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生活保護者の集いコミュの自民党圧勝で“切り捨てられる”危機感も 生活保護を利用する重度障害者の「これから」は?

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http://diamond.jp/articles/-/39329

7月21日に行われた参院選は65議席を獲得した自民党の圧勝に終わった。8月1日からは生活保護基準の引き下げが実施される。しかし、政情がどのように動こうが、生活保護当事者たちは生存と生活を続けるしかない。

今回は、重度障害のため生活保護以外の選択肢がない1人の女性の日常・これまで・将来への思いを紹介する。生活保護政策の変化は、生活保護基準の引き下げは、どのような人に、どのような影響を与えるのであろうか?

NPOで活動しながら生活保護を利用
ある重度障害者の日常


須釜直美さんは、さまざまな活動に電動車椅子で駆けつけ、積極的に参加する(須釜さん提供)
 東京都・多摩地区に住む須釜直美さん(45歳)は、22歳の時から生活保護を利用している。

 生まれつきの骨形成不全症を持つ須釜さんは、全身の3ヵ所を骨折して生まれてきた。母親に虐待を受けて育ち、義務教育を充分に受けることもできなかった須釜さんが、実家でも施設でもなく地域で生きていく手段は、生活保護以外にはなかった。

 骨形成不全症には多様なタイプがある。須釜さんの場合は、骨が極めて脆い状態が続いている。乳児期には、「寝返りを試みた」程度のことでも骨折したそうだ。現在も、最も弱い肋骨は、クシャミやセキといった小さな衝撃で骨折することがある。しかも、骨折してもX線写真に骨が明確に映らない。骨折箇所を特定できないため治療が開始されず、自然治癒を待つしかないこともある。歩行など骨に負荷のかかる運動は、生まれつき不可能なままだった。充分な硬さにならない骨は、充分な長さや太さになることもない。須釜さんの身長は、現在85cm程度だ。

 しかし須釜さんは、いつも、贅沢ではないがエレガントな衣服に身を包み、スワロフスキー・ビーズでデコレーションした電動車椅子に乗って、あちこちに出現する。須釜さんを見かけるたびに、筆者は「障害者だからといって存分に『女子』をしないのは怠慢かも」と、自分の構わない身なりを反省している。

 現在、須釜さんの活動の中心となっているのは、2010年にできたNPO「さんきゅうハウス」での活動だ。そのNPOの主要な活動は、ホームレス状態・貧困状態にある人々への入浴サービス・食事を提供し、生活保護の申請が必要ならば同行し、その後も生活全般・健康などに関する相談に乗ることだ。須釜さんは、「さんきゅうハウス」で、相談員として活動している。とはいえ、そのNPOには、須釜さんに賃金を支払うほどの余裕はない。

 6畳・4畳半・3畳の台所という、車椅子生活に対してはギリギリの広さの自宅アパートでも、須釜さんは多忙だ。須釜さんは週に5日、1ヵ月あたりでは270時間のヘルパー派遣を受け、家事・身体介助(主に入浴)などの支援を得ている。健康に問題のない時期ならば、生活を成り立たせることが何とか可能な時間数だ。しかし、骨折などのトラブルにより、「寝たきり」の時期が数ヵ月続くこともある。そういう時には、「寝たきり」の状態で痛みに耐えながら、必要な24時間介護を得るために、電話で行政と交渉を行わなくてはならないこともある。

須釜さんの悩みの1つは、「プロ」と言えるヘルパーがなかなか育たないことだ。介護に関するニーズの急激な増大と、とにもかくにも介護保険などの制度が一応は整備されたことにより、介護労働者は増加した。しかし、充分な待遇・充分な教育が用意されているわけではない。脆い骨を持つ須釜さんを「安全に入浴させる」といったことがらの1つひとつについて、須釜さんがヘルパーを教育しなくてはならない。

 NPOで、住まいで、多忙な生活を送る須釜さんの相棒は、18歳になるオス猫のディルだ。須釜さんは一人暮らしに慣れたころから、ずっと、ディルと暮らしている。高齢のためか、食欲や活動性が衰えてきたディルの健康状態も、須釜さんが気がかりなことの1つだ。

 お洒落で、明るく元気な須釜さんだが、悩みは尽きない。

「どうして、生活保護を受けたらいけないの?」

 障害者運動家たちは1970年ごろから、家でも施設でもなく地域で生活するための基盤として、生活保護に積極的な意義を見出し、活用してきた。また、障害者の生活保護利用は、長年にわたり、

「障害者は教育も受けられず、したがって就労もできないのだから、しかたない」

 という文脈で、世の中に受け入れられていた。

 しかし2000年ごろからは、「福祉から就労へ」「福祉から納税へ」というスローガンのもと、障害者に就労を迫る動きが強くなってきている。須釜さんに対しても、「それだけアクティブなのに、なぜ就労をしないんだろうか?」という意見は、当然のこととしてありうるだろう。

 近年、障害者の雇用をめぐる状況は、相当の改善がなされてきている。それでも、単に車椅子を必要とするだけではなく多様な配慮が必要な、須釜さんのようなタイプの障害者の就労状況は、極めて厳しい。しかも、後述するが、須釜さんの学歴は中卒だ。障害だけでも就労は困難なのに、学歴が中卒となれば、就労はほとんど不可能に近い。

 須釜さん自身は、

「『今のままでいていいのかな?』という不安感……『世間』から見て価値のある人間になりたいという気持ちは、私にも、ないわけではありません」

 と語る。生活保護を利用するかどうかは別として、「自分の価値は市場価値、市場価値のない自分には価値がない」という考え方を否定するのは、誰にとっても困難だろう。

「物理的に、現実的に、就労での経済的自立を実現するのは難しいです。だから、いつも矛盾を感じています」(須釜さん)
かつては会社員だった筆者も、どこかで「自分の価値は、給与明細に書かれている金額」という考え方を引きずっている。フリーランスの著述業でも、自分の納得できる収入を得られている時期には、その考え方が意識の表層に現れることはない。しかし、順調でない時期ほど表面に現れ、自分自身を苛むのだ。収入が数ヵ月途絶えている時期や、予備取材で出費したけれども記事化の見通しがまだ立っていない時期には、特にそうなりやすい。資本主義のルールのもとで経済活動を行っている以上、時に自分を苦しめるルールであっても、つい内面化してしまうのは自然なことなのかもしれないが。

「今は、自分の現状を納得できているのかというと、そうでもありません。納得が行かないままです。『さんきゅうハウス』には、アルコール依存症の方や働く意志のない方、路上生活を続けたいという方も来られます。自分たちのしている支援活動は、本当に、その人たち自身の人生のためになっているのか、どうなのか。正直なところ、悩むときもあります」(須釜さん)

 人間の価値とは何なのだろう? その人らしい人生とは何なのだろう? 誰もが納得する答えは、そもそも、ないのかもしれない。

「でも、今は、『市場価値だけが、人間の全部ではないのかも』というふうに考え始めています」(須釜さん)

 生まれた時から障害者だった須釜さんは、記憶にあるかぎりずっと、絶えざる非難や差別にさらされてきた。その非難や差別は、生活保護の問題とつながっている。今の須釜さんは、そういうふうにも考えている。そして、目に力をこめ、胸を張り、自分に言い聞かせるように

「どうして、生活保護を受けたらいけないの? という姿勢でいたいです」

 と語る。

 その須釜さんは、どのような生育歴をたどってきたのだろうか?

「思い出は“夏の腐った牛乳”」
障害ゆえに母親からの虐待も

 両親とともに暮らしていた幼児期の須釜さんの記憶を代表するのは、夏の腐った牛乳と、冬の「ただ寒かった」という体感だ。

 須釜さんの母親は、重い障害を持って生まれた一人娘を受容することができず、事実上の育児放棄を行った。乳児期の須釜さんは、父方の祖父母に育てられていた。その後2歳ごろから、須釜さんは両親のもとで生活するようになったが、母親はいつも機嫌と体調が悪かったそうだ。

 3歳ごろの須釜さんは、立つことも歩くこともできないまま、いつもベビーベッドに寝かされていた。

 サラリーマンだった父親は、出勤する前に、娘の枕元に牛乳とビスケットを置いていった。その時、母親はまだ寝ていた。しばらく後に母親は起床し、化粧してどこかに出かけていってしまった。一人で住まいに残された須釜さんは、枕元に置かれた牛乳とビスケットを一人で食べた。夏は、昼ごろになると牛乳が腐った。しかし、他に飲むものはない。須釜さんは、異臭と異味に耐えながら、腐った牛乳を飲んだ。それが忘れられず、「大人になった後は牛乳が飲めない」という。

 自力でトイレに行くことも「おまる」に座ることもできなかった3歳の須釜さんは、一日中おむつをしていたのだが、当時、紙おむつはまだなく、布おむつにゴム引きのカバーを組み合わせる時代だった。父親が不在の日中、おむつを交換する大人がいなければ、すぐにおむつは濡れてしまい、あふれた尿が衣類や布団を濡らす。冬は、周囲の何もかもが濡れて、寒い。気持ち悪くなって衣類を脱ぐと、やはり寒い。1ヵ月に1回ほど、様子を見に来た父方祖母が、布団を交換してくれていたそうだ。

 母親は、育児放棄(ネグレクト)をするだけではなく、暴力も振るったそうだ。成長に伴う骨折で痛い思いをして泣いていると「うるさい」と顔を叩き、夜中に「おしっこ」と言えば起きて顔を叩いたという。

 須釜さんは、当時の自分について、

「『辛い』『苦しい』という思いは、なかったです。ただ、身体的な苦痛が日常化していて、何となく、その状況が漠然とイヤでした」

 と語る。さらに、

「言語化できない『イヤ』は、今も、落ち込んでいる時の自分の根底にあります」(須釜さん)

 という。

18歳で初めて「社会デビュー」
施設へ、さらに地域へ


須釜さんの住まいの一角。心理学・児童虐待・猫など幅広い分野の書籍でいっぱいの本棚の前には、長年かけて集めた洋楽などのCDコレクションと、動物のぬいぐるみがおかれている。

 やがて、須釜さんは6歳になった。小学校に入学する年齢である。養護学校といえども通学が困難な須釜さんのもとに、週に2回、2時間ずつ、養護学校から教諭がやってきて訪問指導を行った。週にたった4時間の指導では、小学校の6年間で小学4年までの学習を行うのが精一杯だったそうだ。中学校も、同様の訪問指導で卒業した。子ども時代に接することのできた小学生・中学生は、隣に住んでいた1歳年上の男児だけであった。

 高校進学は、さまざまな事情から、断念せざるを得なかった。養護学校の高等部には、当時、訪問指導の制度がなかった。義務教育ではないからである。通学することは、骨折のリスクを考えると考えられなかった(骨形成不全症の患者は、思春期に特に骨折のリスクが高い)。通常の高校には、まず学力の面から入学が困難だった。また、介助の必要な生徒を受け入れる高校も、近辺にはなかった。


中学卒業後の須釜さんは、将来への漠然とした不安から、家の中で鬱々と泣き続けていた。当時は父方祖父母が同居しており、介助は祖母が、生活の糧は祖父が提供していた。しかし、祖父母はいつか、いなくなる。その後はどうなるのか。

 その時期、担当ケースワーカーの紹介で、大学生がボランティアの家庭教師として、須釜さんのもとを時折訪問し、中学の勉強の補習をしていた。その大学生の

「施設に入ってみれば?」

 というアドバイスに従い、18歳になった須釜さんは身体障害者向けの訓練施設に入居した。そこで行われたのは、生活スキルに関する基本的な訓練だった。その時期について、須釜さんは

「初めての外部との接触で、『社会デビュー』っていう感じでした。友達もできました。その時の友達とは、今でも友達です」

 と、当時の喜びを反芻するかのような表情で語る。

 その施設は、1年を限度として生活訓練を行うことを目的とした施設だった。須釜さんは懸命に、移り住むためのアパートを探したが、障害者にアパートを貸す家主は現在以上に少なかった。3年後、21歳の須釜さんはやっと、アパートで地域生活を始めることができた。資金は、施設に入居していた時に貯金した障害基礎年金だった。その貯金が尽きるころ、須釜さんは生活保護を申請し、現在に至っている。

これからの障害者は
「地域から施設へ」?


須釜さんの住まいにて。バービーちゃん人形シリーズには、「ベッキーちゃん」という車椅子のスクール・フォトグラファーがいる。右側のブラシは、ベッキーちゃんの髪をとくためのもの
Photo by Y.M.
 須釜さんは、昨今の政情について

「本当に怖いです」

 と、恐怖感を率直に語る。

「2005年、障害者自立支援法が成立した時、今みたいな時代が来るんじゃないかと思いました。年金や生活保護に、メスが入れられて切り捨てられるのではないかと」(須釜さん)

 その時、障害者はどうなるのだろうか。

「障害者は施設に、それも貧困ビジネスみたいな施設に収容されて、出られなくなるんじゃないかと思っています。障害者は、戦争をする時にジャマな存在ですから。障害者運動はずっと『施設から地域へ』と障害者の地域生活を推進してきたわけですけど、これからは『地域から施設へ』ということになるのではないでしょうか」(須釜さん)

 他人ごとではない。筆者も障害者だからだ。その圧力は、自分自身もひしひしと感じている。いずれは障害者が、「役に立つ」「役に立たない」の2種類に分別され、役に立つ障害者は、過労死するほどの経済的貢献を求められる。役に立たない障害者は、辛うじて生存が維持される程度の社会保障を与えられ、さらに高齢者となる以前に生涯を終えることを求められる。そのような将来像は、「社会保障制度改革国民会議」の議事の成り行きなどから、イヤというほど読み取ることができる。

 自民党が圧勝した参院選の結果を受けて、須釜さんは今、大きな不安を抱えている。

「これから、健常者の生活保護だって削減されていくんだから、障害者にとっても苦しい時代が来るんじゃないでしょうか? 介護も、削減されてしまうのではないでしょうか? 表向きは『本人の安全と利便』を理由として、劣悪な施設に障害者を閉じ込める動きが始まるのではないでしょうか?」(須釜さん)

 障害者にとって、「施設に閉じ込められる」ということは、社会から切り離されるということである。それだけではない。

「一番不安なのは『自分は、社会の中で、これから生きていけるのだろうか?』ということなのですが。社会の中で、障害者が尊厳を認められて、社会の一員として生きていけるのかどうか。まだ、障害者施策がどうなるのかは、何一つはっきりしていませんが、漠然とした不安があります」(須釜さん)

 目先の須釜さんにとっての問題は、8月1日からの生活扶助費削減を、どう乗り切るかだ。今は、水道光熱費を節約することで対処しようと考えている。

 次回は、生活扶助費削減に対抗する動きについて紹介する。行政に対する審査請求や、予想される審査請求の却下を受けて予定されている集団訴訟には、どのような意味があるのだろうか? それらは、生活保護バッシングを行う人々が言う「そんなヒマがあるなら働け」という性質のものだろうか?

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