ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

生活保護者の集いコミュの“生活保護法改悪案”成立に水を差すことができるか 日弁連による「もう1つの改正案」の内容

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
http://diamond.jp/articles/-/41646

ダイヤモンドオンライン 生活保護のリアル みわよしこ

*画像については、転載しても小さいため、PCにて、原本をお読みください

2013年10月に開催が予定されている臨時国会で、6月にいったん廃案となった生活保護法改正案と生活困窮者自立支援法案の再提出が予定されている。政府案以外の選択肢は考えられないだろうか?

今回は、日弁連の改正案をもとに、生活保護法・生活保護制度の問題点がどう解消されるべきかを考えてみよう。

間近に迫る
生活保護法改正案の再提出

 2013年7月、参院選で自民党が圧勝した。生活保護問題に関心を向ける人々は、6月に廃案となった生活保護法改正案が国会に再提出され、今度は成立する可能性を危惧していた。その日は、遠くないかもしれない。

 2013年9月11日、「田村憲久厚労相が、生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案の早期成立に対する意欲を語った」という内容が、全国で報道された。北海道新聞によれば、以下のとおりである。

厚労相、生活保護関連2法案の早期成立目指す
(09/11 21:11)
 田村憲久厚生労働相は11日、生活保護の不正受給に対する罰則を強化した生活保護法改正案と、生活困窮者向けの自立支援法案を、秋の臨時国会のできるだけ早い段階で成立させたいとの考えを示した。視察先の埼玉県ふじみ野市で記者団の質問に答えた

 田村氏は「生活保護に入らない、または脱却するという意味で2法案は重要な役割を果たす」と強調。経済財政運営の指針である「骨太方針」に盛り込まれた生活保護の支給水準見直しについては「検討すべきものは検討しないといけない」とも述べた。

 政府案の問題点については、本連載で何度か指摘してきた。今回は、代替案の1つとして、日弁連(日本弁護士連合会)による「生活保障法案」を紹介したい。

現行生活保護法は
何が問題なのか?

 生活保護法の改正の必要性を感じているのは、政府だけでも、保守的な日本国民だけでもない。生活保護法旧法(昭和21年施行)と生活保護法新法(現行法、昭和24年施行)は、戦後まもない時期、文字通り「国民の生存を守る」必要性から生まれた。なお、生活保護法(旧法および新法)は、日本に公的扶助が必要であることを指摘した占領軍指令によって検討され始めたことと、現在の日本の社会保障の枠組みが米国からのスタッフたちの参画によって作られたことを、ここに特筆しておきたい。広島と長崎に原爆攻撃を行った当時の米国からも、日本の社会保障や公的扶助の貧弱さは、問題視されていたのである。

しかし、成立から60年以上の時間が経過すれば、時代にそぐわない部分も現れてくるのは当然のことだ。まず、日本全体が戦後の混乱から脱却し、高度成長期に向かおうとすると、生活保護制度が救済しようとする「貧困」の内容が問題になった。戦後まもない時期に問題になったのは「絶対的貧困」に近い貧困であったが、国民全体の生活が向上すると、「相対的貧困」の方が問題になるからだ。

 生活保護法の枠組みの中で、「(生活保護世帯も含めた)国民生活向上」という観点から、生活保護基準には改定が続けられた。しかし高度成長期も、結局、生活保護基準は「豊かさ」から取り残されたままであった。この時期、いまだ入浴もままならない人々がおり、経済的理由から病気の治療を断念して死を選ぶ人々もいたこと、厚生省(当時)がそれらの問題に真摯に取り組んでいたことは、本連載・政策ウォッチ編第36回で紹介したとおりだ。

 この他にも、数々の問題がある。公的扶助がなければ餓死するしかない人々が多数存在した時期には、公的扶助は文字通り「生活保護」であっただろうし、また、「生活保護」でよかったのだろう。しかし、「強者が弱者を、弱者であると認め、保護する」という枠組みは、その「保護」が必要な弱者の尊厳をいたく傷つける可能性がある。社会的弱者を含め、すべての人に尊厳があり、さまざまな意味での「自立」を実現する能力があることを前提として公的扶助を考えるならば、そもそも、この「(生活)保護」という考え方や名称が不適切かもしれない。

 では、日弁連案(PDF)について、内容の概略を見てみよう。

「生活保護」ではなく「生活保障」
その目的と対象者とは?

日弁連が用意している、生活保障法の解説パンフ。表紙を含めて4ページのダイジェスト版だ


 まずは名称だ。「名は体を表す」と言うではないか。

 日弁連案の改正案では、名称が「生活保護法」ではなく、「健康で文化的な最低限度の生活の保障に関する法律(略称:生活保障法)」となっている。趣旨は、憲法第25条に定める「健康で文化的な最低限度の生活」を具現する法律であることを明確にすること、生存権の権利性を明確にすること、「困窮者を保護する」という「上目線」ではなく、すべての人が持っている生存権を保障することである。

 以下、日弁連案を「生活保障法」とする。

 現行生活保護法第1条では、目的に関して

「(前略)生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」

 と述べられている。生活保障法は、

「(前略)国が生活に困窮するすべての者に対し、その困窮の程度に応じ、必要な生活補償給付を行い、その健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、その自立を支援することを目的とする」

 としている。さらに、自立を就労自立に限定せず、日常生活での自立・社会生活での自立を含むこと、「自立」を本人の意に反して強制することはできないことを明確にしている。

 ここで「在日外国人に対しても保障を行う」を問題視する方々も多いことであろう。筆者の意見は以下のとおりである。

・現在、生活保護を利用している在日外国人の多くは、永住権を持っており、日本で就労し、日本に納税してきた高齢者である。年金受給資格がなかったり(在日外国人の年金加入が実質的に認められたのは1986年)、あっても低額の年金しか受給できなかったりするため、生活保護以外に生存の手段を持たない。日本に対して就労の義務も納税の義務も果たしてきた人々が、日本国によって基本的人権を保障されないとすれば、その人々の国籍がどこであろうが、先進国としておかしい。

・さまざまな手段で不法に日本に滞在して生活困窮に至ったり、生活保護を目的として日本に入国したりする在日外国人もいる。「日本に滞在してシングルマザーになれば生活保護で生きていける」「日本で生活保護を受給すれば医療が受けられる」という人々が、ときどき、大きな問題として報道されることもある。しかし、日本の難民認定が「ほとんど無理」に近いレベルで厳しく、日本が非常に少数の難民しか受け入れていない事実を考えるとき、「そういう形で先進国の当然の義務を果たさせられている」と考えることもできる。

同じ“申請主義”でも性質は異なる
「水際作戦禁止」の明文化へ

 生活保護制度の問題点の1つは、「申請主義」だ。生活困窮者に対して自動的に

「あなたは、収入が少ないようですから、扶助を開始します」

 と、生活保護費が振り込まれることはない。この申請主義が、申請を行わせず生活保護に至らせない「水際作戦」の温床となっている。

 生活保障法も、申請主義である。

「本人が必要だと感じていないのに扶助を開始するとは、本人に対して失敬」

 という観点なのかもしれない。しかし、

「申請する権利を侵害してはならない」
「何人も自由に手に取ることができる場所に(略)申請書(略)を据え置かなくてはならない」
「厚生労働大臣は、何人に対しても(略)健康で文化的な最低限度の生活水準が保障されているか否かを、毎年1回調査し、国会に対して報告しなければならない」
「周知徹底するため必要かつ充分な広報を実施しなければならない」

 など、幅広く、強く、権利性を保障する。また、その実行を求める。さらに、24条に「申請権の保護」項目が新設され、そこでも申請権が具体的に保護されている。


「親族の扶養義務」は
先進国標準並みに

 2012年4月に始まった、一連の「生活保護バッシング」においては、親族の扶養義務が問題となっていた。生活保障法では、この問題はどうなっているだろうか?

 第4条(生活保障給付の補足性)は、現行生活保護法と同様、

「(困窮者が)その利用し得る資産、能力その他を、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」

 としている。さらに

「ただし、健康で文化的な最低限度の資産を保有していることは、給付の開始を妨げない」

 とし、現在の生活保護制度に含まれている

「受給資格を満たした時には、利用できるものは利用し尽くしているので、経済的自立への道のりが極度に困難になる」

 という問題を解決しようとしている。また、「働こうという意志さえ持てない人に対してこそ、福祉的対応が必要である」という観点から、

「申請者が稼働能力を有する場合であっても、その具体的な稼働能力を前提とした上、申請者の具体的な生活環境の中で実際にその稼動能力を活用できるかどうかにより判断すべき」

 とし、たとえば「職務経歴や職業能力はあるが、現在はうつ病で就労していない人に対して、就労へのプレッシャーをかけて自殺に至らせる」といったことを抑止しようとしている。

 さて、「利用し得る資産、能力その他」には、親族による扶養が含まれる。生活保障法では

「配偶者及び未成年の子に対する親の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による生活補償給付に優先して行われるものとする」

 としており、それ以外の親族に対しては扶養を求めていない。たとえば、親による未成年の子どもの扶養に関する記述に対しては、「問題のある親から子どもの人権を保障するという点ではどうなのだろうか?」という疑問も感じるところだが、配偶者や親に対して、現行生活保護法よりも強い責任を求めていると見ることもできる。

不正受給対策は?
貧困ビジネス対策は?

 生活保障法は、不正受給や「貧困ビジネス」に対しても目配りを怠っていない。78条と78条には、現行生活保護法と同等の不正受給へのペナルティが定められている。具体的には、

78条
「不実の申請その他不正な手段により生活保障給付を受け、又は他人をして受けさせた者があるときは、生活保障給付費を支弁した都道府県又は市町村の長は、その費用の全部又は一部を、その者から徴収することができる」

 とある。79条も、現在と同等の「悪質な貧困ビジネス対策」となっている。

充実した自立支援も用意

 生活保障法の第17条(自立支援給付(現行生活保護法の「生業扶助」相当))と第27条(指導及び指示)には、自立支援の方法と手段が、具体的に示されている。17条の2(自立支援計画)を見てみると、

「1. 生活保障給付の実施機関は、利用者の自立を体系的に支援するために利用者別に自立支援計画を作成し、それにより生活保障給付を実施しなければならない。

2. 生活補償給付の実施機関は、利用者の自立条件の変化と生活保障給付実施の結果を定期的に評価して必要な場合は自立支援計画を変更しなければならない。」

 とあり、現在の生活保護法での就労指導よりも具体的、かつ効果を期待できる自立支援が意図されている。


現在の生活保護法の自立支援策は、確かに「自立の助長」を具体的に定めていない。生活保障法は、本人の人権保障という観点から、自立支援のありかたを具体的に規定している(全文)


生活保護当事者に不公平感を持つ
「ワーキングプア」はどうなる?

 公的扶助を生活保障と呼ぼうが生活保護と呼ぼうが、それだけでは解決しないのはワーキングプアの問題だろう。

 生活保障法では、公的扶助の枠組みの中に、ワーキングプアに対する支援を盛り込んでいる。具体的には、ワーキングプアに対し、住宅給付・医療給付(現行生活保護法の住宅扶助・医療扶助)の単給を制度化している。

 現在も、これらの単給は制度化されている。たとえば現行生活保護法の第14条には、

「住宅扶助は、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して」

 と定められている。第15条には、医療扶助について同等の規定がある。「困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者」とは、収入が生活保護基準に満たない人々ということである。

 生活保障法では、住宅給付・医療給付の単給に対して、条件を

「(前略)世帯の収入が(略)最低生活費の10分の13を下回る場合(後略)」

 としている。「所得」でなく「収入」でよいのか? 10分の13で充分なのか? といった疑問はあるけれども、これが実施されれば、ワーキングプアが生活保護を利用している当事者に対して抱いているといわれる「不公平感」はは解消されるであろう。ワーキングプアも、限定的に扶助を利用することが容易になるので、現在より生きやすくなるであろう。さらに、制度を利用するワーキングプアは、生活保障法の強力な自立支援体制を利用できるのである。 


現在の生活保護法への追加ばかりではなく、削除される項目もある。生活保護法29条の2(行政手続法の適用除外)は削除(全文)

「先進国標準」の公的扶助とは?

 以上、生活保障法の

「権利を強く保障し、義務もやや強く求める」

 という性格を、駆け足ながら紹介した。権利を保障されていなければ、義務も果たしようがない。国が国民に義務を求めるのならば、その前に、求める義務以上の権利を保障するのが当然である。この観点から、ぜひ全文を読んでいただきたい。

 筆者から見れば、これでやっと「先進国標準の公的扶助」である。最も傷つきやすい、あるいは既に傷ついた人々をさらに痛めつけるのは、先進国の態度ではない。「アメリカは」「イギリスは」と、公的扶助の貧弱な部分や困窮者の悲惨な状況ばかりが日本に紹介される傾向にあり、そのいくぶんかは当たっているけれども、たとえば現在の米国は、日本人がイメージするのと同じ意味での「低福祉」の国というわけでもない。

 9月8日、2020年の東京オリンピック開催が決定し、日本にはさまざまな意味で注目が集まっている。オリンピックが近くなれば、国際的に批判されやすい法案は成立させにくくなるだろう。政府には、「今、生活保護法改正案を成立させなくては、後がない」という焦りがあるのかもしれない。勘ぐり過ぎかもしれないが。

 既に日本の公的扶助は、国際社会から「あの豊かな先進国で?」という意味で注目を集めている。この5月には、国連から勧告も行われている(経済的・社会的および文化的権利に関する委員会 第50会期に採択された、日本の第3回提起報告書に関する総括所見)。そこには、

「生活保護の申請手続きを簡素化し、かつ申請者が尊厳をもって扱われることを確保するための措置をとるよう、締約国に対して求める。委員会はまた、生活保護につきまとうスティグマを解消する目的で、締約国が住民の教育を行うよう勧告する。」

 とある。さらに、次回に実施の報告を要求している。政府の生活保護法改正案は、この所見に対して、いかがなものであろうか? 

 なお筆者の私見であるが、「申請者が尊厳をもって」「生活保護につきまとうスティグマ」には、生活保護基準も密接に関係している。生活保護基準が、「尊厳」の裏付けにならず「スティグマ」を強化する金額であれば、他のどのような施策も意味を持たないからだ。

 筆者は正直なところ、生活保護に関する最大の問題は、法案というよりは国家予算だと考えている。貧困の拡大を「国家の一大危機」と考え、充分な予算を確保しなければ、「生活困窮者自立支援法案」をはじめとする代替案さえ機能しないだろう。逆に、予算さえ確保されていれば、現在の生活保護法にも充分に、「自立の助長」の手段として機能させる余地がある。

「卵か鶏か」ではあるが、予算確保のためにも法的位置づけは非常に重要だ。現在の生活保護法が改悪された後で予算を問題にしても意味は薄れるので、引き続き、生活保護法改正案の成り行きに注目し続けたい。


コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

生活保護者の集い 更新情報

生活保護者の集いのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。