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生活保護者の集いコミュの「離婚した専業主婦」は引きこもりと変わらない!? バツ1女性と538社落ちた男性が結婚するまでの苦闘

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http://diamond.jp/articles/-/31300

「引きこもり」するオトナたち{ 第138回】 2013年1月31日 池上正樹 [ジャーナリスト]

 世の中の状況は、まだバブルの余韻が残っていた90年代を境に、ガラリと変わってしまった。いや、実は本質は何も変わったわけではなく、解決を先延ばしにされて地域の中に埋もれてきた“この国の課題”が露見してきただけなのかもしれない。

「引きこもり」の問題も、その1つだろう。

 これだけ長期化、高年齢化した数多くの引きこもり状態の人たちを目の当たりにして、もはや社会的背景を語ることなく、いまでも「引きこもりは青少年の身に起こる思春期特有の問題」などと信じる人はいない。それなのに、この国は「子ども・若者育成」というくくりの唯一の法律のもと、いまも“本人”に向かって、実態とかけ離れた「対策」を練っている。

 1月10日に「息子の就職失敗で引きこもりになった母親」の記事を公開したところ、その日のうちから、たくさんのメールが寄せられた。そのほとんどが、同じ主婦の立場で引きこもってしまっている方々からのものである。

 そんな中から、今回紹介したいと思ったのは、一生懸命立ち直ろうと頑張っても、引きこもらざるを得ないような状況に引き戻されていく現実を象徴するような、30代の主婦A子さんの話だ。

海外暮らしに耐えられず前夫と離婚
正社員の職を探すが…

 <記事を拝読しまして、いても立ってもいられず、メールを書き始めました>

 そんな書き出しで、A子さんの文面は始まる。

 2009年、A子さんは四国のある街で、いまの夫と出会った。

 夫は、この街で就職活動した1年半の間、ハローワークを通じて538社に応募し続けたものの、ついに採用されることはなかった。

 いまは夫と四国を出て、首都圏の郊外に住むA子さんに会った。

 A子さん自身も、前の夫が赴任した海外で、引きこもり状態にあったという。

 慣れない英語。狭い日本人社会。でも、家にいれば傷つくこともない。

「刺激のない状態が、そのときは必要だったんです」

 やがて海外での生活に耐えられなくなって、前の夫と離婚し、日本に戻ってきた。

 いまの夫と知り合ってからは、その街で宝くじの販売員をしながら、財産分与された貯金を崩す生活をしていた。

 <ハローワークへ通い、正社員の仕事を探し、毎日のように履歴書を送りましたが、書類だけで落とされてしまう日々です。やむなくフルタイムで働けるパートやアルバイトを探しましたが、社会保険へ加入させたくないのか、非常に少なく、仕事はコールセンターやテレアポばかりでした。

 コールセンターに勤務してみたものの、1日中飛び込み電話をかけ続け、ノルマに追われ、ミーティングでは成績ばかりを求める社内にどうしてもついていけず、半年で退職してしまいました。少しでも仕事を選ぼう、自分で続けられる仕事にしようと思うと、まったく仕事がないのです>

バイト生活から抜け出せない新しい夫
538社に応募もすべて不採用

 一方、夫は当時、大手チェーン店でバイト勤務していた。それだけでは生活ができないため、2人は同棲を始めたものの、その翌月、夫は上司とそりが合わず、退職してしまった。

 夫は、高校を卒業して以来、就職口がなく、実家で暮らしながら、たまに派遣の仕事をするような生活だった。

 だから、前出のチェーン店でバイト勤務を始めたものの、生活が一変して、すぐには適応できなかったようだという。

 それでも、夫は就職活動を続けた。毎日、ハローワークに通って、正社員の募集があれば、条件などを見ずに、片っ端から申し込んだ。

 <今でも信じられませんが、スーパーの正社員の募集などで「月給15万 残業手当込み」で手取り12万くらいになるような仕事があります。家賃と光熱費を払い、日々食事をすれば、いくらも残らず、副業せねば生きていけないような仕事です。月給15万の仕事があちこちにあり、主人はそれすら書類審査で落とされるような有り様でした。

 少しでも条件のよい仕事、たとえば土日が休みであるとか、給料が18万であるとか、ボーナスがあるとか、そういった仕事は「30人応募」「40人応募」されており、条件の良くない主人は、応募しても返事すら来ない状態です。

 毎日3件ずつ応募しながら、職業訓練を2回、のべ6ヵ月(3ヵ月を2回)受け、求職者支援制度から毎月10万円を頂き、どうにか生活する状態でした>

 2010年、パソコンショップへのフルタイムのバイトが見つかり、「頑張り次第では、正社員になれる」とのこともあって、サービス残業で詰めながら、夫は必死に働いた。

ところが、翌年4月、配属されてきた大卒の新卒者たちに作業を教えることになり、それが終わった月から、夫のシフトは週に2日に減らされた。「これではやっていけない」と上司に相談すると、

「正社員採用があったので、申し訳ないがやめてほしい」

 そう言われて、あっさりクビになったという。

 夫は再び、ハローワークで毎日、履歴書を作り、1日3社ずつ書類を送った。

 <封筒代や切手代も馬鹿にならず、貯金は減る一方で、またハローワークの職業訓練を受けました。10万円ずつ貰いながら、正直「実践には役に立たないスキル」を訓練で身に着けるのです>

 当時の収入は、求職者支援制度からの月10万円と、宝くじのパート代7万円、合間に行う派遣の仕事が3万円くらいで、あわせて約20万円。

 <家賃と生活費を払い、治療の薬代などを払うと、大人2人食べていくのがやっとです。夢も希望もない状態でした>

 そのうち、職業訓練も終わり、3回受講している夫は、これ以上、訓練を受けられなくなった。しかし、最低限の生活ができる給料を支給してくれるような仕事には、どうしても採用してもらえない。

 A子さんが記した日記を集計すると、1年半の間、採用募集していた企業に書類を送った先は、のべ538社で、そのうち面接を受けさせてくれた企業は42社。面接のときに「スキルがない」などと言われた5社には、必要な資格を取り直して、再度受け直したという。

 結果は、すべて不採用。フルタイムのバイトにすら、採用されなかった。

 A子さんは、こう振り返る。

「わかっているけど、もしかしたら…と思って、ポストを見に行くと、毎日毎日、不採用の通知が届くんです。やっていることがムダになっていく感じ。想像を絶する世界です。返事すら来ない会社も5社に1社。返事が来るだけでもまだ良心がある。うつになりますよ」

残業代ゼロのブラック企業を経て
夫がようやく都会で正社員に

 A子さんたちは、その街に絶望して、都会にやって来た。

 A子さんがコツコツと貯めてきた貯金も、生活のために切り崩してきた結果、気づくと、100万円を切っていた。

 都会に出ると、A子さんは引き続き、宝くじの販売員の仕事をすることになった。

 夫もすぐに正社員の仕事が決まった。しかし、チェーン系のサービス業で、月給は18万円。手取りで15万円ほどだった。

 残業代は一切なし、休日は月に4回。労働基準法など、どこ吹く風だ。

 <朝8時過ぎに 出て行って帰宅は日付が変わるころ。昼食と夕食含めて主人は外で2、3回食事しなければ持ちません。

 それでも夢の正社員。頑張って勤めていたのですが、またしても「新卒の正社員」が採用され、中途採用の主人含めて、同期はみな異動になりました。

 これからは穴埋めとして2、3ヵ月ごとに異動になると会社に言われ、通勤できないのではと思うような所も提示されました>

 上司からは、こうはっきり言われた。

「大卒の新卒を採用するまでの穴埋めの中途採用だったし、これからの穴埋めとしてやってもらうことになる」

 夫は「都会なら、また仕事が見つかるだろう」と退職した。

 <私も、社員の足元を見て、こんな無理を言う会社では長く続かないと思い、承諾しました>

 再び、夫のハローワーク通いが始まった。家賃も払えないため、社会福祉協議会から、半年間の「住宅手当」の支給を受けた。「この半年でなんとしても仕事を見つけなくては…」と必死に就職活動を続けた。

 そして、正社員として、運送会社の宅配の仕事に就くことができた。

 とにかく食べていかなくてはならないと、1日中、外で走り回る宅配の仕事。冬の季節は乾燥と寒さで、元々弱い肌がボロボロになり、内服薬と塗り薬が欠かせないという。

 <夏は暑さと汗でもっとひどくなるでしょうが、それでもぜいたくは言えません。現在の仕事はハードですが、そのかわり残業代がきちんと出て、月に28万、手取りで23〜25万円くらいになります。

 充分、大人2人で生活ができる。やっと私たちは、籍を入れることができました>

離婚した専業主婦も履歴書はスカスカ
レールを外れれば絶対に戻れない

 立ち直りたいと思って努力しても、引き戻されそうになる、この国の現実。しかし、A子さんたちは何とか踏みとどまって、生活の軌道に乗ることができたのかもしれない。

 A子さんは、こう綴る。

 <今の世の中、レールを外れた人は…そして、そのまま20代後半までキャリアの1つもなかった人は、もう絶対に浮き上がれません。履歴書がスカスカな主人は、面接すらまともに受けられませんでした。

 もちろん本人にも問題がありました。社会人経験がないので、そこかしこに、社会人としては物足りなさを感じるのです。

 言葉づかい、身のこなし、考え方…書類ひとつ、面接1つにも、それがにじみ出ていたのかもしれません。

 しかし「働きたくとも食べていける仕事はない」世の中に変わりはありません。

 私も、何度となくフルタイムの仕事を探したけれど、20代から10年あまり主婦をやったあと離婚した三十路の女性に、そんな仕事はありませんでした。私も履歴書はスカスカなのです>

 離婚した専業主婦も、履歴書の空白に関して「引きこもりの人たちと変わらない」と、A子さんは言う。

 <26歳まで、のんべんだらりと過ごした主人の自己責任と言えばそれまでです。私も10年近くも主婦だったのに離婚などして、自己責任といえばそれまでです。ですが、健康で働く意欲もあり、 結婚して夫婦2人、自分の力で生きていこうとしている人たちが、なかなか生活できないのが今の不況です。

 私たちはなんとか正社員となり、結婚できましたが、結婚できずにいる人たちもいることでしょう。

 人は簡単に「選ばなければ仕事はある」とか「3Kの仕事ならある」と言います。ですが、いくら生活がかかっていても、何十年と続けようと思う仕事を「選ばずに」はいられないのです。

 仕事とは生活です、人生の大半は仕事をして過ごすのですから、生きていく上で最低限自分の苦痛にならないものを選ぶのが当たり前です。その権利すらない世の中なのでしょうか…。

 何とかいまは浮き上がって、人様や行政の世話にならず暮らしています。いままでずっと免除されていた年金も払っています>

「引きこもり」は、特殊な人たちの話ではない。ちょっとつまずいて、踏ん張りきれなくなったときに、誰の身にも起こりうる人生上の出来事だ。

 そして私たちが、この国の未来を語るとき、こうして転落しまいと必死に生きている人たちがいる現実を、まず知るところから始めなければいけない。

この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方は、下記までお寄せください。
teamikegami@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)

コメント(4)

読んでて泣けました。
私は結婚時代は派遣とパートだったし元夫もブラック企業非正規雇用で泊まり込みありで世帯収入は月30位。

そのうち元夫の借金返済で月24.5位で暮らしてました。通勤の服とか美容院もあるし、こぎれいにしてないと契約にひびくし。あとは死ぬ程辛い医療費。

今、生活保護で就労があまりできないので非正規雇用パートからブランクがありまともな仕事につける希望がもてません。工場のラインだって派遣だし三カ月更新とか。

精神障害者枠で探すことも視野に手帳を得たらいろいろあたるのが唯一の希望です。

一生病院がよいは必要です。
まさに離婚後の妻は正社員でないかぎり年齢もありひきこもりと同じかそれ以下ですね。
最近いろいろ心配で眠れません。また春は周囲がいろいろ変わるので辛い季節でもあります
涙
そうかなあ。
離婚後、仕事探しましたが書類で100社おちでしたよ。面接に行く企業なんか選べない、職歴がまともにないから、アシスタント、秘書くらいしかないけど面接で落ちる。
一般事務は若くて可愛い子が有利です。メンヘルもちならさらにホワイトカラーには戻れない。

仕事は男性より多いですか?
そう思えませんが…
接客業とかのこと??それも容姿でしょう。
ホームレスになれないのはレイプがあるからで男性のほうがマシですよ。今の社会べつに女に優しくないですよ。

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