そのような運用の方が違法である。

 ところが改正案は、さまざまな添付書類とともに申請書を提出することが要件化されており、特にホームレス・DV被害者などの生活保護申請を、極度に困難に、実質的に不可能にしかねない内容となっていた。文字通り「生きるか死ぬか」という状況にある人々が申請も行えなくなるのは、非常に重大な問題である。そこで、改正反対運動は主に、この「水際作戦法制化」の側面を争点として展開された。これらの働きかけを受け、改正案は一応、「申請の要件を緩和することができる」という内容の文言を含むものに修正されてはいた。

 改正案には、その他にも、数多くの問題点が含まれている。再度の生活保護法改正案が、どのような形で国会に提出されるのかは今のところ明確ではないが、今回は、「扶養義務強化」を焦点として、特に障害者にとって「親族の扶養義務」が持つ意味を考えてみたい。

 2012年4月に持ち上がった、いわゆる「生活保護バッシング」のきっかけは、お笑い芸人の河本準一氏の母親が生活保護を受給していたことであった。当時、年収5000万円とも伝えられる河本氏が「母親を扶養していない」と報道され、問題視されたのである。その後、公務員の親族が生活保護を受給しているケースもあることが報道されたりもした。

 これらの報道によって、「扶養義務強化」については、

「親族を扶養する能力が充分にあるにもかかわらず、扶養する義務を果たしていない人の問題」

 という理解が一般的になっている。その一般的理解は、実態を反映しているだろうか? それ以前に、「親族を扶養する」は、「当然の義務」であるべきなのだろうか?

「家や施設を出て地域で暮らしたい」
障害者自立生活運動と生活保護の関係

 かつての日本の障害者は、充分な教育を受けることもできず、したがって就労することもできず、親とともに家で、親亡き後は施設や病院の中で生涯を送る以外の選択肢を持たないことが多かった。長年にわたる障害者たちの運動によって、その状況は徐々に改善されてきてはいるけれども、現在も「家族と離れたい」「施設や病院から出たい」という希望を持ちながら、その希望を叶えられずにいる障害者は少なくない。

 本連載政策ウォッチ編・第33回で紹介した生活保護当事者の須釜直美さんは、生まれつきの重度障害により、母親からの暴力・ネグレクトにさらされて生育した。養護学校といえども通学が可能な身体状況ではなかったので、訪問指導という形で、きわめて不完全な義務教育を受けた。重い障害を持ち、教育も充分でない須釜さんが就労収入を得ての経済的自立を実現することは、現実の問題として、極めて困難と考えられる。

 須釜さんは、施設に3年ほど入所して生活訓練を行った後、生活保護を利用して、単身で、アパート暮らしを続けて現在に至っている。須釜さんは生き生きと毎日を送っており、豊かな人間関係の中で、さまざまな意味での社会生活を営んでいる。もし、須釜さんに「生活保護を利用しての地域生活」という選択肢がなかったとしたら? 須釜さんを実質的に育てた父方祖父母亡き後は、虐待する母親のいる原家族で過ごし、親亡き後は施設で生涯を送るしかなかっただろう。

 障害者が障害によって失う機会は、就学・就労以外にも、実に数多い。「地域で暮らす」という選択肢を障害者から奪い取ることは、障害者から「『今日の夕食にはアジの開きが食べたい』と考え、調理して食べる」「生活をしやすくするための数多くの工夫を自分で行う」「近隣の人間関係に悩んで解決方法や折り合いを考える」といったさまざまな機会、障害のない人にとっての、時には疎ましい「あたりまえ」の生活を奪い取るということだ。

 生活保護制度は、極めて不完全ながら、障害者たちに対して「地域で『あたりまえ』の生活をする」機会を提供し、支えてきた。その背景には、障害者たちが1960年代から粘り強く展開してきた障害者自立生活運動があった。ここでいう「自立」の内容は、「誰の助けも借りない」ということではなく、「自分の生活、自分の人生を、自分で選びとる」ということである。この「選びとる」の中には、必要なら他人の助けや制度の支援を得ることも含まれる。「生活保護を利用する」も、「自立」の一環として選び取られてきている経済的「自立」の手段の1つだ。

 しかし、廃案になった改正案のとおり、親族の扶養義務が強化されてしまったら、どうなるだろうか? 障害者は結局のところ、「親が生きている間は親の家で、親亡き後は施設で」という生活に戻るしかなくなってしまうのではないだろうか? 特に、障害者であることに対して何の「自己責任」もないのに、幼い時からの障害の場合、「あたりまえ」を奪われた生活を強いられ続ける。このようなことが当然とされていた1960年代以前の日本に戻ってしまってよいのだろうか? そもそも、「家か施設へ」という障害者への扱いは、どこが問題なのだろうか?


障害者の存在を「見えなくする」
それ自体が“障害者差別”

尾上浩二(おのうえ・こうじ)氏 1960年大阪に生まれる。小学校を養護学校、施設で過ごした後、普通中学・高校へ進む。78年大阪市立大学に入学後、障害者問題のサークル活動をきっかけに、自立生活運動に取り組み始める。2005年通常国会、2006年臨時国会で、障害者自立支援法に関する参考人として意見陳述。現在、DPI日本会議事務局長、障害者政策委員会委員。他に自立生活センター・ナビ運営委員等。

 長年、日本の障害者自立生活運動をリードしてきたDPI(障害者インターナショナル)日本会議・事務局長の尾上浩二さんは、

「今までの障害者施策って、家族依存ですよね。家族とは、実質的には親のことで、その親が高齢になったり亡くなったりすると、施設に行くことになります」

 と語る。その通りである。広く社会的に評価される活動をしている障害者たちの生育歴には、献身的な母親と、その母親の献身を支える経済力を家庭にもたらす父親が存在していることが多い。その両親が中心となって、その障害者たちは障害児時代に充分な支援を受けて学校生活を送り、充分な教育を受けることが可能になり、広く評価される障害者たちが生まれるのである。

 筆者自身が、中途障害者になってから国立大学の大学院博士課程に在学していた経験からも、「献身的な親あってのこと」という側面は大きく感じられる。その大学は、障害学生支援に非常に注力している大学の1つであり、多数の障害学生が在籍している。しかし、その障害学生たちがアパート等での生活を含めて学生生活を全うし、さまざまな活躍をしている背後には、献身的な両親の存在がある。筆者も、「頭の下がるような」と形容したくなるような親たちを数多く見てきた。逆に言えば、そのような親に恵まれなかった多くの障害児たちは、心身とも健康に生育することも、充分な教育を義務教育レベルといえども受けることも難しく、「国立大学の入試を突破して大学生になる」ところまでたどりつくことができずにいるのである。

 話を尾上さんに戻そう。現在のところ、親なくては、家族の献身なくては、障害者の活躍はありえないという現実がある。その現実が現実であることは、認めざるを得ないのだが、何が最大の問題なのだろうか? 施設だって、障害者施設が「しかたなく押し込められる悪条件の場」ではなく、たとえばホテルのように障害者の社会活動を支える場になれば済む話ではないのだろうか?

「親がかりの在宅や、障害者施設への入所では、私たちが求める解決にならないんです。障害者が、家や施設の外の、障害のない人からは見えなくなったり、見えにくくなったりします。その『見えなくすること』が差別なんです」(尾上さん)

 尾上さん自身は、1960年に大阪で生まれた。生まれつきの脳性麻痺で下肢が不自由だった尾上さんは、小学校時代は養護学校に通学したり、障害児のための施設に入所して施設内の小学校で教育を受けたりした。中学校からは、地域の中学校に通うことを強く希望した。その希望は叶えられたものの、学校や教員たちからは必要な配慮や支援を「全く」といってよいほど受けられなかった。クラスメートたちの友情に支えられて中学校・高校生活を送り、大学に進学し、大学時代から障害者自立生活運動に取り組み始めた尾上さんは、障害者団体の事務局に勤務したり、政策検討に参加したりして、現在に至っている。

「夜間中学に行きたい」という
障害者の希望を支えた生活保護制度

DPI日本会議Webサイト。DPIは、障害者をとりまく問題に、人権の問題として・社会の問題として取り組む障害当事者たちの国際団体であり、国連の諮問機関でもある
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「1990年代には、『障害者を施設に入所させることは、本人にとって幸せ』という都市伝説がありましたね。風光明媚、すなわち人里離れた場所にあり、夏は涼しく冬は暖かい屋根の下にいられて、医療・介護を提供するスタッフがいて、食事が出てきて。障害者はそういう場所で暮らすことが幸せなんだという」(尾上さん)

 1990年代までだろうか? 現在も、そういう考え方は根強く残っていると筆者は思う。年配の人々がそう考えているだけではない。20代や30代でも、「障害者や生活保護当事者は、そのような人々だけを集めた場所で過ごすことが本人の幸せ」と考えている人々は少なくない。その人々は、理由については、「そのようなマイノリティに対する理解のある施設であり、仲間がいて、必要な支援が受けられるから」とも言う。「一生懸命生きている自分たちの『世間』にマイノリティがいると面倒くさいから、どこかに閉じ込めておきたい」という本音を、どこかで背負っている意見かもしれないが。

「1993年に、『施設を出たい』という重度障害者に、相談を受けたんです。その人は、20年ぶりに施設を出て、夜間中学に行きたかったんです。障害児が『あたりまえ』に就学免除を受けていた時代に育った人ですから、義務教育も受けられなかったんですよ」(尾上さん)

 夜、ちょっと散歩して夜風に吹かれたかったら、外出する。文化施設や教育機関に行きたかったら、行って参加する。夜遊びしたかったら、居酒屋やカラオケボックスに行く。健常者なら誰もが享受している「あたりまえ」。しかし、そんな自由はないのが、障害者施設だ。

「その人のご両親は、とうに亡くなっていて。お兄さんが1人いたんですけど、そのお兄さんとも入所以来会ってなかったんです。施設にいる障害者が、家族と絶縁状態になっていることは少なくありません」(尾上さん)

 兄は、その人が施設を出ることに反対だった。施設を出たら、どうやって生活するのか。障害者の生活支援に関する制度化が不十分だった当時、障害者の生活は、障害者自身が募集したボランティアに支えられていることが多かった。兄は、

「今はボランティアに囲まれていい気になっているかもしれないが、いずれ逃げられる。その時に泣きつかれても、自分にも家族や仕事があるから、何もしてやれない。今、せっかく、1日面倒みてもらえる施設にいるんだから、その方がいいではないか」

 と、その人に言った。そして尾上さんに、

「お前らが、かどわかすから!」

 と怒ったそうだ。



「ご本人の自立への思いを、お兄さんは知らなかったし、分からなかったんですね」(尾上さん)

 結局、兄弟での話し合いの結果、

「どんなことがあっても、兄を頼ることはしません」

 という念書を、その人が兄に提出することで、反対する兄をなだめることができた。

 さて、その人が施設を出て地域生活を始め、慣れたら夜間中学にも通うには、生活保護を利用するしかない。現行生活保護法では、親族による扶養義務は、夫婦間・未成年の子に対する親を除き、「余裕があって、扶養したいという意志があれば、小額でも扶養してください」という程度にしか求めていない。その人が生活保護を申請すると、兄に「扶養できませんか」という照会状が送られるが、兄が「扶養できません」と返事して返送すれば済むことであった。尾上さんたちは、

「照会状がありますけど、お兄さんの方で返事を書いてもらったら、私たちの方で手続きを支援しますから」

 と兄を説得した。そして、その人の「施設を出て自立生活、さらに夜間中学へ」という夢は叶った。

生活保護の「無差別平等」の意味を
改めていま、考えるべき

「6月に廃案になった生活保護法改正案は、親族扶養に対する証明書とか、申請するときの書類とか、ゴチャゴチャ要求してたじゃないですか。障害児や障害者が教育を充分に得られず、結果として就労、充分な収入の得られる就労も得られない。だから、障害者が生きる権利を保障するために、生活保護があるんです」(尾上さん)

 でも、改正案は、また国会に提出されるかもしれない。昨年12月に自民党政権が成立し、7月には参院・衆院とも、自民党が与党になった。

「もう、『どの党だから』ということではないと思います。6月に成立した障害者差別解消法も、党も派閥も越えた、数多くの理解ある議員さんたちの障害者問題への思いがあって、成立しました」(尾上さん)

 生活保護問題については、「真に困っている人」だけを助ければよい、という見方も強い。そして、障害者は「真に困っている人」と考えられやすい。そのことについては?

「その『真に困っている人』を、誰かが選ぶとしたら、それは『生きてよい人なのか、生かしておく価値のない人なのか』に関する選別ですよね。生活保護の『無差別平等』の意味を、良く考えてみるべきだと思います。生活保護が『無差別平等』でなくなったら、障害者も含めて、恣意的な切り捨てが次から次に起こるでしょう」(尾上さん)

 そもそも、障害者だから困っているとは限らないし、困っている人が障害者であるとも限らない。働いている障害者もいるし、合理的配慮があれば働ける障害者もいる。就労にかぎらず、幅広い意味での社会参加を重層的に支える支援の仕組みが、すべての人に対して開かれていれば。そのための、生活保護制度であれば。筆者は強く、そう思う。

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